個別指導形式の学習塾と家庭教師の寺子屋学習館|富山県射水市

わからない所が1つずつわかるようになる、達成感ある授業を心がけています。

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初めての自分の塾 寺子屋学習館 in 伏木

僕は大学を卒業したあと、1年就職浪人し、その後新潟県三条市という所で小学校の教員をしたあと、あっさりと辞めてしまい、富山に帰ってきました。

「この先どうしよう」と悩みに悩んで、25歳の6月に小さな運送会社に拾ってもらい、軽トラックの運転手として大沢野・八尾・婦中町のエリアを担当して配送運転手をしていました。

それから大手の家庭教師教師派遣会社」に所属し、1年ちょっとの間、「専属家庭教師」→「プロ家庭教師」として、富山県内の中学生に家庭教師をしていました。

その後、1999年、3月、高校受験を終えた後、高岡市「伏木」で個人塾「寺子屋学習館」を始めました。


よく友達から聞かれるのですが「佐伯。なんで伏木だったんよ?」


これにはちゃんとした僕なりの理由があって… 当時僕は家庭教師を、学生時代みたいなアルバイトではなく、「プロ家庭教師」として、それなりの時給でしていました。

でも「結果を出しても出さなくても給料はたいして変わらない現実」に見切りをつけ「自分でやってみよう!」と思い、1999年3月の高校入試が終わったところで、当時の所属していた

家庭教師派遣会社を脱退しました。

「ではいったいどこで個人塾をするが?あと、テナント?貸家?」

当時は(今もたいして変わらないのですが)お金がなかったので、とりあえず「住まい情報」をコンビニで買ってきて、片っ端から「テナント・貸し家」を調べました。

当時は今みたいにまだインターネットは存在していなかったので、月に1回発行される「住まい情報」とあとは、直接不動産会社をかなりの数回って、1カ月くらいかけて、物件を探していました。

ただし、「場所」には1つだけ「条件」をつけていました。

それは「富山市」と「高岡市」は避けよう… というものでした。

理由は簡単。「俺みたいな素人が激戦区の富山市・高岡市で個人塾を始めたところで結果はやる前から見えとる」と思っていたので、とにかくライバルの少ない田舎、に限定して物件を探していました。。

しかし、なかなか条件にあう物件が見つからず「テナント」に関しては論外。高すぎ。最低でも月7万円を超えないと、まともなテナントはありませんでした。

当時、何の知識もなかった僕は、月額の家賃の予算が4万円以下、というものでした。テナントでは200%無理! という現実を思い知り、「じゃあ貸家を探そう!」ということになり、住まい情報の最後の方のページに掲載されてある「貸家」のコーナーを、富山市・高岡市以外の市町村から徹底的に調べ上げました。

それでも当時は貸家でも家賃6万円~という物件ばかりで、僕は「あ~こりゃ無理だなぁ。どっかの塾でも応募するか…」

と半分あきらめて、小杉の「セーブオン」で住まい情報を買い「これで貸家なかったらあきらめて、就職しよう」と決意。

すがるような思いで住まい情報の貸家のコーナーを1つずつ調べていきました。

すると「ん?なんだって?家賃15,000円!ウソやろ!しかも敷金・礼金なし」

……これを見たときの僕の喜びようは、想像に難くないと思います。


僕はこみ上げてくる熱い思いを必死にこらえながら、その貸家を斡旋している「松由不動産」へ行きました。その不動産は「高岡市伏木」にありました。

僕はそもそも伏木がどこにあるのか?把握していませんでした。偶然中学時代の英語の新採用の女の先生が「伏木」の人でした。

「あ~あの先生の伏木か…」 と思いながら松由不動産に到着しました。

その不動産は個人の不動産で、玄関を開けるとおじいちゃん(今はもう生きてないかな?)がノコノコ出てこられ、「すいません、先ほど電話した佐伯と申しますが…」

と言うと「はいはい、佐伯さんね」と言ってそのおじいちゃんは伏木の貸家を案内してくれました。

僕はそのおじいちゃんの車の助手席に乗り、弾むような気持ちでその15,000円の貸家」に連れて行ってもらいました。


「この家ですよ~」おじいちゃんは笑顔で言い、 僕は顔を見上げ、その貸家を見ました。

開口一番、僕はおじいちゃんに「すみません。そもそもこれって家なんですか??」と問い合わせました。おじいちゃんは「そうだよ~」得意げに答えました。

「これって、家というよりも単なる廃墟やろ!!」という怒りを必死に抑え「こんなもん生徒集まるわけないねけよ!!こんなぼろ家、誰が来るんよ!!」

と半分あきれていましたが、それでもとりあえず、そのぼろ家の向かいにある、「大家さん」に一通りその貸家について「説明」を聞きました。

大家さん(60歳くらいのおばちゃん)は「この家の2階部分をもしも借りられるなら使ってください。1階部分は「開かずの間」になっているので、ドアが開きません、使えません」

と言われました。

僕は「わかりました。とりあえず、家の中を見せてもらえますか??」と聞き、そのあばら家の中へ恐る恐る入って行きました。

どう見ても「築60年」は経っているような、とんでもない家でした。そもそも階段もめちゃくちゃ急な階段。

地震が来たら「家ごと崩壊」しそうな家でした。

それでも一応「6畳間の和室」だったので、僕はかなり迷ってしまいましたが「まぁでも今の俺の経済力考えたら、ぜいたくか‥‥」と決意し、その「めぞん一刻」のようなぼろ家を借りることにしました。


でも、それでも初めて「自分の塾」を持てる、ということにとんでもない「高揚感」を覚えていた僕は、喜び勇んで家に帰りました。

伏木本町、という所にある、通りを1本奥に入った、「車1台がぎりぎりすれ違えるような道」の向にある貸家でした。

驚くことに、その家は今も健在しており、当時のその家の隣にあった「お地蔵さん」はもうありませんが、(当時は塾が始まる前に、毎日そのお地蔵さんに「今日も生徒さんが来てくれますように」とお祈りしていました。)

