個別指導形式の学習塾と家庭教師の寺子屋学習館|富山県射水市

わからない所が1つずつわかるようになる、達成感ある授業を心がけています。

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2024年の記事:ブログ

早く終わってほしい中間テスト

ブログを2日間も書けませんでした。すみませんでした。

早く中間テスト終わってほしいですね。僕は少し息切れしてきています。

明日は休みなので、一気に中間テスト対策授業の準備をしたいと思います。

僕は基本的に「今日の授業の準備は今日の午前中にする」という考え方です。

前もって「今のうちに明日(あさって)の授業準備をしよう」ということは、めったにありません。

以前は「今のうちに明日の準備をしておこう!」と気合を入れて準備をしていたのですが、コピー一つとっても当日になると、変更することがけっこうあって、

「こんなことをしていたら部屋中がプリントだらけになってしまう…」と焦り、「その日の準備はその日にする」という方針に切り替えました。

ただ、数学だけは前々から準備していて「1次関数の応用問題」「2次関数」「連立方程式の応用問題」などは、もう今の段階でほぼ準備は終えています。

授業で使うプリントも数十枚単位で用意されています。


数学だけは勉強するのがすごく好きなので、山ほど入試問題プリントや「シケ対プリント(試験対策プリント)」が作ってあります。

英語に関しても文法に関するノート(資料)はもう中学3年分出来上がっているので、そんなに準備することはありません。

問題集も全部解いてあり、英語に関してはそんなに準備に時間をかけていません。

では何に時間をかけているのか?

