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富山第一高校 2年生時代 / 和田秀樹先生の著書に出会う

高校2年生になりました。

勉強時間は1年生のときとそれほど変わらず、平日は1日2時間、土日は1日4時間勉強していました。

勉強時間が長い方ではありませんでした。

高校2年生の夏休み、魚津に住んでいる友達の家に何人かで遊びに行ったときのことです。その友達は「和田秀樹」先生の本を数冊持っていました。

和田秀樹先生とは、関西出身の方で灘高校から現役で東大の理科3類(医学部)に合格された方で、当時受験本をたくさん書いておられました。

その和田先生の本で友達の部屋に「偏差値50から早慶を突破する法」という本があり、僕はなんとなく10ページほど読んでみました。

……体に電流が走りました。「これはすごい本だな」と思い、実家に帰った後すぐさま本屋さんへ行き、その本を注文しました。

和田先生の本の中で一番衝撃だったのが、「大学入試は自分の得意科目の配点が高くて、自分の苦手科目の配点が低い大学を探せ」という文言でした。


たとえば、富山県立高校入試の科目別の配点は、英語40点,数学40点,国語40点,理科40点,社会40点で合計200点満点ですよね?

僕は大学入試の配点も、各教科100点満点(200点満点)なのかなと思っていました。

当時は僕は英語・数学・日本史の全国偏差値がだいたい60~63くらい。国語と生物は全国偏差値49。

英語・数学・日本史が得意で、国語・生物が苦手でした。

英語・数学・日本史の配点が高くて、国語・生物の配点が低い国公立大学をまずは探してみよう」と決め、教育学部の「センター試験の配点」「2次試験の配点」を

自分の興味があった大学順に徹底的に調べていきました。

まずは富山大学教育学部の配点を調べて紙に書いていきました。(当時の配点になります)

富山大学教育学部の配点は以下のようなものでした。

センター試験: 国語200点,数学(ⅠA・ⅡB)で200点,英語200点,日本史100点,生物100点 合計800点満点。

2次試験:英語・国語・数学の中から1教科を選んで200点。 合計でセンター試験+2次試験で1000点満点でした。

※僕の得意科目の配点は、英語200点,数学400点,日本史100点で合計700点。 

 僕の苦手科目の配点は,国語200点、生物100点で合計300点。

 得意科目:苦手科目の配点=700点:300点でした。

また、富山大学は「センター試験:2次試験の配点=800点:200点」 つまり「センター重視型の配点」になっていました。

センターが良ければ合格、センターでコケたら終わり。


このような調子で僕は金沢大学教育学部→信州大学教育学部→そして新潟大学教育学部を調べていきました。


そして「新潟大学教育学部小学校B課程」の配点を調べたときに、「ここだ!」と確信しました。


当時の新潟大学教育学部小学校B課程の配点は以下のようなものでした。

センター試験:国語150点,数学(ⅠAまたはⅡB)150点,英語150点,日本史150点,生物150点  合計750点満点。

2次試験:英語300点,数学300点 で2次試験は600点満点。 

センター試験+2次試験で1350点満点

※得意科目の配点は、センター試験+2次試験で

英語450点,数学450点,日本史150点で合計1050点。

苦手科目の配点は、センター試験+2次試験で

国語150点,生物150点で合計300点。

センター試験:2次試験の配点=750点:600点 / やや2次重視な傾斜配点です。

新潟大学教育学部小学校Bの配点は,僕の得意科目は1350点満点中の1050点(77.8%)

僕の苦手科目の配点は国語・生物で合計300点のみ(22.2%)

新潟大学教育学部小学校B課程は僕にとってはとても有利な配点になっていました。


僕は、「新潟大学で決まりだな。今日からは英語・数学・日本史を徹底的に勉強していこう。苦手な国語・生物は捨てよう。配点も22%しかない。」

と心に決め、高校2年生の夏休みからは英語・数学・日本史を中心に勉強の仕方を切り替えました。

この夏休みの体験(魚津の友達の家で偶然読んだ和田秀樹先生の本,蛍雪時代を調べて新潟大学に決めた体験)は僕の大学受験のターニングポイントになりました。

魚津の友達に感謝です。もしあのとき、偶然 和田秀樹先生の本を読んでいなかったら… 僕は富山大学を志望校にしていたと思います。

こうして高校2年生の夏休み~新潟大学の2次試験が終わるまで、僕は新潟大学を志望校に決めました。


新潟大学のセンター試験の数学は「数学Ⅰ・Aまたは数学Ⅱ・B」だったこともラッキーでした。

とりあえずセンター試験を受けて数学Ⅰ・Aか数学Ⅱ・Bの点数が良かった方」で150点に換算されるので、僕にとっては有利でした。


2次試験は英語300点、数学は当時の「代数幾何・基礎解析で300点」今でいう数学Ⅰ・A・Ⅱ・Bで300点」でした。

当時は1次変換・行列が2次試験の試験範囲に入っていました。

「新潟大学は俺にとっては好都合な大学や。絶対に新潟大学に行きたい。いや、新潟しか合格できる国立大学はない!