今でも僕は伏木に行くときは、必ずその家に立ち寄り、当時のことを振り返る?懐かしむ?決意新たにする?かんじで伏木本町に行きます。

僕が年に4~5回、伏木に「1人ドライブ」する理由はそれです。

今は無き、寺子屋学習館伏木校に立ち寄るためです。

こうして1999年3月、僕の初めての個人塾「寺子屋学習館」は誕生しました。

当時は伏木中学校・新湊高校・大門高校・伏木高校・氷見高校の生徒さんが来てくれていました。

今までの僕の中で一番輝いていた1年でした。 貧しかったのですが、あの1年はやっぱり僕にとっては生涯忘れられない1年でした。

当時の生徒さんのことは、もちろん全員の顔と名前、成績、雑談で話しあっていたこと、ほぼ全て覚えています。

雇われ時代の生徒さんのことは、ほとんど覚えていませんが…

当時は授業の合間に女子の高校生たちが「先生、19のあれ聴きたい!」と言うので「あの紙ヒコーキ、くもり空わって」を聴いていました。

伏木中学1年生の女子は「ゆず」が大好きな生徒さんがいて、「先生、ゆずマンっていうアルバム聴いてみて!『遊園地』っていう曲好きなん!」

と言っていたので、レンタルで借りてきて、富山から伏木まで車で通う時によく聴いていました。

「ゆずの遊園地もいいけど、俺は『シュビドゥバ~』っていう曲もいいと思ったよ!」などなど、授業そっちのけで雑談をかなりしていました。

まぁ、楽しかったですね。もちろん27歳だったので、授業じたいはたいしたことはなかったのですが、ひたすら毎日が楽しかった。

当時は「1クラス5名限定」のクラス授業をしていました。中学生と高校生・ほぼ同じ人数の生徒さんが来てくれていました。

夏休みは午前中中3生の授業をしたあと、男子生徒3人のみだったのですが、今は無き「いしずやラーメン」に行って400円のラーメンを食べていたこともありました。

よくあんな「看板すらない」ぼろ家に伏木の人たちが来てくれていたなあと感謝しています。

当時の中学3年生の男子が「ある出来事」をきっかけに、狂ったように勉強し始め、「伏木中学校で100番」だったのに、10月の富山全県模試で「富山県で3,500人中、103番」という、とんでもない結果を出してくれました。

彼は大門高校2年生の「女子生徒さん」に強烈な憧れを持ち、その日からスイッチが入りました。彼いわく「テレビなしでも生きていけるもんやなあ」と言っていました。

僕は「高岡高校受けられ」と言っていたのですが、彼は断固拒否。あこがれの先輩を追って、大門高校へ進学しました。

一度スイッチが入ると恐ろしい中・高生 そのすさまじさに驚きました。

俺なんかの授業以前に「女のパワーはすごいな!」と当時は思っていました。

ゆずファンだった伏木中学校の女子生徒さんは、バドミントン部で、どうしても個人戦で勝てない人が1人だけいて、「頑張っとるね~、どうしてそこまで頑張るが??」

と僕が聞くと「自分に負けとる限り、一生ライバルには勝てん」とつぶやいていました。とてもガッツある生徒さんで、塾は閉鎖してしまいましたが、その後彼女は奮起し

結果、高岡高校へ入って行きました。ゆずを聞くと今でも彼女のことを思い出します。

夏休みに2回「国分浜」でバーベキューをみんなでしました。楽しかったですね。

新湊高校の女子生徒さんは奮起して「警察官になりたい!」と言っていて、秋田大学の教育学部に進学されました。お母さんが秋田の方で、親戚が秋田にいたため、秋田大学にしたそうです。

僕は新潟を勧めたのですが、彼女は「自信がない…」と言って、A判定だった秋田へ行きました。

振り返れば、27歳のときにすでにそれなりの結果を出していたのに、「お金の道理」を不勉強だったため、多大な迷惑を僕は生徒さん・親御さんにかけてしまいました。

「お金の道理」=本田健か… 浜省の次のスーパースター「本田健」。とりあえずYoutubeから勉強してみるか…


PS:能登地震のあと、伏木は被害を受け、かなりひどい惨状になっていて、伏木を訪ねるたびに、少し胸が痛みます。早く復旧してほしいなと願っています。
2026年09月29日 10:04

現在地

34歳の時を最後に、先輩とはもう会えていません。

当時は、かなり厳しいことを指摘されたなとかなり落ち込みました。

でも今、冷静に当時のメモを読み返すと、先輩のおっっしゃっていたことは、ずばり当時の僕のことを見抜かれ、的確な指導だったのかなと思います。

当時は毎週1回、先輩の家で7人くらいで集まり、先輩がいろんな話をしてくださっていました。

僕は、家庭教師を終えたあと、先輩の家に途中から参加させていただいていました。

僕は先輩が一生懸命に話されているのに、半分眠りながら話を聞いていました。

「佐伯、お前また睡眠学習しとるぞ?(笑)お前、人ん家に飯食いに来とるんか?しょーがねーの~」

と笑っていました。

とてももったいないことをしていたなと反省しています。

当時はまさか先輩が、僕たちとは全く違う、遠い世界の人になるとは思ってもいませんでした。

「とても面白い人だなあ」くらいにしか思っていませんでした。

先輩は毎回、「いかにして儲けるか」という話をされていたのかなと思います。熱く、かつ楽しくいろんな話をしてくださっていました。

前々回のブログのような、大変厳しいご指摘を受けたのが、先輩と話した最後の会話(電話)になりました。

今、先輩がどこにいて、何をされているのかは、わかりません。

当時は先輩は、小さな会社の社長をされていました。どこにでもいるような、「気さくで面白い人」という印象を受けていました。

ある日、ある人との出会いをきっかけに先輩はチャンスをつかみ、一気に僕たちからは遠く離れてしまったところに行かれました。

もちろん、今、僕が当時のように気さくに先輩に話しかけることはもうできません。

僕は今までいろんな人から𠮟責を受けてきました。もちろん、両親とは何回もぶつかり、「僕対両親」で激しく口論をしたことも何回もありました。

でも先輩から厳しく言われたことが、やっぱり20年近くたった今でも、強く心に残っています。


働くといことは、誰かのために貢献することかなと思います。

もちろん、働くことだけが人生のすべてではありません。

友達と楽しく過ごしたり、大切な人と過ごしたり、家族と過ごしたり、人によって生き方はさまざまだと思います。

あれから僕は本田健の本を読み始めていたのですが、途中で挫折してしまい、おとついのブログを書くまで本田健さんの本からは遠く離れていました。

今はYoutubeという、大変ありがたい媒体があるおかげで、いろんな人の話を、しかも無料で視聴することができます。

とても便利な世の中になったなと思います。


浜省にしても、当時はファンクラブに入り、2か月に1回届く会報に書いてあることだけが、唯一の浜田省吾さんに関する情報を知る貴重なチャンスでした。

今ではインターネットで「浜田省吾」と検索すれば、膨大な浜省に関する情報を手に入れ、無料で浜省のいろんな曲を聴くことができる時代になりました。

浜田省吾さんは、仕事とプライベートをきっちり分ける方です。サングラスを絶対にはずさないのも、プライベートと仕事をきっちりと分け、別別の生活を切り離すためなのだと思います。

もちろん本当のところはご本人しかわからないのですが、そのようなことをよく記事で見かけます。

浜田省吾さんがテレビに出る、ということも今までほとんどありません。この先も多分ないと思います。

Youtubeを通して、気軽に浜田省吾さんの情報がめちゃくちゃ入るようになりました。

本人は多分、半分はうれしい、でも半分は迷惑されているのかなと僕は勝手に思っています。

浜省は「僕は有名になりたいとは全く思っていません。自分の好きな音楽を通して、そしてコンサートを通して、僕との時間をみなさんで分かち合えたら、とても嬉しく思います。

つかの間の夜ではございますが、今夜は日ごろの仕事のことや学校のこと、家族のこと、いろんなことを一度忘れて、楽しい夜にしていただけたら、俺たちミュージシャンとても嬉しく思います。最後までどうぞよろしく!」と言って、コンサートが始まります。

毎回のコンサートで必ず浜省が言うのは「今の僕があるのは、毎回のコンサートを通して、僕の音楽を聴いてくださって、そして支えてくださっているみなさんんがいてくれるおかげです。もちろん、音楽が人の苦しみを救うとか、病気を治すだとかいうことはできません。

