個別指導形式の学習塾と家庭教師の寺子屋学習館|富山県射水市

わからない所が1つずつわかるようになる、達成感ある授業を心がけています。

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寺子屋学習館伏木時代の月謝:当時の僕の中での「お金の価値観・金銭感覚」

寺子屋学習館伏木校のときの月謝について、振り返ってみます。

少し具体的な話になってしまってすみません。


当時は中学生の月謝(1カ月あたりの授業料)は「1クラス5人までのクラス授業」で1回2時間授業が8回で20,000円(税込み)でした。

高校生の月謝は1回3時間30分授業が週に3回、月に12回で23,000円でした。

一見すると高校生の方が月謝は中学生よりも3,000円高いですよね?


しかし、これを「1時間当たりの授業料」に計算し直すと、中学生の場合1時間あたりの授業料は20,000円÷(2時間×8回=16時間】=1,250円になります。

一方、高校生の1時間あたりの授業料は、23,000円÷(3.5時間×12回=42時間)で548円になり、高校生の方が中学生よりも「実質の1時間あたりの授業料」は702円も割安になっていました。

当時は寺子屋をopenするにあたり、いろんな塾さんのチラシを見て月謝を調べていました。

その結果、僕は他の塾さんよりも月謝を割安に設定しました。

僕の中では、「中学生の月謝は相場よりやや割安」,高校生の月謝は「相場の半額以下」だったと思います。

でもそれには僕なりの「理由」があるんです。聞いてください!


中学生(特に中3生)は、教えるのに1年を通してものすごいプレッシャーを感じて授業しています。生徒さんにとっては「初めての受験」です。

大げさに言うと「これまでの15年の人生の中で初めての試練」を迎えることになります。

中学生は一度も受験というものを経験されていないため、メンタル面(特にやる気)がなかなか出ず、教えている僕としては、精神的にとても疲れます。

さらに、中学生の場合は、理解してくれるまでに膨大な時間がかかります。そのため月謝は20,000円。


一方、高校生は受験というものを「一度経験されています」そのため「やる気がない」という生徒さんは最初から塾には来られません。

全員やる気満々です。そのため、教えている僕は精神的に中学生の「約7割くらいのエネルギー」で授業をすることができます。もちろん授業準備には相当な時間がかかりますが…

僕が説明したことに対する「理解度」も、高校生の方が圧倒的に「上」です。

さらに、同じことを繰り返し何回も何回も教える、ということは、中学生だと日常ですが、高校生の場合はそれほどありません。(全くないとは言えませんが…)

そういう意味でも「僕の精神的ストレス」は高校生の方がわずかですが、中学生よりも少ないように感じていました。

よって「中学生よりも高校生の方が授業しやすい&授業が終わった後の精神的ストレスが少ない&授業が終わったあとの僕の中での充実感も高校生の方が上」

そのため「高校生の授業料<中学生の授業料」という僕の思考回路です。


ところが現実は、他塾さんや家庭教師の場合「中学生の月謝<高校生の月謝」に設定されています。しかも高校生の月謝の方が中学生の月謝よりも「割高」です。


寺子屋学習館伏木校の「高校生の月謝」はそういう意味ではかなり割安だったと思います。

ただ、もちろん「良いこと」もあります。それは「高校生が入塾しやすい。たくさん習ってくれる」ということです。

僕が聞いた話によると、今どきの個別指導【講師:生徒さん=1:3】の塾では「小学生:中学生:高校生」の人数割合=「2:6:2」だそうです。

伏木時代の僕の塾では「小学生:中学生:高校生」=「0:6:4」でした・。

僕は小学生にはほとんど教えたことがありません。理由は、小学生に教えた経験がほとんどない、あとは定期テストや入試など、という目的がないため、何を目標に指導していいのか?

イマイチわからないため、教える僕自身のテンションがなかなか上がらないためです。そのため小学生を教える、ということはほとんどありません。


話は変わって…


伏木での寺子屋を閉鎖したあと、3年後に僕は「福光」で2回目の個人塾「佐伯ゼミナール」を始めました。

当時は「教師1人に生徒さん3人以内」の個別授業スタイルで1回90分授業で中学生は3,300円に設定していました。

この授業料は当時は「相場とほぼ同じ」でした。

高校生の場合はホワイトボードを使って「クラス授業」をしていました。

当時の高校生の授業料金は「1回3時間授業で2,200円」でした。

福光のときは1回3時間授業を週に3回行っていました。科目は「センター試験数学」でした。対象は主に「文系国公立大学志望の高校生」でした。

かなり格安だったのかなと思います。


当時の僕の中では「中学生は月謝の上限は25,0000円まで。高校生の月謝は28,000円まで」という固定観念がありました。

高校生から28,000円以上の月謝をいただくのには、かなり「抵抗」がありました。

……こういう僕の固定観念が「お金の道理」を全く理解していなかったかなと反省しています。


当時、先輩からは「月謝設定の段階ですでに間違っている」と指摘されていました。

当時、高校生は10人くらい来てくれていました。

そして週に3回数学のみ教えていたため、とにかく教えることができる時間が長かった,あとは高校生がめちゃくちゃやる気があり、勉強してくれていたため、生徒さんの成績は面白いように伸びていきました。

「進研模試の数学の全国偏差値が38~43くらいの高校生」が半年後にはだいたい進研模試で全国偏差値55~64くらいまで」UPしていました。


当時の僕は本屋さんに売っていた「センター数学」というタイトルがついている問題集は、ほぼ購入していました。

その中でも坂田アキラ先生の「2次関数が面白いほどわかる本」など「坂田アキラの〇〇が面白いほどわかる本」、あとは志田晶先生の「ベクトルが面白いほどわかる本」などなど、志田晶先生の「文系数学・センター数学に関する参考書」はほとんど購入し、それらをもとに「授業ノート」を作らせてもらっていました。

もちろん青本(駿台予備校のセンターマーク模試の過去問集)や黒本(河合塾のセンターマーク模試の過去問集),白本(代ゼミのセンターマーク模試の過去問集)、センター試験の赤本など、自分が分かる範囲で毎日3~4時間くらい数学を勉強していました。

東進さんの「緑本」だけはちょっと難しくセンター試験よりもレベルがやや上だったため、所どころのみ勉強させてもらっていました。


当時は確かに口コミで生徒さんは集まってきてくれました。もちろん、月謝が安かったことも原因だとは思いますが…

今、冷静に振り返ってみると、高校生の月謝はもう少し「相場に近づけるべき」だったのかなと反省しています。

ところが当時の僕は「お金を受け取る」ということに強烈な抵抗・戸惑いがありました。

そのことについて、福光の塾を閉鎖したあと、本田健さんからその理由を学びました。

本田健さんの「教え」は以下のようなものでした。

※お金をたくさん受け取ろう!
「お金のブロック」とは、お金に対する無意識の思い込みや恐れ、罪悪感などが複雑に絡み合った心理的な障壁のことです。
このブロックがあることで、本来持っている能力を発揮できなかったり、豊かさを受け取ることを拒否してしまったりします」
※インターネット記事引用