一番時間がかかるのは理科です。

英語・数学とは異なり、主要教科ではないのですが、だからこそ、時間をかけています。生徒さんも理科(社会も)苦手な生徒さんが意外に多く、苦戦しているので、

理科のシケ対作成や社会の準備に時間をかけています。

僕自身、中学時代は理科と社会に悩まされてきたのので、多少のコンプレックスもあるため、つい理科と社会の授業準備には気合が入ります。


授業説明DVDも「歴史」に一番時間をかける予定で作り始めたのですが、いざ始めると「数学」「英語」が8割を占めています。

どうしても数学・英語に時間をかけてしまいます。

やっぱり、いざ「高校入試合格」という観点から受験対策を考えると「数学」「英語」が重要になってきます。

僕が得意なことと、生徒さんが苦手なことは別問題です。

数学・英語は入試の平均点も低いし、マスターするまでにはどうしても理科・社会よりも圧倒的に時間がかかってしまいます。

そのため、最近は「英語DVD」「数学DVD」を作っています。

とりあえず宿題の解説をDVDがしてくれているので、今までよりも効率良くはなっていると思います。

あとは結果が出るまで時間をかけて宿題をこなしてもらう、授業をしていくのみです。

今回の中間テストは初めてのDVD効果を期待してのテストなので、今までよりも生徒さんの「結果」が楽しみでもあります。

「頑張るのは生徒、お前が頑張っても仕方ない。もっとでんと構えとれよ」と友達は言ってくれるのですが、いざ教える立場になるとなかなかそうはいきません。

自分がテストを受けるときよりも、つい力が入ってしまいます。

今はまだ高校入試の時期ではないので、少しリラックスして日々過ごせますが、年末あたりから入試が終わるまでは、非常にピリピリしています。

毎年そうなのですが、「高校入試」が一番高い「壁」になっています。これはこの仕事を辞めるまで変わらないと思います。

心に余裕のある今のうちに授業準備をしていこうと決めています。

まずは授業解説DVDをコツコツ作っていく、ことが1番の目標です。今年からの新しい目標です。

すべては入試に合格してもらうため、です。

今年が1年目なので一番大変な年になりますが、できる範囲で作っていきたいです。1枚DVDが仕上がると、何とも言えない「達成感」に包まれます。

この瞬間はなかなか良いです。


先ほど、おとつい放送された「上田と女がほえる夜」を見終えました。今回も面白かったです。

重盛さと美が出ていたので、特に楽しかったです。


では、今日も今から「今日の授業準備」をしていきます。
2024年05月24日 08:45

僕がピアノを習い始めた理由 / 年長組~中1終わりまで

僕は保育所に通っていたころ、親に強制的に水泳を習わされていました。

幼いながらに水に顔をつけることがとても怖くて嫌でした。

水泳教室の先生は、若い女の先生でとても厳しい方でした。

僕はとにかく週に1回あった、この水泳教室が嫌で嫌でたまりませんでした。

1年ほど通い続けていたある日、2つ下の僕の妹が「ピアノを習いたい」と言い出し、妹はピアノを習うことになりました。

「ここしかない!」と幼いながらに思った僕は、母に「俺もピアノを習ったら、水泳を辞めてもいいけ?」と聞くと母は「いいよ」と言いました。


こうして僕はなんんとか水泳教室を辞めることに成功しました。6歳のころの話です。

もちろん僕はピアノに興味があったわけではなく、「とにかく水泳から解放されたい!」との一心でピアノを習うことに決めました。


ピアノ教室の先生は、当時まだ20代後半の女の先生で、水泳教室のコーチとは異なり、とても優しい先生でした。

毎週金曜日に僕はピアノを習うことになりました。

僕はカワイピアノ教室に属することになりました。(ピアノ教室は個人の教室でした)

