さきほど2018年度の手帳を見返していました。ちょうど今から5年前の11月4日に寺子屋学習館が大門でOPEN しました。
当時、僕は月曜日から土曜日までは某大手家庭教師派遣会社で家庭教師をしていました。主に中学3年生の家庭教師をしていました。1日2件の家庭教師をしていました。
日曜日だけ「大門総合会館」で中・高校生対象で「11月4日~翌年3月3日までの「長期無料体験授業」をしていました。日曜日だけの無料体験授業だったのですが、約4カ月間の無料体験授業は体力的にも精神的にも大変でした。「入塾してもらえるといいなあ」と思いながら4カ月間過ごしていました。
ほとんど休日のない中での無料体験だったのと、当時は「高校生の数学」も僕が担当していたため、授業準備に猛烈に時間がかかりました。
今はベテランの先生が僕の代わりに高校生の数学を担当してくれています。先生には感謝しています。
僕の能力では高校生を教えるのは無理だと悟りました。自分が理解できることと人に教えるということは全くの別物だと、痛いほどわかりました。
だからといって、中学生に教えるのは簡単かというと、そうでもありません。高校生と比べるとどうしても中学生は「これまでの勉強量の積み重ね」が劣るので、高校生を教えるとき
よりも、かみ砕いて教えるようにしないと理解してもらえません。中学生には中学生なりの教え方があります。
「この問題では、このあたりでつまづくだろうなぁ」と事前に予想して、「じゃあ、こういうふうな説明をしたらどうだろう?」と準備してから授業に入ります。
でも時にはこちらが予想しない所でつまづいたり質問されたりすることがあります。そこで再び「そうか、じゃあこういう解き方はどうだろう?」と試行錯誤して…この繰り返しで
ここまでやってきました。
さて、話は変わります。僕が中学時代の話になります。
僕は中学生・高校生のとき、ともに「英語」と「数学」の先生に恵まれてきました(学校の先生です)
中学1年生の時の英語の先生は「新採用の女性の先生」でした。かなりはっちゃけた先生で、今から思うと派手な先生だったのですが、教え方がものすごく上手で、僕もこの英語の先生
の教え方を今でもモデルにさせてもらっています。高岡市伏木出身の先生で「高岡高校→お茶の水女子大学」を出られた先生でした。
英語の授業で「my」という単語を習った時のことです。
当時流行っていたチェッカーズの「ジュリアにハートブレイク」という歌の中に「帰ろうぜあの街角へ ハートブレイク oh my ジュリア」という歌詞があったのですが、
その「my ジュリア」という部分に「my」があるよねぇ~ と言って「みんなで歌ってみようか!」と、カセットデッキを持ってきてみんなで授業中に歌ったりしていました。
僕は当時,その先生の人を巻き込むような迫力に圧倒されたのと、その先生がけっこうきれいな先生だったので、必死に授業を聞いていました。
先生は中学時代の修学旅行中に差し歯が抜けて、前歯のない状態で写真に写っていて恥ずかしかった」とか「大学時代の彼氏が彼氏のお父さんが亡くなられたときに私の前で泣いて
いて・・・」などけっこう具体的なエピソードを僕たちに話してくれました。
当時まだ中学1年生だった僕にはその1つ1つのエピソードが強烈で、英語の授業中はめちゃくちゃ真剣に授業を聞いていました。
この英語の先生には中学1年生のときと中学3年生のときに指導してもらいました。おかげで中学時代の英語は一番の得意教科でした。
代わって数学の先生は… 数学の先生は当時推定40代の女の先生で、ベテラン先生でした。
授業中に「警棒」みたいなものを持って教室に現れ、初めて見たときは「えっ、この警棒で授業中にどつかれるのかなぁ」と一瞬おびえましたが、そうではなく、黒板で説明されるとき
に、その棒を使って説明するための「警棒」でした。実際すごく優しい先生で、当時としては珍しく,決して体罰をしない先生でした。
授業も予習をしなくても「授業を聞くだけで」理解できました。生徒にあてることもあまりなかたので、必要以上に緊張することもなく、楽しく授業を受けることができました。
この先生は英語の先生ほど羽目をはずしてはいなかったのですが、一度だけヨーロッパ旅行のときの話を僕たちにしてくれて、「外国人がね、恋人同士で人前で堂々とキスをするんですよ。そのキスの時間を腕時計で計っていたのですが、長くてね~(笑)」と話していたのが当時の僕には衝撃的でした。
今でも覚えているくらいなので、かなりの衝撃を受けたのだと思います。この先生には3年間授業を担当してもらい、数学も得意教科でした。
中学2年生の2学期の中間テストで僕が初めて100点をとったときに、この先生は授業中にテストを返したときに「佐伯は100点満点でした!」とみんなの前でほめてくれました。
すごくうれしかったです。この先生には中学3年間、数学を指導してもらいました。ラッキーだったと思います。「生徒は教師を選べない」ため、どんな先生に指導してもらえるのか?
これは全くもって「運だのみ」になります。運が良ければその教科が好きになるし、逆に運が悪ければ「苦手教科一直線」になってしまいます。
僕は英語・数学という主要教科が良い先生に恵まれたのでラッキーでした。
一方、理科と社会はいまいちでした。1・2年生のときの「社会」は全くの「ハズレ」でひどい目にあいました(先生を責めるつもりはなく、勉強しなかった僕が悪いのですが)
中学1年生の11月に行われた中教研テストで僕は社会で「31点」という点数を取ってしまいました。1年生のときはとにかく社会が歴史も地理も同じ先生で、いつも50点~60点くらい
の点数でした。 ところが2年生になると「地理」の先生がベテランの男の先生に代わり、とたんに社会のテストの点数が上がりだしました。「やっぱり先生によって得意不得意が
変わってしまうのだなぁ」と身を持って感じました。
理科は… 毎年先生が変わりましたが、3年生のときが一番ひどくて「さっぱり」でした。 仕方がないので自分で必死に勉強していました。
これまでの中学時代の経験を振り返り、今 冷静に思うことは「…ということは寺子屋に来てくれている中学生の成績の良しあしは俺の授業にかかっているのか…」ということです。
しかも授業料までいただいている。プレッシャーを感じながら「1点でも生徒さんの成績が上がるような授業をしないといけないな」と思います。
塾生の成績が上がるともちろん僕もうれしいです 。逆に塾生の成績が落ちると「俺のせいだ…」と落ち込みます。そうならないように、一生懸命授業して、授業で習ったことを
より理解してもらうために宿題もちゃんと出して、結果を出していかないと辞められてしまいます。それだけは避けたい…
僕の中学時代の英語・数学の先生方の授業を元に、あとはこれまでの授業経験をもとに、授業を組み立てていきたいと日々思っています。
……今日で中教研が終わります。ひと段落つきます。すぐに期末テストがやってきます。3年生は実力テストもあります。
まだまだ油断できない日々は続きますが、塾生の背中を押せるよう僕も頑張るだけです。
2023年11月08日 08:20