と思っていました。


僕にとって一番やっかいだったのが「日本史」でした。

当時は「代ゼミ菅野の日本史実況中継」という、代ゼミの菅野先生が「授業で話している言葉をそのまま活字にして、わかりやすくまとめてある受験本」がありました。

ただ僕は2年生のときは、その本の存在を知っていながらも特に気にしていませんでした。中身も全く読んでいませんでした。高3の11月に初めて読んで、後悔しました。

もっと早く菅野先生の実況中継を読むべきだったと…

当時の僕の日本史の勉強は、山川出版から出ている「日本史一問一答」という、日本史受験のバイブル本。この1冊のみ勉強していました。

毎日5ページずつ暗記していく、と決めてひたすら読んで、紙に書いて覚えていきました。

当時はその1冊のみを勉強して、進研模試では全国偏差値60~63くらいでした。

新潟大学の2次試験の数学は出題傾向がだいたい決まっていて、「ベクトル」「微分法・積分法」「1次変換」「数列」これら4単元が中心になって出題されていました。

僕は当時「数列」が苦手だったため、とりあえずは「ベクトル」「微文法・積分法」「1次変換」に絞って「チャート」を中心に勉強していました。


英語に関しては、新潟大学の英語は毎年のように「下線部和訳」「説明する問題」「英作文」こられ3セット以外の出題はありませんでした。

そのため、僕は本屋さんへ行き、長文対策の問題集(長文の入試問題が掲載されている問題集)を買ってきて、和訳の練習から始めました。


英作文に関しては、2年生の4月に学校で配られた桐原の「即戦ゼミ3」の第1章に書いてある問題文をそのままカードにして全部暗記しました。

単語カードにして300枚くらいだったかと思います。「桐原の即戦ゼミ3」は今でも人気のある問題集です。

ただ、こらら300枚の英作文を暗記するのは、かなり大変でした。来る日も来る日も英作文を書いて書いて、1文ずつ覚えていきました。

ただ、今振り返れば英語・数学に関しては青本・黒本・白本を「センター対策用」として解くべきでした。当時はそこまで勉強はできていませんでした。


PS:大学受験を振り返り、「和田秀樹先生の著書との出会い」がなければ、俺はどうなっていただろう?と思い返すことが度々あります。

魚津の友達に感謝です。和田秀樹先生の本は、今でも数冊持っていて、読み返すことは多いです。
2026年08月14日 03:34

帰省してきている中学時代の友達と久ぶりに会いました。

今日の午前中、愛知県に住んでいる中学時代の友達が帰省してきているので、会って話してきました。

午前8時に僕が車で彼を迎えに行き、その後2人で飯野にあるカフェへ行きました。まだ8時過ぎなのに店内は混んでいて40分くらい待たされました。

待っている間、僕の車の中で2人で話しました。今年のゴールデンウイークは、彼の娘さんがゴールデンウイーク明けにテストがあったため、帰省せず会えませんでした。

今年のお盆は今日の午前中のみ、彼のスケジュールが空いていたので8時に迎えに行きました。

娘さんの高校での勉強の話や大学受験の話を一通りした後、僕の塾・家庭教師の話を聞いてもらいました。

彼は熱心に30分ほど、僕の塾や家庭教師についてアドバイスしてくれました。ありがたかったです。

彼が教えてくれたことをメモに書きました。

カフェの次はスーパー銭湯へ行きました。露天風呂で話したあと、僕はのぼせてきたので風呂から上がりました。

彼はもう少し露天風呂でゆっくりしていました。

時刻は10時50分。次はココスへ行きました。

ちょうどココスが開店したところでまだお客さんはいませんでした。

ココスで30分ほど、お互いのことについて話をしました。

久しぶりに友達と会って話ができたので、僕は大満足でした。

彼とはゴールデンウイーク、お盆、年末しか会う機会がないので、今日は貴重な午前中になりました。

食事代は友達がごちそうしてくれました。

今、お盆休みの方が多いかと思います。中学時代の友達や高校時代の友達、大学時代の友達と会ってリフレッシュするのは良いですね。

友達からのアドバイスで「大手の塾にはできなくて、佐伯のできることを考えて行動に移してみれば?」と言われました。

とても大きな一言でした。

これから考えてみます。

佐伯優一郎の指導の最大の強みは何??
2026年08月13日 13:00

富山第一高校1年生時代 / 勉強の仕方がわからないなりに勉強していました。

もう何度もこのブログでお話させてもらっていますが、僕は中学3年生のとき、富山東高校を受験して、倍率1.14倍の戦いに負け、不合格になりました。

そして「一高なんか行きたくない!」と言いながら富山第一高校へ入学することになりました。以後3年間、何とも言えない「敗北感」を抱いたまま、高校時代を過ごしました。

もちろん、入学してからは友達にも恵まれ、クラス替えもほとんどなかったため、男子の友情は固く、今でも仲良くさせてもらっている友達は数名います。

さて、僕は高校1年生のときは「俺は高校受験で失敗した。だけど受験のシステム・勉強の仕方に関してはとりあえず理解できた」と思っていました。

一度高校受験を経験していたため、「3年生になってから慌てても、もう手遅れ」とういこと「大学入試は高校入試とは次元が違う。早めの対策が必要」ということを理解していました。 


僕は高校1年生のときは「将来小学校の教員になりたい。そのために富山大学に合格したい!」と思っていました。

富山県人なので、当時身近で知っている大学といえば、富山大学と金沢大学くらいでした。

当時、富山第一高校から国公立大学に合格するには、「学年順位で20番以内」と言われていました。

僕は入学直後の「入学おめでとうテスト」で20番をとりました。「ギリギリ国立ラインに立っているな」と思っていました。

ただ、当時僕のクラス(特進クラス)と隣のクラス(特進クラス)の合計人数は約85名。

そのうち富山中部高校を落ちた人は約50人、富山東高校を落ちた人は約50人いたため、僕の成績は予想するに「50番~100番くらいだろう」と思っていました。

中部高校を落ちた人たちとは「スタートライン」からして異なります。大きく出遅れています。

それにもかかわらず、入学直後のテストでいきなり20番・・・正直驚きました。「この成績を3年間キープできたらいいのに」と思っていました。

僕は部活には入っていなかったため、家に着くのはだいたい16時前。 早い。中学時代よりも家に帰って来るのが早い。

入学当時、僕は気合だけは充分にありましたが、大学受験のノウハウは何も持っていませんでした。

とりあえず母親が買ってくれた「学研のマイコーチ」というワークを勉強していました。

5月に入ると数学の「因数分解のたすき掛け問題」でつまづいてしまい、同じ東高校を落ちた友達にしょっちゅう電話して因数分解の解き方を教えてもらっていました。

「英語と数学がとにかく大切」と聞いていたので、英語と数学だけは毎日勉強していました。と言っても毎日2時間くらいしか勉強できませんでした。

学校へ行くとき、僕は自転車で高校まで通っていました。すると毎日「富山東高校の生徒」とすれ違っていました。(東高校の女子は青いリボンをしているので、すぐにわかります)

なぜか、僕の通る道は必ず「逆風」でした。そしてすれ違う東高校の生徒の自転車は「追い風」でした。

僕が一生懸命に自転車をこいでいるのに、東高校の生徒は楽楽自転車をこいでいます。「くそ~。こいつら。毎回毎回追い風やの!こいつらにだけは絶対に負けたくない!」

と思いながら高校へ毎日通っていました。

僕が一番みじめな思いをしたのは「冬:電車通学で高校へ通うとき」でした。

雪が降ると自転車では通えないので「富山港線」というJRで僕は富山駅まで行き、それから乗り換えて「えばら駅」で降りて、そして徒歩で10分かけて高校へ通っていました。

この「富山港線」に乗ると、僕の地元の中学OB生がたくさん乗っています。しかもほとんどの生徒が県立高校。僕は私立高校。

電車に乗ると、恥ずかしくて前を堂々とは見れませんでした。一高に通っていることが、コンプレックスでした(今はもうなんとも思いませんが、当時は若かったのでみじめでした)

あぁ、俺はしょせん私立なんやなぁ、と電車に乗るたびに落ち込んでいました。でも「3年後には必ず富山大学に合格してやる!」と思っていました。

7月に入り、初めて全国模試を受けることになります。進研模試です。

模試が終わり、家で自己採点すると、英語も数学も55点~60点くらいでした。「うわ~悪い」と落ち込んでいたのですが、結果が帰って来て見てみると、英語・数学ともに全国偏差値は60を少し越えていました。ちょっとびっくりしました。

中学時代のテストとは異なり、高校の模試は平均点が100点満点で50点以下、というこに初めて気づきました。

進研模試の僕の学年順位はだいたい20番~25番くらいでした(1年生のときです)


1年生の2学期の三者面談のときは、担任から「今のお前の成績は、ぎりぎり国立に受かるか?落ちるか?という成績だ。もうちょっと頑張れ。特に古文。

お前の点数は100点満点中の30点や。この点数を説明すると…君は古文に関しては「お荷物だ」と言われました。

僕は文系だったのですが、英語と数学は得意で国語(古文・漢文両方とも)全く勉強せず、進研模試の全国偏差値も卒業するまで49でした。50を越えることは一度もありませんでした。

国語をなんとかしないといけない…頭ではわかっているのですが、古文の勉強をしていると、助動詞レベルでつまづいてしまい、古文単語も100ほどしか覚えられず・・・

完全に国語は「捨てていました。」

1年生の2月のこと。当時僕は総曲輪通りにあった「清明堂」」という、高校生の問題集がたくさんそろっている本屋さんへ毎月のように自宅から40分かけて自転車で通っていました。

その清明堂で初めて「富山大学教育学部の偏差値はだいたい54くらい」ということを知りました。

当時の僕の進研模試の全国偏差値は、英語60,数学60,国語49 3教科合計で全国偏差値がだいたい56くらいでした。

「おぉ、今の成績なら富大なんとか合格できるかもしれん!」と嬉しい気持ちになりました。

当時は「高校受験の失敗は繰り返したくない」と強く思っていたので、僕は1年生の冬から英語は「共通1次テスト用の英語の問題集」を解き始めていました。

当時はセンター試験に代わる前の「共通1次テスト」が実施されていました。僕が高校2年生のときになると「共通1次テスト」→「センター試験」に切り替わりました。

僕はこの「共通1次テスト用の英語の問題集(文法編)」を2月から毎日勉強するようになりました。」

英語のリーディングの勉強はほとんどせず、グラマーの授業を真剣に勉強していた僕は文法には少し自信がありました。

でも、共通1次テスト用の対策問題集」を解いていると、学校では習っていない問題がたくさんあり、面食らってしまいました。

理屈では高校1年生の3学期で「高校時代の文法の勉強は終わる」と言いますが、僕は自慢の文法問題が解けず、改めて「勉強せんならんなぁ」と思いました。

英単語に関しては、7月の進研模試を受けた時に、あまりにも自分の知らない単語が長文の中で連発して出て来ていたので「これは単語を知らないと長文はお手上げだな」とわかり,1年生の7月から3月までの間に600語くらいの単語を覚えました。