小学4年生のときに、カワイグレード試験の8級に合格しました。このころは少しだけピアノが楽しい、と思い始めていました。

小学5年生のときにはグレード7級の試験に2回目のチャレンジで合格しました。

当時は「カワイピアノ系列のピアノ教室内で小学生の男子でグレード7級に合格した人は、富山県内には僕しかいませんでした。かなり練習したのを覚えています。

6年生のときには、コンクールにも出場し、優秀賞をいただきました。

ただ、このころになると、だんだんとピアノの練習をするのがおっくうになりました。

小学6年生のころは僕は週に2回、公文へ算数を習いに、そして毎日土日も休まず、サッカー部に所属していたため、サッカーの練習もしていました。

金曜日は「公文」→「ピアノ教室」→「サッカー部の練習」という、ハードな小学生時代を過ごしました。

サッカー部の練習は平日は毎日16時~夜8時までありました。練習の最後はグランド10周という、めちゃくちゃハードな部活でした。


中学1年生のときには合唱コンクールで歌った課題曲「大空賛歌」のピアノ伴奏を僕がしました。

当時は男子でピアノを弾く生徒はあまりいなく、しかも僕のクラスは学年で「最優秀賞」を獲得し、11月の文化祭で全校生徒・保護者の前でピアノ伴奏をしました。

当時は嫌々でしたが、今振り返ると良い思い出です。

ただ、部活もあり、ピアノを習うのにかなり抵抗が出始めてしまい、僕は中学1年生の終わりの春休みでピアノ教室を辞めました。

今はもうピアノを弾くことはほとんどありませんが、ギターを弾いているとたまにピアノを弾きたくなります。

保育所年長組~中1の終わりまでの僕の「習い事」経験を通して、習い事は、自分自身が「習いたい!」と思った時に初めて習うのが良いのでは?と思います。

PS:僕の高校時代からの親友は、15年ほど前から毎週日曜日にピアノ教室に通っています。

とても楽しい、とのことです。素晴らしいなぁと思います。
2024年05月21日 04:11

ソフトバンク山川選手 / リーグ首位の10本塁打

北日本新聞を読んでいました。

プロ野球、ソフトバンクの山川選手がパリーグ首位となる10本目のホームランを打った記事が書かれていました。

山川選手は昨年、不祥事を起こしてしまい、西武を解雇されトレードでソフトバンクに移籍されました。

昨年はさんざんな1年でマスコミからも酷評され、世間からも大バッシングを浴びていました。

一時期は「引退説」も流れ、プロ野球界にいることすら危ういのでは?と言われていました。

しかし、今年ソフトバンクに移籍し、大活躍されています。

山川選手のコメントを読んでいると「よっぽど昨年は悔しい思い・猛省したのだなぁ」と受け止めることができます。

「僕はホームランを打つしかないんです」と言っておられ、悲壮感漂う鬼気迫るものを感じました。


僕は去年「山川選手はこれで干されて終了だな」と思っていました。

でも今年の活躍を知り「すごいなぁ。あれだけの逆風の中、よく立ち直ったなぁ」と思いました。

もちろん、試合に出られない期間、猛練習されたことは確かで、精神的にも一回りも二回りも大きくなって、戦場に帰ってこられました。

話は変わりますが、セリーグでは東京ヤクルトの村上選手も同じく10本塁打でリーグトップの成績を残されています。

村上選手も昨年はスランプに陥り、さんざんな一年を送りました。

でも今年はプロ通算200本塁打を放ちました。このことについて、村上選手は「意識していないです。通過点。これからも1本ずつホームランを打っていきます」と謙虚なコメントを

残されていました。以前のこのブログにも書きましたが、昨年村上選手は、WBCのときに、大谷選手やダルビッシュ選手の練習方法を見て、自分にもできるかなと思い、

いろいろな練習法を取り入れているうちに、何が正しいのか?わからなくなってしまい、そのことが原因でスランプに陥ってしまった、と言っておられました。

今年は村上選手の信じる練習方法を確立され、ひたむきな努力でここまで頑張ってこられているのだなと感じました。


 山川選手と村上選手、二人ともホームランバッターです。

今年は今後も大活躍されることを期待しています。頑張ってください!
2024年05月19日 07:04

ブルーハーツ / あの娘にタッチ

先日TSUTAYAでCDをまとめて借りてきたときに、ブルーハーツの「情熱のバラ」「キスしてほしい」が借りたくて、ブルーハーツのアルバムを借りました。

ほかの曲も何となく聴いていると、「あっ、なんかこの曲いいなぁ」という曲に出合い、タイトルを確認すると「あの娘にタッチ」という曲でした。

1991年発売のシングルで僕が大学1年生だったころの曲でした。当時僕はこの曲の存在を知りませんでした。今回初めて聴きました。

ブルーハーツにしては珍しくコメディータッチというか、「小学生向けの楽しい曲」だなあという印象を受けました。

メロディーのコード進行もシンプルで、覚えやすいメロディーだと思いました。

昨日、You-tubeで「あの娘にタッチ」を初めて見ました。

ブルーハーツのロックなイメージとは大きく異なり、おちゃめでポップな動画でした。

意外に思ったのですが、「こんな時代もブルーハーツにはあったのだなぁ」と改めてブルーハーツの曲が好きになりました。

ブルーハーツは後に解散して、その後「ハイロウズ」→「クロマニヨンズ」と活動をしていきますが、僕は残念ながらハイロウズもクロマニヨンズもまだ曲はほとんど聴いたことがありません。

今度TSUTAYAでCDを借りるときにレンタルしてみようと思います。


音楽っていいですよね? 嫌なことがあったりしても好きな音楽を聴くと元気になれます。


僕は圧倒的に男性歌手の曲を聴きますが、ロックとバラードが好きです。

浜田省吾、GLAY、尾崎豊、福山雅治、スピッツ、ミスチル、ブルーハーツ、などなど、歌詞にも注目して聴いています。


最近知ったのですが、浜田省吾がこの秋から冬にかけて、ファンクラブ限定のコンサートをすることが決まり、ワクワクしています。

昨年のコンサートはテスト期間だったため断念しましたが、今年は行きます。テスト期間を省いて全国どこへでも行く予定です。

あとはチケットが取れるかどうかだけが心配です。浜田省吾はいまだ人気が絶大にあるため、なかなかチケットは取れません。

今回は残念ながら北信越エリアではコンサートが行われないので、大阪・名古屋あたりでチケットが取れればいいのに、と思っています。

浜田省吾は僕のちょうど20歳上になります。今年で72歳。いまだその歌声は健在で、コンサートで歌声を聞くと、震えます、「うわ~うまい」と思います。

なんとか今回はチケットが取れることを祈って応募します。噂によると今回は90年代~の曲が多いそうなので、とても楽しみです。
2024年05月18日 10:18

岩瀬のけんか山を見てきました。 男女の友情は成り立つ?