でも、今夜のコンサートを通して、少しでも今日来てくれた皆さんの気持ちに寄り添えたら、とても嬉しく思います。今度いつ会えるかは、わかりません。

その時までどうか、心も体も健康で、そして笑顔で再会できる日を、楽しみにしています。」


浜田省吾さんは、一見クールで、かなり「気難しい人」に見えます。

でも、僕の知る範囲での浜田省吾さんは、かなり面白い人だし、決して全面的に明るい、という方ではありません。

しょっちゅう行き詰まり、「自閉症になりました」みたいなことを言われています。


かつて「愛という名のもとに」というドラマが入っていたとき、「悲しみは雪のように」という曲が売れ、一時「浜省ブーム」が起きました。

当時僕はCDレンタルショップに行くたびに浜省のことがクローズアップされた記事を見かけました。

もちろん、テレビ番組からのオファーも山ほどあったことと思います。でも浜省は1回もテレビには出演されませんでした。

あとで知ったことですが、当時、浜省は極度のスランプに陥ってしまい、かなり精神的に疲弊していたそうです。

自分の知らないところで勝手に情報が出回り、今まで地道にコンサートのみで自分の音楽を楽しんでいたのに、急に世間に自分の存在が広く知れ渡ってしまったことに戸惑っていた

という話を聞きました。

「愛という名のもとに」というドラマの中で、浜省の曲が毎回流れていました。

でも再放送を見ると、すべて浜省の曲はカットされ、異なるBGMに切り替わっていました。本人からの要望だったのかなと思っています。

あるコンサートのときに「昔の話になりますが、一時僕の曲が売れたことがありました。全くテレビっていうやつは…」と苦笑いしていました。

ああやっぱりか、と僕は思いました。

それ以来、浜省の曲がテレビドラマやCMで流れるとういうことはありません。

コンサートでのみ、(ライブDVDでのみ)浜省の声を聞くことができます。

一ファンとしては「もっと儲けるために、少しはテレビに出て宣伝すればいいのに…」と思うこともありますが、どうやら本人には全くその気はないようです。

大好きなコンサートのみを通して自分の好きな音楽を届けたい、それしか考えていないのだと思います。

ここ10年ほど、浜省はアルバムを出していません。「歌詞が出てこない」といつも言っているように、多分今回もメロディーは作れるけど歌詞で苦戦されているのか?

そもそもやっぱり大好きなコンサートに集中されていのかなと、僕は勝手に思っています。

僕が最後に浜省のコンサートに行ったのは、5年ほど前にオーバードホールで行われた、ファンクラブ限定のコンサートです。

とにかくチケットが取れない・・・

浜田省吾さんは、僕のちょうど20歳上になります。今度の12月29日で74歳になります。

今のうちに聞いておかないと、引退してしまう!と焦っています。

今度こそ、浜省のコンサートに行きたい、と思っています。いろんな土地でのコンサートに申し込みたい、と思っています。

今の僕の生活の中では、やっぱり浜省の曲の存在は、特別なものであり、どれだけ浜省の曲に救われているのか?

言葉では言い尽くせないほど、感謝しています。

幸い、Youtubeのおかげで毎日気分の赴くままに、浜省のいろんな曲を聴いて、リラックスタイムを過ごさせてもらっています。

尾崎豊さんもそうですが、今でも熱狂的なファンが多く、絶大な支持を得続けています。

僕はそれほど尾崎豊さんの曲には詳しくはないのですが、いろんな本やネット情報で尾崎豊さんに関する情報を手に入れています。

浜省や尾崎について熱く語れる人とこの先出会えたらいいな、と思っています。
2026年09月28日 04:24

浜省っちゃ広島の人なんか??

「おう、お前の影響で、なんとなく浜省の歌最近聴いとるんやけど…」

「えつ,そうなんですか?ありがとうございます!」

「浜省っちゃ広島の人なんか??やたら歌詞の中に戦争とか出てくるけど…」

「はい。浜省のお父さんが警察官で、浜省が小学生~中学時代にかけて10回くらい広島県内転校しとったみたいです」

「ふ~ん。あの例の『星の指輪』け?お前の前で言ったら悪いけど… 夢物語みたいな歌やぞ?現実離れしすぎや!」

「そうなんですか」

「当たり前やろ?どこの夫婦に自分の奥さんに『今も変わらず恋してる』とか言うがよ? まぁまだ独身のお前にはわからんやろうけど…」

「そうなんですか?僕には何となくイメージできたんですけど…」

「お前中学生か?どこの夫婦にそんな年中happyな人おるがよ?ちょっと考えたらわかるやろ?お前みたいヤツが即離婚するんやぜ(笑)」

「ウソや思たら、友達に聞いてみいよ?お前、何しに新潟大学行っとったんよ?佐渡島でも見に行っとったんか?」

「もっと現実的な歌あるやろ?例えば『初恋』け?」 「あの歌めちゃくちゃ歌詞いいねけよ!!初めて聞いた時、鳥肌立ったぞ!浜省の生き様をそのまま年表にしたような歌詞やの?」

「あ~確かにそうですね。少年のころからの成長物語みたいな歌詞ですね」

「俺は素人やから、せいぜいでJ BOYとか MONEYとか「もうひとつの土曜日」け?そんなんしか知らんけど、浜省ファンの中でっちゃ実際どうなんよ?」

「あ~それいい質問ですね。ファンによって浜省のお気に入りソングはバラバラです。だけど「もうひとつの土曜日」とか「MONEY」とかは、多分人気そんなにないと思います。

「何でよ?めちゃくちゃ有名やねよ?」

「な~ん、あまりにも有名すぎて、ファンの中では多分不評やと思います。よくカラオケで馬鹿の一つ覚えみたいに「もうひとつの土曜日」とか歌っとる人とかいますけど、「またそれか?」って僕とか浜省ファンはあきれてると思いますよ。

ふ~ん、そんなもんなんか?まあ俺は尾崎世代だから、どうしても「卒業」とか「シェリー」とかには強い思い入れあるの。

よくテレビで「I Love  You」ばっかり流れとるけどあれは何なんよ?あればっかりやねよ?マスコミの奴ら、何もわかっとらん」

「あ~その気持ち、よくわかります。尾崎も若いころ浜省の曲、かなり聴いとったんで浜省と尾崎の歌詞には、結構似たような歌詞出てきますよ!」

「そうなんか?それは初耳やわ」「お前さすが浜省ファンやの?詳しいの~。まあ俺の中では『初恋』かなあ。「俺の初恋はロックンロール」って… 浜省叫んどるの?でもそれだけ好きなんやろうの」

