個別指導形式の学習塾と家庭教師の寺子屋学習館|富山県射水市

わからない所が1つずつわかるようになる、達成感ある授業を心がけています。

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island 「Stay with Me 」 / ライバルとの出会い 大学時代

  大学1年生のとき、よくクラスのメンバーでカラオケに行っていました。

  だいたいいつも10人~15人くらいでカラオケに行っていました。

  そのときに、ある友達がisland(アイランド)というグループの「Stay  with me」 という曲を歌ってくれました。

  僕はそのときに初めてislandの「Stay with  Me」という曲を聴きました。

  確か当時オールナイトニッポンというラジオ番組があり、その番組のテーマ曲だったのかな?そんなことを友達から聞きました。

  カラオケに行っていたのは、ちょうど台風が新潟に近づいていて、かなり風の強い夜でした。 

当時、僕のクラスのカラオケは女子は基本的に明るい歌、男子は明るい歌もあり、悲しくなるような、やや暗い  「聞かせるような歌」を歌っていました。

  僕のクラスのオリター(学年が1個上でクラスの集まりのときや五十嵐浜でソフトボールをするときなど、何かと手助けをしてくれていた先輩方)はいろんな歌を知っていて、僕の知らない歌をたくさん歌って教えてくれました。 

「Stay  with  Me」を初めて聴いたとき、とても切ない気持ちになりました。

  良く言えば「センチメンタルで好きな人に想いを馳せたくなるような名曲」

悪く言えば「ひたすら悲しくなるような、暗い曲」

  僕が感じたのは前者、「好きな人に想いを馳せたくなるような曲」でした。

  当時僕には好きな人がいて、その人は同じ富山県から新潟大学に合格して、同じ教育学部の人でした。

髪が長く、かなり明るい性格で、バレーボールの上手な人でした。  彼女は富山東高校出身の人でした。

僕は富山東高校に落ちた人だったので、僕は彼女のことを4年間ずっと  「ライバル」と呼んでいました。

  彼女もまた僕のことを「ライバル」と呼んでいました。  お互いに「ライバル」と呼んでいました。

  彼女は大学に入学して早々、経済学部の人と付き合っていました。  僕はライバルに告白する暇もなく、あっさりとフラれた形になりました。

  大学で会うと必ず向うから「ライバルだ!」と言って近寄ってきて話してくれる、かなり人なつっこい人でした。 

そんな彼女は大学を卒業するまでその彼氏と仲良く付き合っていました。  アイランドの「Stay  with  Me 」を聴くと当時のことを思い出します。 

今日、4年ぶりくらいに「Stay  with  Me」をYoutubeで聴きました。 

「ライバルは今、元気にしているのだろうか?」 

大学を卒業したあと、僕もライバルも富山市にある実家に帰って来て、二人とも教職浪人をしていました。

  彼女は結局、その彼氏とは卒業したあと数年後に別れてしまい、その後,別の人と結婚しました。  今も先生として活躍しています。

  ライバルが彼氏と別れた後、25歳のときに何回か「バーベキュー」をしました。

   庄川の橋の下にある空き地みたいな所でバーベキューをしていました。 

やがて26歳になり、ライバルは結婚することになり、その後は一度も会っていません。

彼女は、 とてもガッツのある人で、東高校時代、ある人とつきあっていたのですが、母親から「あんた、のんきに男の人とつきあっとるヒマあったら、勉強しられ!あんた最近成績悪いやろ?彼氏のせいじゃないがけ!」  と母親から交際を強く反対されました。 

その一言にムッと来たライバルはその後猛勉強して、次の定期テストで学年で1番をとりました。

  ……すごい人やな、と25歳のバーベキューのときにライバルからその話を聞いて、尊敬してしまいました。 


 一度だけ、大学4年生のときに、僕とライバルは二人で新潟駅から富山駅まで、同じ特急で帰省したことがありました。

  そのとき、ライバルは一時的に彼氏と別れていました。僕は電車の中で、「お前さ、この際だから言わしてもらうけど、俺はお前のことは1年生の時から好きだったし、めちゃくちゃ話しやすいし、もし付き合えたら楽しいやろうなあって考えたことあるよ」

