高校1年生8月5日 のりぴーin 富山サンビーチ
高校1年生の春から本格的なのりぴー(酒井法子)ファンになった僕は、過去ののりぴーのCDアルバムをレンタルしてきて、カセットテープに録音していました。当時、のりぴーは東京にある堀越学園高校の3年生でした(1971年2月14日生まれなので学年は2個上になります)
当時はのりぴーの人気が全盛期でした。 僕は部屋の中いっぱいに雑誌「明星」についていたポスターや甲子園の応援ポスターなどを部屋に貼っていました。
当時、平日24:15~24:30まで、のりぴーのラジオ番組「のりぴー気ままにセンセーション」が放送されていました。僕は毎日夜遅くまで起きていることができなかったため(毎日23時くらいに寝ていたため)ラジオ番組をタイマー録音していました。
そして翌朝に聞く、という毎日でした。 学校に行くと隣の席だったT君と2人でいつも「昨日ののりぴーなんか機嫌悪そうやったの~」とか「昨日のはがきの内容面白かったよの~」とか熱く語っていました。
のりぴー気ままにセンセーションというラジオ番組は15分間の番組だったのですが、その間にのりぴーの曲が2曲流れるため、実際にのりぴーが話している時間は5~7分くらいでした。毎回2通のリスナーからのハガキが紹介され、そのハガキの内容にのりぴーが答えるという内容でした。のりピーへの質問などがハガキのメインでした。
当時はまだインターネットがなかった時代だったため、のりピーへの質問(ハガキ)はすべて「KNB放送」へいったん郵送して、そのハガキがKNBから東京へ郵送される、というシステムでした。
高校1年生の夏に「のりぴーが富山サンビーチに来るらしい」という情報を聞きつけ、僕とT君、ほかの男子は「えっマジで!行きたい」と言い、友達たちとサンビーチのチケットを買い、来るべき8月5日を楽しみに待っていました。
そして8月5日の午後。 のりぴーが親衛隊に囲まれながらサンビーチの特設ステージに登場しました。
……第一印象はかわいい、というよりも、ちょっと怖かったです。目の周りがちょっと普通よりも濃く(化粧のせいなんかね?)T君の方をふと見ると、あいつは固まっていました。多分感動していたのでしょう。
僕たちは「のりぴー!」と声をかけることもできず、ただただ見とれていました。 FM放送の公開録音だったため、FM富山のスタッフの人たちもいました。
当日はのりぴー目当てに2,000人もの人が集まり、サンビーチ始まって以来の入場者だったとのこと。
のりぴーは「こんにちは。酒井法子です。プールの中は涼しそうですね!」と話し始めました。 そして「夢冒険」「ノレないTeenage」「GUANBARE」「雨粒は優しくて」「渚のファンタシィ」などなど、シングルを中心に合計15曲くらい歌いました。
僕は持ってきていた安物のカメラでなんと103枚ものりぴーの写真を撮りました。
のりぴーとの距離は5mくらいしかなく、かなり間近でのりぴーを見ていました。 僕たちはシーンとしてのりぴーの歌を聴いていました。かわいかったです。
のりぴーが去った後、僕たちはいろいろと感想を言ったりしていました。
家に帰って僕はすぐに「カメラのキタムラ豊田店」に行き、写真を現像してもらうために、フィルムを預けました。
夕方になり、のりぴーがFM富山のスタジオでゲスト出演して、いろいろ話していました。 僕は食い入るようにラジオに耳を傾けていました。
数日たち、カメラのキタムラへ写真を取りに行き、僕は写真を見ました。ところが…僕の安物のカメラではあの至近距離にもかかわらず、ほとんどのりぴーの姿は撮れていませんでし
た。小さく小さくのりぴーが写っていました。めちゃくちゃショックでした。
いじけていると、友達のH君が「俺の友達が望遠レンズでのりぴーの写真撮ったやつ見たら、めちゃくちゃ綺麗に写真仕上がっとったよ!」と教えてくれて、僕はその友達にお願いして、のりぴーの写真を2枚買わせてもらいました。
かなり大きいサイズで、僕はその2枚の写真を額縁に入れ、部屋に飾りました。のりぴー一色な毎日でした。
「酒井法子」と聞くと、たいていの人は「あっあの『青いうさぎ』の人け?」と言われるのですが、僕の中では 「高校1年生~2年生くらいの曲」が一番イメージしやすい、という気がします。
話は少し戻って…
僕は高校受験に失敗したあと、一高に入学するまでの春休みの間、かなり精神的に毎日動揺していました。 あ~第一か… 嫌だなあ、とイジけていました。
そんなときに偶然歌番組でのりぴーの当時それなりに売れていた「GUANBARE」という曲を聴いて、励まされて、それがきっかけでのりぴーのファンになりました。
それまでは南野陽子・中山美穂・工藤静香・浅香唯さん・チェッカーズ・TUBE、ハウンドドッグの音楽をよく聴いていたのですが、高校に入学してからは、それらに加えのりぴーの曲をよく聴いていました。
レンタル屋さんでのりぴーのアルバム(CD)を借りてきて、カセットテープに録音して、毎日のように聴いていました。
僕が高校1年生の夏にリリースされた「Lovely Times」というのりぴーのアルバム(CD)が僕が初めて買ったCDでした。 とにかく好きでしたね…
「歌のトップテン」という歌番組を毎週欠かさず見ていました。
のりぴーが売れ始めたきっかけは僕が高校1年生だった5月にチャゲ&飛鳥の飛鳥涼さんが作曲された「1億のスマイル」という曲でした。
「俺たちひょうきん族」にのりぴーが出演したときはビデオ録画し(時代を感じるなぁ)毎日復習していました(毎日見ていました)
自分が一番つらかった高校に入学する前に、のりぴーの曲に励まされ、やりきれない気持ちをのりぴーが救ってくれていました。
もちろんアイドルだったので、かわいい という印象もありましたが、「GUANBARE」という1曲に何度も励まされていました。
僕、個人的には、のりぴーの曲の中では、高校1年生の夏にリリースされた「HAPPY AGAIN」という曲が、一番好きです。
その歌は今でもよく聴くことがあります。塾が始まる前とか、なんとなく不安なときによく聴いています。
まあ, のりぴーはその後結婚→人生の間違いを起こしてしまい、今では全盛期ほどの存在感はありませんが、一応、応援はしています。
僕が高校1年生の夏に、こともあろうにのりぴーは「富士山の8合目」に「のりぴーショップ」を出していました。よっぽど人気があったのだと思います。
僕はもう高校生だったので、「のりぴーグッズ」は買えませんでしたが、毎日のようにT君と「のりぴーTalk」で盛り上がっていた日々は、楽しかったです。
当時の1年19組は先生がとても怖く、結局1年間「席替え」はありませんでした。
でも偶然、僕の隣の席にT君がずっと1年間いてくれたことは、同じのりぴーファンであった僕としては幸運なことでした。
2026年10月03日 08:39
