個別指導形式の学習塾と家庭教師の寺子屋学習館|富山県射水市

わからない所が1つずつわかるようになる、達成感ある授業を心がけています。

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運送会社時代 / 1997年 25歳

小学校の教員を辞めて、富山に戻ってきてから、職安へ通う日々。

5月下旬に「家庭的な職場です」という一言に心動かされ、僕は職安を通してその「小さな運送会社」で面接をしてもらうことになりました。

富山市中心部にあるその会社の面接のときに「将来的に大型のバスとかトラックとかに乗りたいって言わないかな?言わないんだったら採用するよ」

と社長に言われました。

「はい、言いません」」と答え、その結果採用されました。

1997年6月のことです。25歳でした。

当時、僕は富山市内の道でさえろくに知らない「ド素人でかつ方向オンチ」でした。

勤務時間は朝8時~夜18時まで。


最初の1カ月間は先輩社員の方が,僕に仕事のアドバイスや道案内の地図を書いてくれたりしました。

午前中は富山市内で荷物を預かってくる仕事(集荷:しゅうか)をしました。

そして午後からは大沢野方面へ2回、荷物を届けに行っていました。

大沢野方面には一度も行ったことがなかったため、最初のうちは先輩社員が書いてくれた地図と、住宅地図を持って運転していました。


勤務し始めて,最初の1カ月間は大沢野方面の荷物だけを運んでいました。少しずつ道にも慣れてきました。

そして1カ月が過ぎたころに、新たに「八尾・婦中方面の荷物」も運ぶことになりました。

住宅地図を持って初めて八尾や婦中方面へ行きました。

あまりにものエリアの広さに、かなり焦りましたが、「もし道わからんかったら無線で聞け」と言われていました。

この「無線で聞く」のが僕は当時大嫌いでした。理由は、「無線で発言すると、すべての車に無線が流れるため恥ずかしい」からです。

僕の会社での名前は「18号車」でした。そのため、会社から無線で呼ばれるとき、僕はいつも「18どうぞ」と言われていました。

仕事上、名前では呼ばれることがなく、日常会話のときも「18は~?」というかんじで名前ではなく「18」と呼ばれていました。

めやくちゃ違和感があったのですが、誰も「佐伯」とは呼んではくれませんでした。

「なんか刑務所におる囚人みたいやなぁ」と思っていました。

名前で呼ばれないことに少なからずショックを受けていました。


八尾・婦中方面の運転をするときに、大切なことというか目印として、八尾→婦中→旧富山市 へ続いている道は2本しかありませんでした。

その2本の道さえ覚えてしまえば、あとは細かい場所を覚えるだけで良かったので、配達エリアこそ広いのですが、富山市に比べると道は覚えやすかったです。


 こうして僕は午前中は旧富山市,午後は大沢野・八尾・婦中エリアを担当して荷物を運んだり、荷物を預かりに行ったりしていました。

勤務し始めたころは、ことあるごとに「だからあんた先生って言われるがやぜ」「勉強だけできてもこの世界では通用せんよ」など言われていました。

僕の勤務先の従業員の人たちの学歴は○○工業高校中退、とか私立高校OBなど、勉強のできるような高校出身の方はいませんでした。

僕だけが異色の経歴で、集荷先の人たちからも「先生から運転手って変わっとるね!」と何回も言われました。

まぁ僕はそんなことを気にせず、ただ必死に働いていました。

休日は「道を覚えるチャンス」だったので、一人で八尾・婦中方面へ地図を持って運転しながら配達先を覚えていきました。

勤務中は余裕がなく、視野も狭いのですが、休日は心に余裕があるのでゆっくりと道を覚え直すことができました。

会社の人たちは最初こそ怖かったのですが、慣れてくると普通に話しかけてくれるようになり、8月に入るころにはそれまでの「18」という呼ばれ方から

「さえちゃん」と呼ばれるようになりました。うれしかったです。


教師を辞めたころは「この先どういう人生を俺は歩んでいくのだろう・・・」と毎日途方に暮れていましたが、この小さな運送会社で働き続けているうちに

少しずつ自分に自信が持てるようになってきました。

パニック発作もいつの間にか治っていました。

とにかくこの会社で働くことができたおかげで、僕は精神的にかなり強くなれました。

教員時代、あれだけ先輩の先生に質問するのが苦手だったのですが、運送会社では毎日何回も道に迷い、無線で聞きまくっていました。

「聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥」そのものの毎日でした。

先輩の方々も無線で道を尋ねると、丁寧に道を無線を通して教えてくれました。

昼休みに地図を書いてくれていたのですが、その地図が住宅地図よりも見やすく、丁寧な地図だったので、僕は毎回「うわ~詳しいな!すごい。」と驚き、感動していました。

休日こそ少なかったのですが(日曜日・祝日・あとは月に1回土曜日休み)という具合で連休はほとんどありませんでした。

ただ、「明日のことや未来のことを考え、思い詰めていた毎日」から解放されて、僕は毎日が楽しく感じることができるようになりました。

