個別指導形式の学習塾と家庭教師の寺子屋学習館|富山県射水市

わからない所が1つずつわかるようになる、達成感ある授業を心がけています。

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2025年5月の記事:ブログ

セシル / 浅香唯

僕が高校1年生のとき、当時人気のあったアイドル、浅香唯(あさかゆい)さんが「セシル」という曲をリリースしました。

1988年8月18日発売です。


さて、僕が高校1年生のとき、週に1回「芸術」の授業があって「美術・音楽・書道」の中から1つ選択して授業を受ける、というシステムがありました。

僕は「書道」を選びました。書道の先生は若い男の先生でとても優しくて字の上手な先生でした。

当時は僕のクラスと隣のクラス合同で書道の授業を受けていました。


そのときに、一度も話したことのない、隣のクラスの女子にめちゃくちゃ話す子でかわいい女子がいました。

僕はひそかにその子にあこがれていました。 当時、その子と毎回授業中に仲良く話している男子がいて、僕は「いいなぁ」と思っていました。

1年生の秋~冬にかけて、浅香唯さんの「セシル」という曲がすごく好きで、よく自分の部屋で聴いていました。


この「セシル」という曲がすごく好きで、今でも車の中でよく聴くし、月に2~3回はYoutubeで浅香唯が歌番組で歌っている

セシルを聞いて元気をもらっています。


さて、今日から富山は山王まつりですね?

高校2年生のとき、男子5人、女子5人くらいで山王まつりに行ってきました。

中央通りにあったマックの2階で緊張しながらも女子と楽しく話したのをよく覚えています。

何を話したかまでは覚えていませんが、書道の授業のときにあこがれていた女子も来てくれていました。

うれしかったのですが、緊張してしまい、残念ながらその女子とは全く話せませんでした。


 今夜は雨が降りそうですね? さっきウオーキングをしていたのですが、今にも雨が降ってきそうでした。

今回の山王まつりは550店舗もの露店が出るそうです。行かれる方は楽しんできてください。


PS:新潟(上越)ツアーから帰ってきました。

妙高高原自然の家まで行って来ました。どうしても行きたかったので、運転は大変でしたが行って来ました。

決意新たに自然の家を後にしました。

あとはとんかつ「銭形」へ行き、とんかつ定食を食べてきました。美味しかったです。

本屋で偶然面白そうな本を見つけ、ホテルで読んでいました。

久しぶりに熟睡できてよかったです。

明日からまた仕事頑張ります。
2025年05月31日 17:32

まゆみ / KAN

KANさんといえば「愛は勝つ」のイメージが強いですね?

僕が高校3年生の1月、センター試験を控えていたころに「愛は勝つ」がテレビで流れていました。

強烈なインパクトがありましたね?