……当時の僕はそのことを知らず、ひたすら「自分の設定していた月謝よりも多くを受け取る」ということは、どうしてもできませんでした。罪悪感があったのだなと思います。

「月謝が高いか?安いか?」判断するのは親御さん・生徒さんの考えることです。

本来、僕が悩むことではありません。


先輩がおっしゃっていたように、「金銭的な理由でお前に習いたくても習えない生徒さんは確かにおる。でもその現実を教えるのもお前の仕事やぞ」

当時の僕はどうしても「とにかく塾に来てほしい!」という思いが強すぎて、採算度外視の月謝に設定してしまいました。

「組織に属して、その組織からいただく5,000円」も「僕の塾の月謝袋に入っている授業料の5,000円」も確かに同じ5,000円です。

でも僕が感じ取る「お金の重み・深さ」は全く異なります。

もちろん、教えるということに関しては、どんな立場であろうと、真剣に取り組んでいます。僕の性格上「手を抜く」ということはできません。


先輩が電話で最後に僕に残してくれた「受け取り上手になれよ!」というのは、こういうことです。

僕は今でも「お金のブロック」に苦しんでいます。

なかなか頭では理解できても、心と体で理解することができません。

これからの僕の最大の課題になっています。

「お前の弱点はお金や」と言われた先輩からの課題をこらから克服していきます。難しいとは思いますが…

ただ一つ、決定的に言えることは

「いざ僕の塾が閉鎖してしまったら、1番困るのは生徒さん・親御さん」です。

まさに「お前に投資してきたお金と時間は何だったんよ?」ということになります。

このことを重く受け止め、考えていきます。


PS:こんなふうに行き詰ったとき、福光時代はよく1人で「小矢部川のほとり」に座ってしばらくの間、川の流れを眺めてぼ~っとしていました。

小矢部川は比較的小さな川で、川のすぐそばまで車で行くことができました。

そのため、月に2回くらい小矢部川を見ながら、あれこれ考えたりしていました。

最近は小矢部川はちょっと遠いので、八重津浜か岩瀬浜に行くことがあります。

やっぱり落ち着きます。

あとは浜省の「陽はまた昇る」という曲があるのですが、この曲によく励まされています。

この曲の場合は、CDの音源よりもYoutubeでの「ライブ映像」の方が個人的には身にしみます。

人生で思い悩んでいる方には、結構おススメソングだと思います♪
2026年09月30日 08:12

初めての自分の塾 寺子屋学習館 in 伏木

僕は大学を卒業したあと、1年就職浪人し、その後新潟県三条市という所で小学校の教員をしたあと、あっさりと辞めてしまい、富山に帰ってきました。

「この先どうしよう」と悩みに悩んで、25歳の6月に小さな運送会社に拾ってもらい、軽トラックの運転手として大沢野・八尾・婦中町のエリアを担当して配送運転手をしていました。

それから大手の家庭教師教師派遣会社」に所属し、1年ちょっとの間、「専属家庭教師」→「プロ家庭教師」として、富山県内の中学生に家庭教師をしていました。

その後、1999年、3月、高校受験を終えた後、高岡市「伏木」で個人塾「寺子屋学習館」を始めました。


よく友達から聞かれるのですが「佐伯。なんで伏木だったんよ?」


これにはちゃんとした僕なりの理由があって… 当時僕は家庭教師を、学生時代みたいなアルバイトではなく、「プロ家庭教師」として、それなりの時給でしていました。

でも「結果を出しても出さなくても給料はたいして変わらない現実」に見切りをつけ「自分でやってみよう!」と思い、1999年3月の高校入試が終わったところで、当時の所属していた

家庭教師派遣会社を脱退しました。

「ではいったいどこで個人塾をするが?あと、テナント?貸家?」

当時は(今もたいして変わらないのですが)お金がなかったので、とりあえず「住まい情報」をコンビニで買ってきて、片っ端から「テナント・貸し家」を調べました。

当時は今みたいにまだインターネットは存在していなかったので、月に1回発行される「住まい情報」とあとは、直接不動産会社をかなりの数回って、1カ月くらいかけて、物件を探していました。

ただし、「場所」には1つだけ「条件」をつけていました。

それは「富山市」と「高岡市」は避けよう… というものでした。

理由は簡単。「俺みたいな素人が激戦区の富山市・高岡市で個人塾を始めたところで結果はやる前から見えとる」と思っていたので、とにかくライバルの少ない田舎、に限定して物件を探していました。。

しかし、なかなか条件にあう物件が見つからず「テナント」に関しては論外。高すぎ。最低でも月7万円を超えないと、まともなテナントはありませんでした。

当時、何の知識もなかった僕は、月額の家賃の予算が4万円以下、というものでした。テナントでは200%無理! という現実を思い知り、「じゃあ貸家を探そう!」ということになり、住まい情報の最後の方のページに掲載されてある「貸家」のコーナーを、富山市・高岡市以外の市町村から徹底的に調べ上げました。

それでも当時は貸家でも家賃6万円~という物件ばかりで、僕は「あ~こりゃ無理だなぁ。どっかの塾でも応募するか…」

と半分あきらめて、小杉の「セーブオン」で住まい情報を買い「これで貸家なかったらあきらめて、就職しよう」と決意。

すがるような思いで住まい情報の貸家のコーナーを1つずつ調べていきました。

すると「ん?なんだって?家賃15,000円!ウソやろ!しかも敷金・礼金なし」

……これを見たときの僕の喜びようは、想像に難くないと思います。


僕はこみ上げてくる熱い思いを必死にこらえながら、その貸家を斡旋している不動産へ行きました。その不動産は「高岡市伏木」にありました。

僕はそもそも伏木がどこにあるのか?把握していませんでした。偶然中学時代の英語の新採用の女の先生が「伏木」の人でした。

「あ~あの先生の伏木か…」 と思いながら不動産に到着しました。

その不動産は個人の不動産で、玄関を開けるとおじいちゃん出てこられ、「すいません、先ほど電話した佐伯と申しますが…」

と言うと「はいはい、佐伯さんね」と言ってそのおじいちゃんは伏木の貸家を案内してくれました。

僕はそのおじいちゃんの車の助手席に乗り、弾むような気持ちでその15,000円の貸家」に連れて行ってもらいました。


「この家ですよ~」おじいちゃんは笑顔で言い、 僕は顔を見上げ、その貸家を見ました。

開口一番、僕はおじいちゃんに「すみません。そもそもこれって家なんですか??」と問い合わせました。おじいちゃんは「そうだよ~」得意げに答えました。

「これって、家というよりも単なる廃墟やろ!」という怒りを必死に抑え「こんなもん生徒集まるわけないねけよ!こんなぼろ家、誰が来るんよ!」

と半分あきれていましたが、それでもとりあえず、そのぼろ家の向かいにある、「大家さん」に一通りその貸家について「説明」を聞きました。

大家さん(60歳くらいのおばちゃん)は「この家の2階部分をもしも借りられるなら使ってください。1階部分は「開かずの間」になっているので、ドアが開きません、使えません」

と言われました。

僕は「わかりました。とりあえず、家の中を見せてもらえますか??」と聞き、そのあばら家の中へ恐る恐る入って行きました。

どう見ても「築60年」は経っているような、とんでもない家でした。そもそも階段もめちゃくちゃ急な階段。

地震が来たら「家ごと崩壊」しそうな家でした。

それでも一応「6畳間の和室」だったので、僕はかなり迷ってしまいましたが「まぁでも今の俺の経済力考えたら、ぜいたくか‥‥」と決意し、その「めぞん一刻」のようなぼろ家を借りることにしました。