それまでの「優柔不断で人目を気にして、先輩に質問できなかった教員時代の性格」から

「プライドを捨て質問しまくる」という毎日を通して少しずつ自信を持ってタフに仕事ができるようになった性格に進歩できたことがすごく嬉しかったです。


友達とも普通に会話できるようになり、こうして僕は1年以上かけてようやく「復活しました。」

この運送会社に勤めて本当に良かった、と今でも思います。

職安で偶然見つけた会社。ラッキーでした。

先輩社員の方々には今でもとても感謝しています。

もしこの会社に勤務していなかったら、今ごろ僕はどうなっていただろう…

この会社で僕は1から根性をたたき直されました。

25歳の6月~12月上旬までの期間,僕はこの小さな運送会社で働かせてもらいました。
2026年06月03日 06:06

小学校教員時代

もうかなり昔の話になりますが、僕は24歳の春に新潟県三条市という所にある中規模校の小学校で,3年2組の担任として赴任しました。

当時ワープロさえまともにできなかった僕にとって、教員の仕事の半分くらいを占める「ワープロを使っての仕事(主に事務仕事)が僕にとってはものすごく大変で

「大学生のうちにワープロを使っていればよかったな」と何回も後悔していました。

教育実習のときに、いろんな先生方から「佐伯さん、教員の仕事は授業と児童理解だよ」とさんざん言われていたのですが、いざ現場に入ってみると、

全く理想とは違っていました。

職員室ではどの先生方もワープロで書類を作っていたり,クラス単位の仕事ではなく、学校単位の仕事に追われていました。

僕は着任早々、4月から「なんだこれ?学校ってこんなに雑用の仕事ばっかりなん?」と幻滅していました。

今もその気持ちは変わらないのですが…。
 

 大学時代に教育実習であれほど「指導案作成(授業中に教員がどんな質問をして子どもたちの予想される反応を書き出して、それらに対しての次なる教員の発問などを

考える、という書類のことです)」ばかりに重きを置いていた教員の仕事が現実にはほとんどなく、ひたすら事務仕事。今日も明日も事務仕事・・・

嫌気がさしてしまいました。ワープロすらろくにできない僕にとって、事務仕事は何よりも苦痛な仕事でした。まあ初歩的な問題です。


どのような授業をすれば子どもの個性が生かされるのか?宿題はどのようなペースで出せばよいのか?日記は毎日書かせるべきか?それとも週に2回~3回ほどだけ書かせるべきか?

週末土日には宿題を出すと、親からクレームが来るので絶対に出してはいけない、とか、いろんなことをいろんな先生に相談しているうちに、僕の不安な気持ちがだんだんと

大きくなっていきました。

当時教員2年目だった僕の彼女に相談すると「ゆうちゃん、それ質問しすぎだよ。とりあえず優ちゃんの思ったようにやってみればいいじゃん。

誰だって最初からうまくはいかないし、ある程度自分で判断して、自分で失敗しながら一つずつ気づいていくもんだよ」と諭すように言われました。


 僕はとにかく必死で、放課後一人で教室に残り、今日の課題,今日気づいたこと、先生方から学んだこと をカセットテープに毎日のように録音していました。

かなりバカ真面目で正直だったと思います。宿題ひとつとっても、日記の場合は先生が点数をつけてやると子どもが喜ぶから点数をつけてやってください、と親御さんから

注文をつけられたり、一方他の先生に同じ質問をすると「佐伯さん、日記に点数をつけるなんて、とんでもないことだよ。まずは書いてきてくれたことを認めてあげることだよ。

と言われたり… 一つひとつのことを毎日1時間くらいかけてカセットテープにどんどん録音メモをしていきました。

4月~6月にかけては毎日職員室に夜22時過ぎまでいました。朝は7時半には職員室にいました。

小学校の教員の仕事は学年別にグループがあり、僕は「3年生のグループの一員」でした。

他の学年の先生方は既婚者の方ばかりだったので、毎日18時~19時の間には帰宅されていました。」

でも僕の学年だけは3人ともまだ若く、20代~30代前半の先生ばかりだったため、毎日最後まで職員室で仕事をしていました。

僕は赴任して最初の1週間で体重が7kgも痩せてしましました。もうほとんどやつれていました。

どの仕事もそうだと思うのですが、覚えることが山のようにあって、いったい何から手を付ければいいのか? 1年目の僕には全くわかりませんでした。

6月になると「研究授業」という、教員にとって一番嫌な「他の先生方の前で公開授業をする→その後の反省会で大変な目にあう」仕事が僕に回ってきました。


 情けない話ですが、当時僕はワープロさえまともに扱えず、たとえば「改行マーク」は印刷すれば写ってしまうのか?とか罫線の引き方ひとつ知らなかったりだとか

とにかく「話にならない」有様でした。 同じ新採用教員で僕といっしょに赴任してきた、上越教育大学の女性の先生は、カタカタとブラインドタッチでワープロを扱い

慣れた手つきで次々と事務仕事をこなしていました。

新採用教員は当時、毎週2時間「初任者研修」という名の研修と「学校内での初任者研修」とがありました。

三条市で採用された1年目の先生が,毎週火曜日の午後に集まり研修を受ける→レポートを提出する という仕事があり、このときだけは周りが同じ新採用の先生ばかりだったので

