個別指導形式の学習塾と家庭教師の寺子屋学習館|富山県射水市

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国立大学合発表前に僕たちは・・・

高校3年生の3月上旬。新潟大学の合格発表の前、僕は高校時代の友達と3人で、「合格発表まで落ち着かんの~」と言っていました。

卒業式が終わり、新潟大学の合格発表までの数日間、僕と友達は発表前の「落ち着かない日々」を送っていました。

そんなとき僕を含め3人で、とりあえず呉羽にある城山へ登り、富山平野の景色を見下ろしながら僕が「今から金沢までチャリで行くか??」と提案しました。


今も仲の良い友達は「いいねぇ。行こう!」と賛成。もう一人の友達は「お前らにはついていけん。行ってくれ。俺はやめておくわ」と言い、家に帰っていきました。


 僕と友達2人は、「よし、じゃあ今から行こうぜ!もやもやして落ち着かんし発散するか!」と言い、富山駅を正午ごろにスタートしました。

地図も持っていなかったので「とりあえず道路の青い看板見ながら行こうぜ」と言い、何も考えずに金沢へ向かって行きました。


 どの道をたどって金沢へ向かったのか、今でも覚えていないのですが、8号線ではなかったことは確かです。

多分、国道359号線か、適当な道を看板を見ながらチャリでひたすら進みました。

合格発表前の僕たちは2人とも私立大学は不合格だったので、この時点ではまだどの大学にも合格していませんでした。


 当時のその日に撮った写真を見返すと「庄川」と書いてある看板の前で写真を撮っており、(どの道なのかはわかりませんが)庄川の地点で休憩をして、そこから再び金沢へ向かい自転車で進みました。

天候は晴れで暖かく、僕と友達2人は「なかなかいいね!」と言いながら田舎道をひたすら金沢へ向かいました。


 ところが途中でとんでもない山道にさしかかり、この山道(多分くりから峠だったのだと思います)で僕たちは大苦戦しました。

自転車をひいてひたすら山道を1時間くらいかけて進みました。


石川県に入ったのは夕方になっていました。

それからも僕たちはひたすら金沢へ向かいました。 

そしてようやく午後6時前に僕たちはなんとか金沢駅へ着きました。ちょうど「千代の富士」が相撲をとっていたので、「結びの一番」だったのだと思います。

正午に富山駅を出て夕方6時前に金沢駅に着きました。 約6時間の「格闘」でした。


疲れ果てていた僕たちは金沢駅に自転車を止めて、そして電車で金沢駅から富山駅へ帰りました。


無事家に着いて父親に「金沢までチャリで行ったんやけど、金沢駅にチャリ置いてきたから、取りに行ってくれんけ?」とお願いしました。

父は半分あきれながら「お前、発表前に何しとるがよ!」としかられましたが「発表前で落ち着かんから金沢まで行ったんやちゃ」と 言い訳をしました。

そしてその日の夜、ワンボックスの車で父と二人で金沢駅まで行き、2人分の自転車を車に乗せて、無事帰ってきました。


昨日の北日本新聞に、高校別の大学合格者の人数が一覧表になって掲載されていました。

当時を懐かしく思いながら記事を見ました。

いっしょに新潟大学を受けた友達は、福岡県にある公立大学へ進学することになりました。

先日、その友達と彼の奥さんと3人で食事会を開き「そういうこともあったね!」と昔話をしていました。

今のこの時期、たいていの高校3年生はもう進路が決まっていることと思います。

大学へ進学される生徒さん、専門学校・短大へ進学される生徒さん、就職される生徒さん、もしかして浪人されることになった生徒さんなど。


4月からは仲間とは離れ離れになる生徒さんが大多数かと思います。富山県を離れる生徒さんもたくさんいることと思います。

どの道へ進んでも新たなる目標に向かって突き進んでください!
2024年03月13日 07:39