「でも何であんなにやたらと洋楽け?あっちの歌ばっかり出てくるがよ?浜省っちゃ、邦楽嫌いなんか?」

「はい。多分。でも山下達郎は浜省と同期というか、同じ年齢だったかな?仲いいですよ」

「ふ~ん。お前よく知っとるの~。そのガッツを仕事に活かせよ(笑)」「お前のやっとること、つっこみ所満載やぞ!」

「えっそうなんですか?」 「当たり前やろ?何であれだけの結果出しながら閉鎖なんよ?意味わからん。俺だったらとっくに福光制覇しとるぞ!ちょろこいの~」

「そうなんですか??」「まぁお前はまだ駆け出しや。そんなこともあるちゃ。」

「まあでも浜省の年齢くらいの人っちゃ、圧倒的にビートルズファン多いよの?それは何となくわかる」

「僕はあんまりビートルズは詳しくないんですけど・・・」

「なんで浜省っちゃ、あんだけいい歌作っとるがに、あんなに売れてないがよ?作戦か?」

「まぁ一番の原因はやっぱりテレビにいっさい出ないからですかね」

「確かに俺も浜省がテレビで歌っとる姿、見たことないわ」

「浜省は若いころに2・3回だけテレビに出たんですけど、たかだか1時間番組のために、朝からリハーサルとか?うんざりしたみたいですよ」

「なるほど。それは知らんかったわ。とにかく俺の中では『初恋』が圧倒的に1位や!」

そうなんですね!いいですよね。僕も『初恋』好きですよ。メロディーもかなり好きです。

「まぁあれだけ長いこと活躍しとるってことは、理由があるはずや。たくさんの人の夢を背負って大変やろうの」

「お前、浜省生きとることに感謝しれよ。尾崎は死んでしまったからの。二度と尾崎の肉声は聞けんからの。残念やわ」

「お前、浜省のコンサート行けるうちに行っとけよ。なかなか浜省を越えるようなアーティストは出てこんぞ」

「はい、わかりました」

「まぁ、また浜省の話聞かせてくれよ!」

「はい!ありがとうございます」
2026年09月27日 09:39

33歳。夏。

僕が33歳のときに、とある先輩に電話したときの会話です。過去のことや、これからのことについて指導していただきました。

当時僕は、福光の塾を閉鎖して、週に1回だけ高校生の数学を教えるために福光に通っていて、あとは富山に帰って来て,この先どうするのか?

悩んでいたときに,当時お世話になっていた先輩に指摘されたことを思い出しながらたどってみます。

この先輩には30歳~34歳の終わりまで、大変お世話になりました。


「おう。久しぶりやの。元気だったか?お前が俺に電話してくるくらいや。よっぽどのことがあったんやろ?何があったんよ?

……お前、今まで伏木と福光で塾つぶしてきたよの?お前の事情もわかるけど、残された生徒さんと親御さんはどうなるがよ?そんなもん迷惑や。単なる迷惑。

お前に投資してきたお金と時間は何だったんよ?お前、自分で生徒さん集めたんやろ?辞めるがは仕方ないとして、だったら、生徒さんが卒業するまで責任もって送り出すがが、お前の仕事やろ?生徒さんが5人とか10人とか2人とか…そんなもん関係ないわい。最後まで責任だけは果たせ。」

値切り交渉してきたときは「責任ある指導しているので、値下げはできません」そこでその話は終われ。

お前は優しいからなんとかしようとか説明とかしとるけど、無駄。それ以上何か言ってきたら「他の塾へ行ってください」で切れ。そんなもんお前が仮に値下げしてみい。親はお前に感謝なんかせんぞ?

「この先生は言えば安くなる。もっと値切ろう」くらいに思うのが関の山や。だから絶対に値下げなんかするな。そんな客は際限なくお前に要求してくるぞ。

はっきり言って商売の邪魔や邪魔。他の生徒さん・親御さんのことを考えろ」

例えばスーパーで量が少ないけど高い油。量は多いけど安い油があるとする。お前、どっちの油買う?

健康のこととか考えたら、普通は高い油を買うよの?それと一緒や。お前の塾の月謝が高かったら、お金ない家だったら、生徒さんは通いたくても通えんよの?そういう現実を教えるのもお前の仕事や。割り切れ」

お前、本田健の「ユダヤ人大富豪の教え」ゆう本知っとるか?3回読んでみい。それ読み終えたら本田健の本をとりあえず読めるだけ読め。お前のやっとることはボランティアみたいなもんや。ビジネスじゃない。単なる自己満足の世界や。

「お金の道理」を勉強しろ。英語とか数学とか、そういう勉強はもう十分やってきたやろ?次はお金の勉強をしろ。「経営」とか勉強するがはもっと先のことや。

まずは「お金の道理」を徹底的に勉強してくれ。


お前,以前今まで家庭教師なんとかいう「会社」に所属して家庭教師やっとったよの?

それはお前が教えるが上手だから生徒さんがおったんやない。会社の看板で仕事させてもらっとっただけや。

カン違いするな。いざ会社辞めてお前一人で独立してやってみい。そんなどこの馬の骨かわからんようなヤツの所に、誰がいきなり来るんよ?

今までのお前のキャリアなんか何の役にも立たんわい。仕方ない。現実はそんなもんや。会社辞めたとたん、「不満」は「不安」に代わるんよ。

生徒さん一人獲得するがに、どれだけ大変な思いするか?これから経験してくれ。そしたらどれだけ「お前が文句ばっかり言っとった会社」がすごかったか?

嫌というほどわかるはずや。今まで何の苦労もせんと、当たり前のように生徒さん紹介してもらって、ただ授業だけして、毎月決まった日に決まった給料入っとったよの?

それがどれほどありがたいことか…サラリーマンは会社に安いゆうて文句言いながら生活しとるんよ。

自分で商売するってことは、毎月50は必要だよの?

お前はもう、「雇われ」じゃない。個人事業主なんよ。今までとは置かれとる立場が違うがよ。自覚してくれ。お前、まさかどこかの塾に転職しようとか?考えとらんよの?

お前今まで好き勝手やってきて、今さらがんじがらめのサラリーマンが務まるとでも思っとるんか?絶対に無理や無理。頭冷やして考えてみい。

組織におったら、例えばお前が風邪ひいて休んでも、誰かが代わりに、または会社が代わりにお前の分をカバーしてくれる。

でもお前が今、体こわして休んだら、どうなるがよ?その日から給料は0や。

組織におったら、悩みを聞いてくれる上司や愚痴を言い合える同僚ゆうもんがおる。まあ確かにムカついたり、理不尽なこともあるちゃ。

でもお前には悩みを聞いてくれたり、お前が間違った方向に行っとるとき、それを正してくれる人はおらんよの?お前の代わりはおらんがよ。お前しかおらんがよ。

生徒さんは「安心」を求めてお前の所に来てくれるがよ。だけどもし、お前がふらふらしとったら、それを見た生徒さんはどう思うよ?余計なこと考えんと、目の前のことに集中しろ。

お前、福野高校の生徒さんを、120番から12番に上げたんやろ?そしたらそれを見た1番の生徒さんが塾に入ってくれたんやろ?結果出せばそんなもんや。くだらんチラシとか、そんなもん関係ないわい。佐伯優一郎ゆう、お前の名前で生徒さんが集まるがよ。それがフリーランスゆうもんや。

俺なんか毎週のように全国飛び回っとる。朝ホテルで起きて、車に乗せてもらって、会場まで移動して、そこで話してまたホテル。毎日自分がどこにおって、明日はどこにおるんか?