と言うとライバルは「実は、私ももしあんたと付き合ったら、話合うし、楽しいやろうなあって思ったよ。

  でも多分、私の頑固さと、あんたの頑固さがぶつかって、私たちは上手くいかんと思うよ」と冷静に話していました。

  当時僕には彼女がいたため、それっきりライバルと恋愛の話には発展することはありませんでしたが、心の底から僕はライバルとつきあいたいなと思っていました。

  まあ今となっては良き思い出なのですが… 

大学1年生のときにアイランドの「Stay with  Me」をよく聴いて、ライバルのことを考えていました。

  もう30年近く、彼女とは会っていませんが、幸せな家庭を築いていることと思います。

  ちょっとたれ目で,そこがまた魅力的な素晴らしい人でした。
2026年11月04日 18:17

中森明菜 「サンドベージュ ~砂漠へ~」 / 中学1年生 夏休み

最近,夜にYoutubeを見ることがあまりなく、いつの間にか寝落ちしている日が続いていました。

今日こそは!と思い先ほど中森明菜さんの「サンドベージュ」という曲を部屋の電気を消して暗闇の中で視聴しました。

やっぱり夜の音楽っていいですね!!

明日からのエネルギーをもらいました☆彡

この曲には強烈な思い出があります。

サンドベージュは1985年の夏、発売されました。僕はそのとき中学1年生でした。

夏休みに「歌のトップテン」という歌番組をFMラジオで聴いているときに、この曲を初めて聞きました。

この時、僕は英語の「ペンマンシップ」というワークで、「筆記体」の練習をしていました。

今の中学生はブロック体しか学校では習いませんが、僕が中学生のときは筆記体を覚えさせられました。

中1の夏休みの宿題に、この「ペンマンシップ」という名のワークを大量に出され、英語の新採用の女性の先生が

「夏休み中に筆記体を覚えてくること!2学期からはテストの答案も全部筆記体で書いてね。ブロック体は禁止します」

と言われました。

僕はめちゃくちゃ焦って「え~そんな…」とうろたえましたが、先生は真剣な顔つきで言い放ちました。

仕方がないので、夏休み、必死になって筆記体を大文字→小文字の順で覚えました。

そんなある夏の夜、いつものように月曜日の夜、「歌のトップテン」で流れる曲をカセットテープに録音するために、FMラジオを録音していたとき、中森明菜さんが「サンドベージュ」という曲を歌い始めました。

僕は最初のうちは筆記体を書きながら歌を聞いていたのですが、サビの部分を聞いて、あまりにもの歌の良さに魅かれて、手を止め正座して「サンドベージュ」を聞きました。

……衝撃でした。なんていい歌なのだろう… 僕は「サンドベージュ」を聴きながら、ノートにその歌詞を書いていきました。

サビの部分で「これは何て言っているのだろう??」と思いました。

今でも謎なのですが、多分アラビア語?なのかな? 英語ではないと思うのですが、サビの部分の歌詞がうまく聞き取れませんでした。

Youtubeで確認すると、サビの部分の歌詞はカタカナ表記になっていました。何語なのだろう??

いまだに謎です。多分歌詞の中に「ナイル」とか出てくるし、砂漠へというサブタイトルがついているので、アフリカの方の言語だと思います。

中森明菜さんはちょうど僕が小学4年生のころから大学生までがかなりピークでした。

ヒット曲を連発していました♪

僕の中ではこの「サンドベージュ」という歌が中森明菜さんの中では一番好きな歌です。

今でも車の中やYoutubeで聴いています。

Youtubeの方が映像があるので好きです。


つかの間の文化の日ももうすぐ終わり、明日からまた日常が始まりますね。

サンドベージュを聴いて明日からまた頑張ります☆彡
2026年11月03日 21:36

2003年8月「はるかな尾瀬」事件 31歳夏

  2003年の夏のことです。

  僕の男友達が「佐伯、8月にうちの会社のメンバーで尾瀬までハイキングに行くがやけど、佐伯も来たい?  1泊2日のプランだよ」 「行きたい!」僕は即答しました。

  その友達は富山県立大学→富山医科薬科大学薬学部に編入した というかなり珍しい学歴の人でした。頭いい! 

僕は当時は福光に住み込みで個人塾をしていたのですが、その2日を休みにしてもらい、張り切っていました。 

話によると、朝友達の会社に待ち合わせして、そこから車で尾瀬まで行く、というプランでした。

行きは会社の男性の人の車で移動しました。ボルボ70に乗っていて「これがボルボか!乗り心地めっちゃいいな!」と感動していました。

  ボルボの中では男子のみで、彼らが「○○さんは話好きだから、話を聞いてあげて!」とか「〇〇さんは逆で 自分から話すような子じゃないから、佐伯の方から声かけてあげて!」

