2000年 再び「富山県家庭教師協会(高岡事務局)」へ
伏木での1年間を過ごした後、「これからどうしよう…」と僕は迷っていました。教える仕事が好きだったので、ハローワークで「塾講師」の求人を探したりしていました。1社だけハローワークで紹介してもらいましたが、残念ながら不採用で、採用はしてもらえませんでした。
「もう1回家庭教師協会のお世話になれないかなぁ」と思った僕は、前回の「富山県家庭教師協会富山事務局」ではなく「高岡事務局」に応募しました。
担当の方が富山事務局とは異なるため、何とか採用してもらえました。
「また1から頑張ろう!」と思い今度は高岡市・大門・小杉エリアを中心に家庭教師を始めました。
この「富山県家庭教師協会高岡事務局」で僕は恩師に出会います。大変よくしていただきました。教員時代の話とかも丁寧に聞いてもらったり、仕事の悩みにのっていただいたり、大変お世話になりました。
担当する生徒さんは主に中3生と高校生でした。
富山事務局での「仕事量の多さ」を振り返り、今回は1日生徒さん2件まで(平日)にしてもらいました。
そして今回は土日を休みにすることにしました。代わりに平日の日中に「弁当の配達」のアルバイトを午前中のみしていました。
当時、僕には付き合っていた彼女がいて、彼女は上越で教員をしていました。「富山ー上越」の遠距離恋愛だったのですが、土日に僕が上越へ行くことが多く、大学を卒業してからの付き合いだったので、これこれ5年の月日が流れていました。
当時は彼女が将来的に富山へ来て教員試験を受け直し、僕は家庭教師を続ける、という考えだったのですが、「教員を辞める」という選択があまりにももったいないと判断し、「じゃあ俺が新潟県に行くよ」という話にまとまりました。
2000年の1年間僕は高岡で家庭教師をしていたのですが、年末に上司に「実は、結婚を考えている人がいて、入試が終わったら上越へ行くことになりました」と伝えると、
「そうですか。こちらとしては残念ですが、仕方ありませんね。ところで上越へ行かれた後は仕事はどうされるのですが?」と聞かれたので、「上越で塾講師など探してみます」と僕が
言うと「じゃあ上越事務局で家庭教師をされたらいかがですか?紹介状書きますよ」と提案してくれました。
「えっ,いいんですか?」と僕は少し驚いたのですが、「家庭教師協会は全国に事務局があるので大丈夫ですよ」と言ってもらえました。
こうして2001年3月、僕は富山県を去り、「新潟県家庭教師協会上越事務局」のお世話になることになりました。
以前のブログでも書かせていただきましたが、「上越で1年間続いたら、結婚しよう」と当時の彼女と約束し、僕は上越へ旅立つことになりました。
いよいよ結婚か…と期待を膨らませながら僕は上越へ出発しました。2001年3月末、28歳のことです。
2023年08月19日 09:46