でも、それでも初めて「自分の塾」を持てる、ということにとんでもない「高揚感」を覚えていた僕は、喜び勇んで家に帰りました。

伏木本町、という所にある、通りを1本奥に入った、「車1台がぎりぎりすれ違えるような道」の向にある貸家でした。

驚くことに、その家は今も健在しており、当時のその家の隣にあった「お地蔵さん」はもうありませんが、(当時は塾が始まる前に、毎日そのお地蔵さんに「今日も生徒さんが来てくれますように」とお祈りしていました。)

今でも僕は伏木に行くときは、必ずその家に立ち寄り、当時のことを振り返る?懐かしむ?決意新たにする?かんじで伏木本町に行きます。

僕が年に4~5回、伏木に「1人ドライブ」する理由はそれです。

今は無き、寺子屋学習館伏木校に立ち寄るためです。

こうして1999年3月、僕の初めての個人塾「寺子屋学習館」は誕生しました。

当時は伏木中学校・新湊高校・大門高校・伏木高校・氷見高校の生徒さんが来てくれていました。

今までの僕の中で一番輝いていた1年でした。 貧しかったのですが、あの1年はやっぱり僕にとっては生涯忘れられない1年でした。

当時の生徒さんのことは、もちろん全員の顔と名前、成績、雑談で話しあっていたこと、ほぼ全て覚えています。

雇われ時代の生徒さんのことは、ほとんど覚えていませんが…

当時は授業の合間に女子の高校生たちが「先生、19のあれ聴きたい!」と言うので「あの紙ヒコーキ、くもり空わって」を聴いていました。

伏木中学1年生の女子は「ゆず」が大好きな生徒さんがいて、「先生、ゆずマンっていうアルバム聴いてみて!『遊園地』っていう曲好きなん!」

と言っていたので、レンタルで借りてきて、富山から伏木まで車で通う時によく聴いていました。

「ゆずの遊園地もいいけど、俺は『シュビドゥバ~』っていう曲もいいと思ったよ!」などなど、授業そっちのけで雑談をかなりしていました。

まぁ、楽しかったですね。もちろん27歳だったので、授業じたいはたいしたことはなかったのですが、ひたすら毎日が楽しかった。

当時は「1クラス5名限定」のクラス授業をしていました。中学生と高校生・ほぼ同じ人数の生徒さんが来てくれていました。

夏休みは午前中中3生の授業をしたあと、男子生徒3人のみだったのですが、今は無き「いしずやラーメン」に行って400円のラーメンを食べていたこともありました。

よくあんな「看板すらない」ぼろ家に伏木の人たちが来てくれていたなあと感謝しています。

当時の中学3年生の男子が「ある出来事」をきっかけに、狂ったように勉強し始め、「伏木中学校で100番」だったのに、10月の富山全県模試で「富山県で3,500人中、103番」という、とんでもない結果を出してくれました。

彼は「テレビなしでも生きていけるもんやなあ」と言っていました。

僕は「高岡高校受けられ」と言っていたのですが、彼は断固拒否。大門高校へ進学しました。

一度スイッチが入ると恐ろしい中・高生 そのすさまじさに驚きました。


ゆずファンだった伏木中学校の女子生徒さんは、バドミントン部で、どうしても個人戦で勝てない人が1人だけいて、「頑張っとるね~、どうしてそこまで頑張るが??」

と僕が聞くと「自分に負けとる限り、一生ライバルには勝てん」とつぶやいていました。とてもガッツある生徒さんで、塾は閉鎖してしまいましたが、その後彼女は奮起し

結果、高岡高校へ入って行きました。ゆずを聞くと今でも彼女のことを思い出します。

夏休みに2回「国分浜」でバーベキューをみんなでしました。楽しかったですね。

新湊高校の女子生徒さんは奮起して「警察官になりたい!」と言っていて、秋田大学の教育学部に進学されました。お母さんが秋田の方で、親戚が秋田にいたため、秋田大学にしたそうです。

僕は新潟を勧めたのですが、彼女は「自信がない…」と言って、A判定だった秋田へ行きました。

振り返れば、27歳のときにすでにそれなりの結果を出していたのに、「お金の道理」を不勉強だったため、多大な迷惑を僕は生徒さん・親御さんにかけてしまいました。

「お金の道理」=本田健か… 浜省の次のスーパースター「本田健」。とりあえずYoutubeから勉強してみるか…


PS:能登地震のあと、伏木は被害を受け、かなりひどい惨状になっていて、伏木を訪ねるたびに、少し胸が痛みます。早く復旧してほしいなと願っています。
2026年09月29日 10:04

現在地

34歳の時を最後に、先輩とはもう会えていません。

当時は、かなり厳しいことを指摘されたなとかなり落ち込みました。

でも今、冷静に当時のメモを読み返すと、先輩のおっっしゃっていたことは、ずばり当時の僕のことを見抜かれ、的確な指導だったのかなと思います。

当時は毎週1回、先輩の家で7人くらいで集まり、先輩がいろんな話をしてくださっていました。

僕は、家庭教師を終えたあと、先輩の家に途中から参加させていただいていました。

僕は先輩が一生懸命に話されているのに、半分眠りながら話を聞いていました。

「佐伯、お前また睡眠学習しとるぞ?(笑)お前、人ん家に飯食いに来とるんか?しょーがねーの~」

と笑っていました。

とてももったいないことをしていたなと反省しています。

当時はまさか先輩が、僕たちとは全く違う、遠い世界の人になるとは思ってもいませんでした。

「とても面白い人だなあ」くらいにしか思っていませんでした。

先輩は毎回、「いかにして儲けるか」という話をされていたのかなと思います。熱く、かつ楽しくいろんな話をしてくださっていました。

前々回のブログのような、大変厳しいご指摘を受けたのが、先輩と話した最後の会話(電話)になりました。

今、先輩がどこにいて、何をされているのかは、わかりません。

当時は先輩は、小さな会社の社長をされていました。どこにでもいるような、「気さくで面白い人」という印象を受けていました。

ある日、ある人との出会いをきっかけに先輩はチャンスをつかみ、一気に僕たちからは遠く離れてしまったところに行かれました。

もちろん、今、僕が当時のように気さくに先輩に話しかけることはもうできません。

僕は今までいろんな人から𠮟責を受けてきました。もちろん、両親とは何回もぶつかり、「僕対両親」で激しく口論をしたことも何回もありました。

でも先輩から厳しく言われたことが、やっぱり20年近くたった今でも、強く心に残っています。


働くといことは、誰かのために貢献することかなと思います。

もちろん、働くことだけが人生のすべてではありません。

友達と楽しく過ごしたり、大切な人と過ごしたり、家族と過ごしたり、人によって生き方はさまざまだと思います。

あれから僕は本田健の本を読み始めていたのですが、途中で挫折してしまい、おとついのブログを書くまで本田健さんの本からは遠く離れていました。

今はYoutubeという、大変ありがたい媒体があるおかげで、いろんな人の話を、しかも無料で視聴することができます。

とても便利な世の中になったなと思います。


浜省にしても、当時はファンクラブに入り、2か月に1回届く会報に書いてあることだけが、唯一の浜田省吾さんに関する情報を知る貴重なチャンスでした。

今ではインターネットで「浜田省吾」と検索すれば、膨大な浜省に関する情報を手に入れ、無料で浜省のいろんな曲を聴くことができる時代になりました。

浜田省吾さんは、仕事とプライベートをきっちり分ける方です。サングラスを絶対にはずさないのも、プライベートと仕事をきっちりと分け、別別の生活を切り離すためなのだと思います。

