個別指導形式の学習塾と家庭教師の寺子屋学習館|富山県射水市

わからない所が1つずつわかるようになる、達成感ある授業を心がけています。

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受験生から言われて驚いたこと / 32歳2月 / 明日へ架ける橋 ♪

僕は今まで約30年間ほど、家庭教師や塾講師の仕事をしてきました。

その中で今日は、教え子さんから言われた、最も印象に残っている言葉について書かせていただきます。


あれは、今からもう21年も前のことです。

福光での個人塾経営に失敗し、富山市の実家に帰ってきて、僕は家庭教師の仕事をメインに富山市や大門、新湊でしていました。

12月(ちょうど今ごろの季節です)富山大学の掲示板で家庭教師の仕事を見つけ、応募しました。

富山市の中3生・女子とだけ書いてあり、無事採用されました。といっても受験まで残された日は3か月。

その生徒さんは水泳部に属していて、クラブチームでの水泳の練習を12月になっても週3回くらい通っていました。

とても受験生の生活ではありませんでしたが、それでも彼女は「頑張って勉強する!商船に行きたい」と言っておられました。

当時の彼女の模試での商船の判定は決して良いものではなく(だから家庭教師を依頼されたのですが)、僕は正直、「今の生活スタイルで残り3か月で商船?かなり厳しいな」と

思っていました。週に2回、1回2時間の家庭教師が始まりました。

彼女は数学・英語が苦手で、家庭教師では数学・英語を中心に指導していました。部活では素晴らしい成績を収めており、推薦も考えたとのことですが

「商船(航海コース)」に行きたい、の一点張り。

そうか、わかったよ。じゃあ俺もそのつもりで一生懸命に授業するね、ということになり、宿題も毎回山のように出しました。

彼女はその宿題をほぼ毎回全部やっており、少しずつ成績も上がってきました。

授業中の合間には当時彼女が好きだった倉木麻衣さんの話や水泳の話、などなど楽しく話しながら、勉強も頑張りました。

1月の半ばごろになり、僕自身も精神的に少しずつ苦しくなり始めたころ、彼女に「俺もなんだかんだ言いながらこの仕事長いけど、全く慣れんわ。

毎年この季節になったら、受験のことで頭いっぱいで、友達と会うこともほとんどなくなってしまうちゃ」と苦笑いしながら言いました。

すると彼女は自分が受験生で必死になっているにもかかわらず、僕に

受験生の運命背負って大変だね」と言ってくれました。

この一言は、今まで僕が30年教える仕事をしていて、教え子さんから言われた一言で一番印象に残っている一言です。

言われたときはびっくりしましたが、帰り道、車を運転しながら「思いやりのある優しい子なんだな」と感動していました。


 そんな彼女は水泳に通いながらも毎日猛勉強し、結果、商船(航海コース)に無事合格しました。

受験番号は92番でした。この受験番号だけは今でも覚えています。

ちなみに僕が新潟大学を受験したときの受験番号は、 02021016でした。この番号も,生涯忘れることはないと思います。

受験生が入試間近になって勉強を頑張るのはもちろんのこと、その立場でありながら指導者にねぎらいの言葉をかけてくれる中3生はすごいなと思いました。


 今日は12月19日。私立受験まであと2か月を切りました。県立受験まで3か月を切りました。

どこまで点数が上がっていくのかわかりませんが、あと少しの「苦しい受験期間」を乗り切ってほしいと思います。

毎年この季節になると本屋の参考書コーナーで,親子で問題集を探している中・高校生を見るたびに、「頑張れ」と応援しています。


PS:彼女の影響で僕は当時、倉木麻衣さんのCDを借りてきて、倉木麻衣さんの曲をよく聴いていました。

 その中でも「明日へ架ける橋」という曲があり、今でもその曲を聴くと、当時のこと,一生懸命に勉強していた彼女のことを思い出します。
2025年12月19日 10:38