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勉強のライバルを見つけることの「強み・学習効果」について

 中学生のみなさん、こんにちは。寺子屋学習館・佐伯です。

 もうすぐ中教研テストですね? 勉強は順調に進んでいますか?  

今日は勉強していくうえで欠かすことのできない「ライバルを持つことの強み・学習効果」についてお話させていただきます。

 今日は僕の中学時代の成績について述べていきます。

 僕が通っていた中学校は1学年288人いました。  中学1年生の時、僕は中間テストや期末テストなど、テストがあるたびに、クラスの仲の良い友達5人でお互いに点数を言い合って、一覧表にして成績を競っていました。

 僕は、中学1年生の1学期の中間テストの学年順位は288人中、96番でした。

 当時はいつも一緒に遊んでいたサッカー部の友達や、ゲーム好きな友達と点数を競い合っていました。

 僕はいつもその中で5人中1番でした。5人のメンバーの成績は、皆3ケタでした。  288人中の150番~180番くらいの友達と点数や学年順位を競っていました。

 成績が2ケタの人は、そのグループの中にはいませんでした。  


2年生になり、次は「僕よりも成績の良い友達」と点数を競うようになりました。

 当時は学年で60番くらいの友達と2人だけで点数を言い合っていました。

その  友だちは学年順位がいつもだいたい60番。ちなみに僕は、1年生の時の成績は学年で3ケタでした。

 だいたいいつも110番~140番くらいでした。平均よりも少し上、という学力でした。

 2年生になり、テストの成績を競う友達のレベルが一気に60番まで上がりました。

 僕は2年生になった当初、その友達の成績を聞いて「うわ~、60番か!頭いいなあ」と思っていました。

 当時その友達は「俺は富山南高校に行きたい」と言っていました。彼は中学校の近くにある塾へ通っていました。結果、彼はその通り富山南高校に合格しました。

2年生の1学期、僕は「その友達に追いつきたい!」と強烈に思っていました。  彼にあこがれていました。

「俺も富山南高校に行きたいなあ」と彼の影響を受けて,おぼろげに思っていました。

 それでも成績は急には伸びず、勉強時間は少しだけ増えましたが、2年生の1学期の間はだいたい学年で80番~90番くらい。

 1年生の時よりは少し成績はアップしました。

当時は僕は1年生の3学期から、近所にあった個人塾へ通っていました。

 とても授業の上手な先生でした。その先生のおかげもあり、あとは僕自身、家でも勉強するようになった結果  学年順位が少しずつ上がっていきました。

 夏休みはそれほど勉強をしたわけではありませんでしたが、1年生の夏休みとは異なり、夏休みの宿題はお盆前くらいには終わらせていました。

 塾では夏休みの宿題を解いていて、わからない問題(ほとんどが数学でした)を教えてもらっていました。

 2年生の2学期になり、少しずつ「勉強の成果」が出始めました。

 2年生2学期の中間テストでは、初めて学年で60番になりました。嬉しかったです。

 60番をとれた1番の理由は「友達の影響」です。何とかして友達に追いつきたい!といつも思っていました。

 学年で60番だった友達の「授業の受け方・ノートの取り方」を観察していました。  

どのタイミングでノートを書くのか?先生の話はどの程度聞いているのか?観察していました。

 僕は当時はノートは「適当」に書いていました。ただ,英語・数学だけは真剣に先生の話を聞き、ノートも丁寧に書いていました。

黒板に書いてあることだけではなく、先生がふと話す「黒板には書かないこと」もノートに書くように心がけていました。

 英語・数学に関しては先生に恵まれていため定期テストでは両方85点以上取れるようになっていました。

 2年生の時の成績は1学期は80番~90番。 2学期はだいたい60番でした。


 僕が幸運だったのは、1年生のときにさんざんだった「地理」の成績がぐんと上がったことでした。