昨日塾が終わった後、岩瀬の祭りに行って来ました。

神社の中を2・3周してお参りしたあと、ちょうど「けんか山」が始まる時間になったので、ものすごい人の中をかきわけ、前の方でけんか山を見てきました。

「けんか山」と言っても、実際にけんかをするわけではなく(僕が中学生だったころは本当に殴り合いをしていました。激しいけんか山でした)曳山をひく、というものなのですが

勢いや掛け声など、岩瀬らしい「男同士のぶつかりあい」を見てきました。

 
ヤンキーっぽい&ギャルっぽい若い女の子もたくさんいて、「いつの時代もこういう人たちはいるのだなぁ」と思いました。

でもきれいな女性が多く、少し見とれていました。


家に帰ってきて、気持ちが少しずつ落ち着いてきて、日記を書きました。

20年以上つきあいのある、とても仲の良かった女友達がいたのですが、最近ぎくしゃくしてきていて、「ちょっと疲れてきたかな」と思い、思わず

「男女の友情って成り立つのかなぁ」と考え込んでしまいました。


僕は学生時代からずっと「男女の友情は成り立つ」と思っていて、大学時代は教育学部という環境でもあったため、仲の良い女友達は数人いました。

ただ、結婚するとそれをきっかけに「年賀状だけのつきあい」に変わり、「そんなもんだよな」と思っていました。

よく「友達から恋人に発展しました」と言っているカップルや夫婦がいますが、「そういうパターンもあるのだなぁ」と他人事のように思っていました。

 僕自身は「友達から恋愛に発展した」という経験は一度だけあります。相手の性格を友達時代によくわかったうえで、恋人になるのは良いのかなと思います。


男同士の友情について・・・ 

僕は基本的にラインの返事はかなり早く、仕事中でない限りはラインが届いたら「2分以内」に返事をします。

仕事中でも生徒さんの親御さんからのメールの場合はすぐに返事をします。待たせると申し訳ないな、と思うからです。

そのため、男友達とかで返事の遅い人がいると(毎回同じ人物なのですが)ちょっとムッとしてしまいます。まあ、遅いのを承知で僕もラインしているのですが…

急いでいるときはラインしても無駄なので電話します。

電話はいいですね。相手の状況にもよりますが、電話は「その場で話が完結」するので好きです。

ラインはどうしても、相手により返事が遅かったりするので、せっかちな僕には向いていません。

また活字だと相手の感情が伝わってこないため誤解することも多く、やっぱり「電話の方が」いいのかなと僕は思います。

僕の親友はラインをしても既読にすら3時間以上ならない、ことかしょっちゅうなので、電話をすることがほとんどです。

電話だと出てくれるのでラインはめったにしません。

僕とは正反対な性格でめちゃくちゃ「遅い」。電話しても5コールくらいしないと出ません。

絶対に僕とはあわない、と思うのですが高校時代からの長い付き合いになっています。不思議です。


話は「男女の友情は成り立つのか?」の話に戻りますが、実際のところどうなのでしょうか?