などなど、会社の人たちからいろんなご指導を受け(笑)、僕は頭の中にそれらの「データ(笑)」をインプットしていました。 

「尾瀬(おぜ)」という地名は音楽の教科書にも出てくる「夏の思い出」という歌の歌詞に出てきます。 

「♪夏が来れば思い出す~ はるかな尾瀬 遠い空♪」という歌詞があります。  その「尾瀬」です。

「そもそも尾瀬って何県にあるが?」と僕は思い、ネットで検索すると「福島県・栃木県・群馬県・新潟県の4県にまたがる地域」と書いてありました。 

「う~ん、イマイチよくわからん。要するに富山からは遠いってことね!」と軽く受け止め、移動中の頭の中では「女子とどんな話をしたらいいのだろうか?」とそれだけを考えていました。

  尾瀬ツアーのメンバーは総勢14人くらいいました。男子と女子がほぼ1:1の構成でした。

  事前に友達から「佐伯にぴったりの子おるよ。〇〇さんやわ。良く話すし楽しい人だよ。まあまあの美人だよ」 

……僕は事前にそのことを聞いていたので、とりあえずその人をイメージしながら尾瀬ツアーを予行練習していました。

  医療関係の会社の人たちとの「尾瀬ツアー」でした。  僕は医療のことは全くの素人・何も知りません。

  とりあえずは仕事のことについて質問してみようかな?と思っていました。

   そして正午手前くらい(だったと思います)に尾瀬に着きました。  僕は「ついに来たよ!長かった。これからこれから!!」と意気込んでいました。

  僕は当時TVで流行っていた「あいのり」のような感覚で、男女が話しながら楽しく、気ままに尾瀬の湿原の中を歩いていくものだと思っていました。 

ところが現実は……

本当に「はるかな尾瀬!」ひたすら湿原が続く。  その中を板の上をたどってひたすら、ただひたすら歩く、というものでした。

  僕は「これじゃ女の人と話すどころじゃないねけよ~↓」とイジけていました。

一人で黙々と尾瀬を歩く。途中で「トマト」を買い、水分補給にしていました。  覚えていないのですが、かなりの時間、尾瀬を歩きました。

5時間~6時間くらい? 歩いたような気がします。   「本当にはるかな尾瀬やな」とあきれかえりながら歩いていました。

  尾瀬は湿原なので、土の上を歩くのとはちょっと違います。板がずっと敷いてあって、その上を歩く。  もしもバランスを崩して板からそれると、水の中に足が浸かってしまいます。 

本当に気をつけながらの5~6時間ウオーキングは,とてもつらいものでした。

  到着したときの「達成感は0」

全くありませんでした。ただただ「疲れた」

  そんなことよりも「女子との会話は?いつになったら話せるの?」とずっと思っていました。 

 ……地獄の尾瀬ツアーも終わり、いよいよその会社の別荘(保養所?)に移動することになりました。

  別荘に到着したのは、22時すぎ。  「あ~もうこんな時間か…でもまだ少しくらい女子(〇〇さん)と話すチャンスはあるな!」と思って心の準備をしていると、その会社のリーダーの人(女子)が  「はい、それではこれから順番にシャワーして、そして寝ましょう。今日はご苦労様でした」

  ……えっ、マジで!? この人頭おかしいんか? 夜はこれからやろ!! 

修学旅行じゃあるまいし、大の大人がなんで23時就寝なん?しかも尾瀬まで来て…」

  僕の心の声など届くことはなく、女子の方たちは本当に寝始めました…。 

うわ~最悪。俺は何をしに尾瀬まではるばるやって来たのだろう??  めっちゃへこみました。

でもその会社のルールには従うしかない。   でもこんな気持ちのままはとてもじゃないが眠れない! 

シャワーをしたあと、僕は皆が寝静まる中、悶々と日記を書いていました。  1時間半くらい、ひたすら悔しさ・空しさを日記にぶつけて書いていました。

  当時は福光の塾には塾生が27人いました。  その一人ひとりの顔を思い浮かべては,むなしい気持ちになり、結局その日は2時間くらいしか眠れませんでした。

  …あまりにも理不尽で納得がいかない「尾瀬ツアー」でした。

やがて 朝が来ました。

結局、僕は女子とはほぼ一言も話せず、悔しい気持ちを抱えたまま車に乗り込みました。

  帰りの中はボルボの中に全員男子だったので、僕は車の中で延々と話し倒しました。

  「佐伯君、あんた面白い人やね~(笑)」 帰りの車の中は僕の「独演会」になっていました。

  その時間は確かに楽しかったのですが… 

やがて会社に帰って来て、そのまま「解散」

  僕は福光までの帰り道、一人で車を運転しながら、「あまりにも納得がいかない」ため、よっぽど悔しかったのか、数年ぶりに「1人カラオケ」に行き、2時間くらい熱唱していました。 

数少ない貴重なチャンスだったのに…

  今では周りの友達は皆結婚していて、コンパは全くないのですが、「はるかな尾瀬ツアー」のことは、たまに  思い出すことがあります。 

事前に〇〇さんと話したい!といった僕のささやかな夢はあっさりと砕かれたのですが、「女の人のパワーはすごいな」と今でも思っています。

 男の本能??