 理由は簡単。「地理のベテラン先生の授業が素晴らしくわかりやすかった」からです。

 地理の授業がとてもわかりやすく、そのおかげで大の苦手だった地理の成績が上がりました。

 残念ながら「歴史」の成績は、言い訳になりますが、歴史の授業がわかりづらく、また勉強する気分にもなりませんでした。

そのため、だいたいいつも6割くらいしかテストで歴史は取れませんでした。

理科もテストではだいたい60点台。ぱっとしませんでした。

 英語・数学以外は塾でもあまり習うことがなく、僕自身も勉強しなかったため、理科・社会のテスの点数はいつもだいたい60点~70点でした。

 学年順位は3学期は60番くらい。1年間通して2年生のときは60番台でした。

もちろん、「友達の影響・あこがれ」が一番大きかったです。  

なんとかして友達に追いつきたい!そのためには毎日の勉強時間を増やすしかない、と思いました。

 1年生の時は毎日勉強時間は0分~30分だったのが、2年生になると毎日1時間くらいは勉強していました。

 2年生で毎日の勉強時間が「1時間」というのは微妙な勉強時間でしたが、塾の先生の授業にも助けれました。  

残念ながら、その塾は2年生の12月で閉鎖になってしまいましたが…

 3学期になり、僕は今度は隣の中学校の生徒さんがたくさん通っていた個人塾へ通うようになりました。

  その塾では富山大学の学生さんが先生をしていました。  当時の僕は「うわ~。富大生って頭いいなぁ」と思っていました。

何を質問しても丁寧に教えてくれました。  

そしていよいよ中学3年生=受験生になりました。

 2年生のときの成績を競っていた友達とはクラスが離れ離れになってしまいました。  

「新しいライバルを見つけないと…!」と僕は焦っていました。

今度もライバル(目標とする人)に恵まれました。

 3年生の1年間、今度は5人でテストの成績を競うようになりました。  

その5人の成績はそれぞれ,「学年で1ケタ」「学年で10番台」「学年で20番台」「学年で50番台」そして僕。

 一気にレベルが上がりました。  それまで見たことも聞いたこともないような素晴らしい点数を目の当たりにして、僕は最初は面食らいました。  

僕は1年生のころは「水橋高校くらいに行けたらいいなぁ」と思っていました。  2年生のころは「富山南高校」か「呉羽高校」に行きたい!と思っていました。

 そして3年生になったときは「富山東高校に行きたい!」と思っていました。

 担任の先生に「先生、東行きたいがやけど、だいたい学年で何番だったら東に合格できるけ?」と聞きました。

先生は「そうだね~。20番~35番くらいだよ」と教えてくれました。  

「今の佐伯の成績だと南高校か呉羽高校レベルだね」と言われました。  それが3年生の4月に担任から言われたことです。

 それを聞いて僕は「そうか、東は20番~35番くらいか。頑張ってみよう!」と決意しました。

 3年生になり、新たに「公民」の勉強が始まりました。公民の先生も授業が上手なベテランの先生でした。  ラッキーでした。

僕は公民の授業に集中して、学校のワークを早めに終わらせて、そのワークを繰り返し勉強していました。

 英語・数学も1年生~3年生までずっと同じ先生でした。これもラッキーでした。

 受験の主要科目の英語・数学が結局3年間得意でした。  

3年生の1学期の中間テストで、僕の成績は28番まで上がりました。

「1年生のときは130番→2年生のときは50番~60番→3年生は20番台」にまで成績は学年が上がるにつれて上がっていきました。

 学年順位が上がっていった一番の理由は、いつも学年ごとにライバル(目標とする友達)を見つけ、友達に追いつきたい!の一心で勉強を頑張れたことでした。

 もし1年生のときみたいに「自分よりも成績の悪い人とばかり」成績を競っていたら、安心してしまって、勉強しなかったと思います。


……  3年間振り返って、今、僕が中学生(高校生もですが)に言えることが1つだけあるとしたら、「自分よりも成績の良い友達を見つけて、その友達と成績を競うこと」です。