もちろん本当のところはご本人しかわからないのですが、そのようなことをよく記事で見かけます。

浜田省吾さんがテレビに出る、ということも今までほとんどありません。この先も多分ないと思います。

Youtubeを通して、気軽に浜田省吾さんの情報がめちゃくちゃ入るようになりました。

本人は多分、半分はうれしい、でも半分は迷惑されているのかなと僕は勝手に思っています。

浜省は「僕は有名になりたいとは全く思っていません。自分の好きな音楽を通して、そしてコンサートを通して、僕との時間をみなさんで分かち合えたら、とても嬉しく思います。

つかの間の夜ではございますが、今夜は日ごろの仕事のことや学校のこと、家族のこと、いろんなことを一度忘れて、楽しい夜にしていただけたら、俺たちミュージシャンとても嬉しく思います。最後までどうぞよろしく!」と言って、コンサートが始まります。

毎回のコンサートで必ず浜省が言うのは「今の僕があるのは、毎回のコンサートを通して、僕の音楽を聴いてくださって、そして支えてくださっているみなさんんがいてくれるおかげです。もちろん、音楽が人の苦しみを救うとか、病気を治すだとかいうことはできません。

でも、今夜のコンサートを通して、少しでも今日来てくれた皆さんの気持ちに寄り添えたら、とても嬉しく思います。今度いつ会えるかは、わかりません。

その時までどうか、心も体も健康で、そして笑顔で再会できる日を、楽しみにしています。」


浜田省吾さんは、一見クールで、かなり「気難しい人」に見えます。

でも、僕の知る範囲での浜田省吾さんは、かなり面白い人だし、決して全面的に明るい、という方ではありません。

しょっちゅう行き詰まり、「自閉症になりました」みたいなことを言われています。


かつて「愛という名のもとに」というドラマが入っていたとき、「悲しみは雪のように」という曲が売れ、一時「浜省ブーム」が起きました。

当時僕はCDレンタルショップに行くたびに浜省のことがクローズアップされた記事を見かけました。

もちろん、テレビ番組からのオファーも山ほどあったことと思います。でも浜省は1回もテレビには出演されませんでした。

あとで知ったことですが、当時、浜省は極度のスランプに陥ってしまい、かなり精神的に疲弊していたそうです。

自分の知らないところで勝手に情報が出回り、今まで地道にコンサートのみで自分の音楽を楽しんでいたのに、急に世間に自分の存在が広く知れ渡ってしまったことに戸惑っていた

という話を聞きました。

「愛という名のもとに」というドラマの中で、浜省の曲が毎回流れていました。

でも再放送を見ると、すべて浜省の曲はカットされ、異なるBGMに切り替わっていました。本人からの要望だったのかなと思っています。

あるコンサートのときに「昔の話になりますが、一時僕の曲が売れたことがありました。全くテレビっていうやつは…」と苦笑いしていました。

ああやっぱりか、と僕は思いました。

それ以来、浜省の曲がテレビドラマやCMで流れるとういうことはありません。

コンサートでのみ、(ライブDVDでのみ)浜省の声を聞くことができます。

一ファンとしては「もっと儲けるために、少しはテレビに出て宣伝すればいいのに…」と思うこともありますが、どうやら本人には全くその気はないようです。

大好きなコンサートのみを通して自分の好きな音楽を届けたい、それしか考えていないのだと思います。

ここ10年ほど、浜省はアルバムを出していません。「歌詞が出てこない」といつも言っているように、多分今回もメロディーは作れるけど歌詞で苦戦されているのか?

そもそもやっぱり大好きなコンサートに集中されていのかなと、僕は勝手に思っています。

僕が最後に浜省のコンサートに行ったのは、5年ほど前にオーバードホールで行われた、ファンクラブ限定のコンサートです。

とにかくチケットが取れない・・・

浜田省吾さんは、僕のちょうど20歳上になります。今度の12月29日で74歳になります。

今のうちに聞いておかないと、引退してしまう!と焦っています。

今度こそ、浜省のコンサートに行きたい、と思っています。いろんな土地でのコンサートに申し込みたい、と思っています。

今の僕の生活の中では、やっぱり浜省の曲の存在は、特別なものであり、どれだけ浜省の曲に救われているのか?

言葉では言い尽くせないほど、感謝しています。

幸い、Youtubeのおかげで毎日気分の赴くままに、浜省のいろんな曲を聴いて、リラックスタイムを過ごさせてもらっています。

尾崎豊さんもそうですが、今でも熱狂的なファンが多く、絶大な支持を得続けています。

僕はそれほど尾崎豊さんの曲には詳しくはないのですが、いろんな本やネット情報で尾崎豊さんに関する情報を手に入れています。

浜省や尾崎について熱く語れる人とこの先出会えたらいいな、と思っています。
2026年09月28日 04:24

浜省っちゃ広島の人なんか??

「おう、お前の影響で、なんとなく浜省の歌最近聴いとるんやけど…」

「えつ,そうなんですか?ありがとうございます!」

「浜省っちゃ広島の人なんか??やたら歌詞の中に戦争とか出てくるけど…」

「はい。浜省のお父さんが警察官で、浜省が小学生~中学時代にかけて10回くらい広島県内転校しとったみたいです」

「ふ~ん。あの例の『星の指輪』け?お前の前で言ったら悪いけど… 夢物語みたいな歌やぞ?現実離れしすぎや!」

「そうなんですか」

「当たり前やろ?どこの夫婦に自分の奥さんに『今も変わらず恋してる』とか言うがよ? まぁまだ独身のお前にはわからんやろうけど…」

「そうなんですか?僕には何となくイメージできたんですけど…」

「お前中学生か?どこの夫婦にそんな年中happyな人おるがよ?ちょっと考えたらわかるやろ?お前みたいヤツが即離婚するんやぜ(笑)」

「ウソや思たら、友達に聞いてみいよ?お前、何しに新潟大学行っとったんよ?佐渡島でも見に行っとったんか?」

「もっと現実的な歌あるやろ?例えば『初恋』け?」 「あの歌めちゃくちゃ歌詞いいねけよ!!初めて聞いた時、鳥肌立ったぞ!浜省の生き様をそのまま年表にしたような歌詞やの?」

「あ~確かにそうですね。少年のころからの成長物語みたいな歌詞ですね」

「俺は素人やから、せいぜいでJ BOYとか MONEYとか「もうひとつの土曜日」け?そんなんしか知らんけど、浜省ファンの中でっちゃ実際どうなんよ?」

「あ~それいい質問ですね。ファンによって浜省のお気に入りソングはバラバラです。だけど「もうひとつの土曜日」とか「MONEY」とかは、多分人気そんなにないと思います。

「何でよ?めちゃくちゃ有名やねよ?」

「な~ん、あまりにも有名すぎて、ファンの中では多分不評やと思います。よくカラオケで馬鹿の一つ覚えみたいに「もうひとつの土曜日」とか歌っとる人とかいますけど、「またそれか?」って僕とか浜省ファンはあきれてると思いますよ。

