個別指導形式の学習塾と家庭教師の寺子屋学習館|富山県射水市

わからない所が1つずつわかるようになる、達成感ある授業を心がけています。

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大学時代の塾講師をしていたころの話

どんな仕事であれ、人に物を教える経験をされたことがある方は多いと思います。

中学生の場合は、たとえば部活で顧問の先生やコーチから物を教わる、という経験はあるかと思います。

僕の仕事は中学生に勉強を教えることが仕事です。


 大学時代、僕は学生という「大学の先生から勉強を教わるという立場」と、一方で学習塾で「中学生に勉強を教えるという立場」の両方の経験を同時にしていました。

大学2年生~大学3年生にかけては専門だった数学科の「代数学」「解析学Ⅰ」「解析学Ⅱ」「確率・統計学」「幾何学」など、主に数学の勉強を習っていました。

高校時代は文系数学が得意で、好きな教科でした。教えてくれた先生がとても授業が上手で、予習なしで毎回授業を受けていたのですが、授業を聞くだけでだいたい理解できました。

高校時代の数学の先生は2人いました。一人の先生は今述べた「教えるのが上手な先生」、しかし残念ながらもう一人の先生は教えるのは下手でした。下手というよりも

一人よがりの先生で一人で勝手に黒板を書いて一人で勝手に説明して、一人で勝手に問題を解決して「いいですね~」と言っているような先生でした。

もちろん授業を聞いてもさっぱりわからず、結局僕は職員室に「授業の上手な先生」に質問して解決していました。

当たり前ですが、生徒は先生を選べません。

どんなに教えるのが上手な先生がいても、その先生の授業を受けることができるとは限りません。運悪く僕のように、「授業の下手な先生」に当たってしまうことも、多々あります。

もうこればっかりは「運」としか言いようがありません。


話は変わり・・・ 大学時代へ。

大学へ入り、1年生のときは「教養科目」を習いました。いわゆる「一般教養」という科目です。

僕はこの一般教養の授業は、最初の数回出席しただけであとは「欠席」の授業が約半分でした。僕にとって全く興味の沸かない授業で、「時間の無駄だな」と判断し

4月で約半分の授業には見切りをつけました。その空いた時間を使って、下宿から徒歩2分の所にある「五十嵐浜」でギターの弾き語りの練習をしていました。

英語の授業だけは、「単位を落とすと来年も取らないといけないし、一番面倒な科目」だったため、真面目に授業を受けていました。成績は「優」でした。

フランス語の授業も毎回出席して勉強しました。フランス語の評価も「優」でした。

サボっていた半分の授業は、ほとんどがテストではなく「レポート」だったため、友達のレポートを見せてもらって書いたり、図書館で調べて書いたり、先輩の1年生のときのレポートを見せてもらって、書いて提出していました。

ほとんどが「良」でしたが、ちゃんと単位はもらえました。無事2年生に進級できました。

ところが2年生で僕の大学生活は一変してしまいました。


「数学科でトップになる!」と同じ数学科の友達に豪語していた僕は、心を入れ替え数学の授業や「音楽科教育法」「体育科教育法」「社会科教育法」「国語科教育法」「理科科教育法」

などの教育学部専門の授業に全部出席し、真剣に授業を聞いていました。

ところが「数学科の専門の授業」がさっぱりわからず、見事に落ちこぼれてしまいました。

まず、授業が長い。90分授業なのですが、数学科の先生の授業がことごどく何を説明しているのか理解できず、僕はそこで初めて「勉強がわからないことは、こんなにもみじめで苦痛なのか…」と実感しました。

はっきり言って教え方が「下手」を通り越えて「念仏」のように聞こえました。そのときに僕は「高校時代、先生に恵まれて俺は本当に幸運だったな」としみじみと思いました。

もし高校時代、大学の数学科の先生に「高校数学」を習っていたら、間違いなく僕は落ちこぼれていたと思います。

結局僕は、テスト期間になると、同じ数学科の頭のいい友達に1から大学の数学を教えてもらいました。その友達は教えるのがとても上手でした。

そして、なんとか僕は数学科の単位をとることができ、「中学校数学教諭第2種免許状」を取得することができました。友達のおかげです。今でも友達には感謝しています。

(ちなみにその友達は今は富山県で小学校の教頭先生として働いています。)


話は変わり、僕は大学時代、「夏休み」「冬休み」「春休み」は富山に帰省していて、「富山大学に通っていた高校時代の友達」が某塾で塾講師のアルバイトをしていたつながりで

その塾で「夏期講習」「冬期講習」「春期講習」の非常勤講師のアルバイトをさせてもらっていました。

僕の初めての塾講師デビューは、大学1年生の夏休み、「呉羽中学校の生徒さん」に夏期講習の授業をしていました。

当時の塾に来ていた生徒さんの名前と顔は、全員ではありませんが、今でも覚えています。

最初は生徒さんの前に立つと緊張から舞い上がってしまい、自分が何を話しているのか?全く覚えていないほどのひどい授業でした。

もちろん、授業の前に家で問題を一通り解いて、板書計画(黒板に何を書いて説明するのか)を立てるのですが、授業中に生徒さんから質問されると、しどろもどろになってしまい

予定していたことを十分に説明することができなかった、という苦い経験を何度もしました。

夏期講習が終わり、アルバイト料金として75,000円ほどいただきました。 そのお金は「9月から通う、自動車学校の学費」の一部として使わせてもらいました。


大学1年生の9月からは新潟県吉田町という所にある,中規模の塾で中学2年生に数学を教えていました。クラス授業を担当し、楽しい授業をしていました。

富山に帰省するたびに某塾の「新庄校」「奥田校」「山室校」「奥田北校」などなど、いろんな教室で中学生に数学と英語を教えていました。

とても貴重な経験だったと思います。

新潟では大手の塾の「三条校」「三条南校」で2年間塾の講師をさせてもらいました。

僕が学生であると同時に「講師」でもある、という両方の経験ができた、貴重な大学時代でした。

高校生の家庭教師もしていました。

もちろん、「学生家庭教師」なので、教え方は素人でしたが、素人なりに準備して一生懸命に教えていました。

当時は、大学卒業後は小学校の教員になりたい、と思っていました。 つづく
2026年08月07日 15:44