そんなもんいちいち把握しとらんわい。ただ一生懸命に自分の仕事するだけや。

例えば名古屋か東京に俺が行くとする。飛行機代は誰が出すんよ?オレやの?名古屋がもしもお客さん少なくて、東京が多かったら、最初から名古屋なんか行かんわい。

俺が東京に行くってことは、そういうことや。確かに自営は大変だけど、成功したら自分では考えれんくらいのお金が入って来る。当たり前や。俺が俺の力でとってきた仕事や。

全部俺のもんや。そこがサラリーマンとは決定的に違うとこや。

お前、暇さえあれば結婚したいとか言っとるよの?お前、間違えるが人生だけにしとけよ。順番逆やろ?

お前が今することは何よ?仕事やろ?女にうつつ抜かしとる暇あったら、本読んだりセミナー行ったりして勉強しろ。くだらんコンパとかスナックとか…あんなもん金に余裕のあるヤツが行くとこや。今のお前、どこにそんな余裕あるがよ? もっとすることあるやろ?お前の周りにのんきにパチンコとかしとるヤツおるやろ?

そんなヤツといっしょになって騒いどるうちに、お前の人生終わるぞ。そんなもん切れ。離れろ。

お前にとってそんなヤツから学ぶことなんかあるがか?もっと考えて友達付き合いしてくれ。そもそもお前の置かれとる立場は、友達と遊んどる場合か?

オレみたいになりたかったら、仕事しろ。

ただ、まあ話聞く限りでは、お前は実績だけは確かにあるよの?お前のやってきたことはそういう意味では間違っとらん。自信持て。

勉強以外の勉強をこれからしてくれ。友達付き合いもそう。だいたいお前は人が良すぎる。だからいいように友達に利用されるんやぜ。

親しき仲にも礼儀ありって言うやろ?お前の邪魔するようなヤツとは距離を置け。お前が少しでも学ぶことできたり、励みになるようなことやっとるヤツと付き合え。

そこに男女は関係ない。女にだって、子育てしながら必死に働いとる人はたくさんおるやろ?男がいいとか、女がいいとか、そんなこと考えんともっと広く人から学べ。

年上だとか年下だとか、そんなもん関係ないわい。もし年上のヤツで偉そうに説教ばかりしてくるヤツおったら、そんなもん絶縁しろ。

時間の無駄や。人生は有限なんやぞ。お前、来るもの拒まずやろ?だから時間どんだけあっても足りんがよ。

確かに友達は大切や。俺にも友達は少ないけどおる。友達の数が多いとか少ないとか、関係ない。どれだけ深い付き合いしとるかが大事やろ?

お前もう、学生じゃないよの?だったらくだらん友情ごっこみたいなことにいつまでも浸るな。何かを手にするってことは、何かを捨てるっていうことや。

お前みたいにあれもこれもとかやっとったら、永久に今の貧乏暮らしから脱出できんぞ?お前そんなみじめな人生でいいんか?

まあ俺がこれ以上くどくど言っても、決めるがはお前や。お前の人生や。誰にもお前の人生に横やり入れる権利なんかない。

お前が自分で悩んで行動して、そしてひとつひとつ修正していけ。仕事なんかその繰り返しや。頑張れよ。

あと、お前の言っとった、浜省の「星の指輪」ゆう曲聞いたよ。いかにもお前が好きそうな歌やの。

俺もいい曲だと思ったよ。嫁さん大事にするちゃ。これからも浜省聞いて頑張れよ。

行き詰ったらいつでも俺の所に電話してこいよ。俺はお前を信じとるぞ。

あと最後に…お前が家庭教師の雇われの時にもらっとった5,000円と、お前の塾の授業料として月謝袋の中に入っている5,000円。どっちとも同じ5,000円だよの?

だけど「お金の重み」は全く違うよの?」 お前が何もないところから、誰にも頼らず稼いだ5,000円。やっぱりお前にとっては重み・意味が全然違ってくるはずや。

そういう面からも「お金の道理」を学んでくれ。

本田健は「お金の専門家」や。俺も本田健からたくさん学んどる。勉強になると思うぞ。

お前の弱点は「お金」や。勉強して克服していってくれ。「受け取り上手」になれよ。まあ急には無理だと思うけど…
2026年09月25日 23:31

北川から言われたこと

一高時代、僕の友達に北川という男がいました。

熱い男なのですが、よくケンカもしました。意見のすれ違いというか、お互いに頑固なので、言い合いになるとどちらも引きませんでした。

そんな北川に高校2年生のときに言われたことで、今でもよく思い出す言葉があります。

北川は学校から2人で帰っているときに、僕にこう言いました。

「佐伯は黒か白しかないやろ?どっちかに偏っとる。そうじゃなくて、黒と白の中間の灰色の中で生きていくってことを覚えたらどうだ?」

当時はその意味がいまいちよくわからず「そうやの~」としか返事できませんでした。

でも20代のころも30代のころも、今もその言葉がぴったりと僕自身に当てはまっています。

僕はよく友達から「佐伯は極端やわ。もうちょっとバランスを考えて、物事に対して考えたほうがいいと思うがやけど…」
と言われます。

自分でもよくわかっているのですが、僕は特に男友達と接するときは「めちゃくちゃ仲がよいか、それか他人」というスタンスで接しています。

そのため、友達はそんなに多くはありません。ただ、仲が良い人とは本当に仲が良く、そのため注意されたり、でも親身になって相談にのってもらったりもしています。

腹が立つこともありますが、心の中では感謝しています。


基本的に僕は仕事のことでのストレスはそんなにありません。年末あたりから3月にかけては、どうしてもピリピリしてしまいますが…

中学時代の友達はよく「頑張るがは生徒。お前は教える事さえちゃんと教えて、頭の中ではボラボラ島のことでも考えとればいいんやぜ」

とか「言い方は悪いけど、生徒はお前から見ればお客さんや。金づるやと思ってもっと気楽にやれよ」とか言われています。

一方「俺の娘は今中3なんやけど、どんな問題集使ったらいいと思う?〇〇高校だったら、どの程度までできればいいかね?」

と相談されることもあります。そのときはもちろん友達の娘さんのことを適当にあしらおうとか、金づるだとかいう風には見れません。友達だからこそ、真剣にアドバイスします。

その友達は受験が終わると「ありがとう。佐伯の大変さがよくわかった。これからも頑張ってくれの!」とお礼を言われることもあります。

受験生を教えているときはもちろん、必死です。色で例えると黒です。白ではありません。全力で教えます。

もちろん、いい加減なことをされて、受験に失敗されても、僕の実績にも傷がつきます。

よく僕は三者面談のときに「〇〇さん、あんた一人で勉強しとるがじゃないがよ?あなたの家族の人、それから俺も下手してあなたにコケられても、この塾の実績にも関わってくるがやよ?だから真剣に勉強してね。俺とあなたは運命共同体なんやよ。」と言います。

そのため手を抜くということはできません。

これが1・2年生になってくると、宿題をやってこなかったりした場合は、かなり僕のテンションは下がります。正直腹も立ちます。

そういうときは、心の中では「ふう~。もう知らん。勝手にやってくれ」とさじを投げたくなることも、確かにあります。

いくら僕がその日の授業のための準備をしてきたとしても、宿題を忘れてくると、僕のしてきた準備は台無しになってしまいます。

まあ宿題をやってこんヤツが悪い、ということになります。ただ、そんな生徒さんはほとんどいません。

あまりにも宿題をやって来ない場合は、もう最初から宿題は出しません。もちろん復習として出す宿題がないため、生徒さんの学力はつきません。

過去に数人そんな生徒さんはいましたが、最近はそこまでひどい生徒さんはいません。

北川の言う通り「白か黒かではなく、灰色」のスタンスで考えるならば、宿題をやってこようが、宿題を忘れてこようが、授業内容に差はつけるな、ということになるのかな?

