今日は昨日に引き続き、、僕が初めて聴いた時に衝撃を受けた2曲のうちの1曲、浜田省吾さんの「AMERICA」について書かせていただきたいと思います。
この曲は浜田省吾さん自身が初めてオリコン1位を撮った、2枚組アルバム「J BOY」の1枚目(A面)3曲目に収録されています。
1986年リリースの曲です。
僕は1989年(高校2年生秋)から浜田省吾さんの曲を聴くようになりました。中学時代の友達と高校時代の友達2人そろって浜田省吾のファンであり、その影響で何となく
浜田省吾さんの曲を聴くようになりました。
初めてハマったのは「ラストダンス」という曲でした。
この曲は、僕が高校2年だったときの秋に発売された、バラードベストアルバム「Wasted Tears(「浪費された涙」)に収録されていました。
いい曲だなあと思い、この「ラストダンス」をきっかけに、浜省の曲を毎日聴くようになりました。
高校2年生の1月にレンタルショップで浜省のアルバム「J BOY」を借りてきました。
1曲目から順に聴いていきました。
そして3曲目。「ん?…なんだこのメロディーは?!」と衝撃を受けました。
それが「アメリカ」という曲でした。まずはメロディーに引き込まれ、次に歌詞に引き込まれて行きました。
カントリー調の曲でとても牧歌的な風景を思い出させるような、スケールの大きい曲だなと思いました。
と同時に「この世の中に、こんな楽曲が存在していたのか…!」と驚きました。
「このアルバム(J BOY)で浜省が売れた理由がわかるなぁ」と思いながら他の曲も聴いていきました。
浜田省吾をあまり知らない人はカラオケで定番のように「もうひとつの土曜日」とか「J BOY」「悲しみは雪のように」などを歌われますが、本当の根強い昔からの浜省ファンは
多分納得していないと思います。
「もっといい曲はいっぱいあるよ~」という声が聞こえてきそうです。
僕もカラオケで浜省の曲をよく歌いますが「もうひとつの土曜日」「悲しみは雪のように」「J BOY」はほとんど歌ったことはありません。
なんとなく恥ずかしくて「こいつ にわかファンだな」と思われるのが嫌だからです(笑)。
僕がよく歌う浜省ソングは「丘の上の愛(Home bound バージョン)」 「青空のゆくえ」 「星の指輪(やや定番ソング?)」「陽の当たる場所(愛の世代の前にバージョン)」
「路地裏の少年」「Money」 「夏の終わり」「いつわりの日々(Mind screen バージョン)」 「 散歩道(イルミネーションバージョン」「Midnight Blue Train 」
「君が人生のとき」「家路」などなど。 基本的にはバラードを歌うのが好きです。
浜省ファンの人とはあまりカラオケに行ったことがないので、浜省ファンの人が歌う浜省ソングを
機会あれば聴いてみたいです(友達も浜省ファンは多いのですが、友達以外の浜省ソングを聴いてみたいなと思っています)
浜田省吾の良いところはテレビにはまず出ないので、いわゆるヒットソングはほとんど存在しません。(風を感じて、という曲のみCMソングに起用されてヒットしました)
「悲しみは雪のように」という曲は、ドラマ「愛という名のもとに」で1992年に使われましたが、それ以降はタイアップやCMソングはありません。
まだ無名で売れていないころに数回、テレビに出演されたことがあったのですが、1曲歌うために朝から晩までテレビ局で拘束されるのが我慢ならなかったらしいです。
あとは無名のころにテレビ局(ラジオ局?)のスタッフにバカにされたことがどうしても許せず、「ライブでのみ自分の曲の良さを伝えていきたい」と思われていたそうです
(違っていたらすみません。何かの記事で読みました)
さて、「アメリカ」の話に戻って・・・
この曲は、「あの子はダンサー ニューヨークで踊る日を夢見てた 俺はただ東京から逃れたかった…
We were lookin' for AMERICA 映画のようなアメリカンドリーム 今もアメリカあの子の 輝いてた瞳 思い出す」という歌詞があるように、
日本を出てアメリカに旅して、偶然アメリカで出会った若い男女がそれぞれのアイデンティティーを探し求める、そして恋に落ちる?
そしてアメリカで「自分はやっぱり日本人である」ということを確認する、といった内容の歌詞になっています。
僕はこの曲に出てくる男女を若いころの「浜田省吾と現地の(アメリカの)女性」との旅での出会いを回想して作った曲なのかな?」と今日まで思っていました。
ところが先ほどネットで調べると、この曲に出てくる女性はアメリカではなくて「日本人の女性」と説明されていました。30年以上、間違った解釈をしていました。
僕はてっきり、浜省とアメリカの女性との物語なのかな?と誤解していました。
歌詞の中に「ショゥウインドウに写った黒い目をした J Boy 帰る故郷を見失って… という一節があります。
浜田省吾さんは10代のころビートルズをはじめ、洋楽を中心にいろんな曲をラジオ(FEN)で聴いておられたそうです。
広島県にある、「呉三津田高校」という進学校を卒業されて一浪するのですが、そのときに青い目をしたアメリカ人の女性と出会い、恋に落ちたそうです。
米軍基地が近くにあった環境に育っていました。将来はジャーナリストになりたいと思っていた、と以前本で読みました。
その彼女にあこがれたことから、アメリカにあこがれていたそうです。(もちろんそれだけがアメリカにあこがれたきっかけではないのですが)
1986年にリリースされたアルバム「J BOY」 浜省が初めてヒットチャート1位をとったアルバム。
2枚組アルバムをじっくりと聞き直してみようかと思います。
PS:ちなみにアルバム「My First Love」に収録されている「初恋」という曲は「AMERICA」と曲調がよく似ていて
その曲も個人的には大好きな1曲です。
歌詞の中に「アメリカ生まれのロックンロールやっている俺は誰だ?
自分を探した J BOY」という一節があります。
2025年05月12日 16:21