初めての自分の塾 寺子屋学習館 in 伏木
僕は大学を卒業したあと、1年就職浪人し、その後新潟県三条市という所で小学校の教員をしたあと、あっさりと辞めてしまい、富山に帰ってきました。「この先どうしよう」と悩みに悩んで、25歳の6月に小さな運送会社に拾ってもらい、軽トラックの運転手として大沢野・八尾・婦中町のエリアを担当して配送運転手をしていました。
それから大手の家庭教師教師派遣会社」に所属し、1年ちょっとの間、「専属家庭教師」→「プロ家庭教師」として、富山県内の中学生に家庭教師をしていました。
その後、1999年、3月、高校受験を終えた後、高岡市「伏木」で個人塾「寺子屋学習館」を始めました。
よく友達から聞かれるのですが「佐伯。なんで伏木だったんよ?」
これにはちゃんとした僕なりの理由があって… 当時僕は家庭教師を、学生時代みたいなアルバイトではなく、「プロ家庭教師」として、それなりの時給でしていました。
でも「結果を出しても出さなくても給料はたいして変わらない現実」に見切りをつけ「自分でやってみよう!」と思い、1999年3月の高校入試が終わったところで、当時の所属していた
家庭教師派遣会社を脱退しました。
「ではいったいどこで個人塾をするが?あと、テナント?貸家?」
当時は(今もたいして変わらないのですが)お金がなかったので、とりあえず「住まい情報」をコンビニで買ってきて、片っ端から「テナント・貸し家」を調べました。
当時は今みたいにまだインターネットは存在していなかったので、月に1回発行される「住まい情報」とあとは、直接不動産会社をかなりの数回って、1カ月くらいかけて、物件を探していました。
ただし、「場所」には1つだけ「条件」をつけていました。
それは「富山市」と「高岡市」は避けよう… というものでした。
理由は簡単。「俺みたいな素人が激戦区の富山市・高岡市で個人塾を始めたところで結果はやる前から見えとる」と思っていたので、とにかくライバルの少ない田舎、に限定して物件を探していました。。
しかし、なかなか条件にあう物件が見つからず「テナント」に関しては論外。高すぎ。最低でも月7万円を超えないと、まともなテナントはありませんでした。
当時、何の知識もなかった僕は、月額の家賃の予算が4万円以下、というものでした。テナントでは200%無理! という現実を思い知り、「じゃあ貸家を探そう!」ということになり、住まい情報の最後の方のページに掲載されてある「貸家」のコーナーを、富山市・高岡市以外の市町村から徹底的に調べ上げました。
それでも当時は貸家でも家賃6万円~という物件ばかりで、僕は「あ~こりゃ無理だなぁ。どっかの塾でも応募するか…」
と半分あきらめて、小杉の「セーブオン」で住まい情報を買い「これで貸家なかったらあきらめて、就職しよう」と決意。
すがるような思いで住まい情報の貸家のコーナーを1つずつ調べていきました。
すると「ん?なんだって?家賃15,000円!ウソやろ!しかも敷金・礼金なし」
……これを見たときの僕の喜びようは、想像に難くないと思います。
僕はこみ上げてくる熱い思いを必死にこらえながら、その貸家を斡旋している「松由不動産」へ行きました。その不動産は「高岡市伏木」にありました。
僕はそもそも伏木がどこにあるのか?把握していませんでした。偶然中学時代の英語の新採用の女の先生が「伏木」の人でした。
「あ~あの先生の伏木か…」 と思いながら松由不動産に到着しました。
その不動産は個人の不動産で、玄関を開けるとおじいちゃん(今はもう生きてないかな?)がノコノコ出てこられ、「すいません、先ほど電話した佐伯と申しますが…」
と言うと「はいはい、佐伯さんね」と言ってそのおじいちゃんは伏木の貸家を案内してくれました。
僕はそのおじいちゃんの車の助手席に乗り、弾むような気持ちでその15,000円の貸家」に連れて行ってもらいました。
「この家ですよ~」おじいちゃんは笑顔で言い、 僕は顔を見上げ、その貸家を見ました。
開口一番、僕はおじいちゃんに「すみません。そもそもこれって家なんですか??」と問い合わせました。おじいちゃんは「そうだよ~」得意げに答えました。
「これって、家というよりも単なる廃墟やろ!!」という怒りを必死に抑え「こんなもん生徒集まるわけないねけよ!!こんなぼろ家、誰が来るんよ!!」
と半分あきれていましたが、それでもとりあえず、そのぼろ家の向かいにある、「大家さん」に一通りその貸家について「説明」を聞きました。
大家さん(60歳くらいのおばちゃん)は「この家の2階部分をもしも借りられるなら使ってください。1階部分は「開かずの間」になっているので、ドアが開きません、使えません」
と言われました。
僕は「わかりました。とりあえず、家の中を見せてもらえますか??」と聞き、そのあばら家の中へ恐る恐る入って行きました。
どう見ても「築60年」は経っているような、とんでもない家でした。そもそも階段もめちゃくちゃ急な階段。