ところがKANさんご自身は、KAN=愛は勝つ と思われていたことが嫌だったど、言っておられたとのこと。

僕はKAN=愛は勝つ ともう1曲「まゆみ」を思い出します。


「まゆみ」という曲は1993年4月21日に発売されています。

僕が大学3年生だったときにテレビの三ツ矢サイダーのCMで流れていて、「いい曲だなぁ」と思っていました。

のちにKANの「まゆみ」という曲だと知り、レンタルでCDを借りてきました。

愛は勝つ とは異なりポップな曲に仕上がっていて、サビの部分が特に好きでした。

また、当時僕の好きだった人が「まゆみ」という名前だったため、この曲には特別な思いがあります。

何回も「まゆみ」を聴いて、ピアノで弾き語りの練習もしていました。


KANさんは亡くなられましたが、「まゆみ」という曲は大切な思い出ソングです。


PS:明日から新潟県へ行って来ます。あさって帰ってきます。

そのため、明日はブログはお休みさせていただきます。すみません。
2025年05月29日 22:20

君だけに / 少年隊

僕が小学5年生のときに、少年隊というアイドルグループがデビューしました。

メンバーは3人で構成されています。

「君だけに」という少年隊のシングルが僕が中学3年生の1987年6月24日に発売されました。

この曲を歌番組「歌のトップ10」で初めて聴いた時、「いい曲だなぁ」と思いました。

そしてレコードを借りてきてカセットテープに録音して何回も聴いていました。


この曲の振り付けは、宝塚の振り付けをされている方が、振り付けを担当されたそうです。

僕が今でも忘れないのが、中3の夏休みに入る前に、学年集会があり、学年主任の先生から夏休みの過ごし方について

15分ほど話されたのですが、そのときに「夏休みのしおり」を見ながらの話でした。


この「夏休みのしおり」の表紙の絵がとても素敵で、「一人の少年が窓にもたれてスイカを食べながら夜の花火を見ている」

という設定の絵でした。僕はこの絵に猛烈に感動しました。


当時は夏休み前ということもあり、さんざん担任からも「夏休みどれだけ勉強したかで、高校受験の合否は決まるよ!」と言われていて

少し精神的にへこんでいました。

僕は当時(中3の7月)ようやく部活を引退して、とてもハッピーな気持ちになっていました。

「これで心おきなく釣りに行ける!!」と喜んでいました。


ところが夏休み直前に渡された「夏休みの宿題」がとても多く、山ほどプリントももらい、うんざりしていました。


そこにきての「夏休みのしおり」の絵。 今でも鮮明に覚えています。

また、当時は少年隊の「君だけに」という曲がとても人気があり、「歌のトップテン」でも毎週のように3位以内にランクインしていました。


当時、僕の実家の裏は田んぼだったため、夏休みの夜はそれこそ窓によりかかって田んぼを眺めていました(スイカは食べていませんでしたが)

部屋で少年隊の「君だけに」を流しながら休憩していました。


あとは当時、同じクラスの人が好きだったので、その人のことを考えながら夏休みを過ごしていました。

少年隊の「君だけに」という曲は、僕が大学生になってもよく聴いていました。

それほどお気に入りの曲だったのだと思います。

カラオケでも今でも「君だけに」を歌うことがあります。

少年隊の中では一番好きな曲です。


夏休みになるたびに、「夏休みのしおりの絵」を思い出して、ハッピーな気持ちになっています。



 さて、話は現実に戻りますが、中学生は今週は中間テストweekなのでしょうか?

中間テスト頑張ってください!

特に3年生は内申に関わる大切なテストになってきます。1年生にとっては初めての定期テストですね?

あとひと踏ん張りしましょう。


勉強に疲れたら好きな曲を聴いてリラックスして、それからまた勉強されてください。

応援しております。

今の苦しい「頑張り」が年明けころからの財産になります。

来年の3月笑うために、今苦しみましょう。
2025年05月28日 13:17

涙 / ケツメイシ

ケツメイシのヒット曲「涙」が発売されたのは、2004年4月21日のことです。

ケツメイシは4名で構成されています。

ケツメイシの「涙」を聴くと中学時代の友達の結婚式を思い出します。

その友達はかなりモテていた男でした。30歳~31歳くらいにかけて、僕はよく合コンをしていました。

その中のメンバーの中に「通称うえさん」という友達がいて、ほぼ毎回、合コンに参加していた女子のうちの1人から

好かれるような「モテ男」でした。藤木直人さんに似ていて、性格もとても穏やかで優しく、友達想いのいいヤツでした。

女性からのアプローチをことごとく断っていた「うえさん」は、32歳とのき(だったと思います)いつものように話していると

「佐伯、聞いてくれ!ついに俺にも彼女ができたよ!」とものすごくハイテンションで教えてくれました。

あんなにはじけていた「うえさん」を見たのは、初めてでちょっとびっくりしました。

その彼女は同じ会社の人で、年末の会社の飲み会のときに、いきなり急接近したとのこと。

それまでも、うえさんは、何回かその女性(彼女になる人)に告白していたそうですが、毎回断られていました。


彼にとって、ほぼ初めての「真剣交際している彼女」だったため、本当にうれしそうでした。

2人がつきあうことになってから3か月くらいしたとき、僕はマック(マクドナルド)でうえさんと、その彼女と3人で会いました。


彼女はとても明るくて、浜崎あゆみに似ている、とてもきれいな人でした。

「うわ~こりゃ うえさんが夢中になるような人やなぁ」と僕は納得しました。

当時の2人は「バカップル(笑)で、めちゃくちゃ仲が良かったです。

夏のある日「佐伯、岩瀬浜でバーベキューしとるけど来れる?」と誘われ、行くとそこにはなんと「うえさんとうえさんの彼女2人だけ」でした。

2人の仲の良さに圧倒されて僕は、ひたすら焼かれた肉を食べていました。

バーベキューの間も2人は手をつないでおり「うわ~バカップルや!!」と思いました。

しかもバーベキューというのに「とても小さな七輪」で肉を焼いてました(ウケた)


当時僕もうえさんも32歳でした。アツアツの二人を見て「いいなぁ」と思いました。

そんな二人は2005年(だったと思います)6月に結婚式を挙げました。おめでとう!