 自分よりも「成績の悪い人」とはよっぽどのことがない限り、成績を競うことはおススメできません。怠けるからです。

とにかく「自分よりも成績の良い友達」を見つけ、その人に追いついていきたい!と思うところから勉強は始まります。


  ……結局僕は1年生のとき・2年生のときの「理科」あとは全く勉強しなかった「国語」の成績が最後まで伸びず、富山東高校を受験した結果、不合格。

 悔しい思いをしました。  ただ、「勉強の仕方」に関しては3年生の秋からようやく「自分にあった勉強方法」を見つけることができました。

高校へ進学してからもその勉強方法を3年間つらぬいた結果、大学入試では志望校に合格することができました。


 よく塾の3者面談で「勉強の仕方を教えてやってください」と親御さんから言われますが…

それは「毎日2時間以上、3か月間勉強してみて、それでも「成績が上がらない生徒さん」に対して僕がアドバイスすることです。  

勉強もろくにしていないのに、「勉強の仕方」を教えてほしい、と言われても答えようがありません。

 まずはどんなやり方でもいいので、毎日2時間、せめて3か月勉強してみてほしい、勉強の「やり方」について僕が話すのは、その後の話。

 普通、毎日2時間、3か月勉強し続けたら、よっぽど下手なことをしない限り、成績は伸びます。

 よく「勉強は量よりも質」と言われますが、その前にまずは「実際に勉強してみる。継続的に。」

 要領のよい勉強の仕方とか、それは「実際に勉強してからの話」

 勉強してみても成績が上がらない場合にのみ、やり方を考え直すべきだと思います。

中学生の場合は、「 教科書を読む→自分なりにノートを作ってみる(特に社会・理科)→学校のワークを解く→塾のワークを解く  →最後に「入試問題を解いてみる」

  だいたいこの流れで毎日2時間勉強していれば,3か月後くらいから成績は上がり始めます。

 「量よりも質」について考えるのは、毎日2時間、3か月勉強してみて、それでも成績が上がらない場合の話。

  高校受験は「大学受験」とは異なり、勉強したことが報われやすい勉強内容になっています(大学受験は勉強時間+要領が大切になりますが)

 まずは「3か月間、毎日2時間勉強してみてください」

 応援していますよ!
2026年10月28日 06:37

中教研テスト / 高校別目標点数

   もうすぐ中教研テストがありますね?

  今回は中教研テストの「県立高校別目標点数」について、少し述べさせていただきます。 

ご存じの通り、中教研テストは富山県内の中学生が全員、同じ問題を解きます。

  「他の富山県内の中学生と比較できる,数少ない貴重なテスト」になります。 

今回は,中教研テストにおける、 およその(予想)高校別目標点数について、少し述べさせていただきます。


  富山中部高校(探究)471点,(普通)453点 , 富山高校(探究)453点,(普通)435点

富山東高校 385点 , 呉羽高校(普通)358点 

富山南高校(普通)342点,いずみ高校(総合)315点

富山北部高校(普通)283点 (情報デザイン)244点,(くすり・バイオ)237点

富山商業高校(流通ビジネス)201点,(ビジネスマネジメント)201点,(会計ビジネス)237点,(情報ビジネス)230点

富山工業高校(機械工学)244点,(電子機械工学)244点,(金属工学)230点,(電気工学)237点,(建築工学)283点,(土木工学)230点

魚津高校(普通)385点,高岡南高校(普通)385点


  上記以外の高校につきましては、寺子屋学習館のYoutubeで「中教研テスト 高校別目標点数」で検索されてください。


  あくまでも予想点数【目標点数】なので、実際とは少し異なるかと思います。


※魚津工業高校につきましては、現在は「機械創造科」「電気情報科」「IT・環境科学科」に別れています。いずれの学科も中教研テストの目標点数は191点です。

  中学1・2年生の方々もぜひ、参考にされてください。

  僕・私の行きたい高校の目標点数(あくまでも中教研テストのみにあてはまります)はだいたい何点くらいなのか?

一度調べてみてください!
2026年10月27日 05:50

君が人生の時 ~松井秀喜監督誕生~

日本プロ野球界に激震が走りました。 巨人(ジャイアンツ)の監督に松井秀喜さんが就任されたことです。

※以下ネット記事より

23日の就任会見では「これからジャイアンツに新たな黄金時代が訪れるよう、今日ここからスタートしていきたいと思っております」と決意を語り、恩師の長嶋茂雄さんへの思いも口にし、新背番号「90」のユニホーム姿を披露されました。

松井監督にとってジャイアンツ球場は若手時代の思い出が詰まった場所。 この日は選手やスタッフから「松井監督」と呼ばれたという。

「監督」と呼ばれることについては「そう呼んでくださりますけど違和感だらけですけどね、まだ。全く慣れません」と新監督ならではの率直な受け止めも口にした。


  …… 僕、個人的には、「松井秀喜さんが監督になる前に、たとえば打撃コーチなど、監督以外の立場で巨人を客観的に一度見た上で、監督になってほしかった。」と思っています。

早すぎたのでは?とテレビやマスコミでも言われています。いきなり監督か?大丈夫なのかな? 少し心配です。

松井監督ご自身も、いきなり監督になることについて、「12球団の中で僕は一番経験のない監督になり、そのことは重々理解しています。その上で、常勝ジャイアンツを取り戻したい」、

と熱く語っておられました。

マスコミの予想では高橋由伸さんが来季の巨人の監督になるのでは?と言われていました。

高橋由伸さんは、巨人一筋の選手生活を全うされた方で、2016年~2018年まで、ジャイアンツの監督をされていました。

高橋由伸さんは、松井監督の1つ下で、現役時代も松井選手とともに、クリーンナップを担っていました。

今回、松井監督のもと、ヘッドコーチに就任されるのでは?と半分確実視されています。

スポーツニュース番組を見ていても、高橋由伸さんは「ご想像にお任せします」とおっしゃっていました。

ジャイアンツにとって、松井秀喜監督誕生、というのはもちろん大きなニュースとしてとりあげられています。

僕は素人なので、松井秀喜監督就任に関して、多くは語れません。

ただ、現役時代の松井秀喜監督の「ヒーローインタビュー」でのコメントには注意深く聞いていました。

松井監督は、現役のとき、ことあるごとに「子どもたちに夢を与えられるような、そんな選手としてこれからも頑張っていきますので、応援よろしくお願いいたします」と、おっしゃっていました。

