僕は大学時代、アパート暮らし(1人暮らし)ではなく、下宿暮らしをしていました。
下宿暮らしというのは、大家さんがいて、朝食と夕食を大家さんが作ってくれ、風呂トイレは共用、とうい生活スタイルのことです。
僕は大学へ入る前に、アパートで一人暮らしをするか、下宿暮らしをするか、少し迷ったのですが、一つ屋根の下でワイワイできる「下宿暮らし」を選びました。
僕が住んでいた下宿は「第一わかば荘」という名の下宿でした。
僕の部屋は4畳半で、家賃(部屋代)は破格の11,000円でした。あとは食費が1カ月分で25,000円でした。
当時、実家の両親から毎月8万円仕送りをしてもらっていました。
その8万円+アルバイトのお金(塾講師のアルバイトをしていていました)で1カ月生活していました。
家賃と食費・光熱費全部合わせても65,000円くらいだったので、お金に困るということはありませんでした。
仕送りをしてくれた両親に感謝です。
ただ、「わかば荘」には弱点が1つだけありました。それは真冬にもかかわらず「暖房は使用禁止」ということでした。
火事になると大変、ということで、部屋に石油ストーブを持ち込むことは禁止されていました。
・・・はっきり言って、冬はめちゃくちゃ寒かったです(笑) 部屋の中で息を吐くと、白い息が出ました。
部屋の中でも僕はコートを着ていました。本当に寒かったです。
下宿仲間はそれぞれ石川県・秋田県・長野県・大阪・兵庫県・神奈川県出身の人たちで、毎日夕食を下宿の前の道路をはさんである、大家さんの実家で食べていました。
夕食タイムは1時間くらいかけて、下宿仲間とああでもない、こうでもない と言いながら食べていました。
夕食は18時からだったので、18時に仲間そろって大家さんの実家に食べに行っていました。
この「わかば荘」の仲間のうちの1人に、長野県出身の男がいました。(N君としますね)大学ではフィールドホッケー部に所属しており、体力のある男でした。
僕と性格が似ていて、大変明るく、大学の部活ではキャプテンをしていました。
僕と同じように日記を書いていて、日々、自問自答しているような真面目な男でした。
そのN君と僕は大学2年生の6月1日に、下宿から長岡駅まで「夜通し」で歩きました。
歩くきっかけになったのは、大学祭で当時人気のあったプロレスラーの大仁田厚が講演に来られていて、その席で
「俺は10代のころ、長崎から大阪まで歩いたことがある」と豪語していました。それを聞いていた僕らは、下宿の夕食タイムのときに
「大仁田すごいな!」と盛り上がったのですが、僕とN君は「いやぁ たいしたことないって、俺たちだって歩けるよ」と言い放ちました。
そして僕とN君は「よし、俺たちも夜通しあるこうぜ!」ということになり、「いつ歩く?」「今日だろ!」「どこまで歩く?」「長岡あたりでどうだ?」ということになり
夕食を食べ終えてから準備をして下宿のある、新潟市五十嵐からJR長岡駅まで歩くことに決めました。
下宿から長岡駅までは直線距離で約60kmあります。富山駅~金沢駅くらいの距離です。
下宿の玄関で写真を撮ってもらい、夜21時ちょうどに下宿を出発して夜の暗闇の中、僕たちは長岡に向かて、地図も持たずに歩き始めました。大学2年生の6月1日の夜のことです。
僕とN君はカセットレコーダーをリュックに入れ、お互いの好きな音楽カセットを交互に聞きながら、真っ暗な国道116号線を歩きました。
僕は浜田省吾の曲の入ったカセットテープを、N君は尾崎豊と長渕剛の曲が入ったカセットテープを持参して、道路の青い看板を頼りに歩きました。
最初はすごくテンションも高く、二人でいろんなことを話しながら歩きました。
「佐伯は将来、どんな大人になりたい?例えば有名になりたいとかって思う?」「いや、俺は人並みに結婚して、普通の暮らしをしたいなぁ。Nはどう?」
と聞くと、N君は「俺は家庭を持つというよりも、有名になりたいな」と言っていました。
お互いに性格が似ていたので、話尽きることなく歩き、明け方に吉田町と燕市の中間地点くらいまで歩きました。
少し眠くなったので、公園のベンチで30分ほどだけ仮眠しました。 歩き始めて約8時間。まだ体調は万全でした。
仮眠が終わると再び僕らは長岡目指して歩き始めました。
朝9時ごろに僕たちは「JR帯織駅(おびおりえき)」にたどり着きました。
そこで駅員さんに「ここから長岡駅まで歩いたら、だいたいどれくらいかかりますか?」と尋ねました。
すると駅員さんは「長岡?けっこうあるよ。今9時だから正午くらいかね」と教えてくれました。
「あと3時間か…」僕らは少し疲れもたまってきていて、ひたすら続く田んぼ道を歩き始めました。
ところが・・・3時間後 僕たちは長岡でななく、「ここはどこ?」と言いたくなるような「ひたすら続く田んぼの農道」を歩いていました。
ただ、その地点からは新幹線の線路が見えました。
はるか先まで続いているその線路を見て僕たちは「おいおい、長岡駅までまだ、かなりあるぞこれ」と言ってため息をつきました。
地図さえも持って行かずに出発したことを後悔しながら、あてもなく僕たちはひたすら歩きました。
ようやく普通の幹線道路にたどり着いたのは午後2時くらいでした。
そこからは、ひたすらカセットテープから流れる音楽を聴きながら、二人とも「無言」で必死に歩きました。
そして夕方17:12 ようやく僕たちはJR長岡駅に着きました。
「めちゃくちゃ疲れたな」と僕が言うとN君は「俺はもう少し歩けるよ」と言っていました。
長岡駅で、僕は持ち合わせていた、当時読んでいた村上春樹さんの小説「ノルウェイの森」の表紙裏に記念スタンプを押しました。
帰りは電車に乗り、電車で帰りました。
N君は電車が発車するとすぐに寝ましたが、僕は今まで歩いてきた道のりを確認するように、窓の外を眺めていました。
下宿に着いて、夕食を食べ、テレビをつけると月9ドラマ「素顔のままで」が入っていました。
僕は、大学の寮に住んでいる女友達に電話して「聞いて!俺、長岡駅まで歩いてきたよ!」と言いました。
彼女は「佐伯君、すごいね!」とほめてくれました。
「誰かに聞いてほしくて電話したん」と僕が言いました。
「頑張ったね!」と彼女は言ってくれました。うれしかったです。
こうして僕とN君の、「21時下宿出発→翌日17:12分長岡駅到着」の20時間12分におよぶ格闘が終わりました。
PS:ちなみにN君は大学卒業後、長野に戻り就職し、数年後、普通に結婚しました。
おととしもらった年賀状に「50歳にして3人目の子供を授かりました。人生まだまだ!」
と書いてありました。
相変わらずガッツがあるなぁ、と思いました。
もう二度とあんなに歩くことはないと思います。
でも振り返れば夜中、二人で語りながら歩いたのは楽しかったです。
2024年09月04日 15:15