地震が来たら「家ごと崩壊」しそうな家でした。
それでも一応「6畳間の和室」だったので、僕はかなり迷ってしまいましたが「まぁでも今の俺の経済力考えたら、ぜいたくか‥‥」と決意し、その「めぞん一刻」のようなぼろ家を借りることにしました。
でも、それでも初めて「自分の塾」を持てる、ということにとんでもない「高揚感」を覚えていた僕は、喜び勇んで家に帰りました。
伏木本町、という所にある、通りを1本奥に入った、「車1台がぎりぎりすれ違えるような道」の向にある貸家でした。
驚くことに、その家は今も健在しており、当時のその家の隣にあった「お地蔵さん」はもうありませんが、(当時は塾が始まる前に、毎日そのお地蔵さんに「今日も生徒さんが来てくれますように」とお祈りしていました。)
今でも僕は伏木に行くときは、必ずその家に立ち寄り、当時のことを振り返る?懐かしむ?決意新たにする?かんじで伏木本町に行きます。
僕が年に4~5回、伏木に「1人ドライブ」する理由はそれです。
今は無き、寺子屋学習館伏木校に立ち寄るためです。
こうして1999年3月、僕の初めての個人塾「寺子屋学習館」は誕生しました。
当時は伏木中学校・新湊高校・大門高校・伏木高校・氷見高校の生徒さんが来てくれていました。
今までの僕の中で一番輝いていた1年でした。 貧しかったのですが、あの1年はやっぱり僕にとっては生涯忘れられない1年でした。
当時の生徒さんのことは、もちろん全員の顔と名前、成績、雑談で話しあっていたこと、ほぼ全て覚えています。
雇われ時代の生徒さんのことは、ほとんど覚えていませんが…
当時は授業の合間に女子の高校生たちが「先生、19のあれ聴きたい!」と言うので「あの紙ヒコーキ、くもり空わって」を聴いていました。
伏木中学1年生の女子は「ゆず」が大好きな生徒さんがいて、「先生、ゆずマンっていうアルバム聴いてみて!『遊園地』っていう曲好きなん!」
と言っていたので、レンタルで借りてきて、富山から伏木まで車で通う時によく聴いていました。
「ゆずの遊園地もいいけど、俺は『シュビドゥバ~』っていう曲もいいと思ったよ!」などなど、授業そっちのけで雑談をかなりしていました。
まぁ、楽しかったですね。もちろん27歳だったので、授業じたいはたいしたことはなかったのですが、ひたすら毎日が楽しかった。
当時は「1クラス5名限定」のクラス授業をしていました。中学生と高校生・ほぼ同じ人数の生徒さんが来てくれていました。
夏休みは午前中中3生の授業をしたあと、男子生徒3人のみだったのですが、今は無き「いしずやラーメン」に行って400円のラーメンを食べていたこともありました。
よくあんな「看板すらない」ぼろ家に伏木の人たちが来てくれていたなあと感謝しています。
当時の中学3年生の男子が「ある出来事」をきっかけに、狂ったように勉強し始め、「伏木中学校で100番」だったのに、10月の富山全県模試で「富山県で3,500人中、103番」という、とんでもない結果を出してくれました。
彼は大門高校2年生の「女子生徒さん」に強烈な憧れを持ち、その日からスイッチが入りました。彼いわく「テレビなしでも生きていけるもんやなあ」と言っていました。
僕は「高岡高校受けられ」と言っていたのですが、彼は断固拒否。あこがれの先輩を追って、大門高校へ進学しました。
一度スイッチが入ると恐ろしい中・高生 そのすさまじさに驚きました。
俺なんかの授業以前に「女のパワーはすごいな!」と当時は思っていました。
ゆずファンだった伏木中学校の女子生徒さんは、バドミントン部で、どうしても個人戦で勝てない人が1人だけいて、「頑張っとるね~、どうしてそこまで頑張るが??」
と僕が聞くと「自分に負けとる限り、一生ライバルには勝てん」とつぶやいていました。とてもガッツある生徒さんで、塾は閉鎖してしまいましたが、その後彼女は奮起し
結果、高岡高校へ入って行きました。ゆずを聞くと今でも彼女のことを思い出します。
夏休みに2回「国分浜」でバーベキューをみんなでしました。楽しかったですね。
新湊高校の女子生徒さんは奮起して「警察官になりたい!」と言っていて、秋田大学の教育学部に進学されました。お母さんが秋田の方で、親戚が秋田にいたため、秋田大学にしたそうです。
僕は新潟を勧めたのですが、彼女は「自信がない…」と言って、A判定だった秋田へ行きました。
振り返れば、27歳のときにすでにそれなりの結果を出していたのに、「お金の道理」を不勉強だったため、多大な迷惑を僕は生徒さん・親御さんにかけてしまいました。
「お金の道理」=本田健か… 浜省の次のスーパースター「本田健」。とりあえずYoutubeから勉強してみるか…
PS:能登地震のあと、伏木は被害を受け、かなりひどい惨状になっていて、伏木を訪ねるたびに、少し胸が痛みます。早く復旧してほしいなと願っています。
2026年09月29日 10:04