そして結婚式の披露宴の最後の退場するときに式場に流れていたのが、ケツメイシの「涙」でした。

いい曲ですよね? 僕も「涙」はよく車の中で聴いていました。

最近は「涙」を聴くことがあまりないので、このあと動画で視聴してみようと思います。


もうすぐ彼らの結婚記念日です。

毎年2人の結婚記念日にひっそりと「結婚記念日おめでとう!これからも2人仲良く!」と熱いメッセージを僕は送っています。

美男美女のナイスな夫婦。

これからも仲良くしていってください!
2025年05月27日 10:35

車輪の唄 / Bump of Chicken

人気ロックバンド Bump  of  Chichenが「車輪の唄(うた)」という曲を発売しました。

2004年12月1日に発売されました。この曲はアルバム「ユグドラシル」に収録されています。

当時、僕は福光・大門・小杉・富山市で家庭教師をしていました(エリアが広すぎ!)


その時の中学3年生の生徒さんがBump of chikhen の大ファンで、家庭教師の休憩中によくBumpの曲を流してくれていました。

その中に「車輪の唄」という曲があり、その生徒さんお気に入りの1曲でした。

「先生、これギターで弾ける?」と言われ「けっこうテンポ速いし、難しいね!」と答えたのですが、何とかならないか?と思い自分なりに

コードをとって弾き語りの練習をしていました。

そして3週間くらいたってから僕は富山市浜黒崎にある海岸で

「車輪の唄」を海を背景にデジタルビデオで撮影しました。

その映像を生徒さんに見せると、めっちゃ喜んでくれました。


その生徒さんが中3だったときの11月、その生徒さんと友達を含めて、(小杉中学3年生男子)アルプラザの敷地内にあるカラオケ(店の名前は忘れました)に行き

カラオケで「車輪の唄」を僕と教え子さんとで歌いました。楽しかったです。


ところが当時、「車輪の唄」のPVを見て、僕は大変ショックを受けました。

PVの映像が、二人の少年と少女が主役で映像が流れているのですが、曲のエンディング近くになると(多分)その2人がおじいちゃんとおばあちゃんになっていて

どうやら少年時代と老後の今を重ね合わせているような作品(映像)になっていたのです。

当たり前ですが、人間は誰しも必ず年をとります。 事故や病気などにもよりますが、いつかは必ず死にます。

その「現実」を見せられたような気がして、大変ショックを受けました(もちろん楽曲自体は好きなので感動もしましたが…)

あぁ、俺もいつかは死ぬんだなぁ と妙に悲しくなりました。あれから20年余りがたちました。

当時の生徒さんは今は30代なかば、そして僕は53歳になりました。

彼らは今、元気にしているのだろうか?

幸い生徒さんは県立高校に合格したので、うれしかったです。


家の仕事を継ぐ生徒さん、機械関係の仕事につきたい、と言っていた生徒さん、すし屋の職人になりたい!と

当時から言っていた生徒さんもいました。

彼らは今はもう結婚して、新しい家族とともに幸せに暮らしているのかな?

Bump  of  Chikenの「車輪の唄」」を聴くと、当時の楽しかったころを思い出します。

皆さんにも中学時代を思い出すような「思い出ソング」はあるかと思います。


ネットでその曲のPVを見たりライブ映像を見たりして、たまには立ち止まってみるのも、昔を懐かしむのも良いかもしれませんね!

