大学2年生のとき、当時人気があったプロレスラーの大仁田厚(おおにたあつし)選手が、講演会をするために、新潟大学の黎明祭に来られました。そのそきに、彼が「学生時代に長崎から大阪まで歩いたことがある」、と言っておられました。
その話を聞いて僕は下宿の仲間と熱く語りました。「大仁田についてどう思う?」と5人でいろいろ話していました(下宿だったので、大家さんの家で夕食を食べながら語っていました)
僕はすごいの一点張りで感動していました。ところが同じ下宿仲間の友達が「大仁田なんてたいしたことねえよ」と笑い飛ばしていました。僕は「でも、長崎から大阪まで歩くってちょっと考えれんぞ。無謀やわ」と言うと彼は「オレたちだってその気になれば歩けるって」と強く言いました。
そこで僕は「じゃあここ(下宿)から長岡まで歩けると思う?」と聞くと、その友達は「楽勝楽勝!」と言いました。
「よし、じゃあ俺と二人で長岡まで歩こうぜ!いつにする?」と僕が言うと「今夜にしようぜ」と即決。夕食を下宿で食べていたのが19時ごろ。そして出発は21時に決まりました。
……新潟市(下宿)~長岡駅までは直線距離で約60kmあります。ちょうど富山駅~金沢駅までの距離と同じになります。
僕は部屋に戻り少しの着替えとタオルを準備し、21時を待ちました。6月の上旬だったので、寒くはないだろう、と思い、普段と変わらないかっこうでウオーキングに備えました。
いざ、歩く前に1つだけ「ルール」を決めました。
それはお互いに好きな音楽のカセットテープを持ち寄り、リュックにラジカセを入れて2人で交代しながらラジカセ入りのリュックをかついで音楽を聴きながら歩く というルールです。。
僕は浜田省吾の曲が入ったカセットテープ、友達は長渕剛と尾崎豊の曲が入ったカセットテープを持参しました。
そして21時に下宿の後輩たちと記念写真を撮り、僕ら二人は長岡へ向け歩き出しました。
地図もなく、道路の青看板の標識だけを頼りに歩く、という「無謀な」挑戦が始まりました。
出発したのは夜なので、気分も高揚しており、テンション高めで僕らは116号線をひたすらまっすぐ歩きました。
僕らは歩きながらいろんな話をしました。元気ハツラツでした。
歩くこと7時間。早朝4時になり僕たちは「燕市(つばめ市)」という所にたどり着きました。そこで30分ほどだけ仮眠をとりました。といっても公園のベンチで横になっていたくらいなのですが…
太陽が昇ってきて熱くなり始めると、じわじわとボディーブローのように、足から腰・背中にかけて痛みが出始めました。
朝食はたぶん食べていなかったと思います。とにかく道路標識の「長岡方面」へ向かって音楽を聴きながらひたすら歩きました。午前9時ごろに「帯織(おびおり)駅」という所に着きました。そこで僕たちは駅員さんに「ここから長岡駅まで歩いたらどれくらいかかりますか?」と聞きました。駅員さんは「そうらねぇ。正午くらいかねぇ」と言いました。 あと3時間か。もうひと頑張りだな!とお互い言いながら再び歩き始めました。
正午になりました。ところが僕たちは長岡どころか、自分たちが今、どこにいるのかさえもわかりませんでした。「正午って言ってたのに全然長岡駅に着いてねえじゃん」と友達は怒っていました。僕はとにかく体中痛くて「早く長岡に着いてほしい」と思っていました。 それからも僕たちは必死に歩き続け(歩くペースはかなり遅くなっていました)17:12に無事長岡駅に着きました。
下宿を出てから20時間12分… 僕たちは疲れ果てていました。
帰りは電車で帰ってきました。友達は電車が発車すると同時に熟睡状態です。僕は寝ずに、自分たちが通ってきた道をしみじみと振り返りながら電車に揺られていました。「電車は速いなぁ。便利だなぁ」と改めて思いました。
僕は下宿に着いて「あぁ、大変な思いをしたなぁ。」と思い、「誰かにこの思いを伝えたいなぁ」と思い、当時仲の良かった女子友達に電話して「聞いて!下宿から長岡駅まで歩いたよ!!」と言いました。友達は「頑張ったね!」と優しく褒めてくれました。すごくうれしかったです。
もう二度とあんな距離を歩くことはないと思います。とても良い思い出になりました。 そのときの僕の話を聞いてくれた女子友達は結婚して、今は神奈川県に住んでいます。
それにしても下宿の友達の前向きで自信たっぷりな性格は素晴らしいと思いました。 僕も見習いたいものです。
大学の卒業アルバムを見るたびにあの「無謀な20時間12分の格闘」を思い出します。
2022年07月19日 22:38