個別指導形式の学習塾と家庭教師の寺子屋学習館|富山県射水市

わからない所が1つずつわかるようになる、達成感ある授業を心がけています。

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雇われ家庭教師時代&週1福光時代

僕は某家庭教師派遣会社3社と小規模の家庭教師派遣会社4社で家庭教師を約20年してきました。

そして今があります。

当たり前ですが、、家庭教師をお客さんが申し込む時には契約書を交わします。

まずは指導回数、指導時間、次に家庭教師のランク(学生家庭教師・社会人家庭教師・プロ家庭教師)があり、プロ家庭教師の場合はさらに1~5段階のランクがあります。

プロレベルの人気のある先生になると、お客様からの指名が入り4月でいっぱいになることもあります。

僕は32歳のとき、福光での個人塾を泣く泣く閉鎖し、富山市の実家へ帰ってきました。


「さて、これからどうするかな」ということになり、戦略を立てました。

福光は閉鎖したのですが、高校生の教え子が10人残っていました。

やる気ある中学生もどうしても佐伯先生に習いたいです、ということになり2人残りました。

僕は福光に週に1回日曜日だけ通い、福光のベルの2階にある、サークルルームで教えるこにしました(テナントは撤退ていました)

 中学生は1:2指導。高校生は2・3年生合同で「センター試験数学」をクラス授業で指導しました。

日給にして3万円を超えていました。

僕は富山市で家庭教師をするか、金沢の全国規模の大手学習塾で中学生のクラス授業をするか、はたまた金沢でアパートを借りて、金沢と福光で仕事をするか?

迷っていました。「とりあえず行きたい所に面接に行って、採用してもらえたところで一生懸命に働こう」と決めました。

とりあえず金沢の大手学習塾へ面接を申し込み、面接をしてもらいました。

人事の方が担当され「今はどんなかんじの生活をされていますか?」と聞かれました。

僕は「はい。福光でに毎週日曜日に中学生と高校生に個別指導とクラス授業をしています。あとはまだ決まっていません」

「そうですか。うちではどのような働き方をされたいのですか?」

「はい、週に3回ほど中学生のクラス授業をさせていただきたいと思っています」と答えました。

すると「福光の塾を閉鎖して、うち1本でやってみませんか?」と言われました。

この一言に僕はキレました。

「こいつ、俺をナメとるんか?」


「福光の生徒は僕が一人でやっとの思いで集めた大事な生徒なので、閉鎖はできません。 

すみませんがこの話はなかったことにしてください。帰らせてもらいます。失礼します」と言って僕はその塾を後にしました。


僕は「富山市に住んで、週に6日は富山市で家庭教師をして、日曜日だけは遠いけど実家から福光まで通おう」、と決めて、

家庭教師の求人を探していました。

そうして探していると、富山県で最大手、まあ誰でも知っている某塾の家庭教師部門へ直接電話して、家庭教師のアルバイトに申し込みました。

僕の履歴書を見て、担当の方は「当社の家庭教師は実績に応じて給料が上がっていきます。頑張りは評価するので、頑張ってくれますか?」と言われました。

僕は「はい。頑張ります」と答え、その場で採用が決まりました。

その後3日もたたないうちにその某大手塾から生徒紹介の電話がかかってきました。

富山市北部中学3年生の家庭教師を週に1回行ってもらえますか? 僕は「はい、わかりました。ありがとうございます」

と答え、「とりあえず近場で良かった」と思いました。

そして一週間後、その後、ご家庭へ行き指導することになったのですが、初回の家庭教師にもかかわらず、

「中教研テストの前日なので今日だけ18時から24時まで6時間指導でお願いいたします。夕食もこちらでご用意させていただきます。

……僕はあっけにとられました。「えっ6時間? 夕食付?

