我が高校受験を振り返って…
今日は僕の高校受験を振り返ってみたいと思います。僕は高校受験で富山東高校を受験しました。
最後の三者面談のとき、担任に「富山東を受けようと思います」と言うと、担任の先生は「受けてみられ」とだけ言いました。
今思い返すと「大丈夫だと思うよ」という意味だったのだと思います。
僕が中3のとき、学校の進路相談は絶対的な立場でした。
落ちそうな高校を志望校として担任に言うと「ストップ」がかかった時代でした。
今とは大きく異なります。
僕はストップはかからなかった。
当時は40点×5=200点満点の点数で、富山東高校のボーダーラインは160点と言われている時代でした。
3年の3学期、僕は私立入試(富山第一高校)で素晴らしい結果を出しました。
苦手だった理科がとても簡単な問題にも救われ、僕は初めて理科で36点を取りました。
英語は39点でした。国語は22点でした。他の教科の点数は忘れました。
「奨学生」の資格をもらい、「特待生」の可能性が生まれたのです。
それくらい良い点数でした。
ふだんの実力テストは145点~155点くらいでした。東にはちょっと届いていない、という点数でした。
それが3学期に行われた実力テストで3回ともすべて159点という結果を出しました。
12月から始めた「1日5時間勉強」の効果が少しずつ現れてきていました。
一高の入試結果と実力テストの結果から担任が判断して「受けてみられ」ということになったのだと思います。
倍率が決まりました。僕たちの世代は「第2次ベビーブーム」ということもあり、子どもたがくさんいました。
僕の受けた富山東高校の倍率は、定員400人に対し、455人の応募がありました。
倍率にして1.14倍でした。55人も落ちるのか…と当時の僕は思っていました。
そして迎えた本番。
僕は初日にコケてしまいました。
入試が終わって学校へ登校して、朝の学習時間に、富山工業高校を受けた友達が「俺29個も間違えてしまったわ」と言っていました。
……これを聞いた瞬間僕は「落ちたな…」と思いました。僕も入試で合計29個間違えていたからです。
富山工業を受けた友達と同じ点数。
それで東に受かるはずがない。
当時は県立高校の入試問題は1教科30点×5教科=150点満点の試験でした。
僕は理科と国語で失敗してしまい、結果不合格。
今みたいに点数開示の制度もなかったため、自分の入試の点数は何点だったのか? 知ることはできませんでした。
でも多分ダントツに悪い点数で不合格だったのだと思います。
僕の中学校から富山東高校を受験したのは17人いました。その中で不合格だったのは僕1人だけでした。
春休みはとてもみじめな思いをして過ごしていました。
そんな失意の中、3月24日に富山第一高校で「特待生選抜試験」と「面接」が行われました。
この試験に合格すると、特待生=授業料免除 になります。
僕の学年は特待生試験を受けた全員が合格して、特待生になれました。
一高の入試で良い結果が出て良かったなと思いました。
今振り返ると、僕の場合は「中1時代にほとんど勉強をしなかったこと」が敗因でした。
僕は当時高校入試の問題は「3年生のときに習った単元のみ」が入試に出題される、と思い込んでいました。
でも現実は「1年生で習ったこと30%」「2年生で習ったこと30%」「3年生で習ったこと40%」くらいの割合で入試問題は構成されていました。
そんなことさえも知らず、僕はのんきに構えていたのです。
僕は現在,「僕と同じ失敗をしてほしくない」と思い、今の寺子屋では1年生でも解ける入試問題は少しですが解いています。
2年生になると、「定期テスト対策70%」「高校入試用の勉強30%」の割合で塾の授業を行っています。
たとえば、今の時期は期末テストも終わり、ある程度融通が利くので、「1・2年生の入試問題」をピックアップして解いてもらっています。
やはり数学と英語の勉強がメインになっています。
地理は世界地理の入試問題をバンバン解いています。
ある程度の基礎ができたら、社会は「即入試問題」を解いて、対策しています。
僕と同じ運命をたどってほしくないな、と思いながら日々授業をしています。
♪固い絆に思いを寄せて 語り尽くせぬ青春の日々
時には傷つき 時には喜び
肩をたたきあったあの日
あれからどれくらいたったのだろう
沈む夕日をいくつ数えただろう
ふるさとの友は 今でも君の心の中にいますか
乾杯 今 君は人生の大きな大きな舞台に立ち
はるか長い道のりを歩き始めた
君に幸せあれ
引用:「乾杯」 / 長渕剛 作詞・作曲
2026年03月07日 13:24
