個別指導形式の学習塾と家庭教師の寺子屋学習館|富山県射水市

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ゴールキーパーの視点から

バラエティ―番組「上田と女のほえる夜」を見ていて、気になる場面に遭遇しました。

サッカー元日本女子代表(なでしこ)の丸山かりなさんのだんなさんである本並健治さんが、車の乗る位置や、掃除のことについて私見を述べておられました。

本並さんは現在61歳で、元ゴールキーパーです(元日本代表のゴールキーパーです)

ちなみに僕も小学校5年生~6年生にかけて、サッカー部でゴールキーパーをしていました。


本並さんが、奥さんの丸山かりなさんと車に乗るときに、(丸山さんが運転をするときは)「僕は後部座席に座ります」と言っておられました。

スタジオには笑いが起きました。理由は「僕はゴールキーパーなんで、一番後ろから(景色を)見ていたい」とのこと。

僕も妙に納得してしまいました。

サッカーのゴールキーパーは皆さんもご存じのように、「ゴールを守る最後のとりで」になっています。

ディフェンスが抜かれ、最後の守備をする役割がゴールキーパーです。

僕もそうだったのですが、キーパーにとって、相手の選手とゴール前で1対1になったときは、ものすごく嫌な気持ちになります。

キーパーと相手の選手が1対1になると、確率的には50%以上の確率で点数が入ります。キーパーはそう簡単には止めることができません。

「しまった」と思ってももう遅く、キーパが抜かれると、即、失点につながります。

点数を取られた瞬間、キーパーはものすごく嫌な気分になります(僕はそうでした)

点を取られたのはキーパーの責任ではありません。抜かれたディフェンスや、前線でボールを奪われたフォワードの責任ももちろんあります。

単に相手が上手で、相手の攻撃を止められなかった、という場合もあります。


本並さんはテレビで「僕は元ゴールキーパーなので後ろから全体を見渡していたい」と強調しておられました。

サッカーの試合のとき、ゴールキーパーはコートの半分以上攻め込まれると、守りのスイッチが入ります。

僕はスイッチが入るというよりも、ひたすら「嫌な気分」「怖い気分」になっていました。

頼むから止めてくれ~と思いながら戦況を見守っていました。

キーパーは本当に嫌なポジションだよなぁと思いながら守っていました。責任重大です。

エラーなんかして失点すると、もう気分は最悪で、ものすごく落ち込みます。


僕のチームは小学校時代、日々の猛練習の成果もあり,とても強いチームでした。

でも僕は、監督がとても怖い方だったので(怒ると暴力は当たり前の人でした)エラーなどした時には殴られる覚悟をしていました。

 嫌々サッカーをしていました。辞めたくても監督が怖かったので言えませんでした。両親も厳しかったので、サッカーを辞めることができませんでした。


さて、 テレビのシーンが変わり、家事について本並さんは以下のように話しておられました。

「奥さんが料理をするので、僕は掃除と洗濯をします。でも彼女は僕が高い所しか掃除していないと思っています。なぜなら彼女は元フォワードの選手なので

前しか見えていません。」 またもや笑いが起きました。司会の上田さんが

「そんなことはないでしょう(笑)~」と言っておられました。

本並さんは、床にはいつくばって床の掃除もしています」と笑いながら言っておられました。

ゴールキーパーは基本的に身長が高い人がします(空中戦に強いキーパーが重宝されるためです)

ハンドボールのキーパーの方もそうなのかもしれませんが、とにかくキーパーは全てのポジションの中で一番プレッシャーのかかるポジションかなと思います。


 全然関係のない話になりますが、ゴールキーパーの話で、どうしても伝えたいことが1つあります。

僕が中学生のときに、同じ富山市の某中学校のゴールキーパーの先輩で、めちゃくちゃ上手い方がおられました。

小学生のときは、そんなに目立った活躍はされていなかったと思うのですが、中学時代に入り頭角を現したような先輩で、とにかくキャッチングがすごく上手で

キックも正確な方でした。

中学2年生のときに、サッカー部の友達が「あの先輩、キーパーで西日本ナンバーワンキーパーだよ」と言っていました。

当時はまだJリーグがなかった時代です。

その先輩は高校へ進学され、高校時代も富山県では有名なキーパーでした。

僕の知識はそこまで。

それ以降のことはわかりませんでした。 しかし15年ほど前、偶然飲みに行っていた店の店長さんが、そのキーパーの方の中学時代のサッカー部の方で、

その先輩の高校以降の進路について教えてくださいました。

その先輩は、高校を卒業されたあと、関東地方にある私立大学へ進学されました。

大学時代もやっぱりとても上手で、日本リーグのチームから「うちへ来ませんか?」と声がかかったそうです。

ところがその先輩は「自分は身長が低いので」と言って断られたそうです。その先輩は多分身長は175cmくらいだったかと思います。

もしその時に日本リーグのチームに所属していたら、将来のJリーガーになっていたかもしれません。

僕はその話を聞いたときに「うわ~もったいない!」と思いました。


 富山県人で最初のJリーガーになった人は誰だかご存じでしょうか??

柳沢あつし選手はあまりにも有名なのでご存じかと思いますが、富山県人で一番最初にJリーガーになったのは

富山第一高校出身の荒谷弘樹(あらたに ひろき)選手という方です。柳沢あつし選手の2つ上の学年になります。

ポジションはゴールキーパーでした。現在50歳の方で、高岡出身の方です。身長は191cmと大柄な選手でした。

僕は残念ながら荒谷選手のことはあまり知らなくて、荒谷選手の試合も観たことはありません。

知る人ぞ知る選手なのではないかと思います。浦和レッズに入団されました。

現在は古巣大宮でU-12のコーチをされています。


長々と書き連ねてきました。ゴールキーパーというポジション。

見方によっては「花形のポジション」かなと思います。

ファインプレーをすると目立つし、一人だけ他の選手とはユニホームの色も違うのでカッコいいです。

本並選手の話は面白いなと思いながらテレビを見ていました。いろんなことを思い出してこのブログを書かせていただきました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。満足です!
2025年12月18日 04:55