個別指導形式の学習塾と家庭教師の寺子屋学習館|富山県射水市

わからない所が1つずつわかるようになる、達成感ある授業を心がけています。

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記念すべき新採用初日:1996年3月31日 職員室にて / 24歳春

僕は採用が決まった後、とてもウキウキしていました。

「ついに俺も教師の仲間入りか。頑張るぞ!」

富山市の実家で当時毎日を過ごしていた僕は、釣りに行ったり、車を洗車したり、算数の指導法についての本を読んだりしていました。

そして富山を去り、いざ新潟県三条市へ・・・

三条市は新潟県の中越地方にあります。長岡市から車で30分の所にあります。

僕は、緊張している、というよりも、やっと教員になれた、という喜びの方が圧倒的に大きく「俺は何年生の担任になるのだろう?」と思っていました。

基本的に新採用教員は3年生か4年生の担任になることが多いと言われていました。

いきなり高学年(5・6年生)の担任になる、ということはほとんどありません(今はどうなっているのかわかりませんが)

一番教えやすくて、問題行動も少ない3年生か4年生、いわゆる「中学年」というやつです。


 僕は3年2組の担任になることになりました。まぁ予想通りです。

富山を出る時に、リブランで「とやまん、とかんこんたん」という富山のお菓子を箱に入れてもらい喜び勇んで三条市へ向かいました。

ただ、新潟大学に入学したときに富山を離れる時とは大きく異なり「俺はもう富山に帰って来ることはないんだなぁ」と寂しい気持ちがありました。


 僕は小学校から車で10分の所にある、1ルームのアパートに住むことになりました。

両親がいっしょに富山から来てくれて

「優すけ、あんたここで頑張るがだよ。ただ、つらいことがあったときはいつでも電話してこられ」

と言って、富山へ帰っていきました。

そして運命の赴任して初日。3月31日。 僕は採用校された小学校へ菓子折りを持参して行きました。

「ようこそ佐伯先生、○○小学校へ!」

といった雰囲気の中で華々しく教員デビューするのか・・・・

と少しセンチメンタルな気分で僕は職員室のドアを開けました。

するとまだ春休み中だというのに、職員室は殺伐とした雰囲気でした。

「あっそう。まぁ頑張ってくれや」という感じで他の先生方はそれぞれの仕事をしておられました。


正直僕は圧倒されました。「うわっなんよこの雰囲気」

僕はとりあえず職員室の僕の机の前に座り、ぽかんとしていました。

すると朝礼が始まり、次から次へと会議→教科ごとの部会→学年ごとの部会 と次から次へと会議が続きました。

もちろん僕は、何をしているのか?全くわかりません。1つだけ言えるのは「どの先生方も目が血走っていました」

めちゃくちゃ忙しく、どの先生方も自分の仕事に追われていました。

今だからわかるのですが、小学校の教員は学年末が一番忙しいのです。

学年が変わるのと同時に、前学年の「学習指導要録」というものを期限までに仕上げなければいけないため、それを仕上げるためにどの先生方も必死になって働いていました。

学習指導要録というのは、わかりやすく言うと通知票ってありますよね?あれの3倍くらいの量の「データみたいなもの。各児童の学習の記録、行動の記録、問題行動などなど

ことかまやかに1人分ずつ仕上げていく、そのデータを他の先生方が見て、指導のときの参考にする」というものです。

思い出したくもありませんんが、現実は3月末は先生方にとって恐ろしく忙しい時期だったのです。

そこへ何も知らない20代の若者が職員室へ入ってきた。という状況です。

まぁ学校に限らず一般企業でも年度末はすさまじい忙しさだとは思いますが、世間知らずだった僕はただただ圧倒されました。


新採用なので、他の先生方みたいに忙しくはありません。僕は職員室で、受けもつ児童(27人学級でした)の名前をノートに何回も書いて、まずは子どもたちの名前を覚えよう、

