個別指導形式の学習塾と家庭教師の寺子屋学習館|富山県射水市

わからない所が1つずつわかるようになる、達成感ある授業を心がけています。

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2004年5月 32歳 富山市・福光にて【後編】

 富山市の家庭教師は満杯になり、生徒募集をストップさせていただきました。
 
担当の方も「佐伯君の担当する生徒はみんな回数が増えとるね?どんな授業しとるが?」と興味津々で聞いてこられていました。
 

  5月が過ぎ6月に入り、僕は月曜日~日曜日までフルに仕事をしていました。とても充実感があり、借金も順調に返済していっていました。
 
 ところが… 7月に入り、ある日のことです。僕はシャワーをしていると、左耳の具合がおかしく、「ザーザー」と音が鳴っています。
 
「なんだろう…?」と思っていると今度は僕の左耳の中で「電話のプッシュホンを押しているような音」がし始めました。

「ピッポッパッ」僕は「これはおかしいぞ」と思い、冷静に考えました。
 
 どうやら僕の左耳の具合がかなり悪い状態になっているようです。僕は急いで病院へ行きました。
 
 症状を受け付けでお伝えすると「耳鼻科へ行ってください」と言われました。
 
耳鼻科へ行き、先生に話すと「聴力検査をしましょう」と言われました。右耳と左耳と順番に高い音・低い音,大きい音・小さい音などがヘッドホンから聞こえてきます。

聞こえると手元にあるボタンを押す、という検査でした。検査の結果、先生は「急性低音性障害感音難聴」ですね。と言われました。

僕はストレスからくる難聴になってしまったのです。
 
先生は僕に「毎日連続で7時間以上眠れる日が1カ月続くまで働いてはいけません。ドクターストップです。ここでしっかり治さないとずっと治らない難聴になってしまいますよ。」とおっしゃいました。
 
 当時の僕は毎日4時間~5時間睡眠でした。僕はびっくりして「7時間ですか?」と聞き返しました。「はい。最低でも7時間連続して寝れるようになるまでじっくり治してください」と言われました。
 
 「パニック発作の次は難聴か・・・」僕はがく然とし、「とりあえず家庭教師をどうするか?報告しなければ」と思い、そのまま塾へ行きました。
 
担当の方が「そうか。それは困ったね。佐伯君はどうしたい?」と聞かれたので「はい。7時間連続して1カ月眠れるようになるまで、家庭教師は休ませていただきたいのですが…」と伝えました。
 
「よし、わかったよ。とにかく休まれ。担当の生徒さんについてはこっちで何とかするから」と助けてくれました。
 
こうして僕は家庭教師をいったん辞め、そして福光の塾をどうするか?考えました。「この際、思い切って休もう」

家に着いてすぐ「佐伯ゼミナール休塾のお知らせ」を保護者様あてに書き、郵送しました。

 
 ただ、いつまで休塾するのか?こればかりはわかりません。「7時間連続して1カ月眠れるようになるまで休ませてください。」と各家庭に後日電話しました。
 
高校3年生は入試があるため、いつまで待てばいいのか?わからないため、皆塾を去っていきました。仕方がありません。僕は深くお詫びしました。
 
 残ったのは1・2年生です。2年生も3年生同様、僕の状態を説明すると皆、塾を辞めていきました。
 
僕は申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
 
 
高校1年生だけは残って僕が復帰するのを待ってくれていました。そうしている間に新たに高校1年生が2人、入塾してくれました。
 
難聴で療養中の僕はうれしさと同時に「早くこの難聴を治さなければ!」と思いました。
 

 2週間がたったころ、僕の難聴はおさまり、熟睡もできるようになりました。
 
そして1カ月半休んだ後、僕は福光に復帰しました。
 
こうして夏休みになり、僕は福光ベルでの高校1年生の授業のみが仕事になりました。 難聴から復帰し、僕の前には福光高校1年生の生徒さんが3人のみになりました。
 
家庭教師は他の先生方が僕に代わって指導されていました。
 
「とりあえず働きすぎないように気をつけよう。」と僕は自分に念を押し、週に3回福光ベルで高校1年生の授業をすることにしました。
 
1回の授業時間は3時間です。3時間もあるので、今まで以上に密度の濃い授業をすることができるようになりました。
 
 収入は激減しましたが、僕は「1年生を一生懸命に教えよう」と思っていました。 高校1年生は3人とも7月にあった進研模試の数学の全国偏差値が30台・40台という有様でした。
 
基礎の基礎から教えていき、「2次関数」を最初から1つずつ丁寧に教えていきました。
 
 1年生のガッツが実を結び始め、1月にあった進研模試で数学の全国偏差値は3人とも55を超えていきました。偏差値60台の1年生も1人いました。
 
 
一方、家庭教師の方も少しずつ生徒さんが増え始め、僕は中学3年生を中心に指導していました。
 
秋が過ぎ、冬を越え、そして3月を迎え無事高校入試が終わり僕はホッとしました。「今年も大変な1年だったなぁ」と思いました。
 
夏には、映画「世界の中心で愛を叫ぶ」が大ヒットした年でもありました。
2023年09月03日 05:55