個別指導形式の学習塾と家庭教師の寺子屋学習館|富山県射水市

わからない所が1つずつわかるようになる、達成感ある授業を心がけています。

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寺子屋学習館・伏木時代【前編】

高岡市伏木の貸家で個人塾を始めることになった僕は、まずは「生徒さん募集のチラシ」を作ることから始めました。

苦手だったワープロでなんとか原稿を作り、「白色のA4用紙に黒字1色」のチラシを作り、貸家を仲介していただいた不動産の方に、僕が手書きで書いた寺子屋学習館の地図(高岡市伏木本町にある一軒家)をワープロで作ってもらい、チラシが完成しました。

できあがったチラシを見て「お~これがチラシか!」と感動しました。

次は「印刷をどこにしてもらうか?」ということになり、電話帳で富山県内の印刷会社に1件ずつ電話をかけ「すみません。A4用紙の黒1色のチラシを2,000枚印刷お願いすると、いくらになりますか?」と聞いて回りました。

20件くらい聞いて、その中で1番安かった印刷会社を見つけ、その印刷会社にチラシを印刷してもらいました(下村にある印刷会社でした)

出来上がったチラシを車に積んで、「北日本新聞」「読売新聞」の「伏木エリア」の朝刊に「折り込みチラシ」を入れてもらうことになりました。

チラシを新聞に入れてもらうときは「折り込み代」がかかります。当時はチラシ1枚につき2.8円かかりました。(チラシ枚数×2.8円)プラス「消費税」という計算になります。


1999年3月。いよいよチラシを入れてもらう日が決まり、新聞にチラシを入れてもらった日の朝、僕は「電話かかってこないかなぁ」と不安と期待の入り混じる中、電話を待ちました。

 今の寺子屋学習館(大門)のチラシには「問合せ電話番号」はフリーダイヤルの番号になっていますが、当時の寺子屋学習館・伏木校の電話番号は「PHSの電話番号」でした。

「フリーダイヤル」という発想がなく、PHS(時代を感じるなぁ)の電話番号で生徒さんを募集していました。

ドキドキしながら電話を待っていると、PHSが鳴り響きました。「来た!」と思い電話に出ると「新湊高校3年生になる女子の生徒さんの親御さん」からの問い合わせの電話でした。


「伏木駅」で後日待ち合わせして、僕はスーツ姿で生徒さんと親御さんと会い、寺子屋へ来てもらい「初めての入塾説明会」を行いました。

当時の彼女の成績は高校2年生3月にあった学研模試(マーク模試)の5教科の全国偏差値が49.8でした。

「秋田大学など、国立大学へ行きたいのですが…」というご要望でした。「どの教科も特別悪い教科はないですね。全部偏差値50近く。1年頑張れば何とかなるかもしれません」と僕が

話しました。「警察官になりたい!」と彼女は言っていました。大好きだったエレクトーン教室を辞め、勉強に専念します!と気合十分でした。

春休み、ひたすら「ベクトル」の勉強をしました。そして3年生を迎えました。

 チラシは3回入れました。その3回で「中学3年生3人。高校生4人(新湊高校3年生・氷見高校3年生・伏木高校2年生・大門高校2年生)合計7人での「寺子屋学習館・伏木校スタート」を切りました。


当時の寺子屋学習館の「宣伝文句」は「各学年5人以内の少人数指導スタイルの塾です」というものでした。

中学生・高校生ともに「ホワイトボード」を使って僕が説明しながら授業を進めていく」という授業スタイルでした。

今は僕は中学生の授業を担当していますが、当時は高校生の数学・英語も僕が教えていました。無我夢中で教えていました。ただ、貸家だったこともありとてもアットホームで少人数でもあったので(高校3年生は2人しかいなかったので)雑談を交えながらでの授業でした。


 1学期が終わり、夏休み。当時は中学3年生の授業は午前9時~12時まで。高校生の授業は午後2時~6時まで、という「長時間授業」でした。

2回ほど中3生の授業が終わった後、「いしずやラーメン」へみんなでラーメンを食べに行きました。確かラーメンが400円という格安の店だったと思います。美味しかったです。

伏木は「海沿いにある町」だったため、国分浜(こくぶはま)でバーベキューをしました。塾生と僕とで楽しいひと時を過ごしました。

かなり「アットホームな塾」だったと思います。僕が若かったこともあり、生徒さんとの距離はかなり近かったのかな、と思います。

こうして夏休みが終わり、2学期へ突入していきます。
2023年08月15日 10:53