個別指導形式の学習塾と家庭教師の寺子屋学習館|富山県射水市

わからない所が1つずつわかるようになる、達成感ある授業を心がけています。

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小学校教員採用試験

現在の時刻は、2026年2月27日 AM4:30です。

昨夜はあまり眠れませんでした。

僕は基本的に塾が終わったあとは腹が減っていても何も食べずに我慢しているのですが、昨日だけは帰り道、小杉にあるカレーのココイチにより

カツカレー1辛400gを注文して食べました。よっぽどの思いがあったのだと思います。


さて、学習塾を始めるとき、基本的に許可を取る必要がある、教員免許を保持している、というような規則はありません。

誰でも始めることはできます。

無許可。僕は第1種小学校教員免許と第2種中学校数学教諭免許所を一応持っています(というか教育学部の場合免許を持っていないと卒業はできません。必用単位を修得すれば
誰でも教員免許はもらえます)

ただしそのことが塾の営業成績に反映されるか?となるとそれはまた別問題であり、全く良い方向に影響するということはありません。

美容師さんんとかが免許を持っておられるのとはちょっと異なります。


僕が大学時代(僕は教育学部小学校教員養成課程数学科に所属していまいた)必要単位を取れば、

高校の数学教員免許までは一応取れましたが、僕は当時小学校の教員になりたかったのと、あとは大学での数学があまりにも僕にとっては難解で

大学3年生の時に取得することをあきらめました。

大学時代の数学の授業は僕には全く理解できず、落ちこぼれの成績でした。

大学生になって初めて「勉強が分からないことの苦しさ」を嫌というほど味わいました。

周りの人たちは当然のように授業に集中しさっさと単位を取っていました。


 一方僕は「小学校の教員になるのに高校の免許は必要ないし、そもそも仮に免許を取ったとして果たして高校生に数学を教えられるのか?と自問自答した結果

「それは俺の頭では無理」とあきらめました。


ただその反面「絶対に教員試験に合格して小学校の教師になる!」と強烈に思っていたため、大学1年生の冬から教員試験用の雑誌「教員養成セミナー」と

「教職課程」を読んで対策を立てていました。

周りを見渡してもそんなことをしている大学1年生は新潟大学にはいませんでした。

教員養成セミナーには教員試験の都道府県別の教員試験の1次試験の倍率、2次試験の倍率が掲載してあり、とてもよい刺激になりました。


 僕が大学1年生のときの新潟県の教員採用試験は(新潟大学4年生が受験したときの結果)は落ちたのはたったの2人でした。

当時は「年々教員採用試験は人気があるため、年々難しくなってきている状態」でした。


 サークルの先輩の話を聞いていても危機感などは全く感じられず、教員試験について話をしている4年生はほぼいませんでした。

当時の新潟県小学校教員試験の実態は「新潟大学?合格です」というような感じでした。


 僕が大学3年生の春に教育実習に行った時に、その小学校で教員をしている20代の男の先生が、最後の一言に

「僕は2週間の勉強で教員試験に合格しました」と自慢げに話されていました。その先生は私立大学出身の方でした。

僕はそれを聞いて「こいつ、何悠長なことを言っとるんよ?今の時代はあんたの時代とは全然違うよ」とあきれていました。


 僕が大学3年生になったとき、「嫌な予感」が的中しました。

新潟県の小学校教員採用試験で不合格になった先輩たちがちらほら出始めたのです。

まず、採用人数が激減しました。一気に半分になってしまったのです。

当時は40代~50代の先生が多く、退職者が少なかったのと、不景気のため教員を辞めるという方はかなり少数でした。

「あ~やっぱりか。来年、はどうなるんだろう」と不安になりました。

これが富山県小学校教員採用試験になると、新潟県とは大きく異なり現役(大学4年生)が富山の教員採用試験を受けても「ほぼ不合格」でした。

倍率も新潟県とは比べ物にならず、軽く10倍を越えていました。


 今の富山県の小学校の教員採用試験は倍率は2倍くらい。

ほぼ「富山大学および国公立大学だったらOK]」という感じです。 退職者も増え、状況は一変しました。

今ではすっかり「教員の仕事は超ブラック」という実態を大学生は嫌というほど知っているので、好んで教員になる大学生は激減しました。


 僕が4年生のとき、富山県の教員採用試験を受けた新潟大学の実態は「全滅でした」富山県出身の新大生は誰も合格しなかったのです。

そのため僕は早々に富山で教員になることはあきらめ「俺は新潟で骨を埋める」覚悟をしていました。

両親にもその意思は伝えており、承諾を得ていました。

当時つきあっていた彼女がいて新潟県人だったため「俺は新潟で教師になって、この子と結婚したい」と強く思っていました。


 そして迎えた大学4年生。新潟県教員試験を受けました。僕は「他の新大生よりもはるかに多くの時間をかけて対策をしてきた。落ちるはずがはない」と思っていました。

1次試験の倍率は4倍くらいだったと思います。

 予定通り1次試験は突破しました。問題は2次試験です。

先輩から「新潟の教員採用試験は教職課程と論文と面接で決まるよ」と聞かされていました。

僕は彼女と二人でお互いに「面接の練習」をしていました。


当時、新潟大学の学生課に行くと「教員試験の面接で聞かれたこと」が箇条書きで書いてありました。先輩方が残してくれたとても貴重なデータだったのです。

僕はそれを全て手書きで書いて(60項目くらいの質問)彼女と二人で「この質問はどうやって応える?」と話し合いながら対策をしていきました。

僕はすべての質問項目に対して箇条書きで自分なりの答えを書いていきました。