と決め必死になって名前を覚え始めました。  今でも全児童の名前を名簿の上から順に言えますが、必死でした。

実際に新学期が始まり、初めて子どもたと対面する4月6日までに、なんとか全児童の名前は覚えきりました。

あとは先生方の名前と顔を覚えようと思い、職員会議の間ひたすら職員室の机の順(学年ごとに)先生方の名前と顔を覚えていきました。


 初日を終え、アパートに帰り僕はすぐさま上越にいる彼女に電話しました。

「かっちゃん、俺圧倒されたわ。なにけあの職員室の雰囲気。びっくりしたよ」

「優ちゃん、3月は学校は忙しいの。年中忙しいけど3月4月は特に忙しいよ」

「なんでそれを事前に俺に教えてくれんかったん?ひどいよ」

「それは優ちゃんの夢を壊したくなかったし、現実を伝えたら引くでしょ」

「そうだけど、あんた一応1年間教師やっとったんやろ?なんなんけあの雰囲気。がっかりしたわ」


・・・・・・こうして教員赴任の初日から僕は彼女と大喧嘩になってしまいました。

僕が赴任して一番ショックだったのは、職員室で教科書を開いている先生は誰一人としていませんでした。

どの先生方も学校単位の仕事、学年単位の仕事に追われていて、教育実習で習ったような学習指導案を書いていたり、授業準備をしているような先生は一人もいませんでした。

僕は「教師の仕事はまずは授業。次に児童理解」」とさんざん教育実習で現場の先生から指導を受けていたので、計り知れないショックを受けました。

こうして嵐のような一週間が過ぎ、僕の体重はたったの一週間で7kgも痩せてしまいました・・・ 

スーツのズボンはぶかぶかになり 「本当に俺はこんな所でこの先働いていくのか…不安だし納得がいかない」

とかなり教員という仕事に幻滅していました。

こんなもん、「雑用サラリーマンだねよ」と思っていました。 今でもそう思っています。

教員の仕事なんて雑用だらけ。授業準備もろくにしないで、ぶっつけ本番で授業してただただ職員室で子どもたちとはいっさい関係のない事務仕事に追われて毎日遅くまで

働いている というのが僕が抱いた小学校教員の実態です。

ちなみに僕のいた3年生は1組から3組まであり、学年主任の31歳くらいの女の先生は僕と同じく他の小学校から三条へ赴任したばかりで大忙し。

毎日夜の22時~23時半くらいまで僕の学年の先生グループだけ職員室に残って仕事をしていました。

今思い返すと、アウトですよね? 働きすぎ。他の先生方は家庭があるので18時くらいにはさっさと帰っていかれます。

僕のいた3年生の先生は僕を含め、独身の先生が2人。学年主任は結婚していましたがまだ子どもはいませんでした。

新採用の僕はとにかく上手く授業ができるのか?ただただ不安で授業準備をしたいのに、職員室ではそういう仕事は残念ながらさせてはもらえませんでした。


 もちろん公務員なので残業代など0円。出ません。

山のような書類の仕事。

決定的に致命傷だったのは、当時僕はワープロができませんでした。

事務仕事は全てワープロで書類を作る、というものでした(まだパソコンはそんなに普及していませんでした。どの先生方もワープロで書類を作成されていました)

普通だったら大学4年生の「卒論」のときに、ワープロを使って卒論を仕上げるので、そのときにワープロの基本は覚えるのですが、

僕の場合、数学科だったため、「卒論がなく、卒業発表会しかありませんでした」

そのためワープロは持ってはいましたが、使うことはありませんでした。

このことが「決定的な致命傷。」最後まで僕は事務仕事、ワープロに苦しめられたのです。

今でこそパソコンは普及して、僕でさえもこうしてブログを気ままに簡単に書いていますが、当時は文字を打っていくのさえ時間がかかり、

児童名簿を作成するのに何時間もかかって作成していました。今なら40分もあれば簡単に終わる仕事なのですが、当時の24歳の僕には「苦しい仕事」だったのです。



たとえば、児童連絡網ひとつ作るのさえ、今だったらエクセルで楽勝に作れますが、当時は書院のワープロで作らなければならず、

「どうしよう。→ってどうやって書くの?図形の四角はどうやって作るの?」という有様でとにかく「事務仕事のできない残念な人」でした。

キーボードの打ち方さえ知らない、もちろん今みたいにブラインドタッチなどできるわけもなく、ただただ自分のふがいなさと雑用の多さにあきれて日々を過ごしていました。


疲れた!かなり愚痴が多いブログになってしまいました。すみません。

今回のブログは僕の例にすぎません。他の新採用の先生はもちろん、ワープロを使いこなし、大変ながらも教員の仕事を頑張っておられました。


僕が教員をやめた理由は「ワープロができなかったから」

非常に情けない理由なのですが、当時の僕には深刻な悩みだったのです。子どもが嫌だとか教師の仕事が嫌だとか、そういった次元でななく

ワープロ地獄についていけなかったから

せっかく4年間大学で勉強して、塾講師のアルバイトも経験して、だれよりも教員試験の勉強をして先生になれたのに、僕は現実についていけませんでした。

もちろん、今もしも「教員になりたいですか?」と聞かれると、即答で「嫌です。興味ありません」とNOをつきつけますが、それは僕が今50代だから。

いろいろ経験して教員という仕事を他の仕事と比較できて、自分に余裕があるから簡単に「教員?知るかそんなもん」と一蹴しますが、当時24歳の世間知らずの僕には

「俺には教師しかない!」と強く思っていました。


勉強だけを徹底的に教える塾講師の仕事の方がめっちゃ面白く、生徒とも深く関われるので今の仕事が大好きなのですが…

とにかく俺は教師は大嫌いです。


♪果てしなく続くサバイバルレース  走り疲れ  家庭も仕事も投げ出し逝ったあいつ

そして俺は心の空白埋めようと 山のような仕事 抱え込んでしのいでる

J BOY 頼りなく豊かなこの国に

J BOY 何を賭け 何を夢見よう

J.BOY  … I'm  a  J  BOY



午前4時 眠れずに 彼女をベッドに残し

バイクにKey  差し込み

闇の中 滑り込む

すべてが消え去るまで  風を切り 突っ走る

J Boy   Show  me  your  way  !


水平線 昇る太陽の中 突き抜けたい

J. BOY 打ち砕け 日常ってやつを

乗り越えろ もう悲しみってやつを

J.BOY 受け止めろ 孤独ってやつを


吹き飛ばせ その空虚ってやつを

J.BOY  J. BOY


引用:J BOY  浜田省吾作詞・作曲
2026年02月28日 04:56

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