僕の身内を見渡す限り、妹には男友達はいません。弟には女友達がいます、というか友達夫婦と家族ぐるみの付き合いをしています。楽しそうです。

男友達の意見はもちろん大切ですが、女目線からの意見も大切なこともあります。

できることなら男女問わず、友達は大切にしていきたいなと、今は思っています。

長い文章になってしまい、まとまりのない文章になってしまいすみません。

ちょっとモヤモヤしていたのですが、少し心の整理ができました。
2024年05月18日 02:56

GLAY EXPO 2004 を見ています。

かなり前のDVDになりますが、GLAYの野外コンサート「GLAY  EXPO2004」のDVDをアマゾンで買い、見ています。

僕が福光で個人塾をしていたころに発売されたDVDです。

当時、当塾に通ってくれている福野高校2年生の生徒さんがいて、その生徒さんが大のGLAYファンで、その生徒さんの影響を受けて、僕もGLAYのファンになりました。

生徒さんはHISASHIのファンでした。

生徒さんの好きなGLAYの曲は「原色の空」「灰とダイアモンド」「believe  in  fate」という曲でした。

僕は当時、その3曲とも知らず、レンタルでCDを借りてきて聴いていました。

あのころから20年の月日が流れました。


その生徒さんは理系の生徒さんで、富山大学の理学部地球学科 を目指していました。

部活のことで行き詰ってしまい、2人で福野にある「マリモラーメン」へラーメンを食べに行き、そのあと小矢部川のほとりで少し話をしました。

彼女は理系だったため、英語が苦手で、僕が「英語嫌いけ?」と聞くと「アメリカの言いなりになりたくありません!」とかたくなに英語を嫌っていました。

アメリカの言いなりになりたくないか… 僕はそんなことを思ったこともなかったので、「そうだね。確かに… 英語なんかセンター試験さえクリアしてしまえば、あとは関係ないから

とりあえず嫌々でもいいから頑張ってみようよ」と励ましました。

そして、和田秀樹先生の書かれた「センター試験突破マニュアル」と言う本を貸しました。その日を境に、彼女の猛勉強の日々が始まりました。

僕は当時GLAYの「南東風」という曲がすごく好きでした。

今日、久しぶりにGLAYのDVDを見て、彼女のことを思い出していました。


その生徒さんはその後奮起して、富山大学理学部地球学科に合格されました。 努力が報われてよかったです。


僕はGLAYのコンサートには一度も行ったことがないので、近い将来行ってみたいと思っています。

GLAYのメンバーは僕と年齢も近く、TAKURO,テル、HISASHIは僕の1個上、jiroは同学年になります。

TAKUROの誕生日は僕の母と同じ5月26日です。

僕はGLAYの曲では「HOWEVER」「あの夏から一番遠い場所」「ホワイトロード」「都忘れ」「南東風」「TOGHETER」「とまどい」「winter, again」

