連立方程式が解けない浪人生が数学の全国偏差値63にまで上がった話
僕は29歳のとき、新潟県上越市に住んでいました。今日はそのときにインパクトのあった生徒さんの話をさせていただきたいと思います。4月に僕は某大手家庭教師派遣会社に所属していました。
そのときに「浪人生」の指導を担当させてもらいました。
その浪人生は職業科の高校を卒業したあと、どうしても大学に行きたいため、予備校に通っていました。
しかし高校時代に全く勉強をしていなかったことと、そもそも職業科の高校出身だったため高校では習っていなかったことを予備校で普通に習うため、予備校の授業に全くついていけず
4月の段階で予備校の授業に見切りをつけ、家庭教師をメインに受験勉強する、という体制に切り替えていました(授業料を納めていたため、予備校には一応通っていました)
僕は、その浪人生を紹介されたとき、会社の人から次のように説明されました。
「とりあえず、全く予備校の授業にはついていけていません。特に英数は厳しいです。ちなみに4月にあった模試では数学の点数は200点中の6点でした。
佐伯先生には中学校の数学から丁寧に指導してほしいと考えています。できますか?」
僕は「はい。やれるだけやってみます」と言いました。
その浪人生の授業は2時間授業を週に3回。日中に指導することになりました(夜は中学生・高校生の指導をしていました)
僕は初回指導のときに、「とりあえず、この問題を解いてもらえる?」と言い、連立方程式の加減法の問題(中2レベル)を解いてもらいました。
すると彼はとりあえずさらっとその問題を解きました。僕は内心「よかった」と思い、続けて代入法の問題を解いてもらいました。
すると彼は「…わかりません」と言いました。
「えっマジで?!」僕は一瞬固まりました。そうか、確かにこのレベルでは模試で6点取って来るはずやな、と確信しました。
とりあえず4月・5月は中学生の数学の計算問題を徹底的に復習しました。当時彼は「東京工芸大学に行きたいです」と言っていました。偏差値にして45~55くらい。
僕は「今のうちに正直に俺が思ったことを言わせてもらうけど…はっきり言って今の成績は話にならんよ。まず無理だよ。週に3回の俺の家庭教師の宿題を完璧に1年間やれる?」
と聞きました。彼は「はい、頑張ります」と言いました。「わかった。じゃあ東京工芸大学目指して頑張ってみようか」と言いました。
6月に入り相変わらず予備校の授業は全くついていけていませんでした。そりゃそうでしょう。連立方程式も解けないのに高校の授業を一通り終えていることを前提に授業をしているの
で、わかるはずがない。逆にわかったら怖い。
僕は数学Ⅰ・Aを優しめなワークから説明し、例題をある程度解いてから「じゃあこの問題解いてみるけ」と言って青本(駿台予備校の出しているマーク式のセンター試験対策の模試を
集めた問題集)をガンガンに解いてもらいました。週に3回家庭教師があったので、毎回授業の終わりに3~5時間くらい分の量の宿題を出しました。
彼は深いため息をつきながらも、とりあえずわからないなりにその青本の問題を解きました。
僕は「センター試験で必要な数学を解けるようになるには、マーク模試を徹底的に解かせるしかないやろ」と思い、カンタンな問題は授業中で終え、あとはひたすら青本を解いてもらい
ました。1月のセンター試験まで残された期間は7カ月しかありません。普通の高校生みたいにチャートを時間をかけて解いている余裕などありません。
青本が終わると次は黒本(河合塾のセンター試験対策用のマーク模試)をガンガンに解いてもらいました。
7月の模試では数学の全国偏差値はかろうじて40台に届き始めました。
僕は文系出身なので、彼の指導はセンター試験数学のみ。もう一人の家庭教師の先生は化学と英語を指導されていました。
彼は確かに200点中6点しか取れないスタートだったのですが、教えたことはまずます理解できていました。あとは宿題を毎回ちゃんとやっていたので、もしかしたら伸びるかもしれん、
と僕は思っていました。
夏休みが終わり、9月に入るころには数学Ⅱ・Bの勉強を始めました(数学Ⅰ・Aに関しては70%くらい終えたところで数学Ⅱ・Bの指導に切り替えました)
数学Ⅱ・B、に関しては僕は「微分・積分」から指導を始めました。センター試験に必ず出て、配点も高かったためです。