文房具屋さん(本屋さん)で売っている「単語カード」を購入し、カードの表には「英単語」、裏には「意味」を書き、暇さえあれば英単語を覚えていました。その結果、1月に受けた進研模試では、長文問題がなんとなくわかるようになってきました。

こうして僕の高校1年生時代は「英語」「数学」に絞って勉強していました。

数学に関しては習っていた先生が2人いらっしゃたのですが、1人の先生がものすごく教えるのが上手で、放課後、職員室へ問題集を持って、その先生に質問しに行っていました。

数学に関しては「2次関数の場合分け問題」に苦戦しました。あとは一時ですが数学の先生が代わってしまい、代わりに来た65歳くらのじいちゃん先生に「三角比」を習ったのですが

あまりにもの「授業の下手さ」にぶつかってしまい、三角比は全く理解できませんでした。

結局三角比も前出の教えるのが上手な先生に質問しに行って、なんとか理解できるようになりました。65歳の先生の授業は、今冷静に思い返してみても「素人」の先生で最悪でした。

高校3年間、英語と数学の先生に恵まれ、なんとか1年生の成績は20番台をキープして終えることができました。

ただ、この番数はあくまでも「進研模試」と「校内実力テスト」の順位です。

中間・期末テストは当時からバカにしていたので英語・数学以外はほとんど勉強しなかったため、80番くらいでした。もちろん、全く気にしていませんでした。

定期テストでどんなに良い番数をとっても、肝心の入試には全く役には立たない」と中学時代のことを思い出し、テスト範囲の広い模試にのみ絞って勉強していました。

よく、定期テストは成績がいいけど、模試になると成績が落ちる生徒さんは、正直に申し上げて「実力不足」だということです。

勉強の仕方を間違えている可能性大です。あくまでも入試に合格することが、高校3年間の勉強です。

テスト範囲の狭い定期テストで良い点数が取れるからといって、範囲の広い「模試」でも点数が取れる、ということはありません。

理想は「定期テストも進研模試も好成績」なのですが、両方のテストの勉強を両立させることはなかなか難しく、下手すると「あぶはち取らず」になってしまうかもしれません。

要領が大切です。抜くところは適当に。でも重要な問題は繰り返し解く。

今は僕の時代とは異なり、ネットを検索すると「武田塾」さんの動画があります。

武田塾さんの動画は今でも趣味程度に見ることが多いです。

高校生にとっては貴重な「受験情報」や「参考書ルート」などを教えてくれるので、ぜひ一度ご覧になってほしいと個人的には思います。

参考書も今は予備校の先生が書かれている名著がたくさんあるので、一度大きな本屋さんに行って半日かけてじっくりと参考書を手に取って読み比べてほしいなと思います。

僕の高校1年生のときの成績をまとめると・・・ 定期テストは80番。 進研模試・校内実力テストは20番~25番。

国立ギリギリラインでした。
2026年08月12日 16:24

連立方程式が解けない浪人生が数学の全国偏差値63にまで上がった話

僕は29歳のとき、新潟県上越市に住んでいました。今日はそのときにインパクトのあった生徒さんの話をさせていただきたいと思います。

4月に僕は某大手家庭教師派遣会社に所属していました。

そのときに「浪人生」の指導を担当させてもらいました。

その浪人生は職業科の高校を卒業したあと、どうしても大学に行きたいため、予備校に通っていました。

しかし高校時代に全く勉強をしていなかったことと、そもそも職業科の高校出身だったため高校では習っていなかったことを予備校で普通に習うため、予備校の授業に全くついていけず

4月の段階で予備校の授業に見切りをつけ、家庭教師をメインに受験勉強する、という体制に切り替えていました(授業料を納めていたため、予備校には一応通っていました)


僕は、その浪人生を紹介されたとき、会社の人から次のように説明されました。

「とりあえず、全く予備校の授業にはついていけていません。特に英数は厳しいです。ちなみに4月にあった模試では数学の点数は200点中の6点でした。

佐伯先生には中学校の数学から丁寧に指導してほしいと考えています。できますか?」

僕は「はい。やれるだけやってみます」と言いました。


その浪人生の授業は2時間授業を週に3回。日中に指導することになりました(夜は中学生・高校生の指導をしていました)

僕は初回指導のときに、「とりあえず、この問題を解いてもらえる?」と言い、連立方程式の加減法の問題(中2レベル)を解いてもらいました。

すると彼はとりあえずさらっとその問題を解きました。僕は内心「よかった」と思い、続けて代入法の問題を解いてもらいました。

すると彼は「…わかりません」と言いました。

「えっマジで?!」僕は一瞬固まりました。そうか、確かにこのレベルでは模試で6点取って来るはずやな、と確信しました。


とりあえず4月・5月は中学生の数学の計算問題を徹底的に復習しました。当時彼は「東京工芸大学または神奈川工科大学に行きたいです」と言っていました。

東京工芸大学は偏差値にして50~55くらい。神奈川工科大学は偏差値40くらい。

僕は「今のうちに正直に俺が思ったことを言わせてもらうけど…はっきり言って今の成績は話にならんよ。まず無理だよ。週に3回の俺の家庭教師の宿題を完璧に1年間やれる?」

と聞きました。彼は「はい、頑張ります」と言いました。「わかった。じゃあ東京工芸大学目指して頑張ってみようか」と言いました。

6月に入り相変わらず予備校の授業は全くついていけていませんでした。そりゃそうでしょう。連立方程式も解けないのに高校の授業を一通り終えていることを前提に授業をしている

予備校の授業についていけるはずがない。逆にわかったら怖い。

僕は数学Ⅰ・Aを優しめなワークから説明し、例題をある程度解いてから「じゃあこの問題解いてみるけ」と言って青本(駿台予備校の出しているマーク式のセンター試験対策の模試を

集めた問題集)をガンガンに解いてもらいました。週に3回家庭教師があったので、毎回授業の終わりに3~5時間くらい分の量の宿題を出しました。

彼は深いため息をつきながらも、とりあえずわからないなりにその青本の問題を解きました。

僕は「センター試験で必要な数学を解けるようになるには、マーク模試を徹底的に解かせるしかないやろ」と思い、カンタンな問題は授業中で終え、あとはひたすら青本を解いてもらい

ました。1月のセンター試験まで残された期間は7カ月しかありません。普通の高校生みたいにチャートを時間をかけて解いている余裕などありません。

青本が終わると次は黒本(河合塾のセンター試験対策用のマーク模試)をガンガンに解いてもらいました。

7月の模試では数学の全国偏差値はかろうじて40台に届き始めました。

僕は文系出身なので、彼の指導はセンター試験数学のみ。もう一人の家庭教師の先生は化学と英語を指導されていました。

彼は確かに200点中6点しか取れないスタートだったのですが、教えたことはまずます理解できていました。

あとは宿題を毎回ちゃんとやっていたので、もしかしたら伸びるかもしれん、と僕は思っていました。


夏休みが終わり、9月に入るころには数学Ⅱ・Bの勉強を始めました(数学Ⅰ・Aに関しては70%くらい終えたところで数学Ⅱ・Bの指導に切り替えました)


数学Ⅱ・B、に関しては僕は「微分・積分」から指導を始めました。センター試験に必ず出て、配点も高かったためです。

微分の仕方、積分の仕方。接線の式の求め方(2通り)、面積の求め方を一通り教えたあと、青本の問題を宿題に出しました。ただし、正答率の低い問題(各問いの最後の方の問題)は

飛ばしました。

こうして、「微分・積分」「ベクトル」「図形と方程式」「三角関数」「指数・対数関数」を1つずつ指導していきました。難しい「数列」に関しては等差数列・等比数列まで。

Σは指導しませんでした。あくまでも当時のセンター試験レベルに届くか届かないかくらいまでの範囲しか指導しませんでした。とにかく「要領」を重視して指導していました。


そして11月に入るころには「センター試験の過去問」を解き始めました。そのころには彼の全国模試の数学の全国偏差値は55まで伸びていました。

僕は「やればできるもんだな。頑張っとるな」と少し安心していました。とりあえず数学に関しては東京工芸大学には届いていました。

こうして12月もセンター試験の過去問、新たな青本・黒本をひたすら解いてもらい、最後の模試では数学Ⅰ・A・Ⅱ・Bの全国偏差値が63にまで伸びていました。

彼は結果、「センター利用」試験で東京工芸大学に見事合格されました。

僕はこの1年を振り返り「センター数学だったら、努力次第では偏差値60くらいまでは伸びるもんなんやなぁ」としみじみ思いました。

あくまでもセンター試験レベルまでの話です。国公立大学の2次レベルでの話ではありません。


こうしてセンター数学の指導に自信を持った僕は、富山県に帰って来てから福光で「センター数学専門塾」を開き、福光・福野に住んでいる高校生(福野高校・福光高校・砺波高校の