「サバイバル」などが好きです。

明日は休日なので、明日ゆっくりGLAYのDVDを見ようと思います。

PS:今日は岩瀬の祭りの日です。塾が終わったら少し寄ってみようと思います。

サウナタロトヤマが今日から営業再開なので、明日行く予定です。
2024年05月17日 14:43

中間テストの範囲表が配られました。プロ野球、日本ハム清宮選手の記事を読んで…

大門中学校では、(学年にもよりますが)中間テストの範囲表が配られました。

2年生の場合、数学のワークが2冊もあるため、他の教科と比べると、勉強量が単純に2倍になってしまいます。

今回は範囲も広く、「これは大変な2週間になるな」と思いました。テストは5月末にあります。

とりあえず生徒さんから学校のワークを借りて、その中から大切な問題をピックアップして、それらの問題をこれから解いていきます。

その中でもさらにテストに出そうな問題については、解説DVDをこれから作っていきます。

塾の授業だけではすべての範囲を教えることは不可能なので、宿題に出したりDVDを見て問題を解いてもらい、まるつけ・直しをしてもらう予定です。


英語の範囲も広く、これからの2週間、頑張ってほしいと思っています。

1年生にとっては初めての定期テストになります。

4月に行われた「入学おめでとうテスト」よりも良い成績をとってほしなと思っています。カギはやっぱり数学と英語になります。

数年前、新潟で中学校の数学の教員をしている友達に「1年生でつまづく生徒が多い単元てどこけ?」と聞くと「正負の数かな」と言っていました。

その通り、正負の数でつまづく生徒さんは多く、3年生になってもつまづいたままの生徒さんもよく見受けられます。

正負の数を得意分野にしてもらえるよう、1年生にはねばり強く授業していきたいと思っています。


自分が中学時代だったときとは異なり、教える立場になると「あれも教えたい、これもマスターしてもらいたい」と思い、気持ちは焦ってきます。

テストが終わるまでのこれからの2週間は、学校のワークを中心に授業していきます。
忙しい2週間が始まります。

心して準備していきたいと思っています。


PS:昨日ネットでプロ野球、日本ハムの清宮選手についての記事を1時間半くらいひたすら読んでいました。

「怪物ルーキー」と鳴り物入りでプロ入りしましたが、現在まで思うような結果を出せていません。その原因についてさまざまな意見が交わされていました。

1番多かった「活躍できていない理由」は「練習不足」「メンタル面の甘さ(ガッツがない)」「高校時代の過去の栄光をひきずりすぎている。プロでは通用していないのだから

その現実を受容し、コーチの言われることに素直に耳を傾けるべき」など書かれていました。「けがが多い」とも書かれていました。

かつて清宮選手は楽天戦のあとの移動の電車の中で「牛タン弁当を7個も食べていた」と書いてありました。

体重も100kgを超えており、新庄監督に「太りすぎじゃね?やせようよ」と言われ奮起し94kgまで減量されました。

今年も今のところ思うような結果を出せていませんが、今年は勝負の年になると思うので、コーチの指導を聞き入れて奮起してほしいと思っています。

高校通算ホームランの本数は歴代1位という、輝かしい「過去の実績」があります。

素質は十分にあるので頑張ってほしいです。
2024年05月15日 08:36

高校1年生1学期:3者面談で担任から言われたこと「あいつを目指せ!」

高校1年生のとき、初めての3者面談がありました。

僕は「何を言われるのだろう?」と少し緊張していました。不安でもありました。

幸い、「入学おめでとうテスト」は学年で20番という好成績でした。この成績が卒業まで続くのですが…

当時、僕らの担任は「超スパルタ教師」でした。

違反ズボンをはいてくる生徒には、何のためらいもなく「体罰」。体罰というよりも、こぶしで生徒を殴っていました。

今だと問題なのですが、当時は体罰は当たり前の時代でした。


3者面談が始まりました。先生はまず、僕に一言。「佐伯、お前は古典の点数は30点だ。赤点ぎりぎりだぞ。はっきり言ってお前は古典の授業では「お荷物」だ。

もっと勉強しろ」ときつい一言をもらいました。

そのあと他の教科について点数を読み上げながら「他の教科、特に大事な英語・数学はよくできとる。この調子で頑張れ!」とほめてくれました。

僕の母親は少し心配に思ったのか「本当にこれでいいんでしょうか?」と聞きました。すると先生は

「ちかし君を目指してください」といきなり言いました。

僕は「はい。わかりました」とだけ言いました。本人の名誉のために、あえて言いますが、確かにちかし君は当時はクラスで1・2を争う優秀な生徒でした。

学級代表もしており(一高では学級代表のことを「組長(くみちょう)」と読んでいました(まるでヤクザですね(笑)先生からの人望も厚く、人気もありました。

僕は少しあっけにとられ「そうか。組長はやっぱり頭いいんやなぁ」と思いました。そして「組長を目標にこれから勉強頑張ろう!」と決意しました。

 
 それから数日たって、数学の問題で分からない所があったので、友達と一緒に職員室へ質問に行ったとき、先生が、隣のクラスの先生と何やら進路について話をしていました。

担任は「俺はちかしを武蔵工大に入れたいと思っとる」と熱く語っていました。

まだ1年生の1学期なのに、もう3年時の進路のことについて話していました。

僕は「組長すごいな!もう将来のこと期待されとるがんや」とびっくりしました。

実際、ちかし君は武蔵工大に合格しました。

この1学期の「ちょっとしたわさびのきいた事件」で僕は目覚めました。「俺も先生に期待されるような生徒になろう」と・・・

僕は3年間この先生に受け持ってもらいました。英語の先生で、かなり厳しい先生でしたが、優しい一面もあり、たとえば僕らが放課後、サッカーをして遊んだあと、教室で雑談をしていると、そこへ来て「俺も入れてくれ~」と入ってきました。