「 子どもたちに夢を与えたい」…その一言がとてもうれしくて、僕は松井秀喜選手の大ファンでした。

来年度からのジャイアンツに関して… もちろん、最初から思うような結果を出すことは、無理かもしれませんが、松井監督は 「選手に歩みより、選手といっしょに頑張ってきます」と熱く笑顔で抱負を語っている姿を見て、とても嬉しい気持ちになりました。


…… はっきり言って今年のジャイアンツは散々な目に遭っていました。 阿部元監督の独裁的な支配じみた昭和のスポ根野球には、僕は開幕前からうんざりしていました。

「徹底的に選手をしごきます」となんのためらいもなく言い放っていた阿部前監督の話を聞いて、

 「こんな古い考えを持った人が監督?今年のジャイアンツはもう終わったな」とあきれていました。

案の定、選手の方々は皆、阿部前監督の顔色をうかがってばかりで、萎縮しながらプレーされていました。 結果散々な成績。

阿部元監督が家庭的なスキャンダルを起こした結果、突然の退任。

ジャイアンツを去った後、橋上監督代行になったことで「選手目線で指揮を執っていた」橋上監督代行のもと、選手たちは息を吹き返しました。

優勝こそできませんでしたが、最後まで優勝争いに関わっていました。

僕は「橋上監督代行が来年度そのまま監督になればいいのになぁ」とずっと思っていました。

残念ながら橋上監督代行は来期の監督の構想からは外れてしまいました。


でも松井秀喜監督だったら、長い目で考えるとジャイアンツをかつてのV9時代のような、常勝球団に作り上げることも十分可能なのではないか?と夢見ています。

松井秀喜監督は現役時代の人気、メジャーでの活躍、さまざまな経験を積んでおられます。

一ジャイアンツファンとして、来年度は再びジャイアンツを、というよりも松井監督を応援したいなと思っています。


松井でダメだったらもう仕方がない・・・

ジャイアンツ、というよりもメジャー志向がすっかり根付いてしまった、今の日本のプロ野球界の危機的状況を背負って、とんでもないプレッシャーの中、来年度以降、松井秀喜監督の一挙手一投足が注目されることと思います。

松井秀喜監督の采配、選手との関わり方、コーチ陣との関わり方・勝った時及び負けたときの松井監督のコメントに注目させていただきたいなと思っています。

松井監督から学べるだけ学んでいきたい、と強く思っています。

松井頑張れ!

応援しています。
2026年10月26日 06:20

何から何まで自分で決めてしまう理由 ~過去のトラウマ~

  僕は仕事において、ほぼすべてのことを僕一人で考え、迷い、悩んだ結果、一人で決めています。

  誰かに相談する、ということは、ほぼありません。  もちろん、これにはちゃんとした理由があります。 


 さかのぼること24歳の時。僕は小学校の教員をしていました。

  中学校の教員の場合は、1年目は担任を持つことなく、副担任として、仕事をします。

  例えば、数学の教員免許を持っている先生の場合、1年目は主に数学の授業の仕方、に重きをおいて1年間勉強します(今はどのようになっているのかは、わかりませんが…) 

つまり1年目から担任をする、ということはありません。2年目から学級担任として働くことになります。

   一方、小学校の新採用の先生の場合、1年目から担任を持たされることになります。 

自分の担当しているクラスの子どもの名前・顔をまずは覚え、新しい座席を決めたり、クラスのルールを決めたり(係活動やクラス役員を決めたりなどなど)4月はとにかく事務的な仕事がかなりあります。 

もちろん、毎日のように「疑問」「質問」はあふれるほど出てきます(どんな仕事でも最初はそうだと思いますが)