ふ~ん、そんなもんなんか?まあ俺は尾崎世代だから、どうしても「卒業」とか「シェリー」とかには強い思い入れあるの。

よくテレビで「I Love  You」ばっかり流れとるけどあれは何なんよ?あればっかりやねよ?マスコミの奴ら、何もわかっとらん」

「あ~その気持ち、よくわかります。尾崎も若いころ浜省の曲、かなり聴いとったんで浜省と尾崎の歌詞には、結構似たような歌詞出てきますよ!」

「そうなんか?それは初耳やわ」「お前さすが浜省ファンやの?詳しいの~。まあ俺の中では『初恋』かなあ。「俺の初恋はロックンロール」って… 浜省叫んどるの?でもそれだけ好きなんやろうの」

「でも何であんなにやたらと洋楽け?あっちの歌ばっかり出てくるがよ?浜省っちゃ、邦楽嫌いなんか?」

「はい。多分。でも山下達郎は浜省と同期というか、同じ年齢だったかな?仲いいですよ」

「ふ~ん。お前よく知っとるの~。そのガッツを仕事に活かせよ(笑)」「お前のやっとること、つっこみ所満載やぞ!」

「えっそうなんですか?」 「当たり前やろ?何であれだけの結果出しながら閉鎖なんよ?意味わからん。俺だったらとっくに福光制覇しとるぞ!ちょろこいの~」

「そうなんですか??」「まぁお前はまだ駆け出しや。そんなこともあるちゃ。」

「まあでも浜省の年齢くらいの人っちゃ、圧倒的にビートルズファン多いよの?それは何となくわかる」

「僕はあんまりビートルズは詳しくないんですけど・・・」

「なんで浜省っちゃ、あんだけいい歌作っとるがに、あんなに売れてないがよ?作戦か?」

「まぁ一番の原因はやっぱりテレビにいっさい出ないからですかね」

「確かに俺も浜省がテレビで歌っとる姿、見たことないわ」

「浜省は若いころに2・3回だけテレビに出たんですけど、たかだか1時間番組のために、朝からリハーサルとか?うんざりしたみたいですよ」

「なるほど。それは知らんかったわ。とにかく俺の中では『初恋』が圧倒的に1位や!」

そうなんですね!いいですよね。僕も『初恋』好きですよ。メロディーもかなり好きです。

「まぁあれだけ長いこと活躍しとるってことは、理由があるはずや。たくさんの人の夢を背負って大変やろうの」

「お前、浜省生きとることに感謝しれよ。尾崎は死んでしまったからの。二度と尾崎の肉声は聞けんからの。残念やわ」

「お前、浜省のコンサート行けるうちに行っとけよ。なかなか浜省を越えるようなアーティストは出てこんぞ」

「はい、わかりました」

「まぁ、また浜省の話聞かせてくれよ!」

「はい!ありがとうございます」
2026年09月27日 09:39

33歳。夏。

僕が33歳のときに、とある先輩に電話したときの会話です。過去のことや、これからのことについて指導していただきました。

当時僕は、福光の塾を閉鎖して、週に1回だけ高校生の数学を教えるために福光に通っていて、あとは富山に帰って来て,この先どうするのか?

悩んでいたときに,当時お世話になっていた先輩に指摘されたことを思い出しながらたどってみます。

この先輩には30歳~34歳の終わりまで、大変お世話になりました。


「おう。久しぶりやの。元気だったか?お前が俺に電話してくるくらいや。よっぽどのことがあったんやろ?何があったんよ?

……お前、今まで伏木と福光で塾つぶしてきたよの?お前の事情もわかるけど、残された生徒さんと親御さんはどうなるがよ?そんなもん迷惑や。単なる迷惑。

お前に投資してきたお金と時間は何だったんよ?お前、自分で生徒さん集めたんやろ?辞めるがは仕方ないとして、だったら、生徒さんが卒業するまで責任もって送り出すがが、お前の仕事やろ?生徒さんが5人とか10人とか2人とか…そんなもん関係ないわい。最後まで責任だけは果たせ。」

値切り交渉してきたときは「責任ある指導しているので、値下げはできません」そこでその話は終われ。

お前は優しいからなんとかしようとか説明とかしとるけど、無駄。それ以上何か言ってきたら「他の塾へ行ってください」で切れ。そんなもんお前が仮に値下げしてみい。親はお前に感謝なんかせんぞ?

「この先生は言えば安くなる。もっと値切ろう」くらいに思うのが関の山や。だから絶対に値下げなんかするな。そんな客は際限なくお前に要求してくるぞ。

はっきり言って商売の邪魔や邪魔。他の生徒さん・親御さんのことを考えろ」

例えばスーパーで量が少ないけど高い油。量は多いけど安い油があるとする。お前、どっちの油買う?

健康のこととか考えたら、普通は高い油を買うよの?それと一緒や。お前の塾の月謝が高かったら、お金ない家だったら、生徒さんは通いたくても通えんよの?そういう現実を教えるのもお前の仕事や。割り切れ」

お前、本田健の「ユダヤ人大富豪の教え」ゆう本知っとるか?3回読んでみい。それ読み終えたら本田健の本をとりあえず読めるだけ読め。お前のやっとることはボランティアみたいなもんや。ビジネスじゃない。単なる自己満足の世界や。

「お金の道理」を勉強しろ。英語とか数学とか、そういう勉強はもう十分やってきたやろ?次はお金の勉強をしろ。「経営」とか勉強するがはもっと先のことや。

まずは「お金の道理」を徹底的に勉強してくれ。


お前,以前今まで家庭教師なんとかいう「会社」に所属して家庭教師やっとったよの?

それはお前が教えるが上手だから生徒さんがおったんやない。会社の看板で仕事させてもらっとっただけや。

カン違いするな。いざ会社辞めてお前一人で独立してやってみい。そんなどこの馬の骨かわからんようなヤツの所に、誰がいきなり来るんよ?

今までのお前のキャリアなんか何の役にも立たんわい。仕方ない。現実はそんなもんや。会社辞めたとたん、「不満」は「不安」に代わるんよ。

生徒さん一人獲得するがに、どれだけ大変な思いするか?これから経験してくれ。そしたらどれだけ「お前が文句ばっかり言っとった会社」がすごかったか?

嫌というほどわかるはずや。今まで何の苦労もせんと、当たり前のように生徒さん紹介してもらって、ただ授業だけして、毎月決まった日に決まった給料入っとったよの?

それがどれほどありがたいことか…サラリーマンは会社に安いゆうて文句言いながら生活しとるんよ。

自分で商売するってことは、毎月50は必要だよの?

お前はもう、「雇われ」じゃない。個人事業主なんよ。今までとは置かれとる立場が違うがよ。自覚してくれ。お前、まさかどこかの塾に転職しようとか?考えとらんよの?

お前今まで好き勝手やってきて、今さらがんじがらめのサラリーマンが務まるとでも思っとるんか?絶対に無理や無理。頭冷やして考えてみい。

組織におったら、例えばお前が風邪ひいて休んでも、誰かが代わりに、または会社が代わりにお前の分をカバーしてくれる。

でもお前が今、体こわして休んだら、どうなるがよ?その日から給料は0や。

組織におったら、悩みを聞いてくれる上司や愚痴を言い合える同僚ゆうもんがおる。まあ確かにムカついたり、理不尽なこともあるちゃ。

でもお前には悩みを聞いてくれたり、お前が間違った方向に行っとるとき、それを正してくれる人はおらんよの?お前の代わりはおらんがよ。お前しかおらんがよ。

生徒さんは「安心」を求めてお前の所に来てくれるがよ。だけどもし、お前がふらふらしとったら、それを見た生徒さんはどう思うよ?余計なこと考えんと、目の前のことに集中しろ。

お前、福野高校の生徒さんを、120番から12番に上げたんやろ?そしたらそれを見た1番の生徒さんが塾に入ってくれたんやろ?結果出せばそんなもんや。くだらんチラシとか、そんなもん関係ないわい。佐伯優一郎ゆう、お前の名前で生徒さんが集まるがよ。それがフリーランスゆうもんや。

俺なんか毎週のように全国飛び回っとる。朝ホテルで起きて、車に乗せてもらって、会場まで移動して、そこで話してまたホテル。毎日自分がどこにおって、明日はどこにおるんか?