ただ、「決定的な質問」というのがたった1つあったのです。この質問で合否は決まってしまう、というとても重要な質問です。


それは「なぜ富山の人なのに新潟県であなたは教員になりたいのですか?」という質問です。

この質問だけは2次試験直前まで悩みに悩みました。

僕の本音は「そんなもん、富山よりも新潟の方が合格しやすいし、彼女もいるから新潟やぜ」というものでした。

でももちろん、そんなことは言えません。「説得力のある答えは何なのだろう…」


8月下旬に2次試験があって、面接があるのですが、僕は前日になってもまだ答えが出ませんでした。「本当に困った、どうしよう」という感じでした。

ゼミが終わって帰り道、ゼミ員の女子の友達がふと

「私が聞いた話になってしまうけど、2次の面接で、恋人がいてその恋人と結婚したいから新潟で教員になりたい、って答えて合格した先輩がいるよ」


 僕は「これだ!この答えしかない。明日はそう答えよう」と一大決心しました。


……彼女がいて、その彼女と結婚したいから新潟で教員になりたいです


 そして翌日、運命の教員採用試験の日がやってきました。ペーパー試験の「教職課程」のテストはまずまずの出来でした。

緊張に緊張して迎えた面接。

当時は2次の面接は「受験者に対して面接官が2人」というものでした。


 運命の面接が始まりました。面接では僕が事前に用意していた質問が次々と質問され、僕は淡々と応えていきました。楽勝です。

そして面接の中盤に運命の質問がされました。

「あなた富山の人ですよね?しかも長男ですよね?なぜ富山県ではなく、新潟県で教員になろうと思っておられるのですか?」

やっぱり来た!

僕はこう応えました。

はい、僕には彼女がいて、彼女が新潟の人なので僕も新潟県で教員になりたいと思い新潟県で受験しました


 その結果・・・不合格。

僕は2次試験で不合格になり、「教職浪人」が決定しました。

今思い返すと「そんなもん、落ちるに決まっとるやろ」ということです(笑)

僕は彼女と抱き合って二人で泣きました。

まあ今思い返すと「なつかしい思い出」と笑えるのですが、あれだけ教員試験の準備をしてきて、たった一言の発言で不採用。

僕の浪人が決まりました。


「お前、そんなこと2次面接で言ったんか??マジか」と言われていました。

採用が決まる大切な質問に「彼女がいるから」・・・・・・ それはないでしょう。

じゃあ彼女と別れたらどうするの?ということです。


ちなみに1年後、僕は2回目の新潟県教員採用試験を受験しました。

1次試験は楽勝で問題の2次試験。

またもや同じ質問をされました。

「あたなは富山の人ですよね?しかも去年は2次で不合格でしたよね?」

僕は「はい。教職課程はできたと思います。」

「ペーパー試験はできたということですね? ではなぜ不合格だったのだと思われますか?」

「はい、試験に対する甘さだったと思います」

「そうですか?もし採用されるならどこがいいですか?」

「はい。どこでも喜んで行きます。佐渡でも行かせていただきます」

「本当はどこがいいですか?」

「はい。本音を言わせてもらうと、僕は富山県人なので上越エリアだとありがたいです」

「そうですか。上越は広いですが、その中でもどこがいいですか?」

「はい。糸魚川だといいです」

すると面接官の方がメモ書きされました。

……よし、受かった

僕はそう確信して、面接会場をあとにしました。


帰り道、去年の不採用事件のことを思い出し、いろんな思いがこみ上げてきて、僕は号泣しました。

……長かった。やっと報われた。


結果… 合格!

めでたく2回目の挑戦で教員試験に合格しました。

2月下旬に採用校が決まりました。

当時僕の彼女は上越(高田)で教員をしていました。

上越だったらいいな。糸魚川かな?

そう思いながら封を切りました。

「あなたを新潟県三条市立○○小学校に採用いたします」

えっ,三条??

全然違うねよ!

僕はすぐに彼女に電話して「三条だったよ」と言いました。

彼女は絶句していました。

「そうか。でもおめでとう。遠距離になるけど頑張ろうね!」と言ってくれました。

僕はは「三条市」という所にある中規模校の小学校に赴任が決まりました。


僕はようやく晴れて「小学校の先生」になれたのです。

3月5日に長岡市で校長面接があり、もう一人の新採用の女性の方と2人で校長から採用される小学校について話を聞かせていただきました。





とても長いブログになってしまいました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

今日はとてもさっぱりした、というかせいせいした気分なので、こんな時間にこんなことを書かせていただきました。


 ちなみに僕の妹は小学校で教員をしています。

たしか5回目か6回目の教員試験で「ようやく合格」できました。彼女なりに一生懸命に働いています。

毎日夜遅くまで家で仕事をしています。朝5時に起きて子どもたちの弁当を作っています。


すごいなと思います。


♪君を忘れない 曲がりくねった道を行く

生まれたての太陽と夢を渡る黄色い砂

二度と戻れない くすぐりあって転げた日

きっと想像した以上に 騒がしいい未来が 僕を待ってる

「愛してる」の響きだけで 生きて行ける気がしたよ

ささやかな喜びをつぶれるほど 抱きしめた


 ずるしても真面目にも 生きて行ける気がしたよ

いつかまたこの場所で 君と巡り合いたい


引用:「チェリー」 スピッツ  /  草野正宗 作詞:作曲
 
2026年02月27日 04:29

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