それにしても一言でもいいから、女子と話したかった… 

そんな「はるかな尾瀬」ツアーでした。
2026年11月02日 19:19

中学生・高校生・保護者様 向けのYoutube番組は?

 おはようございます。月曜日になりました。  今日から学校・仕事が始まる方が多いかと思います。 

今日は中学生・高校生および保護者様向けのYoutubeについてお話させていただきます。 

河野玄斗先生をご存じでしょうか?  僕はテレビで河野先生を見たことはありませんが、偶然流れてきた河野玄斗先生のYoutubeを見て、河野先生のファンになりました。

  簡単に河野先生を紹介すると、東京大学理科Ⅲ類(医学部)OBで医師免許、公認会計士免許、弁護士資格いわゆる3大超難関国家資格を保有されている方で、テレビの方ではクイズ番組でかなり有名な(僕は知りませんでしたが)方です。

  河野先生の動画は主に高校生・浪人生向けに発信されている動画なのですが、一部は中学生がご覧になっても十分参考になる・勉強になる動画に仕上がっています。 

一番良い所は「動画が短い」ことです。たいていの動画は3分以内に収まっています。

  長いだけで見ていて疲れる、ということは、ほぼありません。

  短い時間で簡潔に勉強の仕方について発信されています。

  僕は3日に1回のペースで河野先生の動画を見ていますが、確かに頭が良すぎてとてもマネはできないこともありますが、中学生でもわかりやすいような内容の動画も多いと思います。 

例えば「英単語の覚え方」についても、3分以内で簡潔に教えてもらえます。 

先生だと思って河野玄斗先生の動画を見ることは、めちゃくちゃ参考になるし、特に高校生の場合は、ぜひ見てほしいなと個人的に思います。

スイッチ入るかと思います。 

僕の高校時代の話になるのですが……

3年間同じ先生が担任だったのですが、当時先生は「いいか?お前たちが  今、嫌々やっている勉強にしたって、せいぜいで10代・高校時代にしかできないことやぞ?これほど勉強しやすい環境はないぞ?  いったん社会人になってしまったら、勉強したくても仕事があるからできんがやぞ?勉強しろ」と事あるごとに言っていました。