そんなもんいちいち把握しとらんわい。ただ一生懸命に自分の仕事するだけや。

例えば名古屋か東京に俺が行くとする。飛行機代は誰が出すんよ?オレやの?名古屋がもしもお客さん少なくて、東京が多かったら、最初から名古屋なんか行かんわい。

俺が東京に行くってことは、そういうことや。確かに自営は大変だけど、成功したら自分では考えれんくらいのお金が入って来る。当たり前や。俺が俺の力でとってきた仕事や。

全部俺のもんや。そこがサラリーマンとは決定的に違うとこや。

お前、暇さえあれば結婚したいとか言っとるよの?お前、間違えるが人生だけにしとけよ。順番逆やろ?

お前が今することは何よ?仕事やろ?女にうつつ抜かしとる暇あったら、本読んだりセミナー行ったりして勉強しろ。くだらんコンパとかスナックとか…あんなもん金に余裕のあるヤツが行くとこや。今のお前、どこにそんな余裕あるがよ? もっとすることあるやろ?お前の周りにのんきにパチンコとかしとるヤツおるやろ?

そんなヤツといっしょになって騒いどるうちに、お前の人生終わるぞ。そんなもん切れ。離れろ。

お前にとってそんなヤツから学ぶことなんかあるがか?もっと考えて友達付き合いしてくれ。そもそもお前の置かれとる立場は、友達と遊んどる場合か?

オレみたいになりたかったら、仕事しろ。

ただ、まあ話聞く限りでは、お前は実績だけは確かにあるよの?お前のやってきたことはそういう意味では間違っとらん。自信持て。

勉強以外の勉強をこれからしてくれ。友達付き合いもそう。だいたいお前は人が良すぎる。だからいいように友達に利用されるんやぜ。

親しき仲にも礼儀ありって言うやろ?お前の邪魔するようなヤツとは距離を置け。お前が少しでも学ぶことできたり、励みになるようなことやっとるヤツと付き合え。

そこに男女は関係ない。女にだって、子育てしながら必死に働いとる人はたくさんおるやろ?男がいいとか、女がいいとか、そんなこと考えんともっと広く人から学べ。

年上だとか年下だとか、そんなもん関係ないわい。もし年上のヤツで偉そうに説教ばかりしてくるヤツおったら、そんなもん絶縁しろ。

時間の無駄や。人生は有限なんやぞ。お前、来るもの拒まずやろ?だから時間どんだけあっても足りんがよ。

確かに友達は大切や。俺にも友達は少ないけどおる。友達の数が多いとか少ないとか、関係ない。どれだけ深い付き合いしとるかが大事やろ?

お前もう、学生じゃないよの?だったらくだらん友情ごっこみたいなことにいつまでも浸るな。何かを手にするってことは、何かを捨てるっていうことや。

お前みたいにあれもこれもとかやっとったら、永久に今の貧乏暮らしから脱出できんぞ?お前そんなみじめな人生でいいんか?

まあ俺がこれ以上くどくど言っても、決めるがはお前や。お前の人生や。誰にもお前の人生に横やり入れる権利なんかない。

お前が自分で悩んで行動して、そしてひとつひとつ修正していけ。仕事なんかその繰り返しや。頑張れよ。

あと、お前の言っとった、浜省の「星の指輪」ゆう曲聞いたよ。いかにもお前が好きそうな歌やの。

俺もいい曲だと思ったよ。嫁さん大事にするちゃ。これからも浜省聞いて頑張れよ。

行き詰ったらいつでも俺の所に電話してこいよ。俺はお前を信じとるぞ。

あと最後に…お前が家庭教師の雇われの時にもらっとった5,000円と、お前の塾の授業料として月謝袋の中に入っている5,000円。どっちとも同じ5,000円だよの?

だけど「お金の重み」は全く違うよの?」 お前が何もないところから、誰にも頼らず稼いだ5,000円。やっぱりお前にとっては重み・意味が全然違ってくるはずや。

そういう面からも「お金の道理」を学んでくれ。

本田健は「お金の専門家」や。俺も本田健からたくさん学んどる。勉強になると思うぞ。

お前の弱点は「お金」や。勉強して克服していってくれ。「受け取り上手」になれよ。まあ急には無理だと思うけど…
2026年09月25日 23:31

北川から言われたこと

一高時代、僕の友達に北川という男がいました。

熱い男なのですが、よくケンカもしました。意見のすれ違いというか、お互いに頑固なので、言い合いになるとどちらも引きませんでした。

そんな北川に高校2年生のときに言われたことで、今でもよく思い出す言葉があります。

北川は学校から2人で帰っているときに、僕にこう言いました。

「佐伯は黒か白しかないやろ?どっちかに偏っとる。そうじゃなくて、黒と白の中間の灰色の中で生きていくってことを覚えたらどうだ?」

当時はその意味がいまいちよくわからず「そうやの~」としか返事できませんでした。

でも20代のころも30代のころも、今もその言葉がぴったりと僕自身に当てはまっています。

僕はよく友達から「佐伯は極端やわ。もうちょっとバランスを考えて、物事に対して考えたほうがいいと思うがやけど…」
と言われます。

自分でもよくわかっているのですが、僕は特に男友達と接するときは「めちゃくちゃ仲がよいか、それか他人」というスタンスで接しています。

そのため、友達はそんなに多くはありません。ただ、仲が良い人とは本当に仲が良く、そのため注意されたり、でも親身になって相談にのってもらったりもしています。

腹が立つこともありますが、心の中では感謝しています。


基本的に僕は仕事のことでのストレスはそんなにありません。年末あたりから3月にかけては、どうしてもピリピリしてしまいますが…

中学時代の友達はよく「頑張るがは生徒。お前は教える事さえちゃんと教えて、頭の中ではボラボラ島のことでも考えとればいいんやぜ」

とか「言い方は悪いけど、生徒はお前から見ればお客さんや。金づるやと思ってもっと気楽にやれよ」とか言われています。

一方「俺の娘は今中3なんやけど、どんな問題集使ったらいいと思う?〇〇高校だったら、どの程度までできればいいかね?」

と相談されることもあります。そのときはもちろん友達の娘さんのことを適当にあしらおうとか、金づるだとかいう風には見れません。友達だからこそ、真剣にアドバイスします。

その友達は受験が終わると「ありがとう。佐伯の大変さがよくわかった。これからも頑張ってくれの!」とお礼を言われることもあります。

受験生を教えているときはもちろん、必死です。色で例えると黒です。白ではありません。全力で教えます。

もちろん、いい加減なことをされて、受験に失敗されても、僕の実績にも傷がつきます。

よく僕は三者面談のときに「〇〇さん、あんた一人で勉強しとるがじゃないがよ?あなたの家族の人、それから俺も下手してあなたにコケられても、この塾の実績にも関わってくるがやよ?だから真剣に勉強してね。俺とあなたは運命共同体なんやよ。」と言います。