ちなみに僕はしょっちゅう中学・高校時代のことを思い出しています。

職業柄、中学生といつも接しているからなのかな?とも思います。
2025年05月26日 17:44

木枯らしに抱かれて / 小泉今日子

今も人気のあるキョンキョンこと小泉今日子さん。

1986年11月19日に「木枯らしに抱かれて」がリリースされました。

この曲はTHE  ALFEEの高見沢俊彦さんが作詞・作曲しておられます。

歌詞の内容は「寒い秋に、片想いについて書かれた曲」になっていますが、高見沢さんはこの曲を真夏のプールサイドで作詞されたそうです。

この曲が出る1年前には「なんてったってアイドル」という、アイドルについて書かれたアップテンポな曲がありますが、

「木枯らしに抱かれて」は一転して切ないバラードな曲調になっています。

僕はこの曲を中学2年生のときに歌番組で初めて聴きました。

もし、今の中学生がこの曲を聴いたら、どう思うのだろう?響くだろうか?


ちなみに高校2年生のとき、僕の友達(男)がこの曲をカラオケで歌っていました(笑)

う~ん、なんかイメージと違うなぁ、と思いながらも聴いていました。

僕はこの曲を女性が歌っている姿を一度も見たことがありません。

ぜひとも女性の歌声で聴いてみたいなと思っています。

高見沢さんが作られた曲ということもあり、僕にとっては今でも胸に響く1曲です。
 
2025年05月25日 06:53

After The Rain / TUBE

TUBEというバンドが1988年12月21日に「Remember   Me 」というタイトルのアルバムをリリースしました。

僕が高校1年生だったころです。

当時TUBEは「夏といえばRUBE」と呼ばれていて、「夏」に関する曲を中心にCDシングルをリリースしていました。


僕は冬に発売された、この「Remember  Me」というアルバムをレンタルで借りてきてカセットにダビングしてよく聴いていました。

このアルバムの中に「After   The   Rain 」 という曲が収録されていました。

タイトルの「雨のあとに」の通り、失恋を癒す曲でした。

TUBEが失恋ソングを歌うのは珍しいなぁと当時思っていて、何気なくAfter  The  Rain を聴いていました。


最初は特に何も感じなかったのですが、何回も聴いているうちに「曲と曲の間にある間奏のメロディーがいいなぁ」と思うようになりました。


今でも好きな曲のうちの1つです。


最近はTUBEの新曲をあまり聴いていないのですが、はたして活動しているのだろうか?

来る6/11に,TUBEのデビュー40年を祝って「ベスト盤」が2枚リリースされるそうです。

これまでのシングル曲を収録してあるベスト盤だそうです。

買うことはないと思いますが、レンタルが始まったら、借りてこようかなと思っています。
2025年05月24日 13:13

抱きしめてtonight / 田原俊彦

1988年春、月9ドラマで「教師びんびん物語」というタイトルのドラマが入り始めました。

田原俊彦さん,野村宏伸さん,紺野美沙子さんの3人が主演の教師シリーズのドラマです。

僕は中3のころから高校1年生にかけてずっと「将来は小学校か中学校の先生になりたい」と思っていました。

理由は中学時代のサッカー部の顧問の先生がとても優しくてさわやかな先生だったため

「俺も将来は先生のように、生徒から慕われるような先生になりたいなぁ」と思っていました。

その時に月9ドラマで「教師びんびん物語」が始まりました。

当時はもちろん、教員の仕事内容も環境のことなども知らなかったため、ドラマの名場面を見て感動していました。


当時は「ラジオびんびん物語」というドラマが以前に入っていて、そのときから田原俊彦さんと野村宏伸さんはタッグを組んでいました。

ドラマを見ながら「俺もこんな教師になりたいなぁ」とおぼろげに思っていました。

もちろん、現実の世界の教員の仕事は多く、ドラマのように授業がメインの仕事ではありませんでした。

小学校の教員の実態は「職員室で自分の受け持っているクラスに関する仕事」よりも「学校単位の仕事」が多かったように思えます。

しかも学校単位の仕事というのは、全く面白みのない仕事でした(僕は雑用と心の中で思っていました)