当時、僕はその担任の先生の「お説教」を聞くのが大好きでした。

「理想論」「夢物語」みたいなことは、いっさい言わない先生だったので、妙に担任の言うことに納得していました。

今となってはその意味がよくわかります。  10代の勉強量である意味、将来は決まってしまうぞ、とも言っておられました。

「今はもう学歴社会は終わった」と言っている方がいますが、僕が高校生だったころも同じことを言っている大人がいました。 

そんなもん、もちろん「大ウソ」です。 

そんな無責任な大人の言葉を真に受けて勉強しないと、20代・30代になってから本当に後悔することになります。 

スポーツや芸術がずば抜けていて、将来その道で食べていける、という方は別にして、大多数の人は「その他」  に含まれます。


 たとえば,  お笑い芸人ひとつとっても、面白さが突き抜けている方は、やはり「高学歴の方」が多いです。 

僕は毎日のように、気になったお笑い芸人さんの「学歴」を調べています。

売れているお笑い芸人さんは、とにかく頭の回転が速い、ということです。

頭の回転が速い、ということは、自分が感じたり思ったりしたことを頭の中で一瞬のうちに整理して、そして言葉にして表現する、ということです。 

何も考えないで面白いことを言える、という芸人さんはいないと思います。

  もちろん「学校の勉強ができる」ことと「仕事ができる」こととは確かに別のことかもしれません。 

でもそういうことを言う人の中に「高学歴の方」は少数派だと思います。 

言い訳ばかりして、勉強しないのではなく、「今しか勉強できない」と危機感を持って、中学生には勉強してほしいなと思います。


……  中学生に「将来どんな仕事したいが?」と尋ねるとほぼ100%の確率で「お金をたくさん稼げる仕事に就きたい」という答えが返ってきます。

  それに対して僕は「じゃあ勉強しられ」と毎回毎回同じことを言い聞かせています。

  自分なりに勉強してみたけどダメだった、という場合はある意味仕方がないことかもしれません。

  はっきり言って一つの事を教えて「10理解できるような頭のいい人」は確かに存在します。残念ですが… 

でもそれはごく「一握りの人」 大多数の人は持って生まれた能力には、そんなに差はありません。

  後天的な要素、要するに「どれだけ勉強したか」で能力は決まることが多い。 


 よかったら一度「河野玄斗(こうのげんと)」で検索して、河野玄斗先生の動画をご覧ください。 

もちろん、河野先生のおっしゃることを100%マネしろとは言いません。できません。

でも, せめて10%だけでも「とりあえずやってみるか」と思って行動に移してほしいなと願っています。 

「学生の特権は勉強できるだけの時間が十分あること」 

僕も偉そうなことは言えません。

勉強します。

 頑張っていきましょう!
2026年11月02日 05:55

母校決勝戦進出 / ♪ ラストツアー Bluem of Youth

 昨日、冬の全国高校サッカー選手権富山県予選の準決勝戦が行われました。

  我が母校、富山第一高校は不二越工業高校と対戦しました。 

前半,富山第一高校が2点取りました。  前半はほぼ一高ペース。

  後半に入り、内容は互角でした。両チームともチャンスを作りながらも無得点。

 結果2-0で富山第一高校が勝ちました。   


決勝戦の相手は、インターハイ予選の決勝戦のときと同じ、高岡第一高校に決まりました。

去る  6/7に行われた、インターハイ(高校総体)富山県予選の決勝戦のときは、2‐0で富山第一高校が高岡第一高校に勝利しました。。 



  11月7日、決勝戦が、富山県県総合運動公園にて行われます。 

当然、高岡第一高校は、富山第一高校を徹底的に研究してきていると思います。

  どのような決勝戦になるのか?今からとても楽しみです。 

「一高対決」です。

  決勝戦は多分、テレビ中継されると思います。

  頑張れ、富山第一高校サッカー部!

約束の場所まであと1つ。

Bluem  of   Youth  の「ラストツアー」聞きながら一週間、楽しみに待っています。
2026年11月01日 04:12

今日は高校サッカー準決勝戦

おはようございます。

今日は冬の全国高校サッカー選手権・富山県予選の準決勝戦の日です。

僕の母校富山第一高校は、今日、不二越工業高校と対戦します。

高岡のイオン近くにある、スポーツコアという会場で午前10時30分から試合が始まります。

天気予報では今日は、くもり時々雨、降水確率は70%とのこと。

寒くなりそうなので、暖かい服装で応援に行って来ます。

準決勝戦および決勝戦はチケットが必要になります。

ローソンチケットで800円でチケットを購入できます。(手数料を入れるとだいたい1,000円になります)

大門の塾生の3年生の家に全県模試の過去問(英語)と答えを届けてから、そのままスポーツコアへ行きます。

頑張れ一高!
2026年10月31日 06:25

あさっては全県模試・育英模試  歩いて帰ろう / 斉藤和義

 中3生の方は、あさって「全県模試」「育英模試」がありますね?  準備の方はいかがですか?  

どんなテストでも「これで準備は完璧!」と思ってテストを受ける方はせいぜいで全体の10%以下だと思います。

 誰もが「あと1週間あったら、もっと良い結果を出せるのに…」と思いながらテストを受けています。  

入試本番にしてもそうです。  

「あと1か月あったら絶対に合格できる自信があるのに…」そう思って受験される生徒さんが大半です。

 人間は基本的には「どんなに前向きに準備しても、後ろ向きにしか解釈できないもの」です。

 なので、準備がイマイチ、というふうに思われないでください。  

今の自分のできる範囲で精一杯頑張ってきてくだい!


……    1つだけ僕から注文をお願いするとしたら、全県模試は4校・育英模試は3校、志望校を書けるのですが、

  第1志望校:現在、一番行きたいと思っている高校(現在の自分の学力に見合った高校)

 第2志望校:今のままでは無理とわかっているけど、合格できたらいいなあと思う高校(あこがれている高校)

 第3志望校:現在の自分の学力よりも、少し劣っている(と思っている)高校  

※ 全県模試の場合は、第4志望校:自分がとにかく好きな高校(学力は問いません)

 上記の視点から志望校を書かれてください。

 似たような学力の高校ばかり書くのもいいのですが、できれば「レベルが上の高校」「レベルが下の高校」  を必ず書いてほしいなと思います。

 試験会場はもしかすると少し寒いかもしれないので、暖かい服装(制服)で受験されてください。  

それでは、模試頑張ってきてください!

応援していますよ!


 PS:僕はよく仕事に息づまった時は、帰り道、車の中で斉藤和義さんの「歩いて帰ろう」という曲を聴きながら   車を運転しています。

  勉強に息づまっている受験生は、よければYoutubeで「歩いて帰ろう / 斉藤和義(さいとう かずよし)」   を視聴されてみてください。

少し元気が出るかと思います。
2026年10月30日 05:10

インフルエンザに注意しましょう 加藤ミリヤ / Aitai

 こんにちは。最近、インフルエンザが猛威を振るっていますね? 