そのため手を抜くということはできません。

これが1・2年生になってくると、宿題をやってこなかったりした場合は、かなり僕のテンションは下がります。正直腹も立ちます。

そういうときは、心の中では「ふう~。もう知らん。勝手にやってくれ」とさじを投げたくなることも、確かにあります。

いくら僕がその日の授業のための準備をしてきたとしても、宿題を忘れてくると、僕のしてきた準備は台無しになってしまいます。

まあ宿題をやってこんヤツが悪い、ということになります。ただ、そんな生徒さんはほとんどいません。

あまりにも宿題をやって来ない場合は、もう最初から宿題は出しません。もちろん復習として出す宿題がないため、生徒さんの学力はつきません。

過去に数人そんな生徒さんはいましたが、最近はそこまでひどい生徒さんはいません。

北川の言う通り「白か黒かではなく、灰色」のスタンスで考えるならば、宿題をやってこようが、宿題を忘れてこようが、授業内容に差はつけるな、ということになるのかな?

理屈ではもちろん、わかります。でも僕は宿題もできない人に、新しいことを教えるガッツはありません。そういう面ではダメな講師だなと自覚しています。

灰色か…  難しいですね。三つ子の魂なんとか というように、今さら性格を変えることはできないかもしれません。
2026年09月25日 07:53

1988年3月24日

「あなたは1年の中で何月が最も苦手ですか?」

僕は中学・高校時代,4月が一番苦手でした。

理由は「環境が変わるから」

中1から中2に上がった時、(僕は1年5組でした)、僕は2年1組になりました。

とりあえず新しいクラスメートを見ながら「1年5組だった人はおるかな?」と思ってクラスを見回してみましたが、男子の中で「もと1年5組」だった人は0人でした。

「うわ~。マジか。誰もおらん…」僕はいじけていました。

いわゆる「新しい新学年のスタートでもある4月」 毎日緊張しながら過ごしていました。

僕は極度に緊張すると当時、すぐに腹を壊していました。

とにかく新しいクラスに慣れるまで時間がかかりました。

中2→中3に上がった時はもと2年1組だった友達がいて、あとは1年生のときのクラスメートも数人いました。

そのおかげで3年生の4月は無事過ごすことができました。


時は流れ、高校へ進学。


僕は1年19組になりました。そのときも「元岩瀬中学校」」だった友達・知り合いは0人でした。

まあ仕方ない。僕の時代、岩瀬中学校から富山東高校を受験した人は18人ほどいました。その中で、僕以外、全員が東高校に合格しました。

なので、岩瀬者は19組には0人。僕だけ。

岩瀬から富山中部高校を受けて落ちたのは1人だけでした。その人は18組にいました。

「また1人からのスタートか…」 僕の「下痢」がまたもや始まってしまいました。とにかく4月は体調は悪かったです。

でも、4月にあった「宿泊学習」で石川のなんとか自然の家で合宿?があったとき、19組の男子とサッカーをしたり、部屋で雑談をしているうちに、少しずつ友達も増え、緊張感もとれてなんとか体調は治りました。


さて、話は少しさかのぼり、一高に入る前の3月24日。 僕は一高に呼び出され「特待生の試験・面接」を受ける事になりました。

この試験に通れば「特待生(奨学生)になることができる」という、大切な試験でした。科目は英語・数学・国語のテストでした。

英語の長文問題を解いていたときに、「believe(信じる)」という単語が出てきました。

僕はこの「believe」の意味がわからなくて、悩んでしまいました。

当時ちょうど浅香唯の「Believe  again」という曲が流行っていました。でも意味はわかりませんでした。


次は面接でした。

面接で何を聞かれたのか?もう忘れてしまいましたが、とりあえず、面接も無事に終わりました。

そして,3月24日の特待試験が終わり、結果は全員合格→全員特待生 になりました。よかったよかった。

今はどうなのかわかりませんが、僕たちの時代は、1年の4月に特待生が校長室に全員呼び出され、校長先生から直接、お金の入った封筒を受け取りました。

校長先生は何やら激励の言葉を言っておられました。一高の試験料、あとは入学金も全て返ってきました。 母は喜んでいました。

担任だったM島先生が「いいか、もしも成績が下がったら、2年に上がる時に特待生の資格はなくなるぞ。だからお前ら、勉強しろ」と言われました。

そうなんや、それは勉強せんならんな、と思いました。

3月24日の特待試験のときに、3教科の試験が終わった後、教室で試験監督をしていた先生が、僕たちに

「もうあなたたちとは会えないかもしれないので、一言言わせてもらいますね。

あなた方は残念ながら県立高校受験に失敗しました。今のあなた方はとても落ち込んでいると思います。それなのに今日は一高へ来ていただき、ありがとうございます」

と言ってくれました。少し救われた気持ちになりました。

結局振り返れば、僕は何とか3年間特待生で過ごすことができました。ホッとしていました。


そして試験が終わり,春休み、3日間だけ、友達の父親が勤めていた塗装会社のアルバイトをしました。

人生初のアルバイト。朝8時~夕方5時まで働いて、3日間で13,500円ほどのアルバイト料をいただきました。

とにかくこの春休みは精神的に不安定でした。とにかく今の状態が辛い…

そう思っているときに、のりぴー(酒井法子)の「GUANBARE」という曲に出会い、何回も聴いているうちにのりぴーのファンになっていきました。

こうして僕の「のりぴー時代」は一高へ入学するころからスタートしました。

一高へ入学して、偶然隣の席に座っていた辻ものりぴーファンでした。僕と辻は毎日のようにのりピーの話をしていました。

当時、北日本放送のラジオ番組で平日0:15~0:30まで「のりぴー気ままにセンセーション」という番組が放送されていました。

毎日学校で辻と「昨日ののりぴー聴いた?良かったよの~」と言っていました。

何かにすがりつきたいほど不安定だった僕は、のりぴーの存在に救われ、いつの間にか熱狂的なのりぴーファンになっていました。 つづく
2026年09月24日 07:04

一高クラス会から帰ってきました~

先ほど一高クラス会から帰ってきました。とても楽しかったです。

特に女子とはかなり久しぶりに話す人が大半だったので、嬉しかったです。

今日を振り返って一番うれしかったことは、なんとクラス会に来てくれた人の中に、僕のこのブログを読んでくれている人が2人もいた!!ということです。

正直かなりびっくりしました。

僕はこのブログは基本的には何も考えずに思いついたまま書いています。(だから時々話が大きく逸れて行ってしまうのですが…)

まぁ僕は作家さんではないので、そのへんは多めに見てもらうとして…

ブログを読んでくれている友達が「佐伯のブログ面白いけど、勉強に関するブログのときは、ごめん読み飛ばしとるわ~」と指摘してくれました。

もう一人の僕の友達も(今日はクラス会には仕事のため欠席だったのですが)佐伯の勉強のブログは読んでないよ~」とやんわりと指摘されました。

もしかすると確認できなかったのですが、唯一の女子の方もそう思っているのかもしれないな…(冷汗)