受け持った中3生(女子)は「何が何でも富山高校へ行きたいです。お願いします」と挨拶してくれました。

僕は「やっっぱり富山市は違うな」と思いました。

夜中の24時に初回指導を終えた所で、親御さんから「佐伯先生、週1回で契約していたのですが、週3回にできますか?」と言われました。

僕は少しびっくりしたのですが「はい。もちろんいいですよ」とだけ答え家に帰りました。


数日後、「佐伯先生。新庄の3年生いけるけ?」「はいい、大丈夫です。ありがとうございます。」

新庄中学の3年生の男子生徒の家庭教師を受け持つことになりました。契約ではこれも週1授業。

1回目の授業が終わり、家に着いて数日してから某大手塾から電話がありました。

「佐伯先生。新庄の生徒さん、週3回ってできるけ」「ハイ。大丈夫ですよ」

こうして2人目の生徒さんも週3回の契約になりました。

これまでの2人の生徒さんは家庭教師経験者です。数人の先生がこれまで指導に当たっていたのですが、クビになりました。

そこへ僕が紹介された、という形です。

次に山室中学校の3年生の案件が入ってきました。 週1回2時間の指導になります。

ここまでくると僕は「また3回になるんかな?」と思っていました。


この生徒さんも「富山高校に行きたいです。お願いします」と言われ、僕は親御さんに、最初に「お言葉ですけど、今の成績では週1回では無理だと思います。

よく考えてから回数を決められてください」

と前もって伝えました。山ほどのプリントファイルを生徒さんに渡して「このファイルにあるプリント、夏休み前までに仕上げて。

できんかったら、富山高校はあきらめた方がいいよ。どの生徒も富山高校クラスになったら、こんなもんスラスラ解いていくから。

 できんと思ったら、俺から指導受けることはあきらめた方がいいよ。俺、やる気ないヤツには放置だけど、やる気あるヤツにはガンガン教えて結果出してきたから」

と言い残して指導を終え、帰りました。

翌日また某大手塾から電話がかってきて「佐伯先生。また週3回にしてくれって依頼来たよ。いったいどうゆう指導しとるんけ?」

担当の先生は驚いていました。

僕は「いいね、スイッチ入ってきたわ。富山市は違うね。」と思い、ますます授業準備に時間をかけていきました。

その1週間後、今度は奥田中学校の3年生からの指導以来がありました。週1回希望だったのですが、これも予想通り週3回になりました。

ここまでくると、もう僕のスケジュール帳はパンパンになってしまい「これ以上は無理だな」とうれしい悲鳴を上げていました。

5月に入り、僕は某塾へ呼び出され、 「佐伯先生、究極の選択だけど、家庭教師辞めて、うちで働いてもらえるけ?」

とスカウトされました。 

僕は「職安で拝見したのですが、御社は年間休日が69日しかないのですが、本当ですか?」

担当の先生は「そうだよ。戦時中みたいな職場だよ。」と笑顔でおっしゃられました。

……僕は悩みました。ただ、給料だけを考えると、当時のバイト生活と福光の授業を合わせた給料は40万円を超えていました。

1分悩んだあと、「やめておきます。今のままの勤務形態でお願いします」と答えました。

僕は家に帰った後、手帳を眺めながら「やっぱり富山市はすごいな。さすが〇〇センター。客層も伏木・福光とは全然違うわ」

受け持った生徒さんは全員中学3年生。

とどめに「佐伯先生、次は伏木なんだけど、行ける?」

僕は「行けますけど、この生徒さんで最後です。これ以上は担当できません」と答え、伏木中学校の3年生の家庭を訪問しました。

この生徒さんだけは週に2回の指導になりました。

僕は授業しながら「今までの俺の苦労生活は何だったんだろう? まぁでも今は報われたからいいか」

と思っていました。

するとその生徒さんの授業中、携帯が鳴り

「佐伯先生、小矢部の家庭教師って行ける? 高速使ってもいいよ」

と言われました。僕は「すみません。無理です」と断りました。

うれしい悲鳴を上げる、でも「やっぱり個人塾は弱いな。それに比べて雇われは・・・ 会社の看板てすごいな、と改めて実感していました。



こうして僕のバイト生活(フリーランス生活)が安定してきて、僕はガンガンに家庭教師をしていきました。

2004年の出来事です。

このときが一番充実していて安定していました。


♪自由すぎたあの日に 帰りたくなるけど

ふり返れば もう誰もそこにはいない

何もかも全部嫌になって 両手で顔を隠してた


絶対負けたくないから 涙流さない


引用:フォトグラフ  Kiroro   / 玉城千春 作詞・作曲
2026年03月01日 01:42

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