個別指導形式の学習塾と家庭教師の寺子屋学習館|富山県射水市

わからない所が1つずつわかるようになる、達成感ある授業を心がけています。

ホームブログ ≫ kawaiピアノグレード7級試験 / 小学5年生 ≫

kawaiピアノグレード7級試験 / 小学5年生

僕は保育所の年長組~中学1年生の終わりまで、ピアノを習っていました。

僕の母親は僕が幼少時、かなり厳しい人で、小学生にあがったころには毎日日記を書かされていました。

漢字すらろくに書けない「小学1年生」に毎日日記を書け、と言われていました。

今振り返るとめちゃくちゃですよね?そんなもん小学1年生に何が書けるのか? はなはだ疑問です。

保育所時代には「水泳」を習わされていました。週に1回、富山市民プールで水泳を習っていました。

このときのコーチが20代の女性のコーチで、すごく厳しい方でした。僕はこの水泳の時間が地獄で、当時最も嫌いな時間でした。

そんなある日、2つ下の妹が突然「ピアノを習いたい!」と言い始めました。母は喜び「わかったよ!」と言っていました。

僕は「これはチャンスだ!」と思い、母に「お母さん、俺もピアノ習いたい!もし俺がピアノ習ったら、水泳辞めてもいい?」と聞くと母は

「いいよ」と言いました。 こんな不純な動機で僕は「恐怖の水泳タイム」から卒業し、「ピアノタイム」にシフトしました。

やっと怖い水泳のコーチから解放された!と喜んでいた僕は保育所の年長組だった当時、ピアノを毎週金曜日に習うことになりました。

ピアノの先生は水泳の鬼コーチとは180度違って、とても優しい20代の先生でした。

もちろん僕は当時、ピアノには全く興味・関心などなく、水泳から逃げるために始めたのですが、これがなかなか楽しく、気づけばピアノが好きになっていました。

妹のおかげで水泳から逃れ、毎日20分~30分くらい自宅でピアノの練習をするようになりました。

小学生になり、2年生の6月1日から僕は今度は「サッカー部に入りたい」と思うようになり、友達の影響を受けサッカーを習うことになりました。

毎日夕方から豊田小学校のグラウンドでサッカーに打ち込む日々が始まりました。

ところがこのサッカー部の練習がかなりきつくて、コーチは優しい人だったのですが、毎日のように練習があり、遊びたい盛りだった僕は大好きな野球ができず

ひたすら月曜日から土曜日までサッカーの練習。日曜日は試合 という日々に…。

そして金曜日はピアノのレッスン。 なかなか忙しい小学生でした。

冬場は寒くて手がかじかんだ状態でピアノの練習をしていました。バイエルから始まったピアノ練習。

嫌いではありませんでしたが、サッカーとのかけもちは,なかなか厳しくまた当時は同じ小学校に男子でピアノを習っている人が僕以外に誰もいなくて

恥ずかしい思いをしていました。なるべく友達には「ピアノを習っている」ということは言えませんでした。

年に1回「ピアノ発表会」があり、保護者やレッスン生の前でピアノを披露する、という機会があり、これも僕には重荷でした。はっきり言って嫌でした。

小学4年生の冬には、初めて「コンクール」に出場することになりました。


詳しくは覚えていないのですが、30人くらいの小学生がコンクールの課題曲と自由曲の2曲を演奏する、というものでした。

僕は嫌々練習していたのですが、父が「コンクールが終わったらお前の大好きなドカベン(マンガ本)を買ってやる!」と言ってくれたので頑張って練習しました。

そのコンクールで僕は「優秀賞」を獲得しました。そんなに嬉しくはなかったのですが、ピアノの先生に「優一郎君。頑張ったね!おめでとう」と言われ気分を良くしていました。