確かにブログの本などを読んでいると「ブログを書くときは、誰に向けて書くのかを最初にしっかりと決めましょう」と書いてあります。

答えは二つ書いてありました。1つは「これからお客さんになってくれる人(僕の場合は中学生やその親御さん)に向けて書きましょう」というもの。

もう一つの答えは「あなたのことを知っている人(つまり僕のことを知ってくれている人)に向けて書きましょう」というもの。

僕は迷っていました。

「う~ん、難しいなぁ。確かにこのブログを通して僕の塾(家庭教師)の存在を知ってくれて問い合わせがあればいいなあ」とは思っています。

しかし残念ながら今日まで7年半、寺子屋をやってきて入塾していただくときに「ブログを見ていました」と言ってくれた親御さんは0人です。

誰もいませんでした。このブログは毎日「昨日僕のブログを読んでくれた人の住所」が数字として出てきます。

富山市の方は毎回5人~6人くらいです。名古屋1人と書いてあり毎回僕は「名古屋?誰やろ?」と疑問に思っていました。

しかし今日その謎が解けました!「名古屋1人」の正体は愛知県に住んでいる、今日クラス会に来てくれた真太郎君(笑)でした」

真太郎は毎日のように僕のブログを読んでくれています。それどころか「時たまブログ削除されたり、内容が微妙に変わっとるよね?!」と言っていました。

「マジで?よく見とるね!!」僕はびっくりしました。


指摘されたように、僕は勢いで何も考えずにこのブログを書いているので、最近だと「ジャックポット」というYoutubeを見たあとは、とても攻撃的な性格になってしまい

(それだけジャックポットという動画を見ると熱くなります。

「不倫に関する相談が届く→探偵を雇い、証拠が集まる→夫婦・不倫相手を交えての修羅場→たいていは離婚」というパターンが多い動画です。

ただ弱点があって、その動画はだいたい1時間くらいの内容なので、観るのが大変です(まあ僕は暇人なので1日おきに見ていますが)

ジャックポットの「しんりさん」という30才くらいの男性の魅力があまりにもすごすぎて、見た後はとんでもない強気なテンションになっています。

たいていその動画を見た後は「受験生頑張ってください」的なブログになってしまいます。この「おせっかいブログ」がはっきりいって不評です。大不評です。

なので、とりあえず塾講師の立場はいったん忘れてこれからは「わかる人にはわかる」内容のブログに切り替えていきます。


正直受験生には全くもって「ナンセンス」なブログになってしまいますが、勉強ブログは書いている僕もぶっちゃけあまり楽しくはありません。

わかりきったことをブログで繰り返しても飽きられるだろうし、そもそも面白くない(笑)「お説教ブログはおしまい」

とりあえず「寺子屋に来てほしい」とか「家庭教師として問い合わせてほしい」という欲望は捨て(現に射水市の人はほぼ誰も僕のブログは見てくれていません。よって却下)」 あとは

大門は今来てくれている生徒さんで終了。今の中学2年生が卒業したら大門は撤退。現に7年寺子屋をやってきて、「問い合わせがあったのは新聞にチラシを入れてときのみ」でした。

チラシを大門エリアに1回入れるとだいたい75,000円かかります。これを2週間続けて折り込みチラシを入れると(北日本新聞大門エリア・読売新聞大門北エリア・読売新聞大門南エリア)

あっという間に15万円もの大金がふっとんでしまいます。これで問い合わせが0件だったときは、かなりブルーな気分になりました。

なので、どうせブログを書くなら、僕自身が楽しい気分で書けるような内容にしようかな、と思います(一高の友達、今現在僕のブログを根気強く読んでくれている方々にさえ届けばい
いかな」という思いで、明日からはブログの内容を変えます。

極力実名は出さず、一応個人情報は避けるよう、気をつけて書いていきます。まあ今回は仮名「真太郎」君という登場人物が出てきましたが(汗)まあいっちゃ!友達やし。


ただ、今回のクラス会、1つだけ後悔があります。それは男友達2人と全く話せなかったことです。これは後悔しています。

なので近いうちに僕の方から2人には声をかけさせてもらい「クラス会リベンジ版」を行います(笑)

今度は二人と熱く語りたいと思っています。あとは参加者自由に募らせてもらって、クラス会リベンジ版を開催いたします。

それにしても今回のクラス会はめっちゃ楽しかったです!

「学生時代の友は一生の友」という言葉を聞いたことがあります。本当にそうだなと思いました。 

♪そこに着くまでそんなに時間は かからないから僕を待っててくれないか?

ほんの少しだけでもいいんだ いっしょにいてくれないか?

話したいこと たくさんあるんだ♪ ゆず 「遊園地
」

終わり

PS:本当はコメントらんを開放にして、自由にコメントを書き込んでいただきたいのですが、それをすると、わけのわからない外国の企業さんからの意味不明なコメント(URLなど)
が多数寄せられてしまいます。そのため、コメントらんをオフにさせていただいています。すみません。

よっぽど僕に言いたいことがある場合は寺子屋学習館のホームページの「お問合せ」のところから入っていただき、コメントされてください。

でもクレーム誹謗中傷は傷つくのでご遠慮願います。
2026年09月23日 02:21

When I was 20 years old in Summer

    G        Em     C       D     G     Em    C    D  
あこがれのキャンパス 坂道降りてく

    C       D              G       Em       C       D7   G   D
ギターかかえ 俺は一人 いつもの海へ

  G       Em   C      D     G     Em    C     D
浜辺に片寄せ  笑ってる恋人達

   C    Am7         G         Em            C    D      G  G7
互いの気持ち確かめ合って 夕陽を見てる

    C      D      G         EM       C     D      G  G7                 
二人で待ち合わせた新潟駅からずっと 

 C        D      G     Em   
歩いたねあの日のこと

  C    D             G   D
覚えているかい?

  G            Em   C     D         G     Em     C             D           
バイト終わり静かな 夜の列車聞こえるよ

   C      D        G        Em     
俺の疲れ癒すような 

   C       D       G        Em     C             D
お気に入りのロックンロールmusic


   C       D        G        Em      C   D    G  G7
悲しいぜ俺いつも 悩んでばかり

          C          D         G        Em        Am     C            D
でもお前見るとその寂しさ どこかへ消えてく…

  G       Em        C         D      G           Em     C        D  
いつまでもその笑顔  忘れないでいておくれ

   C          D               G   Em              
少し照れるけどお前の笑顔  

   C        D         G    G7
誰にも負けないぜ

     C        D         G            Em
たった一人のかわいいお前

   C     D            G      C    G
この俺が守ってやる
2026年09月21日 20:15

1年ぶりに焼肉キングに行って来ました。

昨日1年ぶりに中学時代の友達と焼肉キングに行って来ました。

当日に行くことになったので、予約できず、16時半にキングに着いて受付をしたあと、1時間半ほど待ちました。

待っている間、車の中で話していました。

お笑い芸人の話、仕事の話、親の話、高市政権の話などなど、いろいろ話していました。

彼も僕と同じく独身なので、「これだけ自分の好きなように時間を使えてお金を使えて、今さらもう相手に合わせて行動するとか、無理だなあ」とか,僕は僕で

「俺の場合はそもそも仕事が…」など、お互い結婚には向いてないの~と話していました。

さて,キングに入ると、少しメニューが変わっていました。

いつも通り最初にタンとサラダを注文して、久しぶりにかなり食べました。

長い間待つのは苦手なので、今度は事前に予約してから来たいなと思います。

改めて友達は大切だなと思いました。
2026年09月21日 00:32