「第一わかば荘」の思い出
今日,富山第一高校対高岡第一高校のサッカーの試合(富山県予選決勝戦)を見にいくつもりで、チケットも購入していました。しかし、おとついからせきとくしゃみが止まらないため,応援に行くのを断念しました。
天気予報によると、今日の富山県の最高気温はわずか13℃。 応援に行けば、間違いなく風邪を悪化させるだろう…とういことで今回はあきらめました。
テレビを見て応援します。
さて、昨日とは違ってこの「寒さ」。北日本では雪が降るかもしれません、とテレビの天気予報で言っておられました。
この「寒さ」にはとても苦い思い出があります。
それは大学時代に僕が3年間住んでいた「第一わかば荘」という下宿時代の話になります。
僕は新潟大学に合格したあと、大学4年間を過ごすための「下宿」を探しに、新潟大学の生協へ行きました。
僕の家族の意見としては「寂しがり屋の僕の性格」を考慮して、「あんたはアパートとかでの一人暮らしは絶対に無理!大家さんにご飯を作ってもらえて、仲間がすぐ近くにいる下宿にしられ」 とのこと。
下宿とは、わかりやすく説明すると、大家さんがご飯を作って用意してくれる。
あとは同じ屋根の下に下宿人が住んでいるので、部屋をノックすればすぐそこに仲間がいてくれる。 ただし風呂・トイレは共用。
最大のメリットはアパートとは異なり部屋代が格安!というもの。
僕は生協を通して4件ほどの下宿をそれぞれの大家さんに紹介してもらいました。
どの下宿も、大学からはやや遠く(自転車で10分~15分かかる所に下宿がありました) イマイチ決めきれないでいました。
最後に紹介してもらった下宿が「第一わかば荘」という名の下宿でした。 とりあえず、見た目はボロボロ。今にも壊れそう(笑)
ただ、「第一」という名前が妙に気に入り(高校も富山第一高校だったため!) ネーミングに魅かれて「第一わかば荘」のお世話になることに決めました。
「第一わかば荘」は,木造建築で築40年はたっているような建物でした。
ただ、大家さんがわかば荘の紹介をしてくれたとき「とにかくわかば荘の大学生は毎日夕ご飯を1時間くらいかけて、楽しく会話しながら食べてるよ~」
この一言で僕は第一わかば荘に決めました。
家賃は2種類あり、「4畳半の部屋」と「6畳の部屋」がありました。
僕はわかば荘の2階にある「角部屋」が空いていたので、迷うことなく、その角部屋(狭い4畳半の部屋)に決めました。
1か月の家賃はなんと税込みで11,000円! 格安でした。
食事は「朝食」「夕食」つきで昼食と日曜日だけは食事が出ませんでした。 ご飯はお替りし放題。それで1か月の食費は25,000円でした。これも安い。
しかも大家さんが作ってくれる食事はとてもおいしく、朝食は朝8時~,夕食は18時~いつでも好きな時に食べることができる、というシステムでした。
光熱費も1カ月7,000円くらい。 まとめると、「家賃11,000円」「食費25,000円」「光熱費7,000円以内」 合計の下宿代+食費込みでなんと43,000円!