生徒さん)にセンター数学の対策授業を展開しました。授業の仕方は上越時代と全く同じ。ある程度基礎を教えてからはひたすら青本・黒本の問題を解いてもらいました。

あとは予備校の先生が書かれた本を徹底的に勉強して(坂田アキラ先生の本、志田晶先生の本,   代ゼミ今野先生の本)、「センター数学ノート」を作成して、

本屋さんに置いてある「センター数学」というタイトルがついている問題集はほとんど購入し、毎日4~5時間、「センター数学」の勉強をしていました。

何かにとりつかれたように数学の勉強をしていました。でも楽しかったです。

センター数学ノートは単元ごとにノート1冊分作り、当時で9冊作り上げていました

。特に坂田アキラ先生の「面白いほどわかるシリーズ本はめちゃくちゃわかりやすく、鳥肌が立ちました。

今野先生のセンター数学対策本も、迫力があり、うなりながら勉強させてもらいました。


自分で言うのもなんですが、当時僕はものすごい結果を出し続けていました。

進研模試(11月実施)の数学の全国偏差値が49の福野高校1年生の女子生徒さん→1月の進研模試の数学の全国偏差値が63にまでUP

福野高校での順位が120番→12番になり、それを聞きつけた福野高校1番の生徒さんが入塾してくれました。

福光高校の1年生(夏休みに入塾:7月の進研模試の全国偏差値40→1月の進研模試の数学の全国偏差値が64)

同じく福光高校1年生の女子生徒さん(7月の進研模試の全国偏差値38→1月の進研模試の数学の全国偏差値が55)

福野高校1年生の女子生徒さん(10月入塾)は7月の進研模試の全国偏差値42。学校の授業に全くついていけません。と言って入塾。→1月の進研模試の数学全国偏差値が58)

などなど、ことごとく生徒さんの数学の偏差値がUPしていきました。楽しかったです。

当時の僕の塾「佐伯ゼミナール」の高校生数学の評判は確かなものでした。


残念ながら「センター試験」が終わり「共通テスト」に切り替わったところで、問題を一瞥して僕は「終わった。もう俺の授業では共通テストでは結果が出せないな」と見切りをつけ

現在は高校生の数学の指導は一切行っていません。とても残念な話です。

僕が一番ショックを受けました。 今の共通テスト(数学)を目にすることはもうありません。

数学の努力が全く報われない共通テストの数学の問題。あれでは一生懸命に頑張って勉強している生徒さん(特に文系の生徒さん)が、あまりにもかわいそうです。

それくらいに傾向が全くガラッと変わってしまった共通テスト。


僕が高校生に指導することはもう二度とありませんが、センター試験時代は面白いように教え子さんの数学の成績が上がっていきました。

今は「平均点以下の中学生」の成績をなんとか平均点にまで上げることを第一の目標に、中学生の英語・数学・理科・社会の家庭教師を頑張っています。


PS:共通テストの数学の問題を見たときの衝撃は一生忘れることはないと思います。
2026年08月11日 00:11

大学時代の塾講師をしていたころの話(大学3年生夏~3年生の終わり)

