きっと忘れない ~尾崎豊~
久しぶりにYoutubeで尾崎豊の曲を視聴しています。僕はYoutubeを見るときは女性の曲を聴くことが多いのですが、浜田省吾だけは定期的に視聴しています。
今日は久しぶりに尾崎豊の「きっと忘れない」という曲を聴きました。
この曲には思い出があるんです。
僕は大学1年生の冬に、埼玉県の同じ年の女性と浜田省吾のファンクラブの会報を通して、「文通」することになりました(時代を感じますね)
大学1年生3月、ちょうどドラマ「愛という名のもとに」の最終回が放送された日に、僕は初めてその女性と埼玉県で会いました。
大学は春休みです。埼玉県にあるJR桶川(おけがわ)駅で彼女と初めて出会いました。
彼女は牧瀬里穂に似ている、背の小さな子でした。149cmだったはず。
ソバージュの長い髪で、驚くほどの美人でした。
新潟に帰ってからも文通は続いていたのですが、大学2年生の5月、いきなり彼女から、とてもせつない手紙を受け取りました。
その手紙には、尾崎豊のことがびっしりと書いてありました。
僕は5月4日生まれなので、その手紙には「いつも夢を忘れないで 季節の中でうつろう君
探している答えに心が届かなくても 生まれてきた喜びに君が包まれるように
今日という日を祝うよ Happy Birthday to you
誕生日おめでとう。」
省吾の曲にはバースデーソングってないから、尾崎豊の「きっと忘れない」という曲の歌詞を書きました」と書いてありました。
ちょうどその手紙は尾崎豊が亡くなった直後に届きました。
彼女の手紙には「せっかく尾崎を好きになったばかりなのに…今も涙が止まらない」
と書いてありました。
僕はびっくりして、翌日の授業を休んで埼玉へ彼女に会いに行きました。
当時彼女は埼玉から東京にある女子大学まで電車で通っていました。
その電車の中でいつもウオークマンを聴いている、と言っていました。
聴いているのは浜田省吾の曲と尾崎豊の曲、とのことでした。
尾崎豊と浜田省吾は一時、同じ事務所に所属していたこともあり、あとは尾崎が10代のころ浜田省吾の曲をかなり聴いていたこともあり、
2人は親交があったそうです。
確かに尾崎の曲には浜田省吾の歌詞とかぶる歌詞があったり、「あ~これは浜省の影響を受けている歌詞だなぁ」という曲がいくつかあります。
CDレンタルに行くと、浜田省吾のCDのところに尾崎豊のCDが混じっていることもよくありました。
共通点が多少あるのかな?と当時は思っていました。
大学2年の5月に「北の国から」のドラマを埼玉で彼女といっしょに見ていた時、僕は思い切って彼女に
「あのさ、俺と付き合ってくれるかな?」と言いました。
別れ際の駅のホームで彼女は
「新潟で探しなよ」とだけ言いました。
こうして僕はその子にフラれました。
帰りの電車の中でウオークマンを聴きながら、浜田省吾の「愛のかけひき」を聴きながら泣きました。
今となってはなつかしい思い出なのですが、尾崎の曲を聴くと、必ずといっていいほど彼女のことを思い出します。
元気にしているのだろうか?
かなり感情の起伏の激しい人だったので、ちょっと心配なのですが、きっと幸せにしていると思います。
話は変わって・・・今日は3月26日です。
僕が33歳の時に好きだった人の誕生日です(この方は富山市の人です)
僕の1つ上の人でした。
僕は当時(33歳の夏)、中途採用で塾の講師になりたい、と思っていて、「WAOコーポレーション」という大手の学習塾に応募しました。
書類選考が通り。2次も通り、最終面接の段階までたどり着きました。
そのとき僕は彼女に相談しました。
「ねぇ、中途採用で新潟に就職することになるかもしれんけど、どう思う?」と聞くと彼女は
「組織に入ると、確かに楽なことはいっぱいあるよ。同僚とかもできるし。
でも優ちゃんには個人塾で頑張ってほしいなぁ。
あとは富山にいた方が友達もいるし、なにかといいと思うよ。」
と彼女はアドバイスしてくれました。
「○○ちゃんは、もしも中途採用とかで県外に採用になったらどうする?」
と僕がたずねると彼女は
「私は I love 富山県だよ!」
と素敵な笑顔で言い放ちました。
・・・この一言が決め手となり、僕は中途採用を辞退し、富山県に残りました。
当時彼女には子供がいて、彼女はそのことを必死に隠していました。
「そんなに気にすることないのに…」と僕は思っていましたが、最後まで子供の話題には彼女は触れませんでした。
結局、彼女ともつきあうことにはならず、疎遠になりました。
尾崎豊の「きっと忘れない」という曲は誕生日を祝う曲です。
今日は埼玉の人と33歳のときに好きだった人のことを思い出しながら、1日を過ごしたいと思います。
2人とも幸せにしているのだろうか・・・
きっと忘れない。
僕は幸せです。
2025年03月26日 00:07