個別指導形式の学習塾と家庭教師の寺子屋学習館|富山県射水市

わからない所が1つずつわかるようになる、達成感ある授業を心がけています。

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2023年9月の記事:ブログ

2004年5月 32歳 富山市・福光にて【後編】

 富山市の家庭教師は満杯になり、生徒募集をストップさせていただきました。
 
担当の方も「佐伯君の担当する生徒はみんな回数が増えとるね?どんな授業しとるが?」と興味津々で聞いてこられていました。
 

  5月が過ぎ6月に入り、僕は月曜日~日曜日までフルに仕事をしていました。とても充実感があり、借金も順調に返済していっていました。
 
 ところが… 7月に入り、ある日のことです。僕はシャワーをしていると、左耳の具合がおかしく、「ザーザー」と音が鳴っています。
 
「なんだろう…?」と思っていると今度は僕の左耳の中で「電話のプッシュホンを押しているような音」がし始めました。

「ピッポッパッ」僕は「これはおかしいぞ」と思い、冷静に考えました。
 
 どうやら僕の左耳の具合がかなり悪い状態になっているようです。僕は急いで病院へ行きました。
 
 症状を受け付けでお伝えすると「耳鼻科へ行ってください」と言われました。
 
耳鼻科へ行き、先生に話すと「聴力検査をしましょう」と言われました。右耳と左耳と順番に高い音・低い音,大きい音・小さい音などがヘッドホンから聞こえてきます。

聞こえると手元にあるボタンを押す、という検査でした。検査の結果、先生は「急性低音性障害感音難聴」ですね。と言われました。

僕はストレスからくる難聴になってしまったのです。
 
先生は僕に「毎日連続で7時間以上眠れる日が1カ月続くまで働いてはいけません。ドクターストップです。ここでしっかり治さないとずっと治らない難聴になってしまいますよ。」とおっしゃいました。
 
 当時の僕は毎日4時間~5時間睡眠でした。僕はびっくりして「7時間ですか?」と聞き返しました。「はい。最低でも7時間連続して寝れるようになるまでじっくり治してください」と言われました。
 
 「パニック発作の次は難聴か・・・」僕はがく然とし、「とりあえず家庭教師をどうするか?報告しなければ」と思い、そのまま塾へ行きました。
 
担当の方が「そうか。それは困ったね。佐伯君はどうしたい?」と聞かれたので「はい。7時間連続して1カ月眠れるようになるまで、家庭教師は休ませていただきたいのですが…」と伝えました。
 
「よし、わかったよ。とにかく休まれ。担当の生徒さんについてはこっちで何とかするから」と助けてくれました。
 
こうして僕は家庭教師をいったん辞め、そして福光の塾をどうするか?考えました。「この際、思い切って休もう」

家に着いてすぐ「佐伯ゼミナール休塾のお知らせ」を保護者様あてに書き、郵送しました。

 
 ただ、いつまで休塾するのか?こればかりはわかりません。「7時間連続して1カ月眠れるようになるまで休ませてください。」と各家庭に後日電話しました。
 
高校3年生は入試があるため、いつまで待てばいいのか?わからないため、皆塾を去っていきました。仕方がありません。僕は深くお詫びしました。
 
 残ったのは1・2年生です。2年生も3年生同様、僕の状態を説明すると皆、塾を辞めていきました。
 
僕は申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
 
 
高校1年生だけは残って僕が復帰するのを待ってくれていました。そうしている間に新たに高校1年生が2人、入塾してくれました。
 
難聴で療養中の僕はうれしさと同時に「早くこの難聴を治さなければ!」と思いました。
 

 2週間がたったころ、僕の難聴はおさまり、熟睡もできるようになりました。
 
そして1カ月半休んだ後、僕は福光に復帰しました。
 
こうして夏休みになり、僕は福光ベルでの高校1年生の授業のみが仕事になりました。 難聴から復帰し、僕の前には福光高校1年生の生徒さんが3人のみになりました。
 
家庭教師は他の先生方が僕に代わって指導されていました。
 
「とりあえず働きすぎないように気をつけよう。」と僕は自分に念を押し、週に3回福光ベルで高校1年生の授業をすることにしました。
 
1回の授業時間は3時間です。3時間もあるので、今まで以上に密度の濃い授業をすることができるようになりました。
 
 収入は激減しましたが、僕は「1年生を一生懸命に教えよう」と思っていました。 高校1年生は3人とも7月にあった進研模試の数学の全国偏差値が30台・40台という有様でした。
 