僕は大学2年生の終わり~大学3年生の終わりまで、新潟県三条市という所にある大手の塾で、中学生に英語・数学を教えていました。

昨日のブログのつづきを書かせていただきます。

大学2年生の終わり~僕は2つのクラスを担当させていただくことになりました。

そのうちの、あるクラスのことについて述べさせていただきます。

そのクラスの授業は、とても楽しく、1クラス8人くらいいたのですが、男女ともに半分ずつ、というクラス構成でした。

授業をしていても、私語をする生徒さんはいなく、むしろ僕の方から授業を脱線して、クラスの皆で笑って盛り上がる、というとても雰囲気の良い授業を毎回していました。

もちろん、僕自身も楽しく、そのクラスの授業があるときは、1日楽しい気分で過ごしていました。

授業のときは毎回10分くらい脱線して雑談をしたり、笑い話をしたりして、一体感ある授業をしていました。


 ところが・・・ある日のことです。当時1番仲の良かった女子生徒が、授業中ずっとおしゃべりをしていて、授業に集中できていませんでした。

僕は最初は「〇〇さん、俺の話聞いとる?」と軽く注意したのですが、無視。全く僕の言うことを聞かず、クラスの友達とおしゃべりをしていました。

彼女はとても良く話をする生徒さんで,僕に「先生、岡村孝子の「夢をあきらめないで」っていう歌知ってる?あの歌すごくいいんだよ。音楽の授業で歌ったよ。

”心配なんてずっとしないで、似てる誰かを愛せるから” っていう歌詞がすごく好きなんだ」 と言っていました。


とにかく明るくてなんでも話してくれる、そんな親しみのある女子生徒さんでした。

僕は話の止まらない彼女に、再び「〇〇さん、今,授業中だよ。勉強しようね」と注意したのですが、それでも話が終わりません。

僕はついに「このクラスどうなっとるん? 女子めちゃくちゃうるさいよ。男子だけで授業したいわ」と吐き捨てるように言いました。

するとその話続けていた彼女が突然泣き出しました。

クラスの雰囲気は一気に気まずくなり、その女子生徒は授業が終わるまでずっと泣いていました。

僕は「これはまずいことになったな。どうしよう」と焦っていました。


 そのクラスの授業は週に2回あったのですが、次の塾の日、その泣いていた彼女は塾を休みました。

その彼女なしで授業をしていた時、僕が「前回の授業はごめん。ちょっと言い過ぎた」と生徒さんに謝りました。すると1人の女子生徒が

「先生があやまることないよ。〇〇ちゃん、先生のことが好きなんさ。先生に話を聞いてほしくて話してたんだっけ、注意した先生は悪くないよ。

先生はいつもうちらの味方だっけ、悪くない。先生が言いたいことあったら、うちらに言ってよ。聞くよ」

 僕は何も言えませんでした。


泣いていた彼女は、塾に来てくれるようになったのですが、授業中の態度は変わってしまい、僕に話しかけることもなくなり、ノートもとらず、落書きをかいていたり

他の女子生徒と話したりしていました。

僕は「そのうち機嫌治ってまた前のように楽しく会話できるやろ」と思っていました。


しかし、僕がその塾を去るまでの半年間,彼女は僕と話すことはありませんでした。お互いに無視している、という状態が半年間続きました。

毎回塾があるたびに、僕は今まで一番楽しみにしていたはずのそのクラス授業が、最も苦痛な授業になってしまいました。


当時は僕は21歳。大学3年生でした。 その生徒とどうやって和解するべきなのかわからず、ただただ授業をしていました。

……  辛かったですね。どうしようもない気まずい雰囲気の中、授業だけを淡々としていました。


そんなある日のこと、僕がいつものように、授業が始まるので教室に入って、黒板をふと見たときに、黒板に大きな文字で

「死ね!」と書いてありました。

僕はびっくりしたのと同時に、ムカッときました。

僕はその「死ね!」という文字を消すことなく、そのままの状態で授業をして黒板に説明することを淡々と書いていきました。

生徒さんは、表情が硬く「先生怒ってるな」という表情をしていました。

 授業が終わり、生徒さんが帰った後、僕は上司に「こんなことを黒板に書かれてしまいました」と報告し、その黒板を上司に見てもらいました。

上司は絶句し、「これはひどいですね。でも佐伯先生も大人げないですよ。」と言われました。

その事件以降、僕はその塾へ行くのが嫌になってしまいました。


今まではとても楽しかったクラスだったのですが、女子生徒とは完全に決別。全く会話のない授業をするだけ、という日々が約半年続きました。

3月になり学年が上がるタイミングで僕は、その塾を辞めることにしました。

修復不可能。

とても寂しい気持ちを残して、僕はその塾を去りました。

大学4年生に上がる前の3月の話です。


何が良くなかったのだろう… 僕は塾の先輩とファミレスに行き、話を聞いてもらいました。

先輩は「そうらね。女子は難しいね。こればっかりは佐伯君にしかわからない苦しみだよね。まぁ佐伯君が辞めたいというのもよくわかるよ。いいよ。そんなに悩まなくても」

と僕をかばってくれました。

僕は「特に女子生徒と関わるのは難しいな」と痛感しました。あんなに仲が良かったのに、たった1日の出来事が原因でこんなことになってしまうのか…」

「女子生徒と,どういうスタンスで関わっていけばいいのだろう?」 僕は悩み考えました。

僕は「とにかく生徒を注意するときは、言葉づかい、あとは言い方に気をつけよう。万が一,気まずくなってしまったら、その生徒に謝ろう」と結論づけました。

多感な中学生(高校生)。言葉ひとつで、言い方ひとつで傷つけてしまう。

だからといって、全部が全部、俺が悪いわけではない。もともとは注意しても態度を改めなかった生徒も悪い。

必要以上に卑屈になる必要はない。堂々としていればいい、とも思いました。

ただ、女子生徒さんとの関りには本当に注意・配慮が必要なのだなと思いました。


PS:岡村孝子さんの「夢をあきらめないで」を聴くと、当時のことを思い出します。

言葉づかいには本当に注意しよう、と思っています。

友達と話すときもそう。「親しき仲にも礼儀あり」という言葉を意識しながら関わっていきたいと思っています。
2026年08月09日 04:01

大学時代の塾講師をしいていたころの話(大学3年生)

大学3年生になり、僕は新潟県三条市という所にあった,大手の学習塾で中学生の2つのクラスの担当をすることになりました。

教える科目は英語・数学でした。

新潟大学から三条市までは電車を2回乗り継いで、片道1時間くらいかかりました。

遠かったです。塾が終わって下宿に着くのは夜の23時を越えていました。

三条での塾の非常勤講師のとき、僕には2つの大きな出来事がありました。

今振り返ると「若かったな」と笑い飛ばせるのですが、当時の21歳の僕には深刻な出来事でした。

僕は、今もそうなのですが、授業中に生徒さんに大声を上げて叱り飛ばす、ということはほとんどありません。

大門での「寺子屋学習館」7年4カ月間の中では一度も生徒さんをどなりつけた、ということはありません。

かなり穏やかで、落ち着いた授業をしています。生徒さんとの雑談を楽しみながら授業をしています。


さて、話は大学3年生に戻って・・・

三条市での塾の講師をしていたときでした。

僕が担当していたクラスに、「かなり授業態度の悪い女子生徒さん」が1名いました。

塾の先生方は彼女にやや振り回されていて、その生徒さんを警戒していました。

僕が初めてその女子生徒さんと対面して授業をしたとき、彼女は笑顔で

「先生って一太郎って名前なんだ?」と質問してきました。

「いいえ、先生の名前は優一郎だよ」と交わしたのが彼女との初めての会話でした。

僕は特別悪い印象をもったわけでもなく、素直な子なんだな、と思っていました。

ところが、次第に僕の授業になれてきたころ、彼女の問題行動がちらほらと出始めました。

まずは、「授業中にうるさい」ということです。他の生徒さんが真剣に問題を解いているのに、彼女だけは他の生徒さんに話しかけたり、授業とは全く関係のない話を僕に

何回もしてきました。

最初のうちは僕も真面目にこたえていたのですが、しだいに彼女の態度はエスカレートしていき、「授業妨害レベル」にまで発展していきました。

僕はすっかり困ってしまい、同じ塾で講師をしていた先輩に相談しました。先輩は

「そうらね~。難しいところだね。でも佐伯君が授業をしているんだっけ、佐伯君の好きなようにやればいいよ」

とおっしゃりました。

僕は下宿に帰って、下宿仲間にも相談していました。彼らは「まぁ子どもは甘やかすとつけあがるからね。でも女子生徒?ちょっと難しいね」

と言っていました。僕も男子生徒だったら、しかったりするのですが、女子生徒だったため、どう対応していいのかわからず、「怒ったとしたら下手したら塾をやめてしまうだろうな」

と思っていました。

この女子生徒さんにはかなり苦しめられました。まず言葉づかいがものすごく悪い。

たとえば授業中に僕が黒板にチョークで文字を書きながら説明していると、彼女は

「黒板書くか説明するか、どっちかにしれいや!!」と大声で僕に言ってきました。

僕は一瞬ムカっときたのですが、確かに彼女の言う通りだなと思ったので、黒板を書くのをやめ、説明しました。

そういったふうに、いちいち小言を言って彼女は僕にからんできました。

ろくにノートも書いていないのに文句だけは一人前。

そんなことが続いたある日、毎度のように彼女はノートもとらず、一人で騒いで周りの生徒さんに迷惑をかけていました。

ついに僕の堪忍袋の尾は切れました。

僕は彼女の机の所につかつかと歩いていき、彼女のノート、塾のワーク、そして机の横にかけてあった彼女のバッグを全部とりあげ

それらを廊下に投げ捨て「お前、もう帰れ!邪魔や。何回同じこと言わせるんよ?ここはお前だけの塾じゃないんやぜ。みんなの塾なんよ。迷惑なんやぜ。帰れ!!」

と鬼の形相で彼女を大声で罵倒しました。

彼女は半べそをかきながら廊下に出て教科書やワークを拾い、バッグを持って教室へ黙って入ってきました。

  それ以上は僕は何も言わず、そのまま授業を続けました。彼女は静かになり最後まで授業を受けていました。

これが僕の30年以上にわたる塾・家庭教師経験の中で、唯一生徒さんにブチ切れた事件です。

帰り道、僕は電車の中で1日を振り返り、とても落ち込んでしまいました。

生徒をどなりつけてしまった。しかも女子生徒。

悪ガキの男子生徒ならいざしらず、女子生徒さんを罵倒してしまったことがすごくショックでした。

当時の僕は教育書を熱心に読んで勉強していました。その中に、ことあるごとに

教師が生徒をどなりつけるのは、教師の指導力のなさが原因。生徒は悪くない。自分の教育力のなさを恥じるべき」と繰り返し書いてありました。

当時僕は、塾の授業があった日は下宿に帰って来てから毎回「日誌」をつけていました。こんなことを〇〇君に言ったら喜んでいた。

連立方程式の応用問題を説明しているとき、ほとんどの生徒が理解できず、「わかんね」と言っていた。などなど。

思いつくままにその日あった出来事を書き連ねていました。大学生にしては、かなり真面目で熱血だったと思います。まぁ大学卒業後は小学校の教員になると決めていたので

当たり前と言えば当たり前なのですが…

そのどなりつけてしまった彼女は、まあ相も変わらず授業態度は変わらなかったのですが、ただ彼女の良いところは「過去を引っ張らない」ところでした。

どなりつけてしまった次の塾のときも、ケロッとして僕に話しかけてきました。僕はとても救われた気持ちになりました。


彼女のことは今でもよく覚えていて、僕が万が一ブチけれそうになったときはいつもあの出来事のことを思い出しています。

ただ、確かに教師が生徒をどなりつけるのは悪いことかもしれませんが、「授業態度が悪くて、周りの生徒さんに迷惑をかけている場合」はやっぱり叱る必要はあると思います。

優しくさえしていればいい、というわけではありません。


話は少し飛びます。

  僕は大学3年生の10月から中3クラスを担当していました。

中3生は1年生・2年生とは異なり、受験生なので授業中はもちろん皆真剣に授業を受けています。私語をしている生徒さんはいません。

静かな環境の中、日々の授業が進んでいきます。

その3年生クラスの最後の授業の日、僕は3年生にアンケートを書いてもらいました。

「この塾に来てよかったこと」そしてもう一つは「佐伯先生にはこんな先生でいてほしい」ということを書いてもらいました。

そのアンケートの答えの中に、仲良くしていた男子生徒が「いつも楽しい授業をしてほしい。でもしかるときはちゃんとしかる。そんなケジメのつけれる先生でいてほしい

と書いてありました。

当時の3年生に書いてもらったアンケートに書いてあったことは、今でも覚えています。僕にとっては「貴重な財産」になっています。


以上、僕が唯一生徒さんにブチ切れてしまった、出来事について述べさせてもらいました。

自己嫌悪と後悔の念がありましたが、当の生徒さんがあっさりした生徒さんだったことが救いでした。

次回はもうちょっと「僕にとってはショッキングで深刻だった事件」について書かせていただきます。


PS:人に物を教えるということは「優しさ」と「忍耐」が必要だと思います。

大学時代に僕はいくつかのアルバイトをしていましたが、(メインは塾講師・家庭教師のアルバイトでした)