理屈ではもちろん、わかります。でも僕は宿題もできない人に、新しいことを教えるガッツはありません。そういう面ではダメな講師だなと自覚しています。

灰色か…  難しいですね。三つ子の魂なんとか というように、今さら性格を変えることはできないかもしれません。
2026年09月25日 07:53

1988年3月24日

「あなたは1年の中で何月が最も苦手ですか?」

僕は中学・高校時代,4月が一番苦手でした。

理由は「環境が変わるから」

中1から中2に上がった時、(僕は1年5組でした)、僕は2年1組になりました。

とりあえず新しいクラスメートを見ながら「1年5組だった人はおるかな?」と思ってクラスを見回してみましたが、男子の中で「もと1年5組」だった人は0人でした。

「うわ~。マジか。誰もおらん…」僕はいじけていました。

いわゆる「新しい新学年のスタートでもある4月」 毎日緊張しながら過ごしていました。

僕は極度に緊張すると当時、すぐに腹を壊していました。

とにかく新しいクラスに慣れるまで時間がかかりました。

中2→中3に上がった時はもと2年1組だった友達がいて、あとは1年生のときのクラスメートも数人いました。

そのおかげで3年生の4月は無事過ごすことができました。


時は流れ、高校へ進学。


僕は1年19組になりました。そのときも「元岩瀬中学校」」だった友達・知り合いは0人でした。

まあ仕方ない。僕の時代、岩瀬中学校から富山東高校を受験した人は18人ほどいました。その中で、僕以外、全員が東高校に合格しました。

なので、岩瀬者は19組には0人。僕だけ。

岩瀬から富山中部高校を受けて落ちたのは1人だけでした。その人は18組にいました。

「また1人からのスタートか…」 僕の「下痢」がまたもや始まってしまいました。とにかく4月は体調は悪かったです。

でも、4月にあった「宿泊学習」で石川のなんとか自然の家で合宿?があったとき、19組の男子とサッカーをしたり、部屋で雑談をしているうちに、少しずつ友達も増え、緊張感もとれてなんとか体調は治りました。


さて、話は少しさかのぼり、一高に入る前の3月24日。 僕は一高に呼び出され「特待生の試験・面接」を受ける事になりました。

この試験に通れば「特待生(奨学生)になることができる」という、大切な試験でした。科目は英語・数学・国語のテストでした。

英語の長文問題を解いていたときに、「believe(信じる)」という単語が出てきました。

僕はこの「believe」の意味がわからなくて、悩んでしまいました。

当時ちょうど浅香唯の「Believe  again」という曲が流行っていました。でも意味はわかりませんでした。


次は面接でした。

面接で何を聞かれたのか?もう忘れてしまいましたが、とりあえず、面接も無事に終わりました。

そして,3月24日の特待試験が終わり、結果は全員合格→全員特待生 になりました。よかったよかった。

今はどうなのかわかりませんが、僕たちの時代は、1年の4月に特待生が校長室に全員呼び出され、校長先生から直接、お金の入った封筒を受け取りました。

校長先生は何やら激励の言葉を言っておられました。一高の試験料、あとは入学金も全て返ってきました。 母は喜んでいました。

担任だったM島先生が「いいか、もしも成績が下がったら、2年に上がる時に特待生の資格はなくなるぞ。だからお前ら、勉強しろ」と言われました。

そうなんや、それは勉強せんならんな、と思いました。

3月24日の特待試験のときに、3教科の試験が終わった後、教室で試験監督をしていた先生が、僕たちに

「もうあなたたちとは会えないかもしれないので、一言言わせてもらいますね。

あなた方は残念ながら県立高校受験に失敗しました。今のあなた方はとても落ち込んでいると思います。それなのに今日は一高へ来ていただき、ありがとうございます」

と言ってくれました。少し救われた気持ちになりました。

結局振り返れば、僕は何とか3年間特待生で過ごすことができました。ホッとしていました。


そして試験が終わり,春休み、3日間だけ、友達の父親が勤めていた塗装会社のアルバイトをしました。

人生初のアルバイト。朝8時~夕方5時まで働いて、3日間で13,500円ほどのアルバイト料をいただきました。

とにかくこの春休みは精神的に不安定でした。とにかく今の状態が辛い…

そう思っているときに、のりぴー(酒井法子)の「GUANBARE」という曲に出会い、何回も聴いているうちにのりぴーのファンになっていきました。

こうして僕の「のりぴー時代」は一高へ入学するころからスタートしました。

一高へ入学して、偶然隣の席に座っていた辻ものりぴーファンでした。僕と辻は毎日のようにのりピーの話をしていました。

当時、北日本放送のラジオ番組で平日0:15~0:30まで「のりぴー気ままにセンセーション」という番組が放送されていました。

毎日学校で辻と「昨日ののりぴー聴いた?良かったよの~」と言っていました。

何かにすがりつきたいほど不安定だった僕は、のりぴーの存在に救われ、いつの間にか熱狂的なのりぴーファンになっていました。 つづく
2026年09月24日 07:04

一高クラス会から帰ってきました~

先ほど一高クラス会から帰ってきました。とても楽しかったです。

特に女子とはかなり久しぶりに話す人が大半だったので、嬉しかったです。

今日を振り返って一番うれしかったことは、なんとクラス会に来てくれた人の中に、僕のこのブログを読んでくれている人が2人もいた!!ということです。

正直かなりびっくりしました。

僕はこのブログは基本的には何も考えずに思いついたまま書いています。(だから時々話が大きく逸れて行ってしまうのですが…)

まぁ僕は作家さんではないので、そのへんは多めに見てもらうとして…

ブログを読んでくれている友達が「佐伯のブログ面白いけど、勉強に関するブログのときは、ごめん読み飛ばしとるわ~」と指摘してくれました。

もう一人の僕の友達も(今日はクラス会には仕事のため欠席だったのですが)佐伯の勉強のブログは読んでないよ~」とやんわりと指摘されました。

もしかすると確認できなかったのですが、唯一の女子の方もそう思っているのかもしれないな…(冷汗)