「このお金でジュースでも買ってこい」と僕らにジュースをおごってくれることも何回もありました。

先生はそのとき、今までの教員生活の中で印象に残った生徒のことや、他の先生の武勇伝的な話をしてくれたりしました。


先生は僕らに常々「俺は1年のときが一番厳しいしうるさい。でもお前らが2年・3年に上がるにつれ服装・髪型などについては何も言わなくなる」

と言っていました。そして実際そうでした。

「最初だけはきしっと締める。でもあとはお前らの自由にしろ」という指導方針でした。

僕は1年の1学期にこそ3者面談で「お前は古典ではお荷物だ」とののしられましたが、それ以降は、ことあるごとに

「優ちゃん、お前はこの学校のホープや。応援しとるぞ!」とほめてくれました。ものすごく励みになり、うれしかったです。

一高を卒業してからも僕は毎年のように担任を訪れ、世間話をしていました。

本当に先生にはお世話になったし、僕のひそかな目標でもありました。


僕は塾では、塾生には厳しくないし、暴言も吐くことはまずありませんが、先生のように「生徒をほめてその気にさせるような優しい先生」でありたいと思います。

「優ちゃん、お前もしかして俺を目指しとるんか?」と25歳くらいのときに一度言われたことがあります。そのときは「な~ん。そんなわけではないけど・・・」と照れ隠しに言いましたが、その通りでした。

僕は中学時代、高校時代と担任の先生には本当に恵まれてきましたが、高校3年間受け持ってもらった担任の先生が一番好きでした。

「こんなとき、先生だったらどうするだろう?」と思うこともよくあります。

とにもかくにも、生徒さんをほめて伸ばすタイプの塾講師でありたいと思います。
2024年05月14日 11:40

テスト期間

僕は中学生・高校生のとき、テスト期間が好きでした。

理由は授業がないからです。

テスト期間は早く帰れるし、授業はないし、僕にとってはラッキーな期間でした。


中学・高校時代僕はとにかく授業が嫌でした。数学の時間はまだ良かったのですが、それ以外の英語・国語・理科・社会の授業は地獄でした。

当時、僕は授業中に先生にあてられるのがすごく嫌で、特に英語の時間の「本文を読んで訳す」のが大嫌いでした。

高校時代は英語の予習を全くしていなかったので、(というよりも先生にあてられるのが嫌だったため、絶対に予習はしていきませんでした。)

いざ当てられると毎回「わかりません」と言って授業中ずっと立たされていました。それほど授業中にあてられるのが嫌だったのです。


同様に理科・社会・国語も授業中に発言するのがとにかく嫌で、授業中ずっと「あてられませんように・・・」と祈っていました。

そのせいで僕の中学・高校時代は緊張感のため体型も今とは異なり細く、がりがりでした。

とにかく授業中は猛烈に緊張していました。体育はその点楽しかったです(あてられることがないので)


テスト期間は授業がないので、先生に当てられる心配をする必要がないので、精神的にめちゃくちゃ楽でテストの点数が良い悪いよりも授業がないことがラッキーでした。

大学に入ってからも僕の「授業嫌い」は続き、大学の場合1年生のときは広い教室で先生が一方的に話して終わるという授業が多かったので良かったのですが、2年生になると英語の授業が一クラス35人くらいしかいなく、高校時代と同じように当てられるので、強烈に嫌でした。もちろん予習はしていません。

2年生になると専門の授業が増えるので(僕は数学科だったので、数学の授業が毎日2コマ(3時間)ありました。)