  当時、僕は新採用教員として3年2組の担任をしていました。 

ふと,「宿題の出し方はどうすればよいのか?土日は宿題を出してもいいのか?ダメなのか?」疑問に思いました。

ある先生に相談すると「佐伯さん、土日は絶対に宿題を出したらダメだよ。下手すると親からクレーム来るよ」  と言われました。

  同じ質問を別の先生に相談すると「佐伯さん、土日は日記は出したらダメだけど、漢字とか計算プリントはちゃんと宿題に出さないとダメだよ」と言われました。

  別の先生は「土日の宿題に関しては、日記は子どもが楽しみにして書いてくる子が多いから、日記だけは、書きたい子どもには書かせた方がいいよ」と言われました。
 

僕は「…結局どっちなんやろ?土日は宿題を出さない方がいいのかな?それとも日記は出した方がいいのかな?」 悩みました。

今,冷静に振り返れば「どちらでもよい」のですが。というか自分で決めて行けばそれでよかったのですが、当時は1年目。

  自分は何も知らないので、「とりあえず目上の先生に訊いて解決していけばいいのでは?というか訊くべきだ」  と思っていました。

  「漢字の教え方はどうすればいいのか?授業中にどのくらいの時間をかけて漢字を覚えさせればよいのか?  それとも「漢字はひとつひとつ丁寧に教えていたらきりがないので、宿題にして終わらせるべきなのか?」 

かなり戸惑いました。中学時代の友達が、僕が教員になるにあたって、「佐伯。小学生はとりあえず漢字と簡単な計算さえできればいいがやぜ。あとは適当」

と言ってくれていました。

漢字指導に関しては一番悩みました。

このときも僕はいろんな先生に同じ質問をしていました。  たとえば5人の先生に訊くと「5通りの答え」が返ってきました。当たり前ですが… 

そしてまたそこで僕は「う~ん。わからん。どうすればよいのだろう??」と悩んでいました。


…… こんなことを毎日のように繰り返しているうちに、だんだんと悩む時間が増えていきました。 

 当時は毎週火曜日に新採用教員の研修があり、三条市の新採用教員が集まって、研修を受ける、という機会がありました。 

僕はこの新採用教員の研修が大好きでした。遠慮なく同期の先生方に質問できるからです。

  学校から外に一度出て、同じ立場の先生と気兼ねなく相談したり、愚痴を言ったりできる。

  同じ学校の先生方に相談しても、当時の僕には「できるわけがない」という答えがたくさん返ってきたのですが、  同じ1年目の先生だと、なんとなく自分と似たような境遇(経験が少ない)ため、とても参考になることをたくさん教えてもらえました。

  もちろん、どの先生もほぼ例外なく「壁にぶち当たっており」ひたすら「大変だ。大変だ」と焦っていました。 

 そんなことをしているうちに、1学期末が近づくと「テスト」が全然終わっていなくて、焦りました。

  どの教科も各単元を学習し終えるたびに「テスト」を実施します。

でも僕の場合,テストをする時間が取れなくて、7月に入って、通知票の評価をしなければならない時期に来ているのにテストが山ほど残っていました。

  ……このペースでいったら、テストをすべての教科で受けさせることができない。どうしよう。

ある先生は「朝学習の時間」を利用して、子どもたちにテストを受けさせていました。  「なるほど。そうやって時間を有効に使うのか」と感心していました。

  当時は新採用の先生の中には「テストが間に合わなくて、結局テストなしで評価した」という意見もありました。

  僕の弱点は「何から何まで他の先生方に相談していました」

  そして、いろんな模範解答が返って来て、「悩みを解決するための質問」が逆に「悩みを増やすための質問」にすり替わ  っていきました。

  しかも当時の僕は質問と具体的な答えを、いちいちすべてカセットテープレコーダーに録音して、何度も聴いていました。

   他の学年の先生方は18時くらいになると「お先に失礼します」と言って帰宅されていました。

  僕の学年の先生方は、どの先生も毎日仕事に追われていて、若い先生ばかりだったこともあり、いつも帰りは  22時~23時。

  今だとありえない話ですが、毎日がそんな状態でした。 

世の中では何が起きているのか?全くわからない「浦島太郎状態」でした。

  テレビを観てくつろぐ余裕はありませんでした。  毎日、こんなことをしていると、だんだん教員という仕事が自分には向いていないのではないか? 

そもそも当時僕はワープロさえ使えない有様でした。事務的な仕事が山ほどあるのに、ワープロさえ使えない。  話にならない状態でした。

あまりにもの自分のふがいなさに、頭にくることばかりでした。

   当時、僕には上越で小学校の教員をしていた彼女がいました。  彼女に会うたびに、質問攻め。

  彼女は「優ちゃん、とりあえず他の先生に質問するのはもうやめて、優ちゃんが思うようにやってみて。  そこで失敗したら、その都度修正していけばいいよ。私だって聞きたいことはたくさんあるけど、とりあえずは私の思うようにやっているよ。そうしないと、時間がどれだけあっても足りないよ」と指摘されました。 