みなさんの学校(職場)ではインフルエンザ,流行っていませんか?

  聞いたところによると、大門中学校の2年生では学級閉鎖になったクラスもあるとのこと。

  外から帰ってきたら、手洗い・うがいをしてください。 

僕も気をつけています。

  外出するときは、マスクをすることも大切ですね?   強要はしませんが、マスクをすると予防になるかと思います。

  インフルエンザの予防接種は受けられましたか?  

そろそろ受けられた方が良いかと思います。 

僕は1週間前にインフルエンザの予防接種を受けました。 

インフルエンザの何が怖いって、検査するときに綿棒みたいなやつを鼻に突っ込みますよね?  あれがとにかく痛い。苦手です。 

インフルエンザになってからも確かに苦しいのですが、あの検査はとにかく苦手です。 


服装にも注意を払ってくださいね。

  昼と夜とでは気温差がかなりあります。

  インフルエンザになってしまい、5日ほど寝込んでしまうのは、本当にもったいない。 

貴重な勉強時間が削られてしまいますからね? 

インフルエンザに限らず、体調管理にはくれぐれも注意されてください。

 僕も注意します。


PS:塾の生徒さんのお母さんが,加藤ミリヤさんのファンだと聞いて、加藤ミリヤさんの「Aitai」という曲を聴いてみました。

僕は加藤ミリヤさんの名前は知っていたのですが、曲を聴いたことはありませんでした。

「加藤ミリヤヒットソング」で検索すると「Aitai」という曲がヒットしました。

秋にぴったりな、切ない曲だと思いました♪

2009年7月8日にリリースされた曲とのこと。

来る11月2日に17年の時を経て「Aitai」を新解釈新曲「会いたい」が配信リリースされるようです。
2026年10月29日 05:44

勉強のライバルを見つけることの「強み・学習効果」について

 中学生のみなさん、こんにちは。寺子屋学習館・佐伯です。

 もうすぐ中教研テストですね? 勉強は順調に進んでいますか?  

今日は勉強していくうえで欠かすことのできない「ライバルを持つことの強み・学習効果」についてお話させていただきます。

 今日は僕の中学時代の成績について述べていきます。

 僕が通っていた中学校は1学年288人いました。  中学1年生の時、僕は中間テストや期末テストなど、テストがあるたびに、クラスの仲の良い友達5人でお互いに点数を言い合って、一覧表にして成績を競っていました。

