個別指導形式の学習塾と家庭教師の寺子屋学習館|富山県射水市

わからない所が1つずつわかるようになる、達成感ある授業を心がけています。

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自動車免許の更新に行って来ました / 25歳の時の「出来事」

僕は5月4日生まれです。今年自動車免許の更新の年でした。更新期限が明日までだったので、今日ようやく免許の更新に行って来ました(テストが終わったので行って来ました)

今回は1時間の講習コースでした。

年配の女性の方が講習をされました。


この「講習」に来るたびに僕は、25歳のときの免停講習のことを思い出します。

話はさかのぼって・・・僕は大学を卒業したあと、1年間の就職浪人を経て、新潟県三条市という所で小学校の教員になりました。

期待に胸膨らませて教員になったまでは良かったのですが、いざ教員の仕事が始まると「理想と現実のあまりにものギャップ」に幻滅してしまい、

ものすごい精神的ショックを受けました。

そして実際の教員の仕事のメインは「たくさんある事務的な仕事をどれだけ要領よくこなせるか?」という印象を僕は受けました。

当時はどの先生もまだワープロを使って書類を作成されていたのですが、僕は当時ワープロができなくて、たかだか児童名簿を作成したり、学級電話連絡網を作成したりするだけで

パニックになっていました。とにかく「事務仕事」ができず、毎日が緊張の連続でした。

そしてその緊張が爆発して僕は教員1年目の7月に「パニック発作」を引き起こしてしまいます。

この「パニック発作」が原因で僕は教職を休職することになってしまい、結局1年で教員を辞めてしまうことになりました。


そして新潟県から富山県に帰ってきて、毎日職安へ通う日々が始まります。当時の僕はとにかく「ワープロやパソコンを使わない仕事にしよう」と決めていて、

いろんな仕事を探していたのですが、どの仕事もパソコンを使う仕事ばかりで、職安に行っては落ち込んで帰って来る、という毎日を過ごしていました。

今思い返しても悲惨な日々でした。

そしてある日、「家庭的な職場です」とプロフィールに書いてあった職場であり、かつパソコンとは無縁の仕事をようやく僕は見つけました。

それが小さな運送会社でした。

当時僕は富山県どころか、富山市の地理にさえも詳しくない、しかも「方向オンチ」にもかかわらず、その運送会社は僕を採用してくれて、

僕は軽トラックで大沢野・八尾・婦中方面の配送を担当することになりました。

3か月くらいしてから仕事にも少しずつ慣れ始めてきて、毎日何とか働いていました。

25歳のころのことです。6月から勤め始めて11月になったころ、僕は新しい車を買うために、カタログをディーラーでもらってきました。

そして通勤中、渋滞していたので、僕はその「新しい車のカタログ」を見ながらのろのろ運転していました。すると僕はカタログに集中しすぎてしまい、思わず前の停車中の車に

突っ込んでしまいました。そうです。追突事故を起こしてしまったのです。

僕は「一発免停(免許停止)」処分をくらい、翌日仕事を休んで運転免許センターへ講習を受けに行きました。


そこで、今日のように講習を受けているときに、免許センターの中年のおじさんが楽しそうに僕たちに講習をしていました。

まるで選挙演説のように話しているそのおじさんの姿を見て、僕は「これだ!やっぱり俺は教える仕事がしたいんだ。」と気づき、翌月でその運送会社を辞めました。

そして家庭教師を長年の間、本業にすることになりました。


……非常に長い前置きになりましたが、僕にとって運転免許センターでの「講習」は教える仕事を再び目指すことに気づかせてもらえた「貴重なきっかけ」だったのです。

25歳のときの「免停講習」をきっかけに家庭教師や個人塾・個別指導の塾講師を経て、今の大門での寺子屋につながるのです。


 今日、講習を受けているときに「25歳の時のこの講習がきっかけで俺は今の仕事をさせてもらっとるがやなぁ」としみじみ思い返していました。

あの「免停講習」から26年半もの月日が流れました。

免停はもちろん良くないことですが、車の運転に気をつけながら今の仕事を細々と続けていきたいと思います。
2024年06月03日 11:56