  とにかく「自分の思うようにやってみる」これができなくて、毎日が質問のオンパレードでした。 

自分で考えようとしないで、「人に聞いてばかり」

   こんなことばかりしていた「つかの間の教員時代」でした。 


  その「過去」があるため、今は僕は塾のことや家庭教師のことで、悩んだときは、すべて自分でとりあえずやってみて、その都度修正しています。

個人差はあるかと思うのですが、  だいたい5年くらい中学生に教えていると、具体的な教え方が出来上がってきます。

  同じことを毎年毎年繰り返しているのですから…

  人に聞けば聞くほど悩んでしまう、という苦い過去があるため、今は教え方で悩む、ということはありません。 

ただ、生徒さんによって能力はバラバラなので、入試の日から逆算して「この日までにはだいたい、このくらいのことは教えていないと入試までには間に合わないな」と焦ることは、今でもあります。 

自分で悩んで、試行錯誤してみて、その都度修正していく、いわゆるPDCAサイクルを回して日々教えています。

「計画」→「実行」→「評価」→「改善」の繰り返し。

  もう誰かに相談して、その都度パニックになっている、ということはもう懲り懲り。

  自分本位になりすぎないように注意して、生徒さんと相談しながらプランを立てています。

  中学生の場合、小学生とは異なり「受験」という明確なゴールがあるので、やりがいはあります。あとは僕自身のモチベーションンにもなります。

プレッシャーもありますが… 

そのゴールの日まで、全力で僕が伝えられるものを地道に1つずつ教えて行く、という毎日です。


…  県立高校入試まで残り4カ月強。  今年は受験生は少ないのですが、できる範囲で、志望校合格に向けて、日々頑張っていきます。


PS:僕の周りには教員をしている友達が複数いますが、すごいなと、ただただrespectしています。

  俺には「あれもこれもの教員」は200%無理。
2026年10月25日 06:29

全国高校サッカー選手権大会 富山県予選 準々決勝

冬に行われる、全校高校サッカー選手権大会の富山県予選が先日始まり、ベスト8が出そろいました。

今日は準々決勝戦が行われます。


僕の母校、富山第一高校サッカー部は高岡龍谷高校と対戦します。

今日は応援に行けないのですが、もし今日勝てば、準決勝→決勝戦まで応援に行く予定です。

外で応援するには、かなり寒い季節になってきましたが、暖かい服装で応援に行きたいと思っています。


昨日、いつも通っている美容院の担当の方からお聞きしたのですが、一高サッカー部のメンバーの中には、気合を入れるために坊主頭にされる選手がいるとのこと。

ガッツあるなぁと思いました。


今日まで練習してきたことが勝利という結果として報われるよう、応援しています。

どうやら天候は雨模様で、やりづらいかと思いますが、頑張ってきてください!
2026年10月24日 06:35

劇薬中毒 / = LOVE

 2か月くらい前の話になりますが、音楽番組を見ていたら、「= LOVE(イコールラブ)という女性グループが「劇薬中毒」という曲を披露されていました。

「良い曲だな。でもかなりインパクトのある曲だな」と思いながら見ていました。 


気になったので、ネットで検索すると、この女性グループは「10人組声優アイドルグループ」と書いてありました。

僕が驚いたのは、作詞を元HKT48(AKB48 )の指原莉乃さんが担当している、ということです。 

指原莉乃さんといえば、AKBの総選挙で3連覇したことのある、実力派アイドルです。

以前、指原莉乃さんは「アイドルのプロデュースをしている」と何かの記事で読んでいましたが、まさに =LOVEの楽曲の作詞をされているとのこと。

他のアイドルグループのプロデュースもされているとこと。

以前のようにTVに出まくっている、というわけではなく、アイドルのプロデュースやカラコンをプロデュースされたり、不動産投資をされたりしていて、アイドル時代よりも稼いでいると記事に書いてありました。