 僕は、中学1年生の1学期の中間テストの学年順位は288人中、96番でした。

 当時はいつも一緒に遊んでいたサッカー部の友達や、ゲーム好きな友達と点数を競い合っていました。

 僕はいつもその中で5人中1番でした。5人のメンバーの成績は、皆3ケタでした。  288人中の150番~180番くらいの友達と点数や学年順位を競っていました。

 成績が2ケタの人は、そのグループの中にはいませんでした。  


2年生になり、次は「僕よりも成績の良い友達」と点数を競うようになりました。

 当時は学年で60番くらいの友達と2人だけで点数を言い合っていました。

その  友だちは学年順位がいつもだいたい60番。ちなみに僕は、1年生の時の成績は学年で3ケタでした。

 だいたいいつも110番~140番くらいでした。平均よりも少し上、という学力でした。

 2年生になり、テストの成績を競う友達のレベルが一気に60番まで上がりました。

 僕は2年生になった当初、その友達の成績を聞いて「うわ~、60番か!頭いいなあ」と思っていました。

 当時その友達は「俺は富山南高校に行きたい」と言っていました。彼は中学校の近くにある塾へ通っていました。結果、彼はその通り富山南高校に合格しました。

2年生の1学期、僕は「その友達に追いつきたい!」と強烈に思っていました。  彼にあこがれていました。

「俺も富山南高校に行きたいなあ」と彼の影響を受けて,おぼろげに思っていました。

 それでも成績は急には伸びず、勉強時間は少しだけ増えましたが、2年生の1学期の間はだいたい学年で80番~90番くらい。

 1年生の時よりは少し成績はアップしました。

当時は僕は1年生の3学期から、近所にあった個人塾へ通っていました。

 とても授業の上手な先生でした。その先生のおかげもあり、あとは僕自身、家でも勉強するようになった結果  学年順位が少しずつ上がっていきました。

 夏休みはそれほど勉強をしたわけではありませんでしたが、1年生の夏休みとは異なり、夏休みの宿題はお盆前くらいには終わらせていました。

 塾では夏休みの宿題を解いていて、わからない問題(ほとんどが数学でした)を教えてもらっていました。

 2年生の2学期になり、少しずつ「勉強の成果」が出始めました。

 2年生2学期の中間テストでは、初めて学年で60番になりました。嬉しかったです。

 60番をとれた1番の理由は「友達の影響」です。何とかして友達に追いつきたい!といつも思っていました。

 学年で60番だった友達の「授業の受け方・ノートの取り方」を観察していました。  

どのタイミングでノートを書くのか?先生の話はどの程度聞いているのか?観察していました。

 僕は当時はノートは「適当」に書いていました。ただ,英語・数学だけは真剣に先生の話を聞き、ノートも丁寧に書いていました。

黒板に書いてあることだけではなく、先生がふと話す「黒板には書かないこと」もノートに書くように心がけていました。

 英語・数学に関しては先生に恵まれていため定期テストでは両方85点以上取れるようになっていました。

 2年生の時の成績は1学期は80番~90番。 2学期はだいたい60番でした。


 僕が幸運だったのは、1年生のときにさんざんだった「地理」の成績がぐんと上がったことでした。

 理由は簡単。「地理のベテラン先生の授業が素晴らしくわかりやすかった」からです。

 地理の授業がとてもわかりやすく、そのおかげで大の苦手だった地理の成績が上がりました。

 残念ながら「歴史」の成績は、言い訳になりますが、歴史の授業がわかりづらく、また勉強する気分にもなりませんでした。

そのため、だいたいいつも6割くらいしかテストで歴史は取れませんでした。

理科もテストではだいたい60点台。ぱっとしませんでした。

 英語・数学以外は塾でもあまり習うことがなく、僕自身も勉強しなかったため、理科・社会のテスの点数はいつもだいたい60点~70点でした。

 学年順位は3学期は60番くらい。1年間通して2年生のときは60番台でした。

もちろん、「友達の影響・あこがれ」が一番大きかったです。  

なんとかして友達に追いつきたい!そのためには毎日の勉強時間を増やすしかない、と思いました。

 1年生の時は毎日勉強時間は0分~30分だったのが、2年生になると毎日1時間くらいは勉強していました。

 2年生で毎日の勉強時間が「1時間」というのは微妙な勉強時間でしたが、塾の先生の授業にも助けれました。  

残念ながら、その塾は2年生の12月で閉鎖になってしまいましたが…

 3学期になり、僕は今度は隣の中学校の生徒さんがたくさん通っていた個人塾へ通うようになりました。

  その塾では富山大学の学生さんが先生をしていました。  当時の僕は「うわ~。富大生って頭いいなぁ」と思っていました。

何を質問しても丁寧に教えてくれました。  

そしていよいよ中学3年生=受験生になりました。

 2年生のときの成績を競っていた友達とはクラスが離れ離れになってしまいました。  

「新しいライバルを見つけないと…!」と僕は焦っていました。

今度もライバル(目標とする人)に恵まれました。

 3年生の1年間、今度は5人でテストの成績を競うようになりました。  

その5人の成績はそれぞれ,「学年で1ケタ」「学年で10番台」「学年で20番台」「学年で50番台」そして僕。

 一気にレベルが上がりました。  それまで見たことも聞いたこともないような素晴らしい点数を目の当たりにして、僕は最初は面食らいました。  

僕は1年生のころは「水橋高校くらいに行けたらいいなぁ」と思っていました。  2年生のころは「富山南高校」か「呉羽高校」に行きたい!と思っていました。

 そして3年生になったときは「富山東高校に行きたい!」と思っていました。

 担任の先生に「先生、東行きたいがやけど、だいたい学年で何番だったら東に合格できるけ?」と聞きました。

先生は「そうだね~。20番~35番くらいだよ」と教えてくれました。  

「今の佐伯の成績だと南高校か呉羽高校レベルだね」と言われました。  それが3年生の4月に担任から言われたことです。

 それを聞いて僕は「そうか、東は20番~35番くらいか。頑張ってみよう!」と決意しました。

 3年生になり、新たに「公民」の勉強が始まりました。公民の先生も授業が上手なベテランの先生でした。  ラッキーでした。

僕は公民の授業に集中して、学校のワークを早めに終わらせて、そのワークを繰り返し勉強していました。

 英語・数学も1年生~3年生までずっと同じ先生でした。これもラッキーでした。

 受験の主要科目の英語・数学が結局3年間得意でした。  

3年生の1学期の中間テストで、僕の成績は28番まで上がりました。

「1年生のときは130番→2年生のときは50番~60番→3年生は20番台」にまで成績は学年が上がるにつれて上がっていきました。

 学年順位が上がっていった一番の理由は、いつも学年ごとにライバル(目標とする友達)を見つけ、友達に追いつきたい!の一心で勉強を頑張れたことでした。

 もし1年生のときみたいに「自分よりも成績の悪い人とばかり」成績を競っていたら、安心してしまって、勉強しなかったと思います。


……  3年間振り返って、今、僕が中学生(高校生もですが)に言えることが1つだけあるとしたら、「自分よりも成績の良い友達を見つけて、その友達と成績を競うこと」です。