確かにブログの本などを読んでいると「ブログを書くときは、誰に向けて書くのかを最初にしっかりと決めましょう」と書いてあります。

答えは二つ書いてありました。1つは「これからお客さんになってくれる人(僕の場合は中学生やその親御さん)に向けて書きましょう」というもの。

もう一つの答えは「あなたのことを知っている人(つまり僕のことを知ってくれている人)に向けて書きましょう」というもの。

僕は迷っていました。

「う~ん、難しいなぁ。確かにこのブログを通して僕の塾(家庭教師)の存在を知ってくれて問い合わせがあればいいなあ」とは思っています。

しかし残念ながら今日まで7年半、寺子屋をやってきて入塾していただくときに「ブログを見ていました」と言ってくれた親御さんは0人です。

誰もいませんでした。このブログは毎日「昨日僕のブログを読んでくれた人の住所」が数字として出てきます。

富山市の方は毎回5人~6人くらいです。名古屋1人と書いてあり毎回僕は「名古屋?誰やろ?」と疑問に思っていました。

しかし今日その謎が解けました!「名古屋1人」の正体は愛知県に住んでいる、今日クラス会に来てくれた真太郎君(笑)でした」

真太郎は毎日のように僕のブログを読んでくれています。それどころか「時たまブログ削除されたり、内容が微妙に変わっとるよね?!」と言っていました。

「マジで?よく見とるね!!」僕はびっくりしました。


指摘されたように、僕は勢いで何も考えずにこのブログを書いているので、最近だと「ジャックポット」というYoutubeを見たあとは、とても攻撃的な性格になってしまい

(それだけジャックポットという動画を見ると熱くなります。

「不倫に関する相談が届く→探偵を雇い、証拠が集まる→夫婦・不倫相手を交えての修羅場→たいていは離婚」というパターンが多い動画です。

ただ弱点があって、その動画はだいたい1時間くらいの内容なので、観るのが大変です(まあ僕は暇人なので1日おきに見ていますが)

ジャックポットの「しんりさん」という30才くらいの男性の魅力があまりにもすごすぎて、見た後はとんでもない強気なテンションになっています。

たいていその動画を見た後は「受験生頑張ってください」的なブログになってしまいます。この「おせっかいブログ」がはっきりいって不評です。大不評です。

なので、とりあえず塾講師の立場はいったん忘れてこれからは「わかる人にはわかる」内容のブログに切り替えていきます。


正直受験生には全くもって「ナンセンス」なブログになってしまいますが、勉強ブログは書いている僕もぶっちゃけあまり楽しくはありません。

わかりきったことをブログで繰り返しても飽きられるだろうし、そもそも面白くない(笑)「お説教ブログはおしまい」

とりあえず「寺子屋に来てほしい」とか「家庭教師として問い合わせてほしい」という欲望は捨て(現に射水市の人はほぼ誰も僕のブログは見てくれていません。よって却下)」 あとは

大門は今来てくれている生徒さんで終了。今の中学2年生が卒業したら大門は撤退。現に7年寺子屋をやってきて、「問い合わせがあったのは新聞にチラシを入れてときのみ」でした。

チラシを大門エリアに1回入れるとだいたい75,000円かかります。これを2週間続けて折り込みチラシを入れると(北日本新聞大門エリア・読売新聞大門北エリア・読売新聞大門南エリア)

あっという間に15万円もの大金がふっとんでしまいます。これで問い合わせが0件だったときは、かなりブルーな気分になりました。

なので、どうせブログを書くなら、僕自身が楽しい気分で書けるような内容にしようかな、と思います(一高の友達、今現在僕のブログを根気強く読んでくれている方々にさえ届けばい
いかな」という思いで、明日からはブログの内容を変えます。

極力実名は出さず、一応個人情報は避けるよう、気をつけて書いていきます。まあ今回は仮名「真太郎」君という登場人物が出てきましたが(汗)まあいっちゃ!友達やし。


ただ、今回のクラス会、1つだけ後悔があります。それは男友達2人と全く話せなかったことです。これは後悔しています。

なので近いうちに僕の方から2人には声をかけさせてもらい「クラス会リベンジ版」を行います(笑)

今度は二人と熱く語りたいと思っています。あとは参加者自由に募らせてもらって、クラス会リベンジ版を開催いたします。

それにしても今回のクラス会はめっちゃ楽しかったです!

「学生時代の友は一生の友」という言葉を聞いたことがあります。本当にそうだなと思いました。 

♪そこに着くまでそんなに時間は かからないから僕を待っててくれないか?

ほんの少しだけでもいいんだ いっしょにいてくれないか?

話したいこと たくさんあるんだ♪ ゆず 「遊園地
」

終わり

PS:本当はコメントらんを開放にして、自由にコメントを書き込んでいただきたいのですが、それをすると、わけのわからない外国の企業さんからの意味不明なコメント(URLなど)
が多数寄せられてしまいます。そのため、コメントらんをオフにさせていただいています。すみません。

よっぽど僕に言いたいことがある場合は寺子屋学習館のホームページの「お問合せ」のところから入っていただき、コメントされてください。

でもクレーム誹謗中傷は傷つくのでご遠慮願います。
2026年09月23日 02:21

When I was 20 years old in Summer

    G        Em     C       D     G     Em    C    D  
あこがれのキャンパス 坂道降りてく

    C       D              G       Em       C       D7   G   D
ギターかかえ 俺は一人 いつもの海へ

  G       Em   C      D     G     Em    C     D
浜辺に片寄せ  笑ってる恋人達

   C    Am7         G         Em            C    D      G  G7
互いの気持ち確かめ合って 夕陽を見てる

    C      D      G         EM       C     D      G  G7                 
二人で待ち合わせた新潟駅からずっと 

 C        D      G     Em   
歩いたねあの日のこと

  C    D             G   D
覚えているかい?

  G            Em   C     D         G     Em     C             D           
バイト終わり静かな 夜の列車聞こえるよ

   C      D        G        Em     
俺の疲れ癒すような 

   C       D       G        Em     C             D
お気に入りのロックンロールmusic


   C       D        G        Em      C   D    G  G7
悲しいぜ俺いつも 悩んでばかり

          C          D         G        Em        Am     C            D
でもお前見るとその寂しさ どこかへ消えてく…

  G       Em        C         D      G           Em     C        D  
いつまでもその笑顔  忘れないでいておくれ

   C          D               G   Em              
少し照れるけどお前の笑顔  

   C        D         G    G7
誰にも負けないぜ

     C        D         G            Em
たった一人のかわいいお前

   C     D            G      C    G
この俺が守ってやる
2026年09月21日 20:15

1年ぶりに焼肉キングに行って来ました。

昨日1年ぶりに中学時代の友達と焼肉キングに行って来ました。

当日に行くことになったので、予約できず、16時半にキングに着いて受付をしたあと、1時間半ほど待ちました。

待っている間、車の中で話していました。

お笑い芸人の話、仕事の話、親の話、高市政権の話などなど、いろいろ話していました。

彼も僕と同じく独身なので、「これだけ自分の好きなように時間を使えてお金を使えて、今さらもう相手に合わせて行動するとか、無理だなあ」とか,僕は僕で

「俺の場合はそもそも仕事が…」など、お互い結婚には向いてないの~と話していました。

さて,キングに入ると、少しメニューが変わっていました。

いつも通り最初にタンとサラダを注文して、久しぶりにかなり食べました。

長い間待つのは苦手なので、今度は事前に予約してから来たいなと思います。

改めて友達は大切だなと思いました。
2026年09月21日 00:32

令和の虎 受験版 を見ました。

Youtubeで「令和の虎 受験版」という番組を観ました。

この番組を簡単に説明すると、高校生・浪人生または社会人が大学に合格したいために、主に経営者(塾の経営者が多いです)に投資や融資をしていただくために、大学合格までの道筋をプレゼンして、その内容によっては虎(経営者の方々)が出資する、 という番組です。