   ……大変驚きました。気になったので、少しだけ指原莉乃さんのYoutubeも見ました。

「努力と才能のかたまりのような方だな」と思いました。

  僕は、「= LOVE」には全く詳しくはないのですが、「劇薬中毒」という曲は好きです。

アイドルらしからぬ、かなり「情に訴えてくるような曲」だと個人的に思います。

  「劇薬中毒」という曲は、指原莉乃さん作詞、斎藤奏太さん作曲 になっています。

2026年4月1日リリース、=LOVEの20枚目のシングルとのこと。 

指原莉乃さんが作詞ということで、一気に好きになりました。

ネットで調べてわかったのですが、指原莉乃さんは今日現在、183曲もの楽曲の作詞を担当されています。


  …正直驚きました。  元一アイドルとしての地位をはるかに超えているなと思いました。 

これから=LOVEの曲について、少しずつYoutubeで視聴していきたいと思います。
2026年10月23日 04:21

パニック発作&難聴。僕の弱点

おはようございます。

8月1日あたりからずっと体調が悪く(心臓が痛むことが多かったのですが)、ようやく最近治りました。

精神的にも少し調子が悪く、病院に行こうかかなり迷っていたのですが、とりあえず睡眠時間も最近は少しずつ 増えてきて、体調も良くなってきたので、少し安心しています。

僕は精神的にあまり強くはなく、不調が続くと体に反応してしまうので、体調には注意を払っています。

20代のころは「パニック発作」に襲われ、(当時はまだパニック障害という言葉は存在していませんでした。

そのため医者からはうつ病っぽいですね?と言われ、うつの薬を飲んでいました) 

このパニック発作は大変でした。

毎朝6時くらいに目が覚めるのですが、その瞬間から心臓の鼓動がバクバクいって、心臓が張り裂けそうなくらい痛くて、とても苦しい思いをしました。

治るまでに1年かかりました。

幸い、それ以降はパニック発作は起きていないのですが、少しでも「あっ、やばいな。精神的に追い込まれとる。発作起きたら即、病院へ行こう」と決めています。 

  32歳のときは、仕事が忙しすぎて無理をして働いていたら、ある日突然、右の耳から「ざ~ざ~」と音がしてきました。

そして翌日には、「プッシュホンの音みたいな音が常に聞こえるようになってしまい」、急いで病院へ行って診察してもらいました。

聴音波検査を行った結果、医者から「急性低音障害型感音難聴」です、と言われました。

超音波検査で高音と低音が交互に流れてきて、高音には反応できていたのですが、低音が鳴っていても全く気づかない、という症状でした。

  そのときは、毎日3時間~4時間くらいしか睡眠がとれていなくて医者からは「とにかく7時間連続で眠れるようになるまで、仕事はいったんストップしてください。そうでないと一生患うことになる本格的な難聴になってしまいますよ」と言われ、ドクターストップがかかってしまいました。

  このときは治るまでに1か月かかりました。耳の中でプッシュホンのような音が聞こえてきて怖かったです。

幸い、薬をちゃんと飲んで、部屋でおとなしく過ごしていたので、短期間で完治しましたが、当時の家庭教師の生徒さんには多大なご迷惑をおかけしてしまいました。

「難聴が治るまで待ってくれていた生徒さん」「他の家庭教師の先生に切り替えられた生徒さん」が半々の割合でした 。

それ以降はパニック発作も難聴にもなっていないのですが、この歳になると、いろいろ体の不調が出始めてくるので、気をつけています。

僕の一番の弱点は「とにかく睡眠時間が短い」ことです。だいたい毎日4時間~4時間半くらいしか眠れていません。

日中になるべく昼寝をしようとは思うのですが、できても30分くらい?  眠れなくても、横になっているだけでも良いので、体を休めようと心がけています。

  僕の場合、本来ならば昼過ぎまで寝ていても大丈夫なのですが、そういう環境になったときに限って毎朝、5時前に目が覚めてしまいます。 

中学生のころに「修学旅行」や「運動会」の前日ってなかなか気分が高揚して眠れないですよね? 僕の場合、毎日そんな感じです。

そのため朝早く起きてしまう。  もう50過ぎているので、なるべく夜更かしはせず、24時~25時くらいの間に寝るよう、最近は心がけています。


……  ちょっと今回のブログは重たい感じになってしまいました。すみません。 

「健康あっての楽しい人生」なので、とにかく体調管理、睡眠を確保するよう、注意していきます。
2026年10月22日 06:16

河野玄斗先生から「暗記のしかた」について学んだこと

今朝、河野玄斗先生のYoutubeを見ていて「暗記の仕方」について、河野先生の意見が投稿されていたので、ご紹介します。


【質問】
  暗記をしやすくするためには、ひたすら書くべきですか?読むべきですか?