毎日職員室に夜10時半くらいまで残って仕事をしていました(といっても僕は新採用なのでそんなに仕事がなかったのですが、

先輩教員の仕事ペースに付き合わされ、結局毎日夜22時~23時ごろまで職員室にいる羽目になりました。

もちろん今だったら「度の過ぎる残業は禁止されているため」19時くらいにはどの先生も帰られる、と思っていますが。


現実の学校は、夢見ていた僕にとっては「地獄の世界」でした。

教員の仕事は受け持っているクラスの子どもたちのための仕事(授業準備や日記などに返事を書いたりすること)ではなく、学校単位の仕事

ばかりで、「この事実を受容できた人」にしか小学校教員という仕事は務まらないと思います。

僕は授業が好きでクラスの子どもたちといっしょに過ごす時間が好きでした。

でも職員室での仕事(誰も教科書を開いて授業準備などはしていない)には、幻滅しあきらめを感じていました。

結局僕は1年もたずして教員を辞めましたが、今思うとそれで正解だったのかなと思います。

給料がちょっと高いだけで、あんなブラックな仕事は金輪際したくないと今でも思います。


さて、教師びんびん物語の主題歌「抱きしめてtonight」には振り付け(踊り)がありました。」

高校1年生のとき、僕は田原俊彦さんが歌番組で歌っている姿を録画し、必死になってふりつけを覚えていました(今はもう忘れてしまいましたが)