安らげる時間でした。ただ研修で習ったことを上司に報告しなければならなかったので、そのレポートを書くのが大変でした。それもワープロを使って文章を書く、というだけの

仕事なのですが、当時の僕にとっては大仕事でした。研修が終わると学校へ戻ってきて職員室で2時間くらいかけてレポートを作っていました。

今思えば、なんてことのない、誰だって採用されたことは通る道だったのですが、苦しかったです。

4月15日までに、各クラスの担任が「児童名簿」をパソコンで作らなければならないことになり、パソコンを触ったこともない僕が、なかばパニックになりながら

児童名簿(名前・住所・電話番号・保護者名を書くだけの名簿)を作っていました。一週間くらい前から「俺に児童名簿が作れるのだろうか?」とずっと不安で夜もあまり

眠れないほどの緊張でした。

電話連絡網をワープロで作るとなったときには、大騒ぎでした。今だったらエクセルで1時間もあれば簡単に作れるのですが、当時は僕はエクセルという名の存在すら知りませんでした。

大学時代は普通だったら「卒論」があるので、そのときにワープロで文章を作っていくのですが、僕の場合は数学科だったため、卒論がありませんでした。

卒業発表会だけがあり、大学4年間ワープロを触ることはほとんどありませんでした。

働く前にしておかなければならないことを僕は全くしていなく、何の準備もなく職場に入ってしまいました。


当時はまだパソコンが普及する少し前で、どの先生方もまだワープロで文章を作成されていました。

僕の場合、教員を辞めた理由はほとんどが「ワープロができないから」という小さなことが大きな苦しみの元凶になっていました。

授業じたいは新採用なりに一生懸命に頑張っていました。子どもたちと触れ合うことは楽しく、自分で言うのもなんですが、子どもたちからは慕われていました。

当時僕は3年2組の担任でした。今でもクラスの子どもたちの名前と顔は一致します。27人のクラスでした。

とにかくワープロやパソコンを使わない仕事をしよう、と決め、僕は教員を辞めました。

教員を辞めた一番の理由は「パニック発作」でした。

7月になり、1学期の通知票を作る時期にさしかかり、僕は初めての大仕事に緊張しっぱなしの毎日を過ごしていました。

もしも通知票が間に合わなかったらどうしよう?と思い悩み、苦しんでいました。


本当に今思い返せば小さなことだったのですが、初めての通知票作成は新米の僕にとっては大仕事でした。

一番困ったのが、教科ごとの評定を決めることではなく、「生活態度」を評価することでした。

通知票の生活態度のらんは、児童1人につき20項目くらいもあり、たとえば「机の中をきれいにしていたか?」とか「毎朝おはようと挨拶が言えたか?」などなど。

そんなもん知らんわい!と思いながらも「どうしよう。俺は朝は毎日職員室にいたから評価できない。教室での様子をもっと見ておくべきだった」と後悔しました。

子どもたちにさせる予定の「テスト」もたくさんたまってしまい、結局テストをしないまま評価してしまった、という失敗もしました。

本当に失敗だらけ。まあ最初はそんなもんだろう、と思えればよかったのですが、僕は「なんてことをしてしまったのだろう。申し訳ない」と自分を責めました。

そんなことをしているうちに、7月に入り、ある朝6時ころに目が覚めると、心臓がものすごい勢いでバクバクしています。

えっ何これ?なんか心臓破裂しそうだ」と怖くなり、実家に電話しました。今思い返せば「パニック障害」という精神的な病気です。

不安なことや緊張状態が続くと、ある日突然心臓が激しく鼓動し、破裂しとうな錯角に陥る」という病気です。

ただ、当時はまだ「パニック障害」という言葉がなく、僕は病院へ連れていかれ、医師は「軽いうつ病です」と診断されました。

こうして僕は1学期が終わると同時に富山県へ帰省。

校長先生のはからいで「いったん夏休み1か月、富山でリフレッシュして、元気になってきてね」と言われました。

しかし富山へ帰っても僕のパニック発作は治ることなく、2学期から復帰するかどうか?というときにはさんざん苦しんで迷った挙句

休職することになりました。

あの頃はとにかく毎日、朝を迎えるのが怖くて泣いてばかりいました。

2学期が始まるとクラスの子どもたちと親御さんからの手紙、そしてクラス写真が実家に届きました。

とても申し訳なく、苦しい毎日を過ごしていました。

教員は1年目は「条件付き採用」という形で採用されます。

そのため場合によっては2年目を待つことなく「退職」になる新採用教員がいます。

僕の場合はもちろん条件付き採用だったので、校長先生がストップをかければ僕は不採用になってしまいます。

ただ、僕の場合は2学期も3学期になっても病状が治らず、それどころか悪化していきました。

友達と会うのも怖くなってしまい、何を話していいのかがわからず、自分から話すことができなくなってしまいました。