単発のアルバイトのときに、ことあるごとに僕らバイト生に感情の赴くままに怒鳴りつけ、「仕事を教える」というよりは「勝手に一人で切れている人」が数名いました。

僕はそのたびに「なんよコイツ。俺は絶対にコイツみたいな感情のおもむくままに人をどなりつけるような教え方はせんぞ」と思っていました。

当時僕が読んでいた教育書にこんな一文が書いてありました。

「言って聞かせて、やってみせて、やらせてみせて、ほめてやらねば人は動かじ」

大日本帝国の海軍軍人で、太平洋戦争開戦時の際の連合艦隊司令長官を務められた 山本五十六さんの名言です。

大学4年生のときに僕はこの言葉に出合い、今でも生徒さんと接するときに、一番大切にしている言葉です。

感情的にしかりつけても説得力は0。だれも聞いてはくれない。人に物を教えるときには「優しさ」「忍耐力」そして一番大切なのが「ほめて、認めること」

だと思います。何も教えることだけに大切な言葉ではありません。

人と接するときにもとても大切な言葉だと、僕はいつも思っています。
2026年08月08日 10:30

大学時代の塾講師をしていたころの話

どんな仕事であれ、人に物を教える経験をされたことがある方は多いと思います。

中学生の場合は、たとえば部活で顧問の先生やコーチから物を教わる、という経験はあるかと思います。

僕の仕事は中学生に勉強を教えることが仕事です。


 大学時代、僕は学生という「大学の先生から勉強を教わるという立場」と、一方で学習塾で「中学生に勉強を教えるという立場」の両方の経験を同時にしていました。

大学2年生~大学3年生にかけては専門だった数学科の「代数学」「解析学Ⅰ」「解析学Ⅱ」「確率・統計学」「幾何学」など、主に数学の勉強を習っていました。

高校時代は文系数学が得意で、好きな教科でした。教えてくれた先生がとても授業が上手で、予習なしで毎回授業を受けていたのですが、授業を聞くだけでだいたい理解できました。

高校時代の数学の先生は2人いました。一人の先生は今述べた「教えるのが上手な先生」、しかし残念ながらもう一人の先生は教えるのは下手でした。下手というよりも

一人よがりの先生で一人で勝手に黒板を書いて一人で勝手に説明して、一人で勝手に問題を解決して「いいですね~」と言っているような先生でした。

もちろん授業を聞いてもさっぱりわからず、結局僕は職員室に「授業の上手な先生」に質問して解決していました。

当たり前ですが、生徒は先生を選べません。

どんなに教えるのが上手な先生がいても、その先生の授業を受けることができるとは限りません。運悪く僕のように、「授業の下手な先生」に当たってしまうことも、多々あります。

もうこればっかりは「運」としか言いようがありません。


話は変わり・・・ 大学時代へ。

大学へ入り、1年生のときは「教養科目」を習いました。いわゆる「一般教養」という科目です。

僕はこの一般教養の授業は、最初の数回出席しただけであとは「欠席」の授業が約半分でした。僕にとって全く興味の沸かない授業で、「時間の無駄だな」と判断し

4月で約半分の授業には見切りをつけました。その空いた時間を使って、下宿から徒歩2分の所にある「五十嵐浜」でギターの弾き語りの練習をしていました。

英語の授業だけは、「単位を落とすと来年も取らないといけないし、一番面倒な科目」だったため、真面目に授業を受けていました。成績は「優」でした。

フランス語の授業も毎回出席して勉強しました。フランス語の評価も「優」でした。

サボっていた半分の授業は、ほとんどがテストではなく「レポート」だったため、友達のレポートを見せてもらって書いたり、図書館で調べて書いたり、先輩の1年生のときのレポートを見せてもらって、書いて提出していました。

ほとんどが「良」でしたが、ちゃんと単位はもらえました。無事2年生に進級できました。

ところが2年生で僕の大学生活は一変してしまいました。


「数学科でトップになる!」と同じ数学科の友達に豪語していた僕は、心を入れ替え数学の授業や「音楽科教育法」「体育科教育法」「社会科教育法」「国語科教育法」「理科科教育法」

などの教育学部専門の授業に全部出席し、真剣に授業を聞いていました。

ところが「数学科の専門の授業」がさっぱりわからず、見事に落ちこぼれてしまいました。

まず、授業が長い。90分授業なのですが、数学科の先生の授業がことごどく何を説明しているのか理解できず、僕はそこで初めて「勉強がわからないことは、こんなにもみじめで苦痛なのか…」と実感しました。

はっきり言って教え方が「下手」を通り越えて「念仏」のように聞こえました。そのときに僕は「高校時代、先生に恵まれて俺は本当に幸運だったな」としみじみと思いました。

もし高校時代、大学の数学科の先生に「高校数学」を習っていたら、間違いなく僕は落ちこぼれていたと思います。

結局僕は、テスト期間になると、同じ数学科の頭のいい友達に1から大学の数学を教えてもらいました。その友達は教えるのがとても上手でした。

そして、なんとか僕は数学科の単位をとることができ、「中学校数学教諭第2種免許状」を取得することができました。友達のおかげです。今でも友達には感謝しています。

(ちなみにその友達は今は富山県で小学校の教頭先生として働いています。)


話は変わり、僕は大学時代、「夏休み」「冬休み」「春休み」は富山に帰省していて、「富山大学に通っていた高校時代の友達」が某塾で塾講師のアルバイトをしていたつながりで

その塾で「夏期講習」「冬期講習」「春期講習」の非常勤講師のアルバイトをさせてもらっていました。

僕の初めての塾講師デビューは、大学1年生の夏休み、「呉羽中学校の生徒さん」に夏期講習の授業をしていました。

当時の塾に来ていた生徒さんの名前と顔は、全員ではありませんが、今でも覚えています。

最初は生徒さんの前に立つと緊張から舞い上がってしまい、自分が何を話しているのか?全く覚えていないほどのひどい授業でした。

もちろん、授業の前に家で問題を一通り解いて、板書計画(黒板に何を書いて説明するのか)を立てるのですが、授業中に生徒さんから質問されると、しどろもどろになってしまい

予定していたことを十分に説明することができなかった、という苦い経験を何度もしました。

夏期講習が終わり、アルバイト料金として75,000円ほどいただきました。 そのお金は「9月から通う、自動車学校の学費」の一部として使わせてもらいました。


大学1年生の9月からは新潟県吉田町という所にある,中規模の塾で中学2年生に数学を教えていました。クラス授業を担当し、楽しい授業をしていました。

富山に帰省するたびに某塾の「新庄校」「奥田校」「山室校」「奥田北校」などなど、いろんな教室で中学生に数学と英語を教えていました。

とても貴重な経験だったと思います。

新潟では大手の塾の「三条校」「三条南校」で2年間塾の講師をさせてもらいました。

僕が学生であると同時に「講師」でもある、という両方の経験ができた、貴重な大学時代でした。

高校生の家庭教師もしていました。

もちろん、「学生家庭教師」なので、教え方は素人でしたが、素人なりに準備して一生懸命に教えていました。

当時は、大学卒業後は小学校の教員になりたい、と思っていました。 つづく
2026年08月07日 15:44

8/30実施予定 全県模試対策:英語編

今日は、8/30実施予定の全県模試(英語)の対策について少し述べさせていただきます。

全ての教科に当てはまることですが、全県模試の問題構成は、ほぼ、県立高校入試問題と同じです。

そのため、全県模試を受験すると「本番(県立高校入試)ではこのような問題が出題されるのだな」とわかります。

英語の場合も同じで、全県模試の問題構成と県立高校入試の問題構成はほぼ同じになっています。

まずは「リスニング問題」です。リスニング問題に関しては、メモをとりながら問題文を聞いてください。

「誰が」「どこで」「いつ」「何をしたのか?」などについて、聞き取れたことをメモしていってください。

対策としては、リスニング用の教材をネットで検索されてみてください。リスニング対策用の問題集があるかと思います。

次は「対話文問題

全県模試(県立高校入試)では、リスニングのあとは、この「対話文問題」から始まります。

やや短めの対話文問題が2問、やや長めの対話文問題が1問で合計3問「対話文問題」が出題されます。

対策としては、はっきり言ってこれだ!という対策方法はありません。

しいて言えば「全県模試の過去問(ネットで販売しています。4,700円くらいだと思います。全教科の第2回~最終回の模試までの分、合計6回分の問題が掲載されています)を