 自分よりも「成績の悪い人」とはよっぽどのことがない限り、成績を競うことはおススメできません。怠けるからです。

とにかく「自分よりも成績の良い友達」を見つけ、その人に追いついていきたい!と思うところから勉強は始まります。


  ……結局僕は1年生のとき・2年生のときの「理科」あとは全く勉強しなかった「国語」の成績が最後まで伸びず、富山東高校を受験した結果、不合格。

 悔しい思いをしました。  ただ、「勉強の仕方」に関しては3年生の秋からようやく「自分にあった勉強方法」を見つけることができました。

高校へ進学してからもその勉強方法を3年間つらぬいた結果、大学入試では志望校に合格することができました。


 よく塾の3者面談で「勉強の仕方を教えてやってください」と親御さんから言われますが…

それは「毎日2時間以上、3か月間勉強してみて、それでも「成績が上がらない生徒さん」に対して僕がアドバイスすることです。  

勉強もろくにしていないのに、「勉強の仕方」を教えてほしい、と言われても答えようがありません。

 まずはどんなやり方でもいいので、毎日2時間、せめて3か月勉強してみてほしい、勉強の「やり方」について僕が話すのは、その後の話。

 普通、毎日2時間、3か月勉強し続けたら、よっぽど下手なことをしない限り、成績は伸びます。

 よく「勉強は量よりも質」と言われますが、その前にまずは「実際に勉強してみる。継続的に。」

 要領のよい勉強の仕方とか、それは「実際に勉強してからの話」

 勉強してみても成績が上がらない場合にのみ、やり方を考え直すべきだと思います。

中学生の場合は、「 教科書を読む→自分なりにノートを作ってみる(特に社会・理科)→学校のワークを解く→塾のワークを解く  →最後に「入試問題を解いてみる」

  だいたいこの流れで毎日2時間勉強していれば,3か月後くらいから成績は上がり始めます。

 「量よりも質」について考えるのは、毎日2時間、3か月勉強してみて、それでも成績が上がらない場合の話。

  高校受験は「大学受験」とは異なり、勉強したことが報われやすい勉強内容になっています(大学受験は勉強時間+要領が大切になりますが)

 まずは「3か月間、毎日2時間勉強してみてください」

 応援していますよ!
2026年10月28日 06:37

中教研テスト / 高校別目標点数

   もうすぐ中教研テストがありますね?

  今回は中教研テストの「県立高校別目標点数」について、少し述べさせていただきます。 

ご存じの通り、中教研テストは富山県内の中学生が全員、同じ問題を解きます。

  「他の富山県内の中学生と比較できる,数少ない貴重なテスト」になります。 

今回は,中教研テストにおける、 およその(予想)高校別目標点数について、少し述べさせていただきます。


  富山中部高校(探究)471点,(普通)453点 , 富山高校(探究)453点,(普通)435点

富山東高校 385点 , 呉羽高校(普通)358点 

富山南高校(普通)342点,いずみ高校(総合)315点

富山北部高校(普通)283点 (情報デザイン)244点,(くすり・バイオ)237点

富山商業高校(流通ビジネス)201点,(ビジネスマネジメント)201点,(会計ビジネス)237点,(情報ビジネス)230点

富山工業高校(機械工学)244点,(電子機械工学)244点,(金属工学)230点,(電気工学)237点,(建築工学)283点,(土木工学)230点

魚津高校(普通)385点,高岡南高校(普通)385点


  上記以外の高校につきましては、寺子屋学習館のYoutubeで「中教研テスト 高校別目標点数」で検索されてください。


  あくまでも予想点数【目標点数】なので、実際とは少し異なるかと思います。


※魚津工業高校につきましては、現在は「機械創造科」「電気情報科」「IT・環境科学科」に別れています。いずれの学科も中教研テストの目標点数は191点です。

  中学1・2年生の方々もぜひ、参考にされてください。

  僕・私の行きたい高校の目標点数(あくまでも中教研テストのみにあてはまります)はだいたい何点くらいなのか?

一度調べてみてください!
2026年10月27日 05:50