かなり重い「うつ状態」でした。

家族からも笑い声が消え、佐伯家は暗い家庭になってしまいました。

友達からは叱咤激励されたのですが、全く効果なし。パソコンスクールへも通いましたが、何をやっているのか?全然身が入らずすぐに辞めてしまう。

とにかく今までの人生の中で一番重く苦しい1年間を過ごしました。まさに厄年でした。

「このまま時間が過ぎていけば,俺はやがてホームレスになってしまう」と思い込み、あんなに明るかった僕は心の底から「暗い人」になってしまいました。


教員を辞めれば少しはすっきりして元気になるのでは?と家族も僕も思っていたのですが、教員を辞めて富山に帰ってきてもパニック発作は毎朝やってきて僕を苦しめました。

気休めに毎日職安へ行って仕事を探してくるのですが、教員しか目指していなかった僕にとっては、どの仕事も全くできないなと思っていました。

とにかくパソコンを使わない仕事を探そう、そう思って職安に行くのですが、どの仕事もパソコンを使う仕事だったり、紹介カードに「ワード・エクセル使える方」と

条件が書いてあったりで僕は職安へ行くたびに肩を落として帰ってきていました。

そうしていると、5月下旬。「家庭的な職場です」と書いてある紹介カードを見つけて「ここだ。ここに応募してみよう!」と決意し、面接に行きました。

その職場が、僕の今の原点になっている「小さな運送会社」だったのです。

 
2026年06月02日 15:30

山王祭りの思い出

過去のブログにも書いたことがあるのですが、昨日・今日・明日(?)は富山市中心部で山王まつり(さんのうまつり)があります。

富山市の中で一番大きな祭りだと思います。

高校2年生のときの話になるのですが、僕の友達が同じクラスの女子から「いっしょに山王さんに行きませんか?男子何人か集めてくれる?」と言われ

友達は僕にも声をかけてくれました。もちろん、うれしかったです。

当時、僕のクラス(2年19組)のメンバーは、1年から2年に上がるときに隣の18組のメンバーと半分ずつ入れ替えて構成されていました。

特進クラスだったため、クラス替えがほぼなかったのです。

そのため3年間同じメンバーだった友達がかなりいました。

1年生のときの僕のクラスは、入学式のときに出席簿順番に並んだポジションで一度も席替えがなく、そのため男子と女子が話すこともほとんどありませんでした。

とても寂しい1年間を過ごしました。担任がとても怖く「先生、席替えしないのですか?」とは誰も言えませんでした。

そして2年生になり、1年のときの担任がそのまま持ち上がりました。

ただ、2年生になると担任はかなり優しくなり、席替えもしてもらえました。

新しく隣のクラスから女子が入ってきたため、僕たちは喜んでいました。そんな中で迎えた山王まつり。

1年のときと同様、「山王さんは俺には関係のない出来事だな」と思っていたのですが、女子から声をかけてくれました。

僕は当時、1年18組だった女子のうちの一人が好きで、1年の11月くらいから、密かにその女子にあこがれていました。

とてもよく話す人で、目がぱっちりしていて、きれいな人でした。見た目とのギャップが激しく、マシンガントークのような人で、

そのトークにも魅かれていました(選択授業で書道の授業のときに、その人と一緒に書道の授業を受けていました)

1年のときは一度も話すことがなく、2年になり同じクラスになり、僕は浮かれていました。

その人が女子のグループの中でも中心的な存在だったと思います。

大和の前で待ち合わせして、男子6人、女子も6人くらい。

男子は全員緊張していました(笑)そもそも女子と話すことが1年生のときにほぼなかったので、どう接すれば良いのか?わかりませんでした。

旧西武デパートの向にあったマクドナルドの2階席に上がり、テーブルを囲んで座り、とても緊張したまま女子と1時間くらい?話をしました。

男子は全員,元1年19組のメンバーで、女子は全員,元1年18組のメンバーでした。

女子は男子慣れしていたのですが、男子は全く女子と話す経験がなかったのですが、僕は何とかして好きだった女子に話しかけようと思ったのですが、

別の女子と話すことになり、結局その日も好きな人とはほとんど話すことができませんでした。

とても苦い思い出です。

まあ今思い返せばそれも良き思い出なのかなと思いますが…


時は流れ、僕の高校時代とても仲の良かった友達(5年くらい前に結婚しました)が、今の奥さんと付き合い始める前に二人で山王まつりに行ったそうです。

山王さんかぁ。僕は25歳のときに一人で山王さんに行ったきり、行っていません(いっしょに行く相手がいませんでした↓)

そんな苦い思い出のある山王まつり。


去年の今頃、山王さんに一緒に行った当時好きだった人に「そういえば高校2年生のときにいっしょに山王さん行ったね?