そして次に「優一郎君、河合のグレード試験8級受けてみない?」と言われました。

 コンクールで優秀賞を受賞し、すっかりいい気分になっていた僕は「はい。受けます!」と言ってしまいました。

こうして毎日1時間くらい「グレード8級」の練習に打ち込むようになりました。

サッカー部の練習から家に帰って来るのが午後6時半くらい。それから夕食を食べ風呂に入り、1時間ピアノの練習をする、という生活が始まりました。

そして約4カ月後、僕は河合グレード8級の試験を受け、1回目の挑戦で無事合格しました。

このころには少しずつ自信が出てきて「ピアノもなかなか楽しいなぁ」と思うようになっていました。


 迎えた5年生。今度は先生が「優一郎君。グレード7級受けてみるけ?今度は難しいよ」と言われました。

断るということを知らなかった僕は、半ば流されるように「はい!」と返事していました。


ところがこの7級。小学生の僕にはかなり難しく、半年くらい毎日1時間練習しました。

そして迎えた試験当日。

当時総曲輪通りの中にあった河合楽器の上にある試験場に行く前、母が気を使ってくれて「何か飲んでいくけ?」と言ってくれ

僕は喫茶店に入りました。そして当時大好きだった「メロンフロート」を注文したのですが、あまりにもの緊張でほとんど飲むことができませんでした。

ああ俺にも緊張することってあるがやな、と思い、プレッシャーに押しつぶされていました。

そして7級の試験が近づき、僕の番になりました。試験場には数名の受験者がいました。

「練習通りやれば大丈夫」と思いながら鍵盤を弾くのですが、極度の緊張のため、思ったように指が動かず、最初の出だしの所で何回もつまづき、やり直し演奏していると

試験監督から「そこまで。もうけっこうです」と言われてしまいました。

結果 不合格。

半年間も練習してきたのに力を全く出し切れずに不合格となってしまいました。

不合格の通知を聴いた後、ピアノの先生が「どうする?もう7級あきらめる?それとももう1回チャレンジする?」と訊かれ、僕は

「もう1回受けたい!」と即答していました。そしてまたもや毎日1時間の練習生活が始まりました。

そして2回目のグレード試験。

この時も緊張はしましたが、2回目だったのと十分に練習をしてきていたので少し自信がありました。

そして試験が始まりました。

練習通りに演奏することができ、最後まで演奏しきって試験終了。

結果… 見事合格!

合格してから初めて先生から聞いたのですが、「優一郎君。実は富山県の小学生男子でこの河合グレード7級の試験に合格したのは優一郎君しかいないんだよ」

と言われました。

僕はびっくりしました。とても嬉しかったです。

こうして小学5年生にして僕は「河合グレード7級」の資格を手にしました。賞状をもらい,誇らしい気持ちになりました。

こうして僕のピアノ生活はとりあえず成功を収めました。

中学生に上がり今度は「ソナチネ」というピアノ教材を練習していくことになりました。


 そして中学1年生のときの「合唱コンクール」で僕は(1年5組だったのですが)、合唱コンクールの課題曲「大空賛歌」のピアノ伴奏をすることになりました。

この時もピアノの先生から指導を受け、無事に演奏でき僕たちのクラスは最優秀賞を獲得しました。うれしかったです。

11月に行われた「文化祭」で僕たち1年5組のメンバーは全校生徒の前で「大空賛歌」と「戦争を知らない子どもたち」を披露しました。

ただ、この合唱コンクールを終えたあたりから僕はだんだんとピアノの練習がおっくうになってしまい、部活(サッカー部)を理由に、1年生の3月いっぱいでピアノを辞めました。


高校生になり、たまに好きな歌謡曲の伴奏を練習したりしていました。

高校3年生の冬はKANさんの「愛は勝つ」の伴奏練習を一生懸命にして、「愛は勝つ」の弾き語りをしていました。

 
時は流れ現在。 ピアノを弾くことはほとんどありませんが、大学1年生の夏休みから始めた「フォークギターの演奏」をするようになりました。

音楽が好きなのだと思います。

ギターの場合、ピアノとは異なりどこでも演奏できるので、大学時代下宿から徒歩2分の所にあった「五十嵐浜」で浜田省吾や尾崎豊の曲などを練習していました。



話は変わります。

僕の塾には、ピアノを習っている中学生はけっこうたくさんいて、僕の塾には毎年のように「吹奏楽部」の部員がいます。

吹奏楽部は中3になっても活動が続き、夏休みに入っても部活をされている中3生がほとんどです。

受験勉強のスタートは遅れるのですが、夢中になれるものがあるのは素晴らしいことだと毎年思っています。

 
2026年06月11日 07:45