解いてください。全県模試の過去問または「富山県の県立高校の入試問題の過去問」がベストだと思います。

この対話文問題を解くとき、最初に確認してほしいのは、「登場人物が何人なのか?」を確認してください。2人での会話【対話】なのか?それとも3人での対話なのか?

それを確認するだけでも少しは気持ち楽になります。

対話文問題に関しては「難しい文法の知識は必要ありません」ひたすら問題を解いて「慣れること」が一番の対策になります。

そのため中3生が問題を解く場合、3年間の文法の知識がなくても、つまり現時点でも問題は解くことができます。

長文読解問題とは大きく異なり、今の段階でも問題を解くことは可能です。

問題を解いていて、
わからない「会話表現」が出てきたときは、意味をよく調べて、1文ずつノートにその英文と日本語訳を書きためていってください。

それが「対話文問題の対策」になります。あとは、知らない単語が出てきた場合は、これもノートに単語と意味を書いて、カード化して覚えていきましょう。

単語カードをご存じですか?文房具屋さんに行けば(オフィスボックスなど)売っています。

裏表ともに真っ白のカードで、カードの端っこに穴が開いているカードです。

カードの表に単語を書いて、裏に意味を書く。そしてそのカードが10枚くらいになったら、まとめて覚えていきましょう。

※カードを止めている「銀色のリングはダイソーに行けばリングが8個入りで110円で売っているので、このリングも買いましょう。

カードで覚える場合、一度に多くの単語を覚えるのではなく、7~8個くらいの単語(カード7~8枚)でひとまとまりにして覚えて行く、という方法で単語を覚えていきましょう。

カードの場合、カードをトランプのように切れば、カードの順番が入れ替わります。そのたびに間違えるカードが出てくるかと思います。

そのときの、覚えきれていないカードのみ、抜きだして、それらのカードを今度はひとまとまりにして、覚え直していきます。

とにかく最初から問題を完璧に解けることはないと思います。練習あるのみです。「練習はウソをつかない」頑張ってください。


次は「
長文読解問題」です。一番解くのに時間がかかり、また正答率も低い問題になっています。2つ問題が出されます。

この「長文読解問題」に関しては、中学3年間の英文法を習い終えていないと解けない問題が多いです。

ただ、全県模試の過去問は、その実施された月(たとえば
7月に実施された全県模試の過去問)に関しては、7月には解けるはずです。

または「新研究」の単元別に掲載されている長文問題(中文問題)に関しては解けるので、新研究の長文問題を解いてみてください。

長文読解問題はとにかく「どれだけの問題を解いてきたのか?」がモロに結果に出る問題になっています。

中学3年間の文法を全部解き終えてからでも間に合いますが、かなり精神的にはきついかと思います。

なるべく心に余裕がある夏休みのうちに、ある程度の対策はしてほしいと思います。



※富山県立高校の英語の入試問題をよければ一度ご覧ください。はっきり言って問題量が多いです。

定期テストで英語の点数が60点以下の受験生の場合、すべての問題を制限時間内に解くことは、ほぼ不可能です。

受験する高校にもよりますが、御三家、中堅進学校以外の県立高校を受験される受験生には僕は「長文読解問題はとても時間がかかるし、正答率も低いので、2問あるうちの

最初の問題だけでいいよ」と言っています。2つの長文読解問題をすべて解くことはかなり難しいです。

また、中堅進学校以下のレベルの高校を受験された場合、ほとんどの受験生が長文読解問題の出来は悪いので、必要以上に悲観することはありません。差がつきません。


次は【3】並べ替え問題 / 対話文を作る英作文 / 自由英作文 問題  です。

この【3】は一見難しそうに見えますが、「最後の自由英作文問題以外は練習すれば解けるようになる可能性が大きいです

まずは「並べ替え問題」です。これは中学3年間の文法をマスターしていないと、全問は解けません。しかし中2までの知識で解ける問題も出題されています。

まだ習っていない文法に関する並べ替え問題は今は無視して、できる問題だけ解いていきましょう。

新研究の「並べ替え問題」だけを選んで、最初のbe動詞から順に解いていってください。すると必ず「何回やっても間違える問題」にぶち当たります。

そのときは、その単元の新研究を最初からやり直してください。」新研究以外の教材(「整理と研究など)」でも同じです。

並べ替え問題は確かに一見難しそうに見えますが、練習すると解けるようになることは多いです。

寺子屋ではこの「並べ替え問題対策用のプリントが8枚あります」それを1年生~3年生まで解いていっています。

次は「絵が描いてあり、会話文の内容を自由に作る問題」が出題されています。

この問題からはレベルが上がります。

ある程度の文法の知識がないと何を書いたらいいのか?さっぱりわかりません。手も足も出ない、というやつです。

英単語を正確に書けること、ある程度の文法知識が必要なこと」が求められます。

たとえば練習する「practice」という単語。正確に書けますか?覚えていると便利な単語です。

このように、覚えていると英作文に強くなる単語がいくつかあるので、問題を解きながら、正確に書けなかった単語をカードに書いて覚えていきましょう。

練習あるのみです。ただし、まだ習っていない単元に関しては、今は飛ばしてください。


最期に一番難しいと言われている「自由英作文問題

この問題に関しては「部分点ねらい」で解いていきましょう。御三家以外の高校を受験される受験生は完璧に答える必要はありません。

書くだけ書いて、部分点でかせぐ、という感覚でとりあえず「わかる範囲で英文を書いていきましょう

単語のスペルミスがあったり、文法上の間違いがあると減点されていきます。

なにもハイレベルな表現を無理して使う必要はありません。減点されないように英文を作ればいいのです。

この最後の問題に関しては、塾の先生や家庭教師の先生に採点してもらうことをおススメします。

模範解答以外にも正解はあるので、自分一人で勉強していると、行きづまってしまうかもしれません。


以上、全県模試(県立高校入試)の英語の対策・勉強の仕方について述べさせていただきました。

とにかく英語の県立高校の入試問題は全ての問題を制限時間以内に解くのはかなり厳しいです。

40点満点のテストで30点以上とれていない、という受験生は全ての問題に手をつける、というよりは「自分にとって解きやすい問題をすべて解く

という作戦で解く方が良い結果になると思います。

自分にとって〇〇高校に合格するためには「英語の点数は何点とれば良いのか?」 これによって勉強の仕方は変わってきます。

もしも英語が得意で少し余裕がある受験生は、今のうちに2学期の予習を少ししておく、というのもアリだと思います。


以上、英語の勉強方法について述べさせていただきました。

まだ1年生・2年生の生徒さんは、とりあえずは「1学期の復習」をしましょう。2年生の場合は「1年生の苦手な単元」も今のちに克服しておきましょう。


これで今回のブログを終わります。頑張ってください!応援しています。
2026年08月05日 05:47

8/30 実施予定 全県模試対策:数学編 その3

今日は8/30実施予定の全県模試対策(数学)ついて述べさせていただきます。

今日のテーマは「問1:計算問題・図形問題・作図問題」について。

富山県立高校の入試問題【数学】は40点満点です。そのうちの【問1:計算問題・図形問題・作図問題」は配点が10点です。

この【問1】が一番点数の取りやすい問題になっています。

ただし、計算問題・図形問題など、出題範囲は「中学1年生~中学3年生の学習範囲」になっています」

範囲がとても広いため、10点中の6点以上を目指す場合は、まとまった勉強時間が必要になってきます。

ただ、問1対策ばかりしていると、問2以降の対策ができなくなってしまうため、理想としては【問1対策】は今日から入試当日までの長期間にわたって勉強してほしいところです。