あのときオレ緊張して、結局一言もあなたと話せなかったんやちゃ~。マックの2階で話したかったけど。残念だったわ」

とラインすると「よく覚えとるね」と言っていました。

今日の夕方のニュースで山王まつりの様子が映し出されていて、「なつかしいなぁ」と思いながら見ていました。
 
2026年06月01日 21:13

今日は「英検」の日

今日5月31日は英検の試験日です。

中学生になると耳にする言葉「英検」 なかには小学生のころから英検を受験される方もいると聞きます。

僕は中学1年生のときに初めて「英検」という言葉を聞きました。

英検4級を中学1年生のときに受けた記憶があります。無事合格しました。。

中学3年生の2学期に「英検3級」という言葉を聞きました。中学卒業レベルの問題と聞き、「受けてみようかな」と一瞬思いましたが

受験勉強を優先したいため、あとは「英検3級は2次試験で面接がある」と知り「面接?無理無理」と思い受験しませんでした。


高校生になってからは大学受験の勉強しかしていなかったため、英検には全く興味がありませんでした。

ただ、高校生のときは英語が一番得意でした。大学に合格するためには当時は英検は全く関係なく「センター試験で英語を8割取る」ことと

2次試験の英語の勉強をするのに精いっぱいでした。


 英検2級は「高校卒業程度」の英語レベルが必要とされています。必用な語彙数は「5000語」と言われています。

最近は「英検準2級」と「英検2級」との間に「英検準2級プラス」という階級が生まれました。

「英検5級」→「英検4級」→「英検3級」→「英検準2級」→「英検準2級プラス」→「英検2級」→「英検準1級」」→「英検1級」となります。


話はさかのぼって・・・ 僕は25歳のときに軽トラックの運転手の仕事をしていました。

午前中は富山市内で荷物を預かる仕事(集荷:しゅうか)をして,午後からは大沢野・八尾・婦中方面への配達 という仕事をしていました。

勉強とは全く縁のない仕事だったのですが、無性に高校生に英語を教えたい、と思い、手始めに英検2級を受けてみようかな、と思いました。

当時は午後6時で仕事が終わったので、仕事が終わった後に、アルバイトとして家庭教師をやろう、と思い,大手の家庭教師派遣会社に応募したところ

面接のときに「うちでプロとして家庭教師一本でやってみませんか?」

と言われました。

「えっ家庭教師だけで生活していけるのですか?」と確認したところ

「頑張れば月給40万~50万くらい稼げます(あくまでも当時の話です。現在のことは知りませんが)と言われその言葉に心惹かれ、家庭教師を本業にすることにしました。

そして12月に配送運転手の仕事を辞め、家庭教師一本に仕事を変えました。そして現在の仕事につながています。

結局英検2級を受けることなく、中学生の家庭教師を本業にすることになりました。


僕が中学生だったころと、現在とでは高校入試の英語のレベルはかなり異なります。

現在の高校入試の英語の問題の方が難易度は上だと思います。

高校生の場合はセンター試験から共通テストに変わって、問題傾向が一気に変わりました。

センター試験は「文法問題」が出ていたのですが, 現在の「共通テスト」は長文読解問題が大半を占めています。

その影響なのか、高校入試も長文読解問題の占める割合が多くなりました。

現在の中高生が,英検の勉強をすることは「生徒さんの自由」だと思います。

英検準1級以上持っていれば,大学入試で生かせる大学もあるかと思います(推薦入試の場合)