「歌手は大変だな。」と思いました。

教員を辞めてからは「軽トラックの運ちゃん」を半年ほどしていましたが、結局教えることと子どもが好きなことが重なるような仕事を探していました。

そして富山県家庭教師協会という大手の「家庭教師派遣会社のお世話になり、中学生(ほとんどが3年生)の家庭教師をしていました。

家庭教師時代はいろんな生徒さんを担当させてもらい、マンツーマン授業をひたすらこなしていました。

ほとんどの生徒さんが「県立高校だったらどこでもいい。県立に行きたい」という生徒さんでプレッシャーはもちろんありましたが、

でも小学校の授業とは異なり中学生は教えやすいので、楽しかったです。

ただ、休日が年間を通して20日くらいしかない現実に打ちのめされてもいました。

労働時間は短いのですが、授業準備【問題を選んだり、解いたり、解説を考えたりする時間)に膨大に時間がかかりました。

特に最初の10年は授業準備に悪戦苦闘していました。

今はもう教員という仕事に未練は全くないのですが、教員を辞めた当初は周りから「安定している公務員を辞めたん?もったいない」と

100回くらい言われました。

今でこそ笑って話せますが、教員をやめたときは、「この先どうやって生きて行こう・・・」と1年以上思っていました。

何度となくハローワークに行って、そのたびにため息をついて帰ってきていました。

ドラマと現実は大きく異なりますが、僕は「抱きしめてtonight」を聞くと高校生だったころ、教員になると燃えていたころを

思い出します。

そういう意味では、田原俊彦さんの歌を聴くと今もスイッチが入ります。
2025年05月23日 08:33

最後の言い訳 / 徳永英明

徳永英明さんの6枚目のシングル「最後の言い訳」という曲が1988年10月25日に発売されました。

当時僕は高校1年生秋、この曲を知りませんでした。

高校2年生から3年生に上がる前の春休み、僕たち富山第一高校の生徒(2年生)は修学旅行で九州へ行きました。

そのときに3日間僕たちのバスガイドを務めてくれた当時21歳の女性の方がいました。

修学旅行に行く前、担任が「いいか。九州のバスガイドさんは富山のガイドとは違って、ものすごく訓練されとるぞ。その地方その地方についても

すごく詳しいし、話し方も話す内容も富山のガイドとは全然違う。だからちゃんとガイドさんの話を聞けよ」と言っていました。


そして実際九州についてバスに乗っている間、バスガイドの由美子さんは(僕たちは由美子ちゃんと言っていたような…)めちゃくちゃ九州のことに詳しく

僕たちにクイズを出してくれたり、歌を歌ってくれたりしました。

僕はすっかりガイドさんのファンになり、(とてもきれいな方でした)ガイドさんのおかげで楽しい修学旅行を過ごすことができました。


そしてお別れの日。僕たち男子はバスの中で寂しそうにしていました。

ガイドさんが別れ際に「1曲歌わせてください」と言い、徳永英明の「最後の言い訳」を歌われました。

ガイドさんが涙ながらに歌っていました。

その姿を見て僕たち男子も泣いている人がたくさんいました。

僕も寂しくて泣いていました。


富山に帰ってきて、徳永英明の「最後の言い訳」のCDをレンタルで借りてきて、部屋で聴いていました。

やがて大学生になり、クラスメートと頻繁にカラオケへ行くことになるのですが、僕はいつもカラオケの最後の曲に「最後の言い訳」を歌っていました。


かなりの熱唱だったらしく、それを聴いていた先輩が「最後は佐伯の歌でしんみり終了やなぁ」と言っておられました。


 もちろん修学旅行が終わってからはガイドさんとは会えていません。

でもガイドさんのおかげで一生の思い出に残る修学旅行になりました。

ガイドさんも今や56歳かぁ。元気にされているのだろうか。
2025年05月22日 14:28

GUANBARE / 酒井法子

このブログでも何回かお伝えさせていただいておりますが、僕は中3のとき、高校入試で富山東高校を受験して失敗しました。

もちろん、落ちたときはすごく悔しい思いをしました。

高校に入学する前の春休み、あまりにも暇だったこともあり、僕はCDを借りに行きました。

中山美穂さんや南野陽子さん、浅香唯さんなど当時人気のあったアイドルのCDを借りてきてカセットにダビングしていました。


その春休み中、どこで聴いたのかはもう忘れてしまったのですが、偶然酒井法子(のりぴー)の「GUANBARE(頑張れ)」という曲を耳にしました。

当時は高校入試にも落ちていたため、いわゆる人生で最初の挫折を味わっていた真っただ中だった僕はこののりぴーの曲を聴いて

「明るくていい曲だなぁ」と思っていました。酒井法子さんは僕が中学1年生のときにデビューしています。学年は僕の2つ上になります。

この「GUANBARE」という曲は失恋した人への応援ソングなのですが、僕は失恋はしていなかったのですが、精神的に落ち込んでいたので

歌詞に励まされました。

そして初めて雑誌などで酒井法子さんの記事を少しずつ読んだりしているうちに「かわいい人やなぁ」と思い、そしてファンになりました。


高校へ進学して、新しい友達ができて、そのうちの一人(教室で隣の席になった男子)も偶然のりぴーの大ファンだったこともあり、僕はますますのりぴーのファンになっていきました。

朝起きてから、そして学校へ行く前、学校から帰ってきてから、夕食を食べ終えて勉強する前、そして寝る前に必ずのりぴーの「GUANBAARE」を聴いて勇気づけられていました。


まぁそれほど当時は何かにすがりたかったのだと思います。僕が高校1年生のとき、のりぴーは高校3年生、東京にある芸能人がたくさん通っていた東京にある堀越高校にのりぴーは

通っていました。

当時、夜中の 0:15~030までの15分間、月曜日~金曜日までラジオのKNB放送で「のりぴー気ままにセンセーション」というラジオ番組が入っていました。

僕は毎日それを聴いていました。

15分だけの短いラジオ番組だったのですが、毎日楽しみに聴いていました。

そして翌日、学校でのりピーファンだった隣の席の男と「昨日のりぴー聴いた?」と話していました。

高校1年生の8月5日、とやまサンビーチという大型プールになんとのりぴーが来てくれました!

もちろん友達と行って来ました。

初めて見るのりぴーはとてもきれいでちょっと圧倒されました。

「うわ~のりぴー かわいいなぁ」と思いました。そしてそのプールサイドでのりぴーは15曲ほど歌ってくれました。

僕はうれしくてなんと103枚も、のりぴーの写真を撮りました(笑)

知り合いが望遠レンズのカメラで撮影してくれていて、僕はその人に頼んでのりぴーの写真を2枚いただきました。

額縁に入れて部屋に飾りました。



県立高校に合格された方はわからないと思いますが、高校受験に失敗するというのは、15歳の男子女子にとってはかなりの「挫折」です。

人生で最初の「大きな壁」だと思います。

でも僕は偶然高校で友達に恵まれたことと、酒井法子というアイドルに出会えたことによってその壁を乗り越えることができました。

高校3年間、僕はずっとのりぴーが好きで部屋じゅうにのりぴーのポスターを貼っていました。ちょっと恥ずかしいですが・・・


やがて大学へ進学し、就職して現在に至るのですが、10代はのりぴー一色でした。

今も当時ほどのファンではありませんが、のりぴーの記事などをネットで見かけたりすると、そのたびに読んだり

車の中や部屋で事務仕事をしているときなどは、今も時々のりぴーの曲を聴いています。

もちろん「GUANBARE」という曲を聴くことが一番多いです。

のりぴーはかつて大事件を起こしてしまいましたが、再び幸せになってほしいと一ファンとして思っています。
2025年05月21日 13:06