この数学の授業が全くわからなくて、今度は「落ちこぼれ」になってしまいました。

高校までは授業は何とかついていけたのですが、大学の専門の数学の授業は全く分からず、地獄を見ました。

大学生になって初めてテストが大嫌いになり、大学の場合は「留年」がかかってくるので、テスト期間は高校時代とは異なり必死でした。

幸い大学の場合テストの代わりに「レポートを提出するだけでOK」という授業が多かったので助けられましたが、数学の授業と英語の授業はとても苦痛でした。


大学に入って初めて「勉強がわからない」ことの苦しみを知り、落ちこぼの人の気持ちが痛いほどわかりました。

数学のテストはいつも赤点ぎりぎりで、落としてしまった科目もありました。

本当は数学の授業で必要な単位をとれば「高校数学教諭1種」の教員免許を取得できたのですが、僕はさっさと見切りをつけ「中学校数学教諭第2種」の免許しかとりませんでした。

学科が小学校教員養成課程だったため、小学校1種免許はとれたのですが、高校の免許はとれませんでした。とにかく大学時代は数学で地獄を見ました。


大学4年生になると「ゼミ」が始まり、毎週金曜日の午後1時15分~4時半くらいまでゼミがあるのですが(ゼミとは少人数で数学の教科書(英語で書いてある数学の専門書です)を和訳してそれを数学的観点から理解していく、という授業でした。)

僕のゼミは6人構成だったのですが、毎回2人の学生が先生の前で授業をする、というスタイルのゼミでした。

僕の所属していたゼミには6人しかいないので「3週間に1回は発表する日」になるので、自分が発表(授業)をする日は最悪の気分でした。

水曜日と木曜日の午後1時~夕方6時くらいまで「予備ゼミ」といって、ゼミの内容について6人で数学の専門書を和訳してノートに書いていき、それから数学の内容を理解していく、というスタイルの「授業準備(予備ゼミ)」がありました。

今思い出すだけでも寒気がするのですが、とにかく大学時代はテストも嫌い、ゼミはもっと嫌い、という生活でした。

とても情けない話になるのですが、1年生のときの数学の授業では、テストのときにさっぱり問題がわからなくて、テストの解答用紙の裏に「数学科なのに、わかりませんでした。

すみません。2年生になったらもっと真剣に授業を聞いて勉強します。反省しています」というような長文手紙を先生に書きました。それで何とか単位をもらったこともあります。

 これらの経験から、中学生・高校生がテスト嫌いな理由が「大学生になって初めて」嫌というほどわかりました。

テストは嫌ですよね? 今は僕は塾でテスト対策授業をしています。

生徒さんたちは一生懸命に勉強されています。

少しでもテストで良い結果が出せるよう、大学時代を思い出しながら精一杯授業をしていきたいと日々思っています。

 
2024年05月13日 02:03

たった2分で、自信を手に入れる本 ~千田琢哉~

昨日から、千田琢哉さんのが書かれた「たった2分で、自信を手に入れる本」というタイトルの本を読み返しています。

短い文章が続いている本で、読むたびに自信を取り戻すような内容の本に仕上がっています。

落ち込んだときや自信を失っているときによく読みます。

今回は特に落ち込んでいるというわけではないのですが、本棚を見ていて読みたくなったので選びました。

千田琢哉さんは僕と同世代で(推定50歳くらいの方です)東北大学のOBで学生時代に1万冊の本を読んだ、という経歴を持つ作家です。

繰り返し出てくる内容も多く、仕事をするうえでヒントになることがたくさん書いてあります。

1冊3時間くらいで読み切れてしまう、読みやすい本が多く、僕は千田琢哉さんの本を好んで読んでいます。


千田琢哉さんは中谷彰宏さんの影響をかなり受けているらしく、文章も中谷彰宏さんの本とよく似ています。

ネットで見ていると「中谷彰宏が千田琢哉を育てた」と書いてあることもあります。

僕は中谷彰宏さんの本は1990年代の本が好きで、1990年代に書かれた中谷さんの本はよく読み返しています。

2人ともビジネス本を書かれています。

読むと元気になり精神的に復活することができる本が多いので、これからも千田琢哉さんの本を読んでいこうと思っています。
2024年05月11日 01:12