社会人になると英検と「TOEIC」という資格があり、会社によっては「TOEIC何点以上取ることが必須」となっている所もあります。

今ネットで検索してみたのですが、今日は英検だけではなく、「TOEIC」の試験日でもあるみたいですね。


よく予備校の先生が「TOEIC満点を何回も取ったことがあります」と宣伝されている方もいます。

英検、TOEIC などなど英語の資格に挑戦するのはとても良いことだと思います。

数学検定を受験される高校生も多いと聞きます。

英語、数学 試験試験の日常ですね。

頑張ってください。
2026年05月31日 00:26

長文対策のやり方を模索しています。

中間テストも終わり、中3生は学校からの英語の勉強を少し離れ、入試対策授業を少しずつ取り入れていきます。

今日、全県模試2017年2回目~6回目までの過去問(対話文問題のみ)解いてみました。

そのうえでYoutubeで中学生の英語長文対策についての動画をたくさん見ました。

長文対策において、共通していたのは「単語を覚えていないと長文は解けません」というものでした。

高校入試レベルの長文問題は、単語と文法を押さえておかないと、何が書いてあるのか理解できません、という意見が大半でした。

単語を覚えるのに単語カードを使うのは有効です、という指導もありました。

僕の教え子さんには単語カードを使って単語を覚えて行ってもらっています。書いて、発音して覚えて行かないとなかなか単語は覚えられないのかなと思います。

僕自身も中学時代は授業で出てくる単語は授業中にほぼ覚えていました。それで通用しました。

高校生になって初めて7月に進研模試を受けたとき人、知らない単語の多さにびっくりしました。

これは単語を覚えて行かないと、お先真っ暗だな と思い、模試が終わった翌日から単語カードを作り単語を覚えていきました。

中学生の場合はどうやって単語を覚えて行けばいいのでしょうか?

一般動詞の場合は「現在形ー過去形ー過去分詞形」でまとめて1枚の単語カードに書き、毎年中3生には覚えてもらっています。

長文を読む時に、一般動詞と名詞さえ確実に覚えていれば、なんとかそれなりに英文を訳すことはできます。

そのため、まずは一般動詞と名詞から覚えていくのが良いのかなと思います。

次に形容詞や副詞などを覚えて行けば良いと思います。

または長文を解いていてわからない単語に出くわしたときに、その都度知らなかった単語を単語カードに書き込んでいき、覚えていくのも良いのかなと思います。

本屋さんに売っている長文問題集は、残念ながら大半が「中学3年間の文法を理解していること」を前提に長文が書いてあります(入試問題も多く掲載されています)

この場合、3年生の最後までの文法を理解するまでは、その長文問題集は解けません。

よって3年生の3学期にならないと使えないということになります。

ではどうするべきか?1つは新研究に載っている長文問題を解いていく。

新研究の場合、単元に沿って長文問題が掲載されているので、学年に関係なく長文を解くことができます。

とても有効かつ要領の良い長文対策だと思います。ただ弱点は問題数が少なすぎる、ということです。


僕が塾や家庭教師で教える場合は塾教材を使って長文対策を進めていきます。塾教材の場合も新研究と同じように「このページの文法を理解していれば解けますよ」

という問題構成になっていて、長文の問題も豊富にあります。

塾教材はやはり優れているなと思います。


富山県立高校入試の英語の問題は約40%は「対話文・長文問題」になっています。

長文をさけることはできません。長文は点数になるまでには、英作文と同じように時間がかかります。

日々コツコツと勉強していかなければ点数にはなりません。一朝一夕には学力はつかないのです。

単語を覚える事と同時に長文対策を進めることができたら、かなり受験勉強としては要領の良い勉強法です。

英単語を覚えつつ、1年生からの文法を復習していき、つまづいたら重点的に学習し直す、というスタイルで英語の勉強をしていってほしいなと思います。


PS:全県模試の過去問(2017年,2020年,2022年)はかなり受験勉強には有効です。

少し高価ですが、解き終わるころには確かな英語力がついていると思います。
 
2026年05月30日 18:46

大門中学校 中間テスト終わる

ようやく今日で、大門中学校の中間テストが終わります。他の中学校の生徒さんも、今日で中間テストが終わる方がいらっしゃるかと思います。

お疲れ様でした。今回も学校のワークを中心にテスト対策を行いました。

大切なところは塾用のワークも解きました。

テストが終わり、僕もホッとしています。

これからは, 中3生は全県模試の過去問(2017年)(2020年)(2022年)版と3年分の過去問があるので、「対話文」に限定して,たくさん問題を解いていきます。

(長文問題は今のところまだ解きません。まずは文章の量が少ない対話文から解いていきます)

