好きな人の影響を受けた高校時代
以前このブログに少し書いたかもしれませんんが、再び書かせてもらいます。僕は中学時代に所属していたサッカー部の顧問の先生と、高校時代3年間担任だった先生の影響を受けて「俺もこんな先生になりたい!」と思い、高校1年の夏くらいから教員を目指すようになりました。
当時の僕には「高校の英語の先生になる」または「中学の数学の先生になる」という目標がありました。幸い英語・数学は高校生になっても得意で好きだったので、英語・数学を中心に日々勉強していました。
高校2年生の秋、放課後友達と話をしていたら、一人の女子が「数学を教えてほしい」と僕たちに言ってきました。僕の友達は私立文系志望だったので、数学が苦手だったため、「じゃあ俺が教えるよ」ということになり、その女子に僕が毎日放課後
1時間くらい数学(当時は微分積分)を教えていました。
そのときにその彼女が「私は将来、小学校の先生になりたい」と言っていました。「そうなんや。俺は高校の英語か中学の数学の先生になりたいなぁ」と僕は言いました。
すると彼女が「中学とか高校だと教科制だから、自分のクラスの子と接する機会が少ないけど、小学校の担任だったら、毎日クラスの子たちと深く接することができるから、小学校の先生がいいなぁ」と言いました。
・・・それもそうだなぁ。小学校かぁ。俺も小学校の教師を目指そうかな」と、その子の影響を受けて小学校の教員を目指すことになりました。かなり単純な理由なのですが、当時の僕にはその子の存在はものすごく大きくて、好きだったこともあり
影響を受けました。
そして大学を卒業し、1年間の就職浪人ののち、僕は新潟県の小学校教員採用試験に合格し、三条市という所にある小学校へ赴任しました。
いざ現場へ入ると、僕の思い描いていた小学校教師とは全くの別世界で、初日に「教師ってこんなに雑用が多いがか・・・」と途方に暮れ、そして幻滅しました。
結局小学校教師は続かず、あっさりと僕は小学校教員をやめました。もちろん辞めたことに後悔はありません。周りからは「公務員なんにもったいないね」と言われましたが、今振り返ってもあのときの自分の決断は正しかった、と言い切れます。
ただ、子供が好きで勉強を教えることも好きだったので、教師をやめたあとは半年間、「軽トラックの運ちゃん」をしていましたが、25歳の冬に「富山県家庭教師協会」の方に拾ってもらい、家庭教師を本業にするようになりました。
家庭教師時代の話はまた後日お話させてもらいますが、とにかく僕は「高校時代の職業選択」には失敗したなと思っています。
理想と現実はこうも違うものなのか?と面食らいましたが、どんな仕事にも「理想と現実の壁」はあるかと思います。
その壁にぶつかったときにどう対応するか?納得するか?が大切なことだと思います。
高校時代はそれでも楽しかったです。僕の今の仕事の原点が高校時代の「好きな子に数学を教える」ことなので、今はその当時の延長戦を戦っているような気がします。もちろん今の方が教える技術は上ですが、当時の熱い気持ちを忘れずに
日々子供たちに勉強を教えていきたいなと思っています。
2023年02月19日 13:23