【河野先生の解答】
 これは結論から言うと、「読むべき」というか、回数を重ねるべきですね。

書きながら回数を重ねられるんだったらいいし、たくさん読む中で回数を重ねられるなら、そっちの方がいい。

僕はですね、基本的に、読んで読んで読んで…もちろん「漢字」とかだったら、形とか押さえなきゃいけないので、多少書いた方がいいんですけど。

普通に単語とかだったら、たくさん読んで、頭の中で 反すう(頭の中で同じことを何度も考え続けること)しながら、少しでも、何周でも…。 

だから「1周書く」よりも「2周読んだ方がいい」ってかんじですね。

それで「読む」っていうのも、「ただ読む」だけじゃなくて、隠してちゃんと言えるかどうか? っていうことを確認していけば、それが暗記の近道なんじゃないかな、と思います。

それで、どうしても覚えられないものだけ「書いて」そこだけ印象づけていく、っていうふうにメリハリをつけましょう。

もしも全部書いてたら、結局「脳」って、大事な物を暗記しようと思うので、全部書いてたら、全部大事、ってなって、結局「書くことの大事さ。書くものっていうのが大事なんだ」っていう認識は落ちて行くんですよ。


だから読んでいく中で、たまに「書くもの」が出てくると、あっ,書くものは本当に大事なんだな、っていうふうに脳が認識してくれるから、その効果が上がるっていう、そういうロジック(論理・筋道)ですね。
2026年10月21日 05:44

19のままさ / 浜田省吾

 現在高校3年生の生徒さん、浪人生のみなさん、勉強の進み具合はいかがですか? 

もうすぐ共通テストですね?  国公立大学を志望校にされている方は、今はもっぱら共通テスト対策をされているのでしょうか? 

それとも2次試験の勉強を重点的に勉強されているのでしょうか? 

あるいは私立大学の過去問を解いている最中でしょうか?

  今、インフルエンザが猛威を振るっていますね? 体調には十分気を付けてください。 


 僕の大学受験を振り返って…

僕は大学入試に、運よく現役で合格できました。 

でも、大学4年生の7月・8月に受援した就職試験では教員採用試験を受験して(新潟県・富山県の小学校教員採用試験)、いずれも不合格でした。 

大学を卒業したあとは新潟県から富山県にある実家へ戻り、自宅や富山市立図書館で教員試験の勉強をしていました。 

いわゆる「就職浪人」というやつです。

  そのときに初めて「浪人生活はかなり精神的にキツいな」と実感しました。

  ただ、僕の場合、就職浪人といっても、8月下旬で教員採用試験の2次試験が終わったので、実質の浪人期間は4月~8月の5か月間だけでしたが…   

大学受験のための浪人生活はプレッシャーもあり、かなり精神的にも大変なことだろうなと思います。 

できる範囲で精一杯頑張ってください。

  今日の1曲は浜田省吾さんの「19のままさ」という曲です。 

浜田省吾さんは広島県立呉三津田高校という進学校を卒業され、その後、浪人生活をされます。

  一浪して神奈川大学に合格されました。


……  全く関係のない話ですが、僕も大学受験で「浜田省吾さんの出身大学」というだけで神奈川大学(経営学部)を  受験しました。

「金沢駅近くにある予備校での地方試験」と「本試験(神奈川大学での試験)」と、2度受験しました。

2回とも落ちましたが… 確か経営学部を受験したはず。

当時は神奈川大学の経営学部の偏差値は55くらいでした。


   話は飛んで…    僕は25歳のとき、運送会社を辞めて、その後大手家庭教師派遣会社に所属しました。

  当時は気合を入れるためによく「富山中央予備校(代ゼミ系列の予備校)」の自習室の様子を目に焼き付けて、家に帰ってから猛勉強していました。   

「19のままさ」という浜省の曲を,「19歳最後の日」に一人で聴いていました。

  日記にも「19のままさ」とタイトルをつけて、思いのたけを書いていました。 


高校受験もそうですが、大学受験をされる方におかれましても、「地獄の浪人生活」もあと少しで終わります。 

今は精神的にもとてもつらいことと思いますが、できる範囲で一生懸命に勉強されてください。 

応援しています。
2026年10月20日 04:09

汚れた絆 / 尾崎豊

 今日からまた1週間が始まりますね?

  学校の宿題は終わりましたか?

  会社への勤務が始まりますね? 

 さて、あなたはどのような週末を過ごされましたか? 

僕は先週の土曜日(10月17日)高校時代の友達と3人で飲み会をしました。

  久しぶりの飲み会でした。

  2年ぶりに会う友達もいました。

  富山駅で18時に集合し、終電まで3人でいろいろ話しました。 

途中、お互いに熱くなり、ケンカ腰にもなったのですが、3人で真剣に仕事のことや人間関係のことなどについて議論しました。

  3人とも、仕事の内容は異なりますが、各々、自分のしている仕事や、今後の目標について話し合いました。 


たまには真剣に、互いの仕事について話すことも良いものだなと思いました。

  今回,1次会は,個室のある店を予約しました。  話しやすくて良かったです。

これから今回の店を利用させていただきたいなと思います。 


「学生時代の友は一生の友」と聞いたことがあります。

  これからも友達を大切にしていきたいと思います。
2026年10月19日 03:25