微分の仕方、積分の仕方。接線の式の求め方(2通り)、面積の求め方を一通り教えたあと、青本の問題を宿題に出しました。ただし、正答率の低い問題(各問いの最後の方の問題)は
飛ばしました。
こうして、「微分・積分」「ベクトル」「図形と方程式」「三角関数」「指数・対数関数」を1つずつ指導していきました。難しい「数列」に関しては等差数列・等比数列まで。
Σは指導しませんでした。あくまでも当時のセンター試験レベルに届くか届かないかくらいまでの範囲しか指導しませんでした。とにかく「要領」を重視して指導していました。
そして11月に入るころには「センター試験の過去問」を解き始めました。そのころには彼の全国模試の数学の全国偏差値は55まで伸びていました。
僕は「やればできるもんだな。頑張っとるな」と少し安心していました。とりあえず数学に関しては東京工芸大学には届いていました。
こうして12月もセンター試験の過去問、新たな青本・黒本をひたすら解いてもらい、最後の模試では数学Ⅰ・A・Ⅱ・Bの全国偏差値が63にまで伸びていました。
彼は結果、「センター利用」試験で東京工芸大学に見事合格されました。
僕はこの1年を振り返り「センター数学だったら、努力次第では偏差値60くらいまでは伸びるもんなんやなぁ」としみじみ思いました。
あくまでもセンター試験レベルまでの話です。国公立大学の2次レベルでの話ではありません。
こうしてセンター数学の指導に自信を持った僕は、富山県に帰って来てから福光で「センター数学専門塾」を開き、福光・福野に住んでいる高校生(福野高校・福光高校の生徒さん)
にセンター数学の対策授業を展開しました。授業の仕方は上越時代と全く同じ。ある程度基礎を教えてからはひたすら青本・黒本の問題を解いてもらいました。
あとは予備校の先生が書かれた本を徹底的に勉強して(坂田アキラ先生の本、志田晶先生の本, 代ゼミ今野先生の本)、「センター数学ノート」を作成して、本屋さんに置いてあるセンター
数学の問題集はほとんど購入し、毎日4~5時間、「センター数学」の勉強をしていました。何かにとりつかれたように数学の勉強をしていました。センター数学ノートは9冊作り上げ
ていました。特に坂田アキラ先生の「面白いほどわかるシリーズ本はめちゃくちゃわかりやすく、鳥肌が立ちました。
今野先生のセンター数学対策本も、迫力があり、うなりながら勉強させてもらいました。
自分で言うのもなんですが、当時僕はものすごい結果を出し続けていました。
進研模試(11月実施)の数学の全国偏差値が49の福野高校1年生の女子生徒さん→1月の進研模試の数学の全国偏差値が63にまでUP
福野高校での順位が120番→12番になり、それを聞きつけた福野高校1番の生徒さんが入塾してくれました。
福光高校の1年生(夏休みに入塾:7月の進研模試の全国偏差値40→1月の進研模試の数学の全国偏差値が64)
同じく福光高校1年生の女子生徒さん(7月の進研模試の全国偏差値38→1月の進研模試の数学の全国偏差値が55)
福野高校1年生の女子生徒さん(10月入塾)は7月の進研模試の全国偏差値42。学校の授業に全くついていけません。と言って入塾。→1月の進研模試の数学全国偏差値が58)
などなど、ことごとく生徒さんの数学の偏差値がUPしていきました。楽しかったです。
当時の僕の塾「佐伯ゼミナール」の高校生数学の評判は確かなものでした。
残念ながら「センター試験」が終わり「共通テスト」に切り替わったところで、問題を一瞥して僕は「終わった。もう俺の授業では共通テストでは結果が出せないな」と見切りをつけ
現在は高校生の数学の指導は一切行っていません。とても残念な話です。
僕が一番ショックを受けました。 今の共通テスト(数学)を目にすることはもうありません。
数学の努力が全く報われない共通テストの数学の問題。あれでは一生懸命に頑張って勉強している生徒さん(特に文系の生徒さん)が、あまりにもかわいそうです。
それくらいに傾向が全くガラッと変わってしまった共通テスト。
僕が高校生に指導することはもう二度とありませんが、センター試験時代は面白いように教え子さんの数学の成績が上がっていきました。
今は「平均点以下の中学生」の成績をなんとか平均点にまで上げることを第一の目標に、中学生の英語・数学・理科・社会の家庭教師を頑張っています。
PS:共通テストの数学の問題を見たときの衝撃は一生忘れることはないと思います。
2026年08月11日 00:11