3年生の計算問題ができれば良い、という意味ではありません。

この計算問題、正負の数,文字式,比例・反比例,立体の体積,度数分布表,等式変形,連立方程式,内角と外角,角度を求める問題,確率,箱ひげ図,多項式,因数分解,平方根,

2次方程式などなど、3年間のすべての計算問題・図形問題,そして富山県の入試の場合「コンパス・定規を使っての作図問題(配点は1点)」が出題されます。

全県模試でも、出題傾向は県立高校入試を意識して作成されているので、【問1】は計算問題・図形問題・作図 という構成になっていると思います。

ただし、ここで注意してほしいのは「コンパス・定規を使っての作図問題」は「やや難しい問題」になっています。

そのため作図が得意ではない受験生は、とりあえず作図問題だけは飛ばして、対策を進めて行ってください。最後に作図対策をまとめてする、という具合にです。


 では,何から手を付ければよいのでしょうか? 

一番理想なのは、富山県の入試問題の過去問(本屋さんやアマゾンで購入できます)の【問1】のみに限定して過去5年分くらい実際に解いてみることです。

実際に解いてみれば、自分の弱点、得意な問題がわかってくるかと思います。


特に数学が苦手で定期テストで50点以下の受験生は、「問1」対策を徹底的にすることをおススメします。

なぜか?それは【問2】~の問題が難しいので、問1で点数が取れないと、数学の入試問題の結果は「1けた止まり」の受験生が多発するためです。

問1で頑張って5点以上(中堅進学校を受験される方は問1で7点以上)とれるよう、勉強してほしいと思います。


「問1で計算問題だから簡単だろう」と安易に思わないでください。とにかく範囲が広いので、なめてかかると痛い目にあいます。

では具体的な勉強方法は?

まずは新研究や学校のワークで「
自分にとって得意な問題と苦手な問題」を明確にしてください。

苦手な問題から、対策を始めてください。学校のワーク、新研究などで「1単元ずつ」苦手な問題から勉強していく。

地道な勉強ですが、一番効果のある勉強法だと思います。

全国の【問1】を解きたいと思われた場合は、本屋さんで「
全国高校入試問題正解2027年数学(旺文社)」を購入して解いてみてください。価格は3,245円です。

少し高価ですが、奮発して購入してください。


入試問題を解けるようになる一番の方法は「入試問題を解きまくる」ことです

入試問題をたくさん解いて、たくさん間違えて、その都度勉強を重ね、苦手意識をなくしていく、これが入試を突破する1番の方法です。

夏休みは学校からの課題がたくさん出てると思います。

課題を早く終わらせてしまい、それから【問1】対策を始めるのか?それとも学校の課題を飛ばして入試対策【問1】対策を優先するのか?

それとも両方を並行して勉強するのか?

個人差があるので、自分のやりたいように勉強されてください。
 
わからない問題にぶつかったら、塾の先生、家庭教師の先生に質問して、1つずつ解決していってください。

では、今回のブログはこれで終わらせていただきます。

暑い夏、できる範囲で頑張ってください!
2026年08月02日 08:37

8/30実施予定 全県模試対策:数学編 その2

今回のブログは、来る8/30に実施予定の富山全県模試:数学(その2)対策について少し述べさせていただきます。

今回のテーマはずばり「規則性問題」

ほぼ毎年、全国的に入試で出題されている重要な問題になります。


規則性問題の具体例としては「4番目のときの白いタイルの数を求めよ」「n番目のときの白いタイルの数を、nを使った式で表せ

「数字が1番目から2番目・3番目・・・と続いていて、8番麺の数字を求めよ」。という問題。

「白いタイルが125枚になるときは、何番目か?」などなど。数字を1番目から並べて行って、n番目の数を求める問題がよく出る問題の一つになっています。


この「規則性問題」表向きは中学1年生の文字式の所で習うことになっていますが、現実は学校ではさらっと教えるのみ。でも入試にはバンバン出る、しかも難しい。

塾や家庭教師では集中的にそしてかなりの問題の数を解く「入試最重要問題」のうちの1つになっています。

たいていの中学生にとりあえずノーヒントで解いてみよう、と言って解いてもらうと問1のみ解答できて、残りの問題は全滅 というところから対策がスタートします。

今日(昨夜)の家庭教師のときに、中3生にとりあえずノーヒントでもらったのですが、全滅でした。

僕が1からノートを書いて、説明すること20分くらい。

それから再び生徒さんに解いてもらうと、1問ずつですが、試行錯誤しながらも他県の入試問題を4問も解くことができました。まずは「合格点」です。


規則性問題にはいくつかのパターンがありますが、昨夜の家庭教師では「最もよく出るパターンの問題」をいっしょに解いていきました。

まずはこの入試超頻出の「規則性問題」という「大きな壁」を乗り越えてもらうことが、今の中3生の家庭教師・寺子屋学習館での授業の中心になっています。

ある程度解けるようになったら、本番の入試まで、機会あるごとに規則性問題を解いていってもらいます。


もちろん、8/30の全県模試でも「規則性問題」は出題されると思います。

今日の家庭教師で解いた【パターン1】問題は、実は答えを簡単に求めることのできる「1つの公式」があります。

学校では習わないのですが、塾や家庭教師ではバンバン習うと思います。

今日はこの公式の説明をして、それから全国の入試問題(規則性問題のみ)解いてもらいました。

実は僕は10年くらい前までは、この「規則性問題」を上手に教えることができなくて(規則性問題のパターン分けができませんでした)とても苦労した記憶があります。

あれから10年が過ぎました。もちろん、今は当時とは異なり数多くの問題をまずは解いて、それから【パターン別】に問題を分類し、プリントを作って1つずつ教えています。


 僕の家庭教師歴を振り返ると、最初のころ(大学生のころ)は本当にお粗末な授業でした。右も左もわからない状態で中学生に英語と数学を教えていました。

授業内容は、「学校のワークを解くだけ」というものでした。宿題を出して生徒さんの理解度を管理することもなし。ただ90分または2時間、授業をしてそれでおしまい。

今みたいに、各単元の問題について「パターン化」して1つずつ教える、という技術ももちろん持ち合わせていませんでした。

「何年間もさまざまな問題をまずは自分で解いてみて、それからパターン分けして、そして説明ノートを作っていく」という地道な作業を愚直に続けた結果、

自分なりに納得のいく授業ができるようになりました。

もちろん今でも教え方に納得がいかない場合は、まずは僕が入試問題を解いて、そして「ノートを作り」それから生徒さんに教える、ということを繰り返し行っています。

名選手、名監督にあらず」と同じです。

「僕自身が問題を解くこと」と、「生徒さんが問題を解けるようになること」は全く別の問題です。

いかにして生徒さんにわかりやすくかみくだいて教えるか?

この技術を習得するのに、僕の場合10年くらいかかりました。

毎年「教え方」、「宿題の出し方」、「生徒さんの理解度を管理するシステム」は進歩しています。


「規則性問題を制する者は受験数学を制する」と言っても過言ではないくらい、規則性問題は難しく、問題のパターンも複数ある、マスターするまでに膨大な時間を要する問題です。


まだ、受験まで日があり、「心に余裕がある今のうちに」規則性問題を時間をかけてマスターしていってほしいと願っています。

全県模試および高校入試を乗り切るには、決して避けることのできない「規則性問題」

コツさえつかんでしまえば、7割くらいの問題は解けるようになります。

規則性問題の初歩からスタートして、やがて「図形がらみの規則性問題」に発展していきます。その他のパターンの規則性問題もあります。

とにかく中3生には「規則性問題」を徹底的に勉強して、数学の点数をぐっと上げて行ってほしい、と思っています。
2026年08月01日 00:30