今回の志願者は、27歳の男性の方で「小説家として売れるために,その第1歩として東大に合格し,そのネームバリューを生かして小説家としてプロデビューしたい」という内容のプレゼンでした。

高校の教員になりつつ、仕事をしながら小説を書き続けていきたい、という意見も途中から見受けられました。

これに対して、虎たちの一人の森田さんの意見は「そもそも私立高校で教員をしながら小説を書くというのは甘すぎる。現実を見てから考えてほしいし、そもそも務まらないと思います。私立高校(偏差値の低い高校)を舐めない方が良いと思います」とのこと。森田さんは実際、高校教員をしたこともあり、底辺校の酷さをよく知っておられます。小説を書きながら高校の教員は無理。と断言されていました。

また別の経営者の質問として「そもそもなぜ東大なのか?とてつもなく高いハードルだと思います。教員免許を取りたいのであれば、別の大学でも教員免許は取れますよ」というものでした。

志願者は最初のうちは「小説家として売れるために、東大に合格したい」と言っておられましたが、途中からは「子どもたちの夢をサポートしたい。そのために教員になりたい。

早慶も考えている。そして小説家にはどうしてもなりたい」という考えに代わっていきました。

経営者の意見のひとつとして「年齢(27歳)を考えたら、この年で大学に進学することじたい、厳しいと思います。それやったら教員にこだわらないで就職して、働きながら小説を書いていったら良いのではないでしょうか?」というものもありました。

志願者は自分自身は,底辺高校へかつて進学し、途中から不登校になってしまった」といういきさつがあることから、「偏差値60くらいある場合は応援したいが、この成績と27歳という年齢を考えたら、東大は現実的ではないと思います。そもそも大学に行く必要がありますか?」という虎の意見もありました。

荒れている討論ではありませんでしたが、さまざまな意見が飛び交う回となりました。

今回の「令和の虎 受験版」を見ていて僕の率直な意見は「東大は200%無理。そもそも東大というネームバリューを手に入れることと、小説家として売れることとは全く別のこと。

教員になりたいのだったら、自分の学力に見合う大学を探せばいい。

教員免許を取り、小説家としてもプロになり売れたい、というのであれば,まずは大学に合格するために時間を使った方が良い。

小説を書く時間をとりあえずは全て受験勉強に使ってほしい」


 志願者は冒頭,「小説家になることよりも、東大に合格することの方が可能性が高いと思います」と言っておられました。

偏差値のへの字も知らない人が言う、よくあるパターンだなと思いました。

僕もかつて高校生に進路相談をしていたときに、高校3年生(女子)が「新潟大学とか富山大学に最初は行きたかったけど、今はもう行きたくない」と言っていました。

それを聞いて僕は「それは新潟大学とか富山大学の合格判定がA判定の人が言うセリフやわ。あなた、新潟大学E判定やろ?それは「行きたくない」じゃなくて「行けない」ということやわ。新潟も舐められたもんやなあ。」と思いました。結局彼女は僕の知らない、聞いたこともないような私立大学(Fラン大学)に進学しました。そこしか合格しませんでした。

高校生と接していると彼女のように「自分の学力を棚に上げて,夢みたいなことを本気で言っている人が一定数いる」現実があります。

そんなもん、模試の成績を見れば簡単にわかることなのに…とあきれかえってしまいます。

もちろん、「志望校を高く設定する」のは良いことだとは思います。

「じゃあそのために毎日どれくらい勉強しているの?たとえば赤本を買ってきて志望校の過去問見た?解いてみた?どう思った?何が足りなくて、それを克服するためにこれからは何をどうやって勉強していくのかな?」

これらの質問に完璧に答えられない人には、夢を見る資格はないと思います。

県立高校の生徒さんにあるあるなのですが、高校入試で一応合格した(成功した)。なので大学受験も高校受験と同じ要領でやれば受かるだろう」と安易に考えている人が本当に多い。

私立高校(特進クラス)の生徒さんは、一度受験で失敗しているので、そんな甘ちゃんみたいなことを考えている人は、まずいません。3年後に見返してやる!と意気込んでいます。

そう考えると、県立高校に合格することは,大学受験までの「ゴール」という視点で考えたときに「必ずしも良いこと」と断言はできません。

下手に県立高校に受かってしまったから、受験に対する甘い間違った固定観念が染みついているのかなと思います。少なくても僕がこれまで接してきた県立高校の生徒さんには、そういう考えをした生徒さんが多かったです。

高校受験と大学受験は全く異なります。

まずは国公立大学と私立大学とでは「受験科目」からして異なります。その段階で一つの大きな分かれ目になります。

3教科受験と5教科(6教科)受験とでは文系の場合は「数学」というものを勉強しなければなりません。

私立大学の方が簡単とか、国公立大学の方が大変とか、そういう問題ではなく、受験のシステムからして異なりますよ、ということです。


 今回の令和の虎に出てきた27歳の志願者のように、偏差値もろくに知らないような人が、簡単に「東大に合格して…」とかは言ってほしくはありません。

例えば旧帝クラスの学力があり、その上で「東大に入りたい」とかだったらまだわかるのですが,Fラン大学(名前を書けば合格するような定員割れしている大学)」レベルの人に軽はずみに東大に行きたいとか言われれうと、僕だったらマジで腹立ちます。お説教をすると思います。

「令和の虎 受験版」を見ていると、いろんな意味で勉強になります。僕は高校生とは今はもう関わりはありませんが、中学生とは年中関わっています。

もちろん進路指導もします。夢みたいなことを言っている受験生には厳しいことも言わなければならないこともあります。

まぁ,中学生の場合は初めての受験になるので、多少のことには目をつぶりますが、あまりにも幼稚な事ばかり言っているときには,現実を懇々と伝えています。

最初から県立高校をあきらめているような中3生には特に何も言いませんが,「現実離れした,あさってみたいなことを言っている中3生」には立場上厳しく指導しています。


 僕の中学時代の友達が、かつて富山中部高校へ進学したあと、1年生1学期の最初の3者面談で担任から「あなたには努力できるという才能が全くありません。努力されてください」と言われたとのこと。さすが中部だなと思いました。


 僕は一時,福光まで電車通勤していることがあったのですが、夕方に富山駅から高岡駅まで電車に乗っていると、中部高校の生徒さんがたくさん電車に乗って来られました。

中部高校の生徒さんは見ればすぐにわかりました。電車の中で真剣な表情をしながら英語の長文問題を解いていました。とても焦っている様子でした。

他の学校の高校生は友達と話していたり,携帯を見ていたりしていました。

「あぁ。もうこの段階で差がついているな」と思いました。

少しでも良い大学に合格したかったら、どのような高校生活を過ごせばよいのか?

高校の環境はやっぱり大切だなと、つくづく思っています。

令和の虎,エンタメとしてではなく自分事として、これからも見て行こうかなと思います。
2026年09月20日 08:14