基礎の基礎から教えていき、「2次関数」を最初から1つずつ丁寧に教えていきました。
 
 1年生のガッツが実を結び始め、1月にあった進研模試で数学の全国偏差値は3人とも55を超えていきました。偏差値60台の1年生も1人いました。
 
 
一方、家庭教師の方も少しずつ生徒さんが増え始め、僕は中学3年生を中心に指導していました。
 
秋が過ぎ、冬を越え、そして3月を迎え無事高校入試が終わり僕はホッとしました。「今年も大変な1年だったなぁ」と思いました。
 
夏には、映画「世界の中心で愛を叫ぶ」が大ヒットした年でもありました。
2023年09月03日 05:55

2004年5月 32歳 富山市・福光にて【前編】

福光のテナントを撤退し、富山市の実家に戻ってきた僕は、富山市内で家庭教師、日曜日は福光ベルでの「佐伯ゼミナール」の2本の仕事をすることに決めました。
 
 幸い大手学習塾の家庭教師部門の担当の方に拾っていただき、僕は富山市内で中学生の家庭教師をすることになりました。
ほとんどの生徒さんが2時間授業を週に1回、という契約でした。

ところが、僕が思っていた以上に僕の授業はご家庭・生徒さんから反響があり、ほとんどの生徒さんが週に1回→週に3回に回数が増えました。
 
中学3年生を主に担当していた僕は「仕事が増えて良かった。頑張ろう」と思いながら家庭教師をしていました。

日曜日は午後1時から午後10時まで福光ベルでの中学生・高校生の授業をしていました。
 
 高校生は生徒さんが口コミで増えてきたため、「センター数学クラス授業」をすることに変更しました。数学が苦手な文系の生徒さんが多く来てくれました。三角比→2次関数の順で授業を進めていきました。
 
数学Ⅰ・Aの中でも「三角比」は同じ数学Ⅰ・Aの他の単元との関連性はなく、単独の単元だったため、数学が苦手な生徒さんでも頑張れば点数になる単元でした。

生徒さんの努力と僕の授業の甲斐があり、高校生はここで突出した結果を出し始めました。
 
昨年度の福光での授業を受けていた福野高校の1年生(女子)は11月の進研模試の数学の全国偏差値が49.6でした。模試が終わってからは、それまでの質問教室みたいな授業から、僕が率先して教えていくスタイルの授業に方針を変えました。
 
すると,1月の進研模試の彼女の数学の全国偏差値は60を越えました。
 
  彼女は数学の校内順位が120番→12番に飛躍的にアップしました。それを見ていた彼女の友達が、僕の塾へ入塾してくれました。
 
 自分で言うのもなんですが、僕の高校数学の授業は圧倒的な実績を作っていきました。

同じく福野高校1年生の女子の生徒さんが12月に入塾してくれて、11月の進研模試の数学の全国偏差値が40.5だったのが1月の進研模試の数学の全国偏差値が58.0まで伸びました。
 
 1回の授業のために僕は毎回5時間以上準備して授業に臨んでいました。
 
 高校生にはその授業がヒットして、ことごとく生徒さんの成績は偏差値が10以上上がっていく、という実態でした。僕は確かな手ごたえを感じていました。
「まずは数学Ⅰ・Aで結果を出して生徒さんに自信をつけさせ、そのままの勢いで数学Ⅱ・Bに入っていこう!」と考えていました。
 
 
 僕の授業準備を少しだけ説明すると、次のような手順です。

 たとえば「三角比」を教えるとします。
まずは「チャート式数学Ⅰ・A(黄色本)」を一通り解きます。次にセンター試験の「過去問」を三角比に限定してかたっぱしから解いていきます。

次にセンター試験用の参考書・問題集(5冊くらい)を三角比に限定して解いていきます。

最後に「黒本(河合塾のマーク式問題集)」と「青本(駿台予備校のマーク式問題集)」を三角比に限定して5冊ずつ解いていきます。 
 
それから「センター三角比」用のノートを1冊用意し、三角比を細やかに分解して1つずつノートに説明・問題・ヒント・解答・解説を書いていきます。
 
 これだけの準備をしていると、どうしても時間がかかってしまいます。でも驚くほどの結果を高校生は出してくれました。昨年は2人だった高校生が9人にまで増えていました。
 
 「ベルで高校生メインの授業をしていこう」と僕は意気込んでいました。

中学生はこれまでと変わらず「1対3指導」の「個別指導スタイル」の授業をしていました。

すべてが順調に進んでいると僕は思っていました。
2023年09月01日 00:28