数学は2・3年生ともに学校で習っている所を復習したり、少し余裕があれば予習もしていきます。

テストが終わったので、テスト範囲に縛られることなく、生徒さんに合わせた勉強ができるようになるので、楽しみです。


PS:全県模試の英語・数学の過去問を解き直していきます。
2026年05月29日 12:39

テスト期間中に限って・・・

今日が中間テスト、という中学校は多いかと思います。

僕は中学校時代、テスト期間が比較的好きでした。

理由は簡単、テスト期間は授業はなかったし、当時は午前中でテストが終わり家に早く帰ることができたからです。

高校時代もそうでしたが、授業がないのは本当に気楽でうれしかったです。

特に国語の授業がないのが天国でした。とにかく国語の授業が大嫌いでした。


中学3年生のときのことです。

まさに今頃、1学期の中間テスト期間に,僕は友達の家に行って友達とゲーム(ファミコン)をして遊んでいました。

ゲームをしてから1時間くらいたったころです。いきなり友達の部屋の戸を開ける音がしました。

友達のおじいちゃんだったのです。おじいちゃんは僕と友達に向かって、とても怖い形相で

「お前ら、テスト期間だろ?家帰って勉強せい!」と言われました。

僕はびっくりして、その場で自宅へ帰りました。とてもショック受けたのをよく覚えています。

その事件以来、僕はテスト期間は友達の家に遊びに行くのをやめ、自宅で勉強することにしました。

今の時代は、僕が中学生だったころとは大きく異なり、勉強を邪魔する環境はいくらでもあります。

ネット、ライン,ゲーム,動画,TikTok,アニメなどなど・・・ 勉強をサボろうと思えばいくらでもサボれます。

とりあえずスマホは勉強している間は、勉強部屋以外の場所に置いておいて、誘惑を断ちましょう。

特に「グループライン」は音が何回も短期間でなってしまうので、誘惑になってしまいます。

勉強部屋に携帯を置いていると気になってしまうし、音を消したとしても携帯がある、というだけで落ち着かなくなると思います。

今自分がするべきことは何なのか?

自分に問うて、勉強に励んでほしいと思います。

また,テスト期間に限って部屋の掃除をしたくなったり、本棚を整理したくなったりする場合があります。

ふだんは何も気にならないのに、テスト期間に限って身の周りのことが気になりだす・・・

我慢して勉強されてください。

テストが終わってから部屋をきれいにしましょう。

提出しなければならないワークをやったり、学校でもらったプリントを解き直したり、単語を確認したりしてください。

テストで良い点数を取るためにすることは、定期テストの場合はまずはワークをしっかりとやることです。

定期テストは範囲も狭く、学校で習ったことをどこまで理解しているのかを試すテストです。

ひねったような難問はそれほど出ないはずです。

基礎を理解し、その次に標準問題を解く。

余裕がある場合は応用問題にもチャレンジしてみる。(超進学校を受験予定の生徒さんは応用問題もガンガン解いてください)

どの教科も同じです。

授業中に先生が「ここは大事ですよ」と言っていた所をもう一度確認しましょう。

学校のワークもプリントもすべて終わっている場合は、もう一度ワークやプリントの「間違えた問題」を繰り返し復習してください。

新しい問題に手を広げる前に、繰り返し学習する。

それも終わった場合のみ、別の問題集(自分で買ってきた問題集)や3年生の場合は新研究などを解いてみてください。

3年生の場合、定期テストは内申に直結するとても大切なテストになります。

1年生の場合は初めての定期テスト。緊張しますよね?