あとは昼食代と日曜日の食費を加算するだけ。
とにかく安くて僕の両親も安心していました。
夜は18時に下宿仲間4~5人で1時間くらいかけて、いろんな話をしながら楽しく食事。
その後は毎日のように友達の部屋に4人~5人で集まり「ファミスタ(ゲーム)」や「サッカー」のゲームをしていました。
まさに「毎日が修学旅行状態」 本当に楽しかったです。
ゲームをしながら好きな人のことや、バイトのことや、田舎自慢をしたり、毎日23時過ぎまで下宿仲間と過ごしていました。まさに「青春時代」
……ただ、この「第一わかば荘」1つだけとんでもない「弱点」がありました。
それは… なんと「冬は火事になるといけないので石油ストーブや暖房はいっさい禁止!」ということ。
確かに下宿を決める時に大家さんが「冬は危ないので石油ストーブは禁止です。電気ストーブだったら使えます」 と言っていました。
そのときは4月上旬でもう暖かい日常だったため、「新潟の冬」を想像することなく、浮かれていました。
夏場もクーラーはつけている人はほとんどいませんでした。扇風機で過ごしていました。
まあ当時は夏といっても、今ほど暑くはなく、我慢できるレベルの熱さでした。
BUT,冬は… 僕の住んでいた「第一わかば荘」は海のすぐそばに位置していました。
実際に冬を迎えてから知ったのですが(新潟大学は海のすぐそばにあります)
冬は風が強く、そのため雪はあまり積もりません。風で雪が吹き飛んでいきます。 それはありがたかったのですが・・・
とにかく寒い。 富山県人の僕としては「寒さには慣れているはず」でした。
しかしそれは「家の中は暖かい」から。
いざ真冬になり、「暖房がない部屋」は予想していたよりもはるかに寒かったのです。
しかもわかば荘は築40年くらいの建物。まさにめぞん一刻の「一刻館」のような古い古い木造建築。
すきま風もガンガン入って来るし、壁は「砂壁」 砂壁を「コンコン」とノックるすと、隣の部屋から「コンコン」と返事が返って来るような「うすい壁」でした。
とにかく寒い!あまりにもの寒さに、僕は部屋の中でコートや革ジャンを着ていました(笑) 部屋の中で息を吐くと「白い!」
冗談じゃない!こんな寒い部屋で冬を越えるのか…
とりあえず僕たちは、夕食後は秋田出身の友達の4畳半の部屋に4人~5人集まり、みんなして「寒いね~」 と言っていました。
ただ、5人くらいで2時間くらい話していると、吐く息で少しずつ「室内温度」が上がっていきました(笑えますね~)
秋田県人・長野県人など、寒い地域に住んでいた下宿人ですら、「わかば荘は寒い!」と言っていました。 よっぽど寒かったのだと思います。
とにかく海の近くに住んでいたので、風が強くて寒い。
まぁ「過ぎてしまえば楽しかった」と振り返られるのですが、今もしも第一わかば荘に住んで、と言われたら 間違いなく断ると思います。
僕は「ささやかな抵抗」として、小さな電気ストーブを試しに買ってみました。
「よし、初めて使う電気ストーブ。どれほど温まるのかな」と期待していました。
いざスイッチを入れて30分後。 「あれ、全く部屋の中、温かくならんぜ?」
買ってみて、いざ使ってみてからわかったのですが、「電気ストーブ」は半径50cmくらいにしか温かさは伝わりません。
ほぼ「間に合わない…」
仕方がないので、布団の中に入ってテレビを見ているときに、電気ストーブを近づけると、今度は「あれっ,なんか焦げ臭いな」
気がつくと布団が焦げていました。 「うわ~なんじゃこれ。こっちの方がよっぽど火事になるねけよ!」
結果、電気ストーブはすぐさま「却下」間に合わん。
仕方なしにまた「暖房器具ひとつない部屋」に逆戻り。 とにかく寒い部屋でした。
友だちがわかば荘に来るたびに「佐伯、この部屋寒いぞ!?こんな所に本当に住んでるの?」と同情してくれました。あとはウケていました。
「佐伯、ごめん。もう無理!」1時間ほどで友達は帰っていきました(笑)
…… この「親愛なるわかば荘」は僕が大学4年生に上がるときに、あまりにもの古さのため、「取り壊し」することになりました。
こうして僕の「第一わかば荘」時代は3年間で終止符を打ちました。
大学4年生になり、家賃31,000円のアパートに住んでのですが、このアパートは暖房が使える部屋でした。(当たり前といえば当たり前なのですが)
そのため、 大学時代最後の1年間だけは「温かい冬」を過ごすことができました。
暖房のありがたみをひしひしと感じた大学時代でした。
2026年11月07日 07:14
