パンドラの恋人 / 南野陽子
1987年の夏、僕が中学3年生だったときの夏に、当時とても人気があったアイドルの南野陽子(みなみのようこ)さんが「パンドラの恋人」という曲を発売されました。
「歌のトップテン」という歌番組(月曜の夜に入っていました)に出ていて、南野陽子さんが「パンドラの恋人」という曲を歌い、
その歌のメロディーが夏っぽいバラードで、「いい曲だなぁ」と思って聴いていました。
中学3年生の1学期が終わり、夏休みに入りました。
僕は部活も引退していて「夏休みは勉強するぞ」と意気込んでいたのですが、実際は週に3~4回、サッカー部の後輩たちと岩瀬浜に釣りに行っていました。
そんな夏休みを過ごしていたある日、僕は当時とても仲の良かった女子がいて(2年生の時に同じクラスでした)、思い切ってその人に手紙を書きました。
「岩瀬浜駅で8月〇日15時に待ち合わせしませんか?」という内容の手紙を書きました。(何日に約束したのかは忘れました)
彼女の家の住所がわからなかったのですが、実家の場所は友達から教えてもらい知っていたので、僕はその手紙を封筒に入れて
彼女の家の郵便受けに直接届けました。かなり緊張しました。
約束の日までは心が落ち着かず、そわそわしていました。当時は今みたいに携帯もネットもなかったので、手紙を書きました。
ふだん学校では気さくに2人で話していたのですが、真剣な話をしたことは一度もなかったので、「来てくれるかなぁ。多分嫌がるだろうなぁ」
と思いながら過ごしていました。
そして約束の日。
僕は自転車で岩瀬浜駅まで行き、約束の時間の30分前に着きました。
岩瀬浜駅には誰もいなく、静かに彼女が来てくれるのを待っていました。
ところが待ち合わせの時間になっても彼女は現れず、結局1時間くらい待ちましたが会うことができず、落ちこみながら家に帰りました。
学校では顔を合わせるたびに話していたのですが、いざ夏休みが終わり2学期が始まると、僕たちは気まずい雰囲気になってしまい、
廊下ですれ違っても今までのように気軽に話すことはできなくなってしまいました。
「そもそもあの手紙を彼女は読んでくれたのだろうか?」 その確認もできないまま、僕たちは卒業してしまいました。
彼女とは別々の学校にお互い進学して、離れ離れになってしまい、それ以来会うことも話すこともなくなってしまいました。
もちろん、めちゃくちゃ悲しかったです。
卒業してから15年がたち、30歳の夏に僕は「そういえばあの子は今、どうしているのだろう?」となつかしく思い、思い切って彼女の実家に電話をしました。
飲み会をしよう、という設定で電話しました。
彼女はまだ独身で実家に住んでいました。30歳の夏のことです。
1時間くらい電話で話した後、「今度飲み会せんけ?」と彼女を誘いました。すると彼女は「うん、いいよ」と気軽にOKサインを出してくれました。
あの待ち合わせ事件から15年。 僕は「まぁ15年も前のことだしお互い社会人や。今さら気まずいもへったくれもないだろう」と思い
中学時代の男友達を2人誘いました。彼女は一人で来ました。
そして僕を含め男3人、そして彼女の4人で飲み会を始めました。
彼女は当時まだ彼氏もいなく、僕は少しうれしくなって、昔話をしました。
「そういえば、中3の夏休み、岩瀬浜で待ち合わせしたけど、会えんかったね。あのとき正直ショックだったわ」
と僕が打ち明けると、彼女は「えっ,何のこと?」と返答しました。
「えっ,だから、夏休みにお前の家のポストに手紙入れて、待ち合わせの約束したねか」
と僕が言うと彼女は「知らんかった」とあっさり顔・・・
そんな!! 俺は気まずくなってしまって、2学期からは廊下ですれ違ってもお前と話できんかったよ。本当は話したかったんに」
と言うと彼女は「それならそうと言ってよ。全然気づかんかったわ」と言いました。
マジで!俺の中3の2学期~現在にいたいるまでの「勘違い」は何だったんよ。 と思いました。
中3の夏休みは僕は毎日彼女のことを考えていました。
南野陽子の「パンドラの恋人」という曲を聴くと、今でも当時のことを思い出します。
ちなみにその30歳のときの飲み会以降は彼女とは会えていません。今頃はもう結婚していると思います。
とても話しやすく、ちょっとネコっぽい顔をしていて、笑うととてもかわいい人でした。
2025年05月18日 11:42