個別指導形式の学習塾と家庭教師の寺子屋学習館|富山県射水市

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忘れもしない小学校5年生のときに受けた屈辱

僕は小学校2年生~中学校3年生まで、サッカー部に所属していました。今とは違い細くてスリムな体でした。

自分で言うのも何ですが、僕が小学校5年生のとき、僕たちの小学校は富山県の大会で準優勝しました(決勝戦は新庄小学校に1-0で負けました)

毎日、学校が終わると部室にランドセルを置いて夕方4時~ナイター設備も整っていたので夜8時まで練習していました。土日はほとんど試合があり、僕の小学校は「育成リーグ」

という富山市の小学校が中心となって作ったリーグに所属していました。 リーグ戦を前期と後期に分けて、全12チームくらいで2回ずつ戦いました。

前期と後期で合計22試合します。 僕らの小学校は6年生のときは、20勝2引き分けで優勝しました。あれだけ練習していたら、そりゃ強いよ、と当時は思っていましたが、僕は勝ってもそんなにうれしくはありませんでした。

僕は小学5年生からゴールキーパーをしていました。当時ドッジボールがうまかったので、監督に「キーパーやってみるか?」と言われ、キーパーをすることになりました。

とても強いチームだったのですが、僕はとにかく試合が大嫌いでした。理由は、当時のサッカー部の監督がものすごく怖い監督で、平気でビンタをされたり、一番怖かったのは

名指しで子供を呼び出して、みんなの前で思いっきり腹をけり上げる、という暴力的な監督だったからです。

子どもながらにその「蹴り」があまりにも怖くて、僕たちは誰かが監督に呼び出されて暴力を受けるのを見るたびに、ふるえあがっていました。(今それをすると大問題ですね)


夏休みが一番最悪で、朝8時~正午まで練習。そして午後は2時~7時まで練習。そして最後にグラウンド20周 という、とても小学生のする練習量ではありませんでした。

僕はサッカーがしたくてサッカー部に入ったのですが、5年生のときにその「怖い暴力監督」が監督になってからはサッカーがただの「恐怖タイム」になってしまいました。

当時は今みたいに「給水タイム」もなく、のどをカラカラにしながら練習していました。

幸い僕は真面目に練習に取り組んでいたので、その監督から「腹を蹴られる」ということはありませんでしたが、小学校を卒業するまで、とにかく怖い毎日を過ごしていました。


大人になってからでも、偶然その監督とたまに会うのですが、僕の顔はひきつっていました。数年前に亡くなられたのですが、とにかく怖い監督でした。


 小学校5年生のとき、僕たちは金沢まで練習試合に行きました。そこで「屈辱的な試合」をする羽目になりました。

僕らは5年生チームです。 監督が何を血迷ったのか、「金沢南チームの6年生と今から練習試合するから」と言われました。

当時の「金沢南チーム」は金沢市のFCチームで、金沢の小学生をスカウトして作ったチームでした。そのチームはなんと、その年の夏休みに行われた「全国大会」でベスト8に入った

強豪でした。 そんなもん、試合する前からぼろ負けだねよ、と僕らは皆思っていたのですが、怖い監督の決めたことなので従うしかありませんでした。


 小学生で5年生と6年生と学年が1つ違うだけでも全然レベルが違うのに、まして相手は全国ベスト8のチーム。

僕は「マジかよ。何点取られるんよ・・・」と半分あきれかえっていました。僕はその試合でキーパーをしていました。

前半20分、後半20分ハーフの試合です。 試合が始まり3分くらいであっさり先取点を奪われました。「やっぱり全国区のチームは違うな」と思いながら試合を続けていると、なんと

相手のゴールキーパーが自軍のゴールを空け、攻めてきました。「くそっ、こいつらなめやがって!」と僕はイライラしましたが、相手が強すぎて僕らは攻められっぱなしでした。

前半だけで4点取られたところで、相手のキーパーはなんとセンターフォワード(エースがとるポジションです)にいるようになりました。

 そして前半15分くらいに、とうとう僕らはその「キーパー」に点を入れられてしまいました。

相手のキーパーに点を入れられる、という経験を僕たちはしたことがなかったので、めちゃくちゃ悔しかったです。

1点だけならまだしも、そのキーパーはずっとゴール前にいて何本もシュートを打っていきます。 その結果、なんと僕たちはそのキーパーにハットトリックをされました(3点入れられました)

これ以上ない屈辱でした。 こんな試合をセッティングした監督が心から憎かったです。

前半だけで10点くらい取られ、僕はもうむなしくてずっと下を向いていました。

ハーフタイムになり、監督がみんなの前で「ゆうすけ、お前何ふてくれされとるがんよ!ちょっとこっち来い!」と怒鳴られました。

僕は「うわ、これ腹蹴られるな」と思いました。案の定監督は足を振り上げました。 僕は次の瞬間くるっと体を反転し、腰を思いっきり蹴られました。

腹ではなかったのでたいして痛くなかったのですが、相手のキーパーに3点も入れられるわ、監督に蹴られるわで人生最悪の試合でした。プライドをズタズタにされました。


僕はこの話を大学生の時に友達何人かに話しました。友達は全員「それはひどいね…俺たちはそんな教師にはならんとおこうね」と言っていました。

僕は大学時代教育学部だったので、児童心理とか体罰とかについて、嫌になるほど教育されてきました。教育実習も3回行き、現場の先生方から子供のしかり方などについてもたくさん

指導を受けてきました。体罰はもちろん厳禁で、怒鳴り散らすのももちろんダメ。かといって優しすぎても舐められるのでダメ。こういうときはこういう風に注意しなさい、などなど

かなり厳しく指導されてきました。

そのたびに僕は自分の小学校時代のサッカー部のことを思い返していました。「あれは明らかに間違っていたなぁ」とようやくそこで間違いに気づきました。

今となっては思い出したくもない「過去」ですが、だからこそ、僕は「あの監督のような指導者には絶対になりたくない!」と思っています。

教師が子供をしかるのは、「それだけ自分の教育力が劣っているから、子供に自分の熱意が伝わっていない証拠。それは教師の負け」といつも思っています。

もちろん、命に関わるような場面では大声でしかることも仕方ないですが、原則「大声を出したら教師の力不足」と認識しています。


 僕は自分の暗黒の小学校時代を忘れず、監督を反面教師にして、理由もないのに怒ることは絶対にしないでおこう、と決めています。

実際に塾で僕が怒ったのは、塾生が授業中にもかかわらず寝ていたときだけです。さすがにこのときは「トイレ行って顔洗ってこられ」と注意しましたが、それ以外でしかったり怒ったりしたことはありません。

「勉強がわからないから塾へ来ている」という前提で生徒さんと向き合っているので、勉強がわからないから怒ることもまずありません。

わかるまで手を変え品を変え教えるだけです。

教員時代も子供を怒鳴ったり体罰をしたりしたことはありませんでした。

とにかく塾へ来てくれている生徒さんがのびのびと勉強できること、を大前提に授業をしています。

わからないときは「わかりません」と言えるような雰囲気の授業作りを心がけています。

・・・・・・金沢で小学5年生のときに受けた「屈辱」を一生忘れず、生徒さんに寄り添った態度で授業をこれからもしていこうと思っています。
2023年10月30日 12:35