頑張ってください。

2年生の場合は「中だるみ」になりがちですが、気を引き締めてテスト勉強に励んでください。

後悔のないよう、納得がいくまで勉強しましょう。

応援しています。
2026年05月26日 00:39

こころ / 夏目漱石 & YouTube

僕は小説はほとんど読まないのですが、最近、夏目漱石さんの名著「こころ」を読んでいます。

高校生のときに国語の授業で少しだけ「こころ」を習いました。

詳細はあまり深くは覚えていなく、僕の当時の感想は「結局人が死んでしまう、悲しい物語なのかなぁ」と思っていました。

小説は苦手なので、なかなか読み進まないのですが、「こころ」を読んでみようかと思っています。

小説で読んだことのある本はせいぜいで村上春樹さんの「ノルウェイの森」くらいかな‥ それも大学生のときに当時好きだった埼玉の人に勧められて

読んだ程度です。

ただ、個人的に村上春樹さんの小説は当時好きで他の本も何冊か読んだ記憶があります。


 僕は中学・高校時代は国語が一番苦手で、テストの点数も一番悪く、本を読むということはほとんどありませんでした。

大学入試のときも文系のくせに国語の配点が一番低い大学を選びました。その選択は正しかったのですが…


 さて、こころをほんの少し読んでみたのですが、なんとなくテーマが重く、僕の苦手な分野の本かなと思いながら読んでいます。

読んでいてhappyになるような本だと読みたいなと思うのですが、「こころ」はちょっと…

でも読むと決めた以上は読破したいと思っています。


話は少し変わりますが、ドラマひとつとっても、僕は登場人物が死んでしまうストーリーは苦手です。

「死をもって何かを訴える」という内容が頭に入ってこなく、感動することはなかなかできません。

僕は根暗な性格なので、重いテーマのドラマを見ると感動するとかではなく、落ち込んでしまいます。そのため自分が精神的に落ち込んでいるときは

あらかじめ内容がわかっている「楽しいドラマ」を何回も見ます。明るいドラマが好きです。

最近はよくYoutubeを見ているのですが「老後の孤独」をあつかったような重い動画を見ています。

人生の予習のつもりで見ているのですが、20分くらいのストーリーは、けっこうワンパターンで、展開が読めてしまうようになってしまいました。

もちろん、見た後はひどく落ち込みます。俺もこうなるのだろうか?? と思ってしまい、ブルーな気分になります。

ところがこの「独身・孤独な老後」の動画は再生回数が異常に多く、世の中には俺みたいに孤独な人が多いのかなぁ と思って見ています。

今の日本は晩婚化が進んでいて、生涯未婚率も高いと聞きます。

もちろん、結婚が人生のゴールではなく、離婚される人もたくさんいます。

孤独=悲しい というわけではありませんが、人それぞれ受け止め方が異なるのかなと思っています。

ただ、自分が病気になったときは、孤独は本当に身に沁みます。つらいですね‥

今後はもう少し見た後に元気になるような動画を見て行こうかなと思っています。


さて,明日からは月曜日。

新しい一週間が始まりますね?一週間で一番苦手な月曜日。

明日から一週間、自分のできる範囲で頑張っていきましょう。


明日から再び「こころ」を読み進めて行こうと思います。


PS:昨夜、アベマTVで「しくじり先生。俺みたいになるな」を見ました。

サッカー元日本代表の柿谷曜一朗選手が先生役で,話をされていました。

ものすごく感動しました。
2026年05月24日 22:57

R6年度 富山高校合格実績

現在、富山高校さんのホームページを見ながらR6年度の合格実績一覧表を作っています。【国公立大学・私立大学】

出来上がり次第、動画にupさせていただきます。

国公立大学・私立大学ともに,ものすごい大学名がずらりと並んでいます、さすがは富山高校。

久しぶりに高校別の大学合格実績を各高校のホームページを拝見しながら作っています。

高校生がいろんな高校別の合格実績を見ながら、ふだんの勉強の励みにしていただけたら、と思います。


PS:僕が高校生のときにネットがあり、各高校別の合格実績を知ることができたら、さらなる勉強の励みになっただろうなと思いながら作っています。
 
2026年05月23日 21:37

もうすぐ中間テストですね?

学校によっては中間テストがない中学校もあります。

他の学校の生徒さんは、もうすぐ中間テストですね?

もうテスト範囲表は配られたでしょうか?

テスト期間になると、朝ウオーキングをしているときに、参考書や教科書を読みながら歩いている中学生や高校生によく出くわします。

特に中学3年生は内申に関わる重要なテストになりますね?

3年生の1・2学期の定期テストは内申に深く影響します。

中間テスト・期末テストで良い結果が出ると、それだけ志望校に近づくことになります。

志望校はもう決まりましたか?

中3のこの季節になるととりあえず志望校は決まっている生徒さんが大半です。

今望んでいる志望校が3学期になっても変わらないと良いですね?

志望校合格目指して、日々勉強されてください!

中学1年生にとっては、初めての定期テストになりますね?

まだよく勉強の仕方が分からない生徒さんもいらっしゃるかと思います。

教科書を読んだり、学校のワークを解いたりして対策を立ててください。

特にワークは提出物として、テストの日までに提出することが多いかと思います。

わからない問題は赤文字で直して良いので、とりあえず提出物を出してください。

提出物も内申点に大きく関わってきます。テストの点数が良くても、提出物を出していないと減点されます。

どうか、提出物を出されるよう、頑張ってください。


 僕は中学1年生のときは提出物は遅れてばかりいました。毎回英語と数学だけは間に合うのですが、他の教科のワークは

テストが終わってから提出していました。そんなことだから、中1のときの理科・社会の点数は平均点くらいしか取れませんでした。

提出物を期限内に出せるようになったのは、2年生になってからです。


 2年生になると、クラス替えがあり、頭のいい友達と仲良くなり、「この友達に追いつきたいなあ」とおぼろげに思っていて、その結果僕の毎日の勉強時間は

少しずつですが増えていきました。2年生になると50番くらい順位が上がりました。友達の影響で勉強するようになったからです。

1年生のときは勉強せずゲームばかりしているような友達とテストの点数を競っていました。レベルの低い集団の中で何位だった、と喜んでいたり悲しんだりしていました。

ライバルはいた方がよいのか? はい、ライバルがいた方が断然に良いです。自分よりも少し成績の良い友達とテストの点数を競ってください。

きっと負けるととても悔しい思いをすると思います。その悔しい思いが明日からの勉強に良い影響を与えます。

間違っても、自分よりも成績の低い友達と点数を競い合う、ということはしないでください。それ以上成績は上がりません。満足してしまうからです。


 あとは,最低でも英語・数学だけは勉強を毎日少しでもいいのでしてください。

理科・社会とは異なり、英語・数学は積み重ねの教科なので、一度つまづくと,その先もずっとつまづいてしまいます。

何としてでも英語と数学だけは頑張ってください。

わからない問題があったら、先生や友達や塾の先生・家庭教師の先生に質問されてください。

わからない問題をそのまま放置しておくことは、虫歯を放置しておくようなものです。必ずあとになって悪化します。

すべてを完璧に理解する必要はありませんが、学校の先生が授業中「これは大事ですよ」と言われたことは、くらいついていってください。

中間テストで良い結果が出ると、大きな自信になります。

最後まであきらめず、勉強